最後の退路②
通路の先に、調査隊が最初に目を覚ました地下空間が現れた。
頭上は崩れ落ちた土と木の根に塞がれ、人が二人並べる通路も瓦礫の向こうへ埋もれている。
そして壁際には、地上から灯りを下ろした際に発見した石段が残されていた。
上半分を土砂と木の根に埋められ、今もその先は見えない。
「ここで止める!」
サイゾウと兵たちが、落下地点へ続く通路の入口に陣取った。
「ラデルカ、マリエラ副所長と石段を見ろ! 地上へ抜けられるか確かめろ!」
「ああ!」
「承知しました!」
ラデルカとマリエラが石段へ駆け寄り、術士が照明術の光を上へ向ける。
サイゾウたちの正面では、迫ってきた異形が次々と通路へ姿を現していた。
「槍を拾え! 先頭を止めろ!」
先ほど異形へ奪われた槍を、別の兵が掴み直す。
サイゾウが異形の腕を斬り、兵たちが槍の柄で身体を押し返した。
時間は多くない。
ラデルカが石段の前で鼻先を上げ、褐色の犬耳をわずかに動かした。
「葉の臭いがする」
「地上からか?」
「恐らくな。落下直後は土煙と瘴気が濃すぎて分からなかったが、今は上からわずかに空気が入っている」
マリエラが片手を掲げた。
弱い風が生まれ、石段を塞いでいる土砂へ流れ込んでいく。
風は手前へ戻らず、右上のわずかな隙間へ吸い込まれていった。
「地上へ通じています」
マリエラが隙間の周囲を見上げる。
「ただし、闇雲に土砂を動かせば、石段ごと埋まります」
「テンカ様!」
呼ばれたテンカは、負傷者を兵へ任せて石段の下へ膝をついた。
片手を石へ触れ、土行へ意識を沈める。
崩れた土。
折り重なった石。
その間へ食い込み、上からの重みを受け止めている太い木の根。
すべてが、危うい均衡の上にあった。
土行で動かそうとしてはならない。
今必要なのは、どこへ重みが掛かり、どこなら触れても崩れないのかを見分けることだ。
「中央の太い根と、左側の石が重みを支えておる」
テンカは目を閉じたまま告げた。
「右端には、ほとんど力が掛かっておらぬ。小さな石からなら、どけられるはずじゃ」
「聞いたな!」
ラデルカが近くの兵へ声を掛ける。
「右側だけを開けるぞ。中央の根には触れるな!」
「「了解」」
兵たちが石段へ取りつき、右端の小石や固まった土を取り除き始めた。
ラデルカも戦斧の刃先を細い根へ当て、大きく振り回さずに一本ずつ断ち切っていく。
マリエラは弱い風を送り、崩れた土と埃を隙間の外へ押し出した。
その間にも、背後では武器が肉を断ち、異形の指が石を削る音が絶え間なく続いている。
やがて、石の隙間から細い光が差し込んだ。
「外が見えます!」
兵の一人が声を上げる。
「待て」
テンカは石段の上部へ意識を向けた。
右端の隙間から少し離れた場所に、斜めに挟まった大きな平石がある。その石が上から崩れかけた土砂をせき止めていた。
「右は開けてもよい。じゃが、左上の平たい石には触れるでない」
テンカは位置を指し示した。
「あれを外せば、上の土砂が石段へ一気に流れ込む」
ラデルカが石を見上げる。
「全員が出た後なら、入口を塞げるということか」
「恐らくは。じゃが、外した者もすぐに離れねば巻き込まれるぞ」
「覚えた」
兵たちが右端をさらに広げ、人一人が身を屈めれば通れるほどの穴を開けた。
「ラデルカ、先に出て周囲を確認しろ!」
サイゾウの指示が飛ぶ。
「ああ」
兵が装備袋から予備の縄を取り出した。
ラデルカはその端を腰へ結び、戦斧を背負って石段を駆け上がった。狭い隙間へ身体を押し込み、地上へ姿を消す。
しばらくして、外側から石をどける音が聞こえた。
やがて、光の中からラデルカの腕が伸びてくる。
「出られる! 大魔境の斜面だ。近くに魔物の臭いはない!」
ラデルカは縄を腰から外し、地上の太い木へ回して固定した。その端を石段へ垂らす。
地上への道が開いた。
だが、通路の入口では異形の群れがすぐそこまで迫っている。
サイゾウと兵たちが斬り落とした腕や脚が床へ積み重なり、それらを踏み越えて次の個体が進んでくる。
「負傷者から上げろ!」
サイゾウが命じた。
「術士を続かせろ! 動ける兵は残って殿を交代する! 姫さまとキリカ殿も先へ!」
「そなたたちはどうするのじゃ!」
「我々が最後です」
「じゃが――」
「全員で生きて戻るための順番です」
サイゾウは異形から目を離さなかった。
「姫さまが残れば、キリカ殿も、姫さまを守ろうとする兵も残ります。隊列を乱さないでください」
テンカは言葉を呑んだ。
サイゾウの言うとおりだった。
ここで自分が意地を張れば、守るために残る者が増える。それは勇気ではなく、調査隊全体を危険に晒す我が儘だ。
「……承知した」
テンカは継火を納めた。
「必ず戻れ、サイゾウ」
「命令と受け取っておきます」
右足を捻挫した術士が、兵に支えられて石段を上がった。
地上から垂らされた縄を腰へ回し、ラデルカが引くのに合わせて、兵たちが下から身体を押し上げる。
左腕を負傷した兵も続いた。片腕では身体を支えられないため、別の兵が下から押し、ラデルカが縄を引く。
一人。
また一人。
調査隊の者たちが石段の先へ消えていった。
その間にも、異形は入口へ殺到する。
灰白色の腕が、殿を務める兵の足を掴んだ。
「離せ!」
兵が刀を振り下ろすが、長い指は脛当てへ食い込み、身体を通路の奥へ引きずろうとする。
サイゾウが指を斬り落とした。
キリカも兵の腕を掴み、石段側へ引き戻す。
「ご無事ですか!」
「ああ、助かった!」
「キリカ!」
テンカが呼ぶ。
「姫さま、先へ!」
「そなたも一緒じゃ!」
テンカはキリカの手を掴み、石段へ向かった。
二人並んでは通れない。
先にキリカを押し上げ、その後へテンカが続く。
額の傷へ汗が滲みながらも、キリカは先に抜けるとすぐに振り返り、テンカへ手を伸ばした。
その時、下から異形の腕が迫った。
指先がテンカの袴へ届く。
テンカは身体を捻り、鞘に収めたままの継火を振り下ろした。
鞘尻が異形の指を弾き、袴からわずかに逸らした。
「姫さま!」
キリカと地上の兵がテンカの腕を掴み、一気に引き上げた。
光が視界を満たす。
テンカの身体は隙間を抜け、土と落ち葉の上へ転がった。
頭上には、木々の枝と空が広がっている。
地上だ。
だが、安堵する暇はない。
「残りは!」
「サイゾウ殿と兵二人です!」
マリエラが答える。
兵が一人、縄を掴んで上がってきた。
続いて、もう一人。
最後に、サイゾウが石段へ姿を現す。
刀には幾つもの刃こぼれが生じ、肩当ての一部が異形の爪に裂かれていた。
その背後では、何本もの指が段差を掴み、灰白色の顔が重なり合っている。
「引け!」
ラデルカの号令で、動ける者たちが縄を掴んだ。
サイゾウの身体が石段を上がってくる。
異形の腕が足首へ伸び、爪が脛当てを深く引っ掻いた。
サイゾウは片足でその指を踏みつけ、刃こぼれした刀を振り下ろす。
指が断たれ、黒い体液が石段へ散った。
ラデルカと兵たちが地上から腕を伸ばし、サイゾウの両肩を掴んで一気に引き上げた。
サイゾウの身体が隙間を抜け、地上へ投げ出される。
「入口を塞ぐ! 全員、斜面から離れろ!」
ラデルカが戦斧を手に、石段の横へ回り込んだ。
刃を振り下ろすのではない。
テンカが示した平石の隙間へ刃先を噛ませ、長い柄へ全身の重みを掛ける。
石がわずかに動いた。
地中から伸びた異形の指が、隙間の縁を掴む。
「ラデルカ!」
「分かっている!」
戦斧の柄が大きく傾いた。
斜めに挟まっていた平石が外れ、石段の内側へ滑り落ちる。
それを合図に、せき止められていた土砂と砕けた石が一気に崩れた。太い根が異形の腕を巻き込み、灰白色の身体ごと暗い石段の奥へ押し戻していく。
「下がれ!」
動ける者が負傷者を支え、調査隊は斜面から一斉に距離を取った。
重い振動が足元を揺らす。
地上へ開いていた隙間が土と瓦礫に埋もれ、やがて地下からの音も聞こえなくなった。
誰も言葉を発しなかった。
荒い呼吸だけが、森の中へ重なっている。
サイゾウが身体を起こした。
肩当ては裂け、脛当てには深い爪痕が刻まれている。それでも、自分の傷を確かめるより先に、調査隊の者たちへ視線を向けた。
「人数を確認する」
一人ずつ、姿と返事を確かめていく。
テンカ、キリカ、ラデルカ、マリエラ。
第三討伐隊の兵たちと、調査・研究部の術士たち。
「12人」
サイゾウが、ようやく息を吐いた。
「全員いるな」
その言葉を聞いた途端、一人の兵がその場へ座り込んだ。
別の者は、武器を握ったまま空を仰いでいる。
捻挫した術士の目から涙が零れていたが、拭おうとはしなかった。
キリカがテンカの肩へ手を添える。
「姫さま、お怪我は?」
「大事ない」
「本当に?」
「うむ。そなたこそ」
「わたしも無事です」
互いの姿を確かめ、ようやくわずかな安堵が胸へ広がった。
それでも、終わったわけではない。
ラデルカが地面へ片膝をつき、褐色の犬耳を土へ向けた。
「今は聞こえない」
低い声で続ける。
「だが、石段を塞いだだけだ。あれほど広い遺構なら、ほかにも地上へ通じる場所があるかもしれん」
「ここへ留まるべきではありません」
マリエラも周囲を見渡した。
「地下の瘴気を封じたわけでもありません」
サイゾウは刀を鞘へ納め、立ち上がった。
「第三結界柱へ戻る。負傷者を支え、全員で移動する」
疲れ切った者たちが、それでも頷いた。
誰も置いていかない。
誰も地下へ残さない。
それが、この調査隊に残された最後の任務だった。
テンカは一度だけ、塞がれた石段を振り返った。
巨大空洞。
数え切れない異形。
瘴気の向こうに見えた、ひときわ大きな影。
何一つ、正体は分かっていない。
ただ一つ確かなのは、大魔境の地下に存在する脅威が、黒き鬼だけではなかったということだ。
調査隊は互いを支えながら、森の中を歩き始めた。
地の底で響いていた、硬い指が石を削る音だけが、いつまでもテンカの耳の奥に残り続けていた。
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