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ハヅキ辺境伯家の五行姫  作者: あの夏と勇者
第5章 連なる澱み
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エピローグ 泡沫夢幻の世

???視点です。

 城門が崩れた。


 積み上げられていた石が内側へ雪崩れ込み、立ち上った土煙が視界を覆う。その向こうから、黒い霧を纏った軍勢が押し寄せてきた。


 人の形をしている。


 甲冑を纏い、剣や槍を手にしている。


 だが、その顔には生者の色がなかった。落ち窪んだ眼には濁った光だけが灯り、朽ちた唇からは、声とも呼べぬ呻きが漏れている。


 黄泉路底根國(そこつねのくに)より溢れ出した、死者の軍勢。


「将軍閣下!」


 すぐ横で、血に濡れた兵が叫んだ。


「城門は破られました! 敵はすでに大路へ――」


 言葉の途中で、その胸から黒い刃が突き出した。


 兵の口から血が溢れる。背後に立っていた死兵が刃を引き抜くと、その身体は石畳へ崩れ落ちた。


 剣を振るう。


 死兵の首が落ちた。


 返す刃で、さらに奥から迫った槍を弾き、踏み込んできたもう1体の胴を断つ。


「陣を崩すな! 民を王城へ通せ!」


 声に応じ、残った兵たちが大路に盾を並べた。


 その背後を、民が走っていく。荷を捨て、幼子の手を引き、傷ついた者を支えながら、誰もが王城を目指していた。


 だが、すべての者がそこまで辿り着けたわけではない。


 道の端に、何人もの民が倒れている。


 荷車の陰には、母親らしい女が座り込んでいた。

 胸元には、布に包まれた赤子が抱かれている。女は赤子を庇うように背を丸めたまま、額をその小さな頭へ寄せていた。


 どちらも動かない。

 死してなお、その腕だけは緩んでいなかった。


 足を止めることはできなかった。


 盾を砕かれた兵が後ろへ倒れ、その隙間から死兵が入り込んでくる。振り下ろされた刃を受け流し、喉元へ剣を突き入れた。


 刃を引き抜くと、黒い霧が噴き出した。


「右から来ます!」


 若い兵の声が飛ぶ。


 振り向いた先では、路地から現れた死兵の群れへ、数人の兵士が槍を向けていた。その後ろには、逃げ遅れた老人と子供たちがいる。


「ここは通さん!」


 先頭の兵が槍を突き出す。


 穂先は死兵の胸を貫いたが、敵は止まらなかった。槍の柄を掴み、そのまま兵の身体を引き寄せる。


 別の死兵が剣を振り下ろした。


 助けに入るには遠すぎた。


 兵は肩口から深く斬られ、それでも槍を放さなかった。


「走れ!」


 倒れながら、後ろの民へ叫ぶ。


「振り返るな!」


 老人が子供たちを連れて路地の奥へ消える。


 残った兵たちは一歩も退かなかった。


 死兵の群れが彼らを呑み込む。

 最後まで槍が振るわれていた。


 だが、それもやがて見えなくなった。


 大路を進む。


 黄泉路の軍勢を斬り、王城へ続く道を塞がせないよう、ただ前へ出る。


 石畳は血に濡れていた。


 燃えた家屋からは黒煙が立ち上り、窓から身を乗り出した死者が炎に包まれたまま動かない。崩れた壁の下では、幼い姉らしい少女が弟を覆うように倒れていた。


 少女の背には、瓦礫が積み重なっている。

 弟は姉の胸元へ顔を埋め、小さな手で衣を握っていた。


 助けを求める声はない。


 互いを庇い合ったまま、2人とも息絶えていた。


「……将軍閣下」


 隣を歩いていた副官の声が震えた。


 視線の先には、壊れた家があった。


 その入口で、年老いた男女が倒れている。副官は2人を見つめたまま立ち尽くしかけたが、すぐに剣を握り直した。


「父と母です」


 それだけを口にした。


「お許しを。一目、見られただけで十分です」


 副官は前を向いた。


「最後まで、お供いたします」


 答えるより早く、正面から矢が飛んできた。


 副官が身を寄せる。


 鈍い音がした。

 その肩を、黒い矢が貫いている。


「まだ、動けます」


 矢を折り、副官は剣を構えた。


 死兵たちが迫る。


 並んで斬った。


 1体。


 また1体。


 刃を受け、弾き、鎧の隙間へ剣を通す。倒しても倒しても、黒い霧の向こうから新たな軍勢が現れた。


 背後から悲鳴が響く。


 王城へ続く道にも、死兵が入り込んだのだ。


「将軍閣下! 西の通りも破られました!」

「王城の門は!」

「閉じております! ですが、城内にも敵が――」


 城内にも。

 その言葉が胸の底へ沈んだ。


 王城には、まだ民がいる。

 国を預かる者たちがいる。

 負傷者がいる。

 戦えぬ子供たちがいる。


 守らなければならない。

 まだ終わってはいない。


「道を開ける! 続け!」


 黄泉の霧へ斬り込んだ。


 背後から兵たちの声が重なる。


 誰も逃げなかった。

 誰も武器を捨てなかった。


 死者の軍勢へ向かい、傷ついた身体で前へ出た。


 剣が欠ける。

 槍が折れる。

 盾が砕ける。


 それでも兵たちは倒れた仲間の武器を拾い、何度でも陣を組み直した。


「我らが国は、まだ滅びておらぬ!」


 古参の兵が叫んだ。


「我らが立っている限り、ここは我らの国だ!」


 黄泉の槍が、その腹を貫いた。


 兵は血を吐きながら柄を掴み、敵を引き寄せる。


「将軍閣下、今です!」


 振り下ろした剣が、死兵の頭を割った。


 古参兵の身体が崩れ落ちる。


 その目は、最後までこちらを見ていた。

 感謝を告げる時間すらなかった。


 新たな敵が迫る。


 斬る。


 また斬る。


 前へ進むたび、見知った者が倒れていった。


 若い兵が首を斬られた。

 旗手が軍旗を抱いたまま、無数の槍に貫かれた。

 負傷した仲間を背負っていた兵が矢を受け、2人一緒に石段から転がり落ちた。


 それでも王城を目指した。

 守るべき者が、まだいるはずだった。


 だが、王城の門をくぐった先に、生者の声はなかった。


 広場を埋め尽くすほどの死者が倒れている。


 兵士。

 役人。

 侍女。

 老人。

 子供。


 互いを抱き締めた者。

 倒れた誰かの手を、最後まで握っていた者。

 王城まで辿り着きながら、助からなかった者たち。


 風が吹き抜けた。


 血と煙の臭いだけが残っている。


「間に……合わなかった」


 副官が掠れた声を漏らした。


 副官の膝が、石畳へ落ちた。


 先ほど肩を貫いた矢の周囲から、黒い筋が広がっていた。黄泉の穢れが身体の内側へ入り込んでいる。


「将軍閣下」


 副官がこちらを見上げた。


「お願いが、ございます」


 その眼から、生者の光が失われ始めていた。


「私が、私であるうちに」


 震える手が剣を差し出す。


「どうか」


 言葉は最後まで続かなかった。


 副官の身体が大きく跳ねる。


 俯いていた顔が上がった時、眼には黄泉の濁りが宿っていた。


 剣が振り上げられる。


 受け止める。


 刃と刃がぶつかり合う。


 何度も背中を預けた。

 何度も戦場から生きて帰った。

 国を守ると、共に誓った。


 その剣が、今はこちらの喉を狙っている。


 副官だったものが踏み込む。

 身体は傷ついているはずなのに、動きに迷いがない。


 一撃をかわし、懐へ入る。


 剣を振るった。


 副官だったものの胸を、刃が貫いた。


 一瞬だけ。


 濁った眼に、かつての光が戻ったように見えた。


 唇がわずかに動くが、声は聞こえなかった。


 剣を抜くと、副官の身体は静かに倒れた。


 周囲で、別の音がした。


 石畳に横たわっていた兵士の指が動く。


 1人ではない。


 広場を埋めていた死者たちが、黒い霧に包まれながら立ち上がっていく。


 首の折れた者。

 胸を貫かれた者。

 家族を抱いたまま死んだ者。


 皆が濁った眼を開き、こちらへ顔を向ける。


 黄泉路の軍勢は、国を滅ぼすだけではなかった。

 奪った命を、新たな兵へ変えていく。


 守れなかった民が。

 共に戦った兵が。

 己の国そのものが、敵となって立ち上がる。


 剣を構えた。


 退く場所はない。

 退く理由もない。


 守るべき者は、もうどこにも見えなかった。


 それでも、敵はいる。


「来い」


 声が広場へ響いた。


「我が国を奪った者どもよ」


 無数の死者が押し寄せる。


「最後の一兵となろうとも、貴様らを斬る」


 剣を振るった。


 誰を斬ったのか、もう分からなかった。


 かつての部下か。

 守るべき民か。

 黄泉から現れた最初の死兵か。


 ただ、こちらへ迫るものを斬り続けた。


 刃が欠けても。

 腕が上がらなくなっても。

 視界が血に染まっても。


 戦い続けた。

 国は滅びた。

 城は焼けた。

 共に立つ兵は、もう誰もいない。


 それでも戦いは終わらなかった。


 足元の石畳が割れ、黒い霧が裂け目から噴き上がり、視界を覆う。


 地の底から、無数の手が伸びてくる。


 足を掴まれる。


 剣を突き立てても、次の手が伸びる。

 幾重にも絡みつき、暗い裂け目の奥へ引きずり込んでいく。


 燃える王城が遠ざかった。


 空が細くなる。

 最後に見えたのは、黒煙に覆われた都と、死者となって彷徨う民の姿だった。


 守れなかった。


 何一つ。


 暗闇が閉じる。


 闇の奥で、意味を失った叫びが幾重にも重なった。

 誰のものかは分からない。


 死者の呻き。

 兵たちの叫び。

 泣き声。

 怨み。

 怒り。

 悲しみ。


 無数の感情が流れ込み、自分のものと混じり合う。


 国の名が薄れていく。

 王の顔が消えていく。

 共に戦った兵たちの声も、抱いた忠義も、守ろうとした人々の姿も、長い闇の中へ沈んでいく。


 それでも、消えないものがあった。


 奪われた。

 殺された。

 滅ぼされた。

 敵は、まだいる。


 戦いは終わっていない。


 ◇  ◇  ◇


 どれほどの時が流れたのか。


 大空洞の底に、光は届かない。

 岩盤の隙間を冷たい澱みが巡り、長い眠りの中へ、遠い地上の気配を運んでくる。


 人の声。

 鐘の音。

 祈り。

 火の灯り。

 白い壁と、瓦屋根。

 街道を行き交う人々。


 地上には、穏やかな人の営みがあった。


 だが、壊れた記憶には、別のものとして映っていた。


 白い壁は、国を滅ぼした黄泉路の城郭に。

 人々の声は、死者の呻きに。

 祈りは、地の底から響いた呪いに。

 灯された火は、都を焼いた炎に見えた。


 あの日が、まだ続いている。


 国を滅ぼした者どもが、今も地上を埋め尽くしている。


 守るべき者は、もういない。

 共に戦う兵もいない。


 ただ、敵だけが残っている。


 怨みが膨れ上がった。

 長い時の中で積み重なった無数の声が、黒い澱みを震わせる。


 奪われた。

 殺された。

 滅ぼされた。


 ならば、滅ぼさなければならない。


 敵が1人も残らぬまで。

 戦いが、終わるまで。


 大空洞の壁面に、幾筋ものヒビが走った。


 天井から岩片が落ち、地の底を満たしていた澱みが大きく波打つ。


 滅ぼす。

 今度こそ、すべてを。


 長い眠りの底から、足を踏み出す。


 大空洞が揺れた。

これにて第5章完となります。

この後は第5章時点版の登場人物紹介ならびに設定集を投稿しつつ、幕間を挟んで第6章を開始できればと思います。


評価やブックマークで応援いただけると、執筆の励みになりますのでよろしくお願いいたします!

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