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ハヅキ辺境伯家の五行姫  作者: あの夏と勇者
第4章 大魔境に眠るもの
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最後の退路②

 通路の先に、調査隊が最初に目を覚ました地下空間が現れた。

 頭上は崩れ落ちた土と木の根に塞がれ、人が二人並べる通路も瓦礫の向こうへ埋もれている。


 そして壁際には、地上から灯りを下ろした際に発見した石段が残されていた。

 上半分を土砂と木の根に埋められ、今もその先は見えない。


「ここで止める!」


 サイゾウと兵たちが、落下地点へ続く通路の入口に陣取った。


「ラデルカ、マリエラ副所長と石段を見ろ! 地上へ抜けられるか確かめろ!」

「ああ!」

「承知しました!」


 ラデルカとマリエラが石段へ駆け寄り、術士が照明術の光を上へ向ける。


 サイゾウたちの正面では、迫ってきた異形が次々と通路へ姿を現していた。


「槍を拾え! 先頭を止めろ!」


 先ほど異形へ奪われた槍を、別の兵が掴み直す。

 サイゾウが異形の腕を斬り、兵たちが槍の柄で身体を押し返した。


 時間は多くない。

 ラデルカが石段の前で鼻先を上げ、褐色の犬耳をわずかに動かした。


「葉の臭いがする」

「地上からか?」

「恐らくな。落下直後は土煙と瘴気が濃すぎて分からなかったが、今は上からわずかに空気が入っている」


 マリエラが片手を掲げた。


 弱い風が生まれ、石段を塞いでいる土砂へ流れ込んでいく。

 風は手前へ戻らず、右上のわずかな隙間へ吸い込まれていった。


「地上へ通じています」


 マリエラが隙間の周囲を見上げる。


「ただし、闇雲に土砂を動かせば、石段ごと埋まります」

「テンカ様!」


 呼ばれたテンカは、負傷者を兵へ任せて石段の下へ膝をついた。

 片手を石へ触れ、土行へ意識を沈める。


 崩れた土。

 折り重なった石。

 その間へ食い込み、上からの重みを受け止めている太い木の根。


 すべてが、危うい均衡の上にあった。

 土行で動かそうとしてはならない。

 今必要なのは、どこへ重みが掛かり、どこなら触れても崩れないのかを見分けることだ。


「中央の太い根と、左側の石が重みを支えておる」


 テンカは目を閉じたまま告げた。


「右端には、ほとんど力が掛かっておらぬ。小さな石からなら、どけられるはずじゃ」

「聞いたな!」


 ラデルカが近くの兵へ声を掛ける。


「右側だけを開けるぞ。中央の根には触れるな!」

「「了解」」


 兵たちが石段へ取りつき、右端の小石や固まった土を取り除き始めた。


 ラデルカも戦斧の刃先を細い根へ当て、大きく振り回さずに一本ずつ断ち切っていく。

 マリエラは弱い風を送り、崩れた土と埃を隙間の外へ押し出した。


 その間にも、背後では武器が肉を断ち、異形の指が石を削る音が絶え間なく続いている。


 やがて、石の隙間から細い光が差し込んだ。


「外が見えます!」


 兵の一人が声を上げる。


「待て」


 テンカは石段の上部へ意識を向けた。


 右端の隙間から少し離れた場所に、斜めに挟まった大きな平石がある。その石が上から崩れかけた土砂をせき止めていた。


「右は開けてもよい。じゃが、左上の平たい石には触れるでない」


 テンカは位置を指し示した。


「あれを外せば、上の土砂が石段へ一気に流れ込む」


 ラデルカが石を見上げる。


「全員が出た後なら、入口を塞げるということか」

「恐らくは。じゃが、外した者もすぐに離れねば巻き込まれるぞ」

「覚えた」


 兵たちが右端をさらに広げ、人一人が身を屈めれば通れるほどの穴を開けた。


「ラデルカ、先に出て周囲を確認しろ!」


 サイゾウの指示が飛ぶ。


「ああ」


 兵が装備袋から予備の縄を取り出した。

 ラデルカはその端を腰へ結び、戦斧を背負って石段を駆け上がった。狭い隙間へ身体を押し込み、地上へ姿を消す。


 しばらくして、外側から石をどける音が聞こえた。


 やがて、光の中からラデルカの腕が伸びてくる。


「出られる! 大魔境の斜面だ。近くに魔物の臭いはない!」


 ラデルカは縄を腰から外し、地上の太い木へ回して固定した。その端を石段へ垂らす。


 地上への道が開いた。


 だが、通路の入口では異形の群れがすぐそこまで迫っている。

 サイゾウと兵たちが斬り落とした腕や脚が床へ積み重なり、それらを踏み越えて次の個体が進んでくる。


「負傷者から上げろ!」


 サイゾウが命じた。


「術士を続かせろ! 動ける兵は残って殿を交代する! 姫さまとキリカ殿も先へ!」

「そなたたちはどうするのじゃ!」

「我々が最後です」

「じゃが――」

「全員で生きて戻るための順番です」


 サイゾウは異形から目を離さなかった。


「姫さまが残れば、キリカ殿も、姫さまを守ろうとする兵も残ります。隊列を乱さないでください」


 テンカは言葉を呑んだ。

 サイゾウの言うとおりだった。


 ここで自分が意地を張れば、守るために残る者が増える。それは勇気ではなく、調査隊全体を危険に晒す我が儘だ。


「……承知した」


 テンカは継火を納めた。


「必ず戻れ、サイゾウ」

「命令と受け取っておきます」


 右足を捻挫した術士が、兵に支えられて石段を上がった。

 地上から垂らされた縄を腰へ回し、ラデルカが引くのに合わせて、兵たちが下から身体を押し上げる。


 左腕を負傷した兵も続いた。片腕では身体を支えられないため、別の兵が下から押し、ラデルカが縄を引く。


 一人。

 また一人。


 調査隊の者たちが石段の先へ消えていった。


 その間にも、異形は入口へ殺到する。

 灰白色の腕が、殿を務める兵の足を掴んだ。


「離せ!」


 兵が刀を振り下ろすが、長い指は脛当てへ食い込み、身体を通路の奥へ引きずろうとする。


 サイゾウが指を斬り落とした。

 キリカも兵の腕を掴み、石段側へ引き戻す。


「ご無事ですか!」

「ああ、助かった!」

「キリカ!」


 テンカが呼ぶ。


「姫さま、先へ!」

「そなたも一緒じゃ!」


 テンカはキリカの手を掴み、石段へ向かった。


 二人並んでは通れない。


 先にキリカを押し上げ、その後へテンカが続く。

 額の傷へ汗が滲みながらも、キリカは先に抜けるとすぐに振り返り、テンカへ手を伸ばした。


 その時、下から異形の腕が迫った。

 指先がテンカの袴へ届く。


 テンカは身体を捻り、鞘に収めたままの継火を振り下ろした。

 鞘尻が異形の指を弾き、袴からわずかに逸らした。


「姫さま!」


 キリカと地上の兵がテンカの腕を掴み、一気に引き上げた。


 光が視界を満たす。


 テンカの身体は隙間を抜け、土と落ち葉の上へ転がった。

 頭上には、木々の枝と空が広がっている。


 地上だ。

 だが、安堵する暇はない。


「残りは!」

「サイゾウ殿と兵二人です!」


 マリエラが答える。


 兵が一人、縄を掴んで上がってきた。

 続いて、もう一人。

 最後に、サイゾウが石段へ姿を現す。


 刀には幾つもの刃こぼれが生じ、肩当ての一部が異形の爪に裂かれていた。

 その背後では、何本もの指が段差を掴み、灰白色の顔が重なり合っている。


「引け!」


 ラデルカの号令で、動ける者たちが縄を掴んだ。


 サイゾウの身体が石段を上がってくる。

 異形の腕が足首へ伸び、爪が脛当てを深く引っ掻いた。


 サイゾウは片足でその指を踏みつけ、刃こぼれした刀を振り下ろす。

 指が断たれ、黒い体液が石段へ散った。


 ラデルカと兵たちが地上から腕を伸ばし、サイゾウの両肩を掴んで一気に引き上げた。


 サイゾウの身体が隙間を抜け、地上へ投げ出される。


「入口を塞ぐ! 全員、斜面から離れろ!」


 ラデルカが戦斧を手に、石段の横へ回り込んだ。


 刃を振り下ろすのではない。

 テンカが示した平石の隙間へ刃先を噛ませ、長い柄へ全身の重みを掛ける。


 石がわずかに動いた。

 地中から伸びた異形の指が、隙間の縁を掴む。


「ラデルカ!」

「分かっている!」


 戦斧の柄が大きく傾いた。


 斜めに挟まっていた平石が外れ、石段の内側へ滑り落ちる。

 それを合図に、せき止められていた土砂と砕けた石が一気に崩れた。太い根が異形の腕を巻き込み、灰白色の身体ごと暗い石段の奥へ押し戻していく。


「下がれ!」


 動ける者が負傷者を支え、調査隊は斜面から一斉に距離を取った。


 重い振動が足元を揺らす。

 地上へ開いていた隙間が土と瓦礫に埋もれ、やがて地下からの音も聞こえなくなった。


 誰も言葉を発しなかった。

 荒い呼吸だけが、森の中へ重なっている。


 サイゾウが身体を起こした。

 肩当ては裂け、脛当てには深い爪痕が刻まれている。それでも、自分の傷を確かめるより先に、調査隊の者たちへ視線を向けた。


「人数を確認する」


 一人ずつ、姿と返事を確かめていく。


 テンカ、キリカ、ラデルカ、マリエラ。

 第三討伐隊の兵たちと、調査・研究部の術士たち。


「12人」


 サイゾウが、ようやく息を吐いた。


「全員いるな」


 その言葉を聞いた途端、一人の兵がその場へ座り込んだ。


 別の者は、武器を握ったまま空を仰いでいる。

 捻挫した術士の目から涙が零れていたが、拭おうとはしなかった。


 キリカがテンカの肩へ手を添える。


「姫さま、お怪我は?」

「大事ない」

「本当に?」

「うむ。そなたこそ」

「わたしも無事です」


 互いの姿を確かめ、ようやくわずかな安堵が胸へ広がった。


 それでも、終わったわけではない。

 ラデルカが地面へ片膝をつき、褐色の犬耳を土へ向けた。


「今は聞こえない」


 低い声で続ける。


「だが、石段を塞いだだけだ。あれほど広い遺構なら、ほかにも地上へ通じる場所があるかもしれん」

「ここへ留まるべきではありません」


 マリエラも周囲を見渡した。


「地下の瘴気を封じたわけでもありません」


 サイゾウは刀を鞘へ納め、立ち上がった。


「第三結界柱へ戻る。負傷者を支え、全員で移動する」


 疲れ切った者たちが、それでも頷いた。


 誰も置いていかない。

 誰も地下へ残さない。


 それが、この調査隊に残された最後の任務だった。


 テンカは一度だけ、塞がれた石段を振り返った。


 巨大空洞。

 数え切れない異形。

 瘴気の向こうに見えた、ひときわ大きな影。


 何一つ、正体は分かっていない。


 ただ一つ確かなのは、大魔境の地下に存在する脅威が、黒き鬼だけではなかったということだ。


 調査隊は互いを支えながら、森の中を歩き始めた。


 地の底で響いていた、硬い指が石を削る音だけが、いつまでもテンカの耳の奥に残り続けていた。

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