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ハヅキ辺境伯家の五行姫  作者: あの夏と勇者
第6章 禍つ鬼と蒼き姫
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エピローグ 送り火

 日が沈むと、天巡神社から見下ろす山裾に、小さな火が灯り始めた。


 一つ。


 また一つ。


 かつて送り火の道と呼ばれた古い巡回路に沿って、大魔境に近い慰霊碑から、山裾の祠、水路沿いの分社へと火がつながっていく。


 実際の炎が運ばれているわけではない。各地では、そこで亡くなった者たちの名を読み上げ、別れを告げるための火が灯されていた。


 天巡神社での戦いから、幾日かが過ぎている。


 負傷者は領都の治療院へ運ばれ、亡くなった者たちは家族や仲間のもとへ帰された。身寄りのない兵も滅魔旅団が引き取り、ほかの戦死者と同じように葬送を済ませている。


 それでも、別れが終わったわけではなかった。


 崩れた神楽殿は、まだ元の姿へ戻っていない。神楽殿跡は白布と注連縄で囲われ、その手前には、新しい板で仮設の舞台が組まれていた。


 境内には、戦いの痕が残っている。


 斜めに断たれた石灯籠。新しい石で塞がれた地面の割れ目。白砂には、消えきらずに残る黒い焼け跡もあった。


 だが、黒灰色の澱みはどこにもなかった。


 テンカは本殿前に並ぶ人々の先頭で、舞台を見つめていた。


 黒を基調とした礼装に身を包み、腰には継火を佩いている。身体の痛みはまだ残っていたが、立っていられないほどではない。


 半歩後ろにはキリカが控え、そのさらに向こうには、コトネとアルバート、滅魔旅団の兵たちが並んでいる。クレハとトウマも礼装を纏い、今夜は武器を携えていなかった。


 第三討伐隊の列の先頭には、1人分の空いた場所がある。


 その隣に立つラデルカは、戦斧を持たず、両手を身体の横へ下ろしていた。褐色の犬耳も、今夜は力なく伏せられている。


 祭主が舞台へ進み出た。


 手にした長い紙を開き、境内に集まった者たちへ静かに頭を下げる。


「これより、送り火の祭祀を執り行います」


 人々が一斉に頭を下げた。


「この1年に亡くなられた、すべての方々へ。名の残る方も、残らぬ方も。生まれも、身分も、亡くなられた場所も問わず、同じ火と祈りを捧げます」


 祭主は顔を上げ、紙に記された名を1人ずつ読み始めた。その合間には、名の残らなかった者たちへも祈りが捧げられる。


 海から戻らなかった漁師。病に倒れた老人。旅の途中で命を落とした商人。そして、大魔境や天巡神社での戦いに倒れた兵たち。


 テンカの知らない名もあった。


 けれど、その名が呼ばれるたび、背後のどこかから押し殺した嗚咽が聞こえた。衣擦れが重なり、誰かが隣の者へ縋る気配が夜気の中を伝わってくる。


 やがて、聞き慣れた名が落ちた。


「滅魔旅団第三討伐隊長、サイゾウ」


 テンカは礼装の袖の中で、拳を固く握りしめた。


 白砂へ血を落としながら、それでも立ち続けた背中が浮かぶ。

 必ず戻れと命じ、サイゾウは承知したと答えた。


 だが、生きて戻れぬことを覚悟していたのだと、テンカは分かっていた。それでも、その場を離れた。残れば、彼が命懸けで守ろうとした者たちを、さらに危険へ晒すことになると分かっていたからだ。


 正しい判断だった。今でも、そう思う。


 けれど、正しいことと、悔やまずにいられることは同じではなかった。


 テンカがわずかに視線を巡らせると、第三討伐隊の列ではラデルカが目を閉じていた。クレハは唇を固く結び、トウマも銀縁の眼鏡の奥で視線を伏せていた。第三討伐隊の兵たちは誰一人として顔を背けず、隊長の名が読み終えられるまで、まっすぐ前を向いていた。


 すべての名が読み上げられた。


 祭主が紙を閉じると、神職たちが舞台を囲む火皿へ火を移した。細かった炎は油を吸い上げ、夜風の中で丸みを帯びた光へ育っていく。


 最後に、その正面へ設けられた送り火が灯された。


 薪の間を赤い炎が走り、やがて人の背丈を越えるほど高く立ち上がる。夜の冷えた空気がわずかに緩み、境内を埋めていた人々の顔が火明かりに浮かび上がった。


 神楽鈴が鳴る。


 澄んだ音に導かれ、スズネが舞台へ上がった。


 白と緋を基調とした巫女装束。透明感のある白銀の髪は高い位置で結われ、五色の組紐と小さな鈴飾りが添えられている。


 右手に神楽鈴を、左手に白い扇を携えていた。


 スズネは祭主へ一礼し、境内に集まった者たちへも深く頭を下げた。


 急がず、最初の一歩を踏み出した。


 足の裏で板の感触を確かめるように進み、扇をゆっくりと開く。神楽鈴を掲げて身を翻すたび、白銀の髪が送り火の光を受けて淡く輝いた。


 死者を追い立てるための舞ではない。呼び戻すための舞でもない。


 大切な者を失い、立ち止まっている者が、悲しみを抱いたまま次の一歩を見つけるための舞だった。


 鈴の音が、夜の境内を巡る。


 炎の向こうに人の姿が現れることも、声が聞こえることも、何かが応えることもなかった。


 送り火は、ただ燃えている。


 それでよいのだと、テンカは思った。


 祈ったからといって、死者は戻らない。どれほど強く願っても、失った時間をやり直すことはできない。


 それでも、自分たちはここに立っている。


 サイゾウに守られた命を抱え、明日も生きていく。


 胸の奥に、かつて聞いた言葉が蘇った。


 ――休息も任務だと言った。撤退も任務だ。


 あれは声ではない。


 テンカの中に残った、サイゾウとの記憶だった。


 目の奥が熱くなる。視界が滲んでも、テンカは顔を背けなかった。


「……今度こそ、休め。サイゾウ」


 小さな言葉は、神楽鈴と炎の音の中へ溶けていった。


 テンカがそっと視線を向けると、ラデルカの肩がわずかに揺れていた。


 それでも、誰も言葉を重ねなかった。


 スズネは舞い続けた。扇を開き、閉じ、見送るように腕を伸ばしては、ゆっくりと胸元へ戻した。

 最後の一歩を踏み終え、神楽鈴を胸の前へ下ろした。


 鈴の余韻が夜へ消えていった。


 拍手はなかった。

 人々は送り火の前で、亡くした者の名をそれぞれの胸に抱きながら、ただ静かに立っていた。


 やがて薪の一つが崩れ、赤い火の粉が舞い上がった。


 テンカは、黙ってその行方を追う。


 一片の火の粉が目の前をゆっくりと横切り、続く小さな光とともに夜風へ乗った。


 火の粉は一つ、また一つと高く昇り、星々が瞬く夜空へ流れていった。

これにて第1部終幕となります。

第2部については、活動報告にでご連絡いたしますので引き続き、よろしくお願いいたします!


評価やブックマークで応援いただけると、執筆の励みになりますのでよろしくお願いいたします!

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