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ハヅキ辺境伯家の五行姫  作者: あの夏と勇者
第6章 禍つ鬼と蒼き姫
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地の底より

 神楽殿の床が落ちた。


 柱と床板が瓦礫となって地下へ呑まれ、灰色の砂と土埃が境内へ噴き上がる。残った屋根が大きく傾き、軒を支えていた柱も、根元から引きずられるように倒れていった。


「姫さま!」


 キリカがテンカの肩を抱いたまま、倒れてきた戸の陰へ身体を引く。


 土埃が視界を覆った。


 何かが砕ける音と、瓦が地面へ落ちる音が幾重にも重なる。冷たい風が穴の中から吹き上がり、テンカの頬へ細かな砂を叩きつけた。


「声を出せ!」


 サイゾウの声が境内を貫く。


「持ち場ごとに人数を報告しろ! 東側から!」


「神職の避難、継続中! 護衛4人、全員無事!」

「社務所側、異常なし!」

「南側、3人とも無事です!」


 続けて報告が上がる。


 神楽殿へ向かって走り出す者はいない。兵たちは土埃の中でも隣にいる者を確かめ、決められた持ち場から声を返していた。


「北側!」


 サイゾウが呼ぶ。


 返事がない。


「北側の者、聞こえるなら応えろ!」


「……こちらです!」


 崩れかけた神楽殿の向こうから、掠れた声が届いた。


「術士が梁に挟まれています! 自分は動けます!」


 テンカは土埃の向こうへ目を凝らした。


 北側に残っていた屋根の一部が地面へ傾き、折れた柱と床板が幾重にも重なっている。隙間から兵の腕が見えたが、その傍らにいるはずの術士の姿は確認できなかった。


「クレハ」


 コトネが団長へ視線を向ける。


「救助を」

「はい」


 クレハは即座に頷いた。


「サイゾウさん、救助を任せます。トウマさんは東側の退路と本殿側の安全確認を。残りの者は、崩落範囲へ近づかないでください」


「承知しました」


 サイゾウは神楽殿跡と周囲の地面を見渡した。


「第三討伐隊から4人、縄と梃子を持て! ラデルカ、足場を見てくれ!」

「ああ」


 ラデルカが戦斧を背負い直し、腰を落として地面に片手をつく。


 揺れは収まっていた。


 だが、白砂には幾つもの亀裂が走り、その隙間から冷たい空気が漏れている。崩れた神楽殿の近くでは、踏み固められていたはずの地面まで、わずかに沈んでいた。


「正面から行くな」


 ラデルカは耳を伏せたまま、地面の臭いを確かめる。


「中央の下は空洞だ。北側へ真っ直ぐ進めば、救助する側まで落ちる」

「別の道は?」

「西から回れば、まだ石組みが残っている。だが、確かめながら進む必要がある」

「分かった。先導を頼む」


 ラデルカが長い杖を受け取り、地面を突きながら西側へ進む。その後ろにサイゾウと救助班が続いた。


「サイゾウ!」


 東側の避難路から、スズネの声が届く。


 祭主や神職たちとともに注連縄の外まで退いている。こちらへ戻ろうとはせず、崩れた神楽殿を見ながら声を張っていた。


「北側の柱の下には、古い石組みがあります! 舞台裏の横梁は、西側の柱へつながっているはずです!」

「梁を動かせば、残った屋根も崩れるか?」

「分かりません! ですが、床下の支えは中央より深くありません!」

「助かる!」


 サイゾウは返事をすると、救助班へ手で合図を送った。


 スズネは神楽殿を熟知している。

 危険な場所へ戻らなくても、彼女の知識が救助隊の進む道を作っていた。


「母上」


 テンカは継火の鞘を握った。


「わらわにも、足場を確かめさせてください」

「その場から動かずにできますか?」

「はい。地表に近い水の流れだけを読みます」


 コトネは神楽殿跡とテンカを見比べた。


「許可します。異常を感じたら、すぐに収めなさい」

「承知しました」


 テンカはキリカとともに距離を保ったまま、片膝をついた。


 呼吸を整え、水行を薄く巡らせる。


 朝露を含んだ白砂。石畳の下に残る湿り気。崩れた床板から落ちた雨水の名残。


 それらへ意識を沿わせると、神楽殿の下に広がる流れが見えてきた。


 水は地面の中を進んでいない。


 幾つもの場所で流れが途切れ、そのまま下へ落ちている。祭祀石を含む地盤が崩れ、地下に大きな空間が開いていた。


 それでも、西側にはまだ流れの続く場所がある。


 石組みが残り、上から掛かる重みを支えているのだ。


「ラデルカ、その先は左へ寄れ」


 テンカは目を閉じたまま告げた。


「右側の下には水が残っておらぬ。地面が抜けておる」


 ラデルカが杖で右側を突いた。


 表面は硬く見えたが、力を加えると白砂が崩れ、細い穴が開く。その奥から小石が落ち、しばらくして下の岩へ当たる音が返ってきた。


「姫さまの言うとおりだ。左から回るぞ」


 救助班が進路を変える。


 テンカは地の流れを追いながら、石組みの残る場所を示していった。


「そこは進める。じゃが、2人以上で同じ場所へ乗るでない」


「聞いたな!」


 サイゾウが救助班へ告げる。


「間隔を空けろ! 助ける者まで落ちれば、救助にはならん!」

「了解!」


 サイゾウたちは瓦礫の近くへ辿り着いた。


 傾いた屋根の下に、第三討伐隊の兵が片膝をついている。その隣では、術士の右脚が折れた梁の下へ挟まれていた。


「隊長」

「怪我は?」

「自分はありません。術士は意識がありますが、脚から血が出ています」

「分かった。よく残った」


 サイゾウは梁の位置と、その上へ重なった瓦礫を確かめた。


「切れば屋根が落ちる。縄を回して持ち上げるぞ。西側の柱を支点に使え」


 救助班が動く。


 縄を梁へ回し、残った石組みの上へ梃子を置く。若い槍兵も縄を握り、隣の兵と足の位置を揃えた。


 顔は強張っている。


 それでも、手は止まらなかった。


「引け!」


 サイゾウの合図で、救助班が一斉に縄を引く。


 梁がわずかに持ち上がった。


「今だ! 術士を抜け!」


 瓦礫の下に残っていた兵が術士の身体を抱え、脚を引き抜く。治療役の兵が駆け寄り、傷口へ布を巻いた。


「担架へ乗せろ! 来た道を戻れ!」


 術士が運ばれていく。


 最後に残った兵が立ち上がった直後、支えを失った梁が沈み、屋根の一部が瓦礫の上へ崩れ落ちた。


「下がれ!」


 サイゾウと救助班が西側へ退く。


 地面が揺れ、白砂に新たな亀裂が走った。テンカは水行を収め、立ち上がろうとする。


「姫さま」


 キリカの手が肩へ添えられた。


「もう大丈夫じゃ」


「揺れが止まるまでは、そのままで」


 反論するより先に、崩れた神楽殿から大量の砂が地下へ流れ落ちた。


 土埃が薄れていく。


 その向こうに現れたものを見て、テンカは言葉を失った。


 神楽殿の中央に、巨大な穴が開いている。


 舞台の床下にあった低い空間ではない。そのさらに下へ、地面そのものが抜け落ちていた。


 夜明け前の空はわずかに白み始めていたが、穴の底までは光が届かない。崩れた床板や祭具の一部が闇へ落ち、はるか下で岩へ当たる音だけが返ってくる。


 穴の内壁には、自然の岩とは異なる直線が残っていた。


 積み重ねられた石。


 半ば崩れた柱。


 土の中へ埋もれた古い通路のようなもの。


「これは……」


 マリエラが穴から距離を保ったまま、内壁へ目を凝らす。


「自然にできた空洞だけではありません。人の手が入っています」


「地下遺構と同じものか?」


 クレハが尋ねる。


「石の組み方は似ています。ですが、今は断定できません」


 マリエラは崩れた地面へ近づこうとはしなかった。


「少なくとも、神楽殿よりも古いものです」


 冷たい風が、再び穴の中から吹き上がった。


 ラデルカの犬耳が立つ。


「この臭いだ」


 戦斧を握り、暗闇を睨む。


「大魔境の地下で嗅いだものと同じ、冷たい泥の臭いがする」


 テンカも継火の柄へ手を掛けた。


 水行を使うまでもない。


 肌へまとわりつく冷たさも、息を吸うたびに胸の奥へ残る濁りも、あの地下空洞で感じたものと同じだった。


 穴の底から、岩を穿つ音が届く。


 一度ではない。


 幾つもの指が、岩壁へ食い込む音だった。


「全員、穴から離れてください!」


 マリエラが叫ぶ。


 クレハはすぐに武器を抜いた。


「第三討伐隊、神職と負傷者を東側へ! ここには防衛線だけを残します!」


「サイゾウ」


 コトネが呼ぶ。


「異形が出た場合、本殿側へ通してはなりません」

「承知しました」


 サイゾウは刀を抜き、救助から戻った兵たちへ向き直る。


「盾を前へ! 槍はその後ろだ! 退路を塞ぐな!」


 異形の腕が、穴の縁へ掛かった。


 灰白色の皮膚。


 人のものより長く、幾重にも折れ曲がった四肢。石へ食い込んだ指は硬く、爪ではなく、削れた骨の先端にも見えた。


 白く濁った眼が地上へ現れる。


 胸元まで裂けた口が開き、冷たい息を吐き出した。


「地下の異形じゃ!」


 テンカの声に、兵たちの槍が一斉に構えられる。


 異形は穴の縁へ身体を引き上げると、兵たちを見回すこともなく、地面を這って東側へ進もうとした。


「止めろ!」


 サイゾウの号令で、盾兵が進路を塞ぐ。


 異形は盾へ肩からぶつかり、前衛を押し退けようとする。槍が灰白色の胸と肩を貫いたが、黒い体液を流しながらも動きを止めなかった。


「頭を狙え! 地下で戦った時と同じだ!」


 ラデルカの戦斧が横から振るわれる。


 異形の側頭部へ刃が食い込み、その身体が地面へ叩きつけられた。倒れた頭部へ兵の槍が突き下ろされ、白く濁った眼から光が消える。


 その背後から、2体目が這い上がった。


 続いて3体目。


 異形たちは互いを押し退け、崩れた岩を掴みながら地上へ出ようとしている。


「姫さま、下がってください」


 キリカが短刀を抜き、テンカの半歩前へ出る。


「下がっておる」


 テンカは継火を鞘に収めたまま、腰を落とした。


「じゃが、ここより後ろには通せぬ」


 3体目の異形が、槍兵の隙間へ身体を投げ出した。


 折れ曲がった腕が盾の縁を掴み、兵を引き倒そうとする。その脇を抜け、別の異形が負傷者を運ぶ担架へ向きを変えた。


 テンカは柄を握る。

 刃へ薄く金行を巡らせ、一歩踏み込んだ。


 抜刀。


 白い刃が、伸ばされた異形の腕を肘から断つ。


 黒い体液が散るより早く、テンカは足を返した。斬り落とされた腕を踏み越えようとした異形の横へ回り込み、返す刃を濁った眼へ突き入れる。


 手の内へ、硬い骨を断つ感触が返った。


 異形の身体が傾く。


 テンカは刀を引き抜き、その胸を蹴って穴の方へ倒した。


「案ずるでない。ここは、わらわたちが守る」


 担架を運ぶ兵たちが東側へ走る。


 キリカはテンカの背後へ回り、別の異形から伸びた指を短刀で弾いた。


「姫さま、右です!」

「見えておる!」


 テンカが右へ踏み込み、異形の首へ刃を走らせる。浅い傷が開いたが、裂けた肉は黒い澱みに縫われるように塞がり始めた。


 止まらない。


 地下で戦った時と同じだった。


「頭を!」


 サイゾウの刀が異形の膝裏を斬り、身体を崩す。


 テンカは倒れた頭部へ継火を振り下ろした。


 刃が頭蓋を割り、異形の四肢から力が抜ける。


 さらに奥から、硬い指が岩を掴む音が重なっていた。


「数が多い」


 クレハが薙刀を構え、穴の周囲を見渡す。


「ここで長く戦えば、防衛線が崩れます。東側への退避を続けながら、少しずつ下がってください」


「団長」


 ラデルカが穴の奥へ鼻先を向ける。


「こいつら、俺たちを狙って上がってきたんじゃない」


 異形たちは地上へ現れると、近くにいる者へ襲い掛かる。


 だが、穴から這い上がる時には、こちらを見ていなかった。互いを踏みつけ、崩れる岩へ指を突き立て、ただ上へ出ようとしている。


「下から逃げているのか?」


 サイゾウが尋ねる。


「そう見える。何かに追われているというより、下にいられなくなったようだ」


 穴の奥で、これまでよりも大きな振動が起きた。


 這い上がろうとしていた異形の1体が足場を失い、暗闇へ落ちていく。その直後、下から押し上げられた岩盤が、別の異形を壁との間へ挟み込んだ。


 灰白色の身体が潰れ、黒い体液が岩肌を流れる。


 それでも、異形たちは止まらなかった。


 次々と地上へ指を伸ばす。


「全員、さらに下がれ!」


 サイゾウが命じる。


 兵たちは倒した異形を穴の側へ押し戻しながら、防衛線を東へ移す。


 テンカも継火を構えたまま下がった。


 暗闇の奥で、何かが動いている。

 水行を巡らせなくても分かった。


 地面を押し上げ、流れを歪め、祭祀石と神楽殿を壊したものが、すぐ下まで来ている。


 穴の奥で、赤黒い斬光が一閃した。


 次の瞬間、その軌跡に沿って厚い岩盤が音もなくずれ落ちる。


 斬られたのだ。


 崩れた岩の向こうから、黒紫色の刃が現れる。


 刀に似ていた。


 だが、刀身は骨や角を無理に重ねたように歪み、刃の表面には血管にも似た赤黒い筋が走っている。まとわりつく澱みが煙のように揺れ、その輪郭を絶えず変えていた。


 異形の刀だけでも、兵の身の丈を遥かに超えている。


 その柄を握る巨大な指が、穴の縁へ掛かった。


 テンカは継火を握り直す。

 あれを振るっているものは、ただの獣ではない。


 地の底から、何かが這い上がろうとしていた。

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