表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ハヅキ辺境伯家の五行姫  作者: あの夏と勇者
第2部第1章 学び舎に咲く天の華
94/132

北方の友

「久しいのう、エリー」


 テンカがそう言うと、白銀の髪を揺らす少女は、静かに目元を和らげた。


「ええ。お久しぶりですわ、テンカ」


 エリシア=フロストレインの声は、記憶にあるものと同じだった。


 涼やかで、澄んでいて、春の陽気の中でもどこか北方の空気をまとっている。ただ、その表情は完全な無表情ではない。よく見れば、淡い青の瞳に再会を喜ぶ色が浮かんでいた。


 相変わらず分かりにくい。


 だが、テンカには分かった。


「元気そうで何よりじゃ」

「テンカも。以前より背が伸びましたのね」

「そなたも伸びたであろう」

「ええ。ですが、テンカほどではありませんわ」


 エリシアはすました顔で言った。


 そのやり取りに、レイナが穏やかに微笑む。


「フロストレイン様。テンカと親しくしてくださって、ありがとうございます」

「こちらこそ、レイナ様。テンカとの文のやり取りは、わたくしにとっても有意義でしたわ」

「有意義、ですか」


 レイナの目がわずかに動いた。


 妹の交友関係を知りたいという気配が、上品な微笑みの奥からにじみ出ている。


 テンカは横目で姉を見た。


「姉上、顔に出ておるぞ」

「出ていません。わたくしは生徒会長です」

「生徒会長は表情を失う役職ではあるまい」

「失っていません」


 レイナはきっぱりと言ったが、興味はまったく隠せていなかった。


 エリシアはその様子を見て、ほんのわずかに首を傾ける。


「わたくしからの手紙は、テンカにもお役に立っていたでしょうか」

「うむ。北方の魔物や氷術について、ずいぶん詳しく知ることができた」

「それは何よりですわ。入寮後に、氷狼の群れの移動経路について追記したものをお渡しします」

「やはり手紙ではなく報告書ではないか」

「友への手紙ですわ」


 エリシアは当然のように答えた。


 テンカは小さく笑った。


 この真面目さも、懐かしい。


 周囲では、また囁きが生まれていた。


「フロストレイン様まで……」

「レイナ会長の妹君と、北方侯爵家の令嬢が知り合いなの?」

「新入生なのに、もう目立ちすぎでは」


 声は小さいが、聞こえないほどではない。


 外門をくぐった時と同じだ。噂は人の間を渡り、本人より先に形を変えて歩き出す。


 生徒会長レイナ=ハヅキの妹。

 北方侯爵家令嬢エリシア=フロストレインの友。


 その二つが重なれば、テンカが何もしなくとも視線は集まる。


「目立つのは今さらですわ」


 エリシアが涼しい顔で言った。


「そなたに言われると、妙に説得力があるのう」

「テンカも、すぐに慣れますわ」

「慣れる前提か」

「ええ」


 エリシアの答えは揺るがない。


 レイナが軽く咳払いをした。


「名残惜しいですが、ここで立ち話を続けると、噂にさらに足が生えます。まずは受付棟へ向かいましょう」

「うむ」

「わたくしも、まだ手続きが残っていますの。ご一緒しても?」

「もちろんです。フロストレイン様もこちらへ」


 レイナが歩き出す。


 テンカとエリシアが並び、その半歩後ろにキリカが続いた。


 皇国学園の正門を抜けると、石畳の道が受付棟へ続いていた。両側には新入生を案内する上級生が立ち、必要な書類や寮の場所を説明している。


 白い石造りの受付棟には、皇国学園の紋章が大きく掲げられていた。


 中へ入ると、広い玄関ホールにいくつもの受付窓口が並んでいる。新入生たちは家名や紹介状を確認され、学生証や寮の案内札を受け取っていた。


「テンカ=ハヅキ様ですね」


 受付係の女性が、書類を確認して顔を上げた。


「うむ」


「ご入学の登録を確認しました。こちらが学生証です」


 差し出されたのは、銀縁の薄い札だった。


 中央には皇国学園の紋章が刻まれ、その下に「テンカ=ハヅキ」の名が記されている。小さな術式の光が札の縁を一度巡り、淡く消えた。


 テンカはそれを受け取った。


 掌の上に収まる、ただの札。

 けれど、そこに刻まれた名を見た瞬間、胸の奥に静かな実感が落ちた。


 ここでは自分は、ハヅキ辺境伯家の姫である前に、皇国学園の学生なのだ。


「姫さま」


 キリカがそっと呼ぶ。


「何じゃ」

「いえ。学生証をお持ちになる姿を見て、少し感慨深く」

「そなたまで母上のような顔をするでない」

「失礼いたしました」


 キリカは涼しい顔で頭を下げた。


 反省はしていなさそうだった。


 続いて、受付係は別の書類へ目を落とす。


「随行者キリカ様の登録も完了しております。通常授業への同席は原則認められませんが、登下校時の付き添い、寮区内での生活補助、指定区画への同行は許可されています」


「承知しました」


 キリカが答える。


「実技授業の見学については、担当教員への申請が必要です。試験や評価への干渉は認められません」

「心得ております」


 キリカの声は静かだった。


 テンカはその横顔を見た。


 キリカは自分の護衛だ。だが、この学園では、いつでもすべてに手を出せるわけではない。

 それは不便でもあり、必要なことでもあるのだろう。

 テンカは学生として、自分の足で歩かねばならない。


 受付係はさらに一枚の札を差し出した。


「寮は皇国学園寮区、東棟上級貴族用区画です。案内は寮区で寮監が行います」


「分かった」


 隣の窓口では、エリシアも学生証を受け取っていた。


 エリシア=フロストレイン。


 銀縁の札に刻まれた名を一瞥し、彼女は静かに懐へ納める。


「何やら、不思議ですわね」

「そなたもそう思うか」

「ええ。家名ではなく、学生として名を記されるのは、少しだけ新鮮ですわ」

「同感じゃ」


 テンカが答えると、エリシアは淡い青の瞳をこちらへ向けた。


「テンカ」

「何じゃ」

「以前より、雰囲気が変わりましたわね」


 ふいに言われ、テンカは瞬きをした。


「2年も経てば、多少は変わる」

「時間だけの変化ではありませんわ」


 エリシアの声は静かだった。


 踏み込みすぎるものではない。だが、見過ごすつもりもない。そういう声音だった。


 テンカは答えるまでに、わずかな間を置いた。


 天巡神社。白砂。送り火。夜空へ昇っていった火の粉。

 胸の奥を過ぎたそれらを、すべて言葉にすることはできなかった。


「失ったものも、得たものもあった。それだけじゃ」


 エリシアはそれ以上、問いを重ねなかった。


「では、今度は学園で得るものを増やせばよろしいですわ」

「簡単に申すのう」

「簡単ではないから、学びに来たのでしょう?」


 テンカは目を細め、それから笑った。


「まったく。そなたも、時々ずるいことを申す」

「褒め言葉として受け取っておきますわ」


 横で聞いていたレイナが、満足そうに微笑んでいる。


「よいお友達ですね、テンカ」

「うむ。少々、手紙が報告書めいておるがな」

「友への手紙ですわ」


 エリシアは再び、まったく同じ調子で答えた。


 受付を終えた一行は、寮区へ向かった。


 皇国学園寮区は、学園の東側に広がっていた。


 講義棟や図書館とは中庭と回廊でつながっており、単なる寝泊まりの場というより、学生たちの生活そのものを抱え込んだ一画に見える。


 中央棟には大食堂や談話室があり、その左右へ女子寮である東棟と、男子寮である西棟が分かれている。さらに奥には上級生や特別許可を受けた学生が使う北棟が見えた。


「ここが、皇国学園寮区……」


 テンカは東棟を見上げた。


 白い石壁に、淡い青の屋根。


 窓辺には花鉢が置かれ、回廊には魔導灯が並んでいる。ハヅキ家の屋敷のような瓦屋根も、障子に似た建具もない。


 ここは、皇国の学び舎なのだ。

 部屋一つ、建物一つからも、それが分かる。


「姫さま」

「うむ。ハヅキ家とは、ずいぶん違うのう」

「はい」

「だが、悪くない」


 テンカがそう言うと、キリカは目元を和らげた。


 東棟の入口では、落ち着いた雰囲気の女性が待っていた。


 年の頃は40代ほど。濃い茶色の髪をきっちりとまとめ、深い緑の長衣を身につけている。柔らかな表情ではあるが、背筋はまっすぐで、目元には規則を預かる者の厳しさがあった。


「東棟寮監のミリアムです。ハヅキ様、フロストレイン様、お待ちしておりました」

「世話になる」

「よろしくお願いいたしますわ」


 テンカとエリシアが挨拶すると、ミリアム寮監は丁寧に頭を下げた。


「お二人とも、東棟上級貴族用区画をご利用いただきます。まず、武器と術式使用に関する確認をいたします」


 寮監の視線が、テンカの腰の《継火》へ向けられた。


「ハヅキ様。《継火》は登録武器として持ち込みが許可されています。ただし、寮内での抜刀はお控えください」

「承知しておる」

「演習場以外での攻撃術の使用も禁止です。これはフロストレイン様も同様です」

「心得ておりますわ」


 エリシアが涼やかに答える。


 ミリアム寮監は頷いた。


「ここでは、爵位よりもまず寮則が先です。何かあれば、家名ではなく、学生として寮監室へ申し出てください」


 テンカは内心で感心した。


 ハヅキ家の名にも、フロストレイン家の名にも、必要以上に怯えていない。


 なかなか胆の据わった御仁じゃ。


「分かった。寮則には従おう」

「ありがとうございます」


 ミリアム寮監は表情を崩さずに答えた。


「ハヅキ様の随行者、キリカ様の登録も確認しております。控えの間は、ハヅキ様のお部屋に隣接しています。通常授業への同席はできませんが、寮区内での生活補助は問題ありません」

「承知しました」


 キリカが一礼する。


 それから、ミリアム寮監は廊下の奥へ歩き出した。


 東棟の上級貴族用区画は、一般学生の区画よりも静かだった。


 床には柔らかな敷物が敷かれ、壁には防音と防護の術式がさりげなく組み込まれている。華美ではないが、要人を預かる場所としての配慮は行き届いていた。


「こちらが、ハヅキ様のお部屋です」


 ミリアム寮監が一つの扉の前で足を止める。


「寝室、書斎兼応接室、着替え用の小部屋、専用洗面室、そしてキリカ様用の控えの間がございます」

「十分すぎるほどじゃ」

「ありがとうございます」


 続いて、寮監は隣の扉へ手を向けた。


「隣室は、フロストレイン様がお使いになります」


 テンカは隣の扉を見た。


 それから、エリシアを見る。


「隣か。これは退屈せずに済みそうじゃな」

「騒がしい隣人でなければよろしいのですけれど」

「それはそなた次第じゃな、エリー」

「まあ。わたくしのせいになりますの?」

「そなたの手紙が報告書である限り、わらわは退屈せぬ」

「友への手紙ですわ」


 エリシアは三度、同じ調子で答えた。


 レイナが口元に手を当てて笑い、キリカも目を伏せている。


 ミリアム寮監だけは表情を変えなかったが、その目元がほんのわずかに柔らかくなっていた。


「では、お荷物は順次運び入れます。歓迎式典まで、あまり時間はありません。着替えと身支度を整えたら、中央棟前へお集まりください」


「うむ」

「分かりましたわ」


 レイナがテンカへ向き直った。


「わたくしは式典の準備がありますので、一度生徒会へ戻ります。テンカ、分からないことがあれば寮監か、近くの上級生へ聞いてください」


「姉上には聞けぬのか?」

「聞いてください。いつでも聞いてください。今すぐでも構いません」

「式典の準備はどうした」

「……行きます」


 レイナは名残惜しそうにしながらも、生徒会長の顔へ戻った。


「では、また後ほど」

「うむ。案ずるでない、姉上」

「案じます」

「即答じゃな」

「当然です」


 レイナはきっぱりと言い残し、回廊の向こうへ歩いていった。


 その背を見送ってから、テンカは自分の部屋の扉に手をかけた。


 皇国学園寮区、東棟上級貴族用区画。


 隣室には北方の友が、控えの間にはキリカがいる。ここでテンカは、皇国学園の学生として暮らしていく。


 テンカはゆっくりと息を吸った。


「さて」


 扉を開ける。


 新しい部屋の空気が、春の光とともに流れ出した。


「ここが、わらわの学園での居場所じゃな」

評価やブックマークで応援いただけると、執筆の励みになりますのでよろしくお願いいたします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ