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ハヅキ辺境伯家の五行姫  作者: あの夏と勇者
第1章 黒き鬼と緋色の姫
8/20

滅魔旅団①

 前世を思い出してから、3年の月日が流れた。


 テンカは11歳になり、艶やかな黒髪は腰の辺りまで伸び、暗い紅玉のような瞳には幼さの中にも凛とした光が宿っている。


 白と緋を基調にした巫女装束。

 動きやすいように仕立てられた袴。


 8歳の頃より背は伸びたが、年齢だけを見れば、まだ子供である。

 それでもハヅキ辺境伯家の屋敷に勤める者たちは、彼女をただの幼い令嬢としては見ていなかった。

 なぜなら、この3年間でテンカは、誰よりも真剣に刀を振り、誰よりも貪欲に五行を学んできたからだ。


「姫さま、そろそろお時間です」


 朝の訓練場。

 キリカの声に、テンカは振り下ろした木刀を止めた。


 ぴたり、と。


 刃筋の通った一撃が、空中で静止する。


「もうそのような刻か」

「はい。滅魔旅団の皆さまが、すでに正門前に集まっておられます」

「ふむ」


 テンカは木刀を下ろした。

 それだけの動作で、額から汗が一筋こぼれる。

 朝からどれほど振っただろうか。

 百を超えたあたりから数えるのをやめた。

 前世の記憶を取り戻した当初は、8歳の身体があまりにも頼りなく感じられた。


 だが、3年も鍛え続ければ変わる。


 もちろん、大人の武人にはまだ遠い。

 滅魔旅団の精鋭たちに比べれば、身体能力も経験も足りない。

 それでも、11歳の少女としては異常なほど、テンカの動きは洗練されていた。


「キリカ」

「はい」

「今日のわらわは、どう見える?」


 テンカは軽く両腕を広げた。

 キリカは少しだけ考えるように視線を巡らせる。

 アッシュブラウンの髪を後ろでまとめ、メイド服の上から軽装の防具を身につけた彼女もまた、この3年で大きく変わった。


 テンカより3つ年上で、今は14歳。

 かつてより背も伸び、顔立ちにも少女らしい柔らかさと護衛としての鋭さが同居している。


 腰には短刀。

 袖口には、隠し針と簡易符が仕込まれている。


 ただの専属メイドではない。

 テンカの隣に立つため、キリカもまた鍛え続けてきた。


「大変凛々しゅうございます」

「それはいつもの返答じゃな」

「では、別の言葉で」

「うむ」

「とてもお綺麗です」

「そなた、わざとであろう」

「事実ですので」


 キリカは涼しい顔で言った。

 テンカは小さく息を吐く。

 3年前と違い、こうした言葉でいちいち内心が大騒ぎすることは減った。


 減っただけで、なくなったわけではない。

 今でも時々、前世40歳のおじさんの部分が叫ぶ。


 専属メイドに身支度される生活とは何だ。

 美少女として褒められるとは何だ。

 しかもそれを自然に受け入れている自分は何だ。


 だが、3年も経てば慣れる。

 恐ろしいことに、人間は慣れるのだ。

 いや、人間というか、今の自分は11歳の少女なのだが。

 そのあたりを考え始めると朝から疲れるので、テンカは意識して思考を切った。


「まあよい。行くぞ」

「はい、姫さま」


 テンカは木刀を片付け、控えていた侍女から布を受け取って汗を拭い、訓練場の端に置かれていた自分の刀を手に取った。

 まだ名のある霊刀ではない。


 刀匠が、テンカの体格に合わせて鍛えた実戦用の一振りだ。

 子供用とはいえ、玩具ではなく、刃は本物であり、魔力を通すための簡易的な術式も刻まれている。


 ただし、母コトネからは何度も言われている。

 火行の全力には耐えられない、と。


 水行や木行による補助。

 金行による刃筋の強化。

 土行による姿勢の安定。


 それくらいなら問題はない。


 だが、火行は別だ。


 テンカの火行は強すぎる。

 不用意に纏えば、刀が先に焼け落ちる。

 だからテンカは、これまで火行だけは徹底して制限されてきた。


 母の監督下で、ほんの短時間のみ。

 それも火花を灯す程度で、炎を纏うことは、まだ許されていない。


「姫さま?」

「いや」


 テンカは刀の柄をそっと撫でた。


「今日も頼むぞ」


 刀は答えない。

 だが、手の中に収まる重みが心地よかった。


 正門前には、すでに滅魔旅団の一隊が集まっていた。


 滅魔旅団。


 ハヅキ辺境伯家が保有する、対大魔境特化の精鋭戦力であり、その任務は、大魔境に関わるあらゆる脅威への対応。


 魔物の討伐。

 異変の調査。

 境界防衛。

 侵攻兆候の監視。

 変異種の対処。

 領民と開拓地の保護。


 皇国にはいくつもの騎士団や魔術師部隊が存在するが、大魔境を相手に戦い続けているのはハヅキ家の滅魔旅団だけだ。


 ゆえに、その実力は皇国最強とも称される。

 もっとも、当の旅団員たちはその称号を誇ることは少なく、彼らにとって強さとは、名誉ではなく、生き残るための最低条件なのだ。


「姫さま、おはようございます」


 低い声で挨拶したのは、一隊を率いる男だった。


 年齢は三十代後半ほど。

 短く刈った黒髪に、頬を走る古傷。

 重厚な鎧を身につけているが、その動きに鈍さはない。


 名はサイゾウ。


 滅魔旅団第三討伐隊の隊長である。


「うむ。サイゾウ、今日は世話になる」

「こちらこそ。とはいえ、今回は外縁部の巡回と痕跡調査です。姫さまに危険が及ぶような任務ではありません」

「そうであればよいがな」


 テンカがそう言うと、サイゾウはわずかに口元を歪めた。


「姫さまは相変わらず慎重でいらっしゃる」

「大魔境を相手に、楽観で済むことなどなかろう」

「まったくもって、その通りです」


 サイゾウは深く頷いた。

 その様子を見て、周囲の旅団員たちが小さく笑う。

 彼らにとってテンカは、ただの令嬢ではない。


 3年前、五行の暴走で儀式場の結界を損傷させた姫であり、当主コトネの厳しい修練を受け続けた少女。

 そして時折、訓練場で旅団員相手に模擬戦を行い、子供とは思えぬ勘の良さを見せる存在。


 もちろん、実戦経験はほとんどない。

 今日も正式な戦闘要員というより、見習いとしての同行である。

 それでも旅団員たちは、テンカを侮らなかった。


 ハヅキ家の姫を侮る者は、ハヅキ領にはいない。


「テンカ」


 凛とした声が響いた。

 振り返れば、正門の内側にコトネが立っていた。

 黒髪を結い上げ、落ち着いた和装に羽織を重ねている。


 ハヅキ辺境伯家当主。


 その姿を見た瞬間、旅団員たちが一斉に姿勢を正した。


「母上」


 テンカも頭を下げる。

 コトネは歩み寄り、テンカの前で足を止めた。


「今日の任務内容は理解していますね」

「はい。大魔境外縁部の巡回、および魔物の移動痕の確認です」

「あなたは見習いとしての同行です。独断で前に出ることは許しません」

「承知しております」

「五行の使用は?」

「水行による感知補助と、金行による刃筋の補助まで。火行の使用は禁止。木行、土行についても、隊長判断または緊急時のみ」

「よろしい」


 コトネは淡々と確認する。

 テンカもまた、真剣に答え、その横でキリカも背筋を伸ばしている。


「キリカ」

「はい、当主様」

「あなたはテンカの護衛です。しかし、過保護になりすぎてはなりません」

「……はい」

「この子はハヅキの娘です。守られるだけの姫ではありません」


 その言葉に、テンカは胸の奥が少し熱くなるのを感じた。

 守られるだけの姫ではない。

 それは、この3年でテンカがずっと目指してきたものだった。


 前世で作った理想の姫武者。

 画面の中で刀を振るい、仲間を守り、敵を斬る少女。

 今の自分はまだそこに届かない。


 だが、届きたいと願っている。


「テンカ」

「はい」

「恐怖を恥じてはいけません」


 コトネは静かに言った。


「大魔境を前にして恐怖を知らぬ者は、早死にします。恐れなさい。警戒しなさい。その上で、必要な時だけ刀を抜きなさい」

「肝に銘じます」

「よろしい」


 コトネの手が、テンカの頭にそっと置かれた。

 一瞬だけ、母の表情が柔らかくなる。


「行ってきなさい」

「はい、母上」


 テンカは深く頭を下げ、顔を上げると、正門の少し奥から金色の髪が覗いていた。


 レイナである。


 柱の影から半分だけ身を乗り出し、こちらを見ている。

 見送りたい。

 でも当主である母の手前、騒ぎすぎてはいけない。

 そんな葛藤が全身からにじみ出ていたので、テンカは思わず苦笑する。


「姉上」

「テンカ……!」


 呼ばれた瞬間、レイナはぱっと顔を輝かせた。

 だが、すぐに咳払いをして姿勢を正す。


「どうか、無事に帰ってきてください」

「うむ。案ずるでない」

「案じます」

「即答か」

「当然です。妹を案じない姉など姉ではありません」


 レイナの声があまりに真剣で、テンカは小さく肩をすくめた。


「ならば、できるだけ早く戻る」

「絶対ですよ」

「うむ。約束じゃ」


 レイナはそれでようやく少しだけ安心したようだったので、テンカは正門の外へ歩き出す。

 キリカが半歩後ろに続き、滅魔旅団の隊列が動き出した。


 ハヅキ領の南。

 悠久なる大魔境へ向けて。

大魔境の位置は完全に南というよりかはやや南西方面です。

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