姫さまとキリカ①
ブクマありがとうございます!!
ハヅキ辺境伯家の屋敷には、いくつもの訓練場がある。
兵たちが集団戦を行う広場。
滅魔旅団の者たちが魔物を想定して実戦訓練を行う石畳の場。
弓や投擲のための射場。
そして、陰陽術の修練に用いる結界付きの小庭。
その中でも、テンカが連れてこられたのは屋敷の奥にある静かな庭だった。
白砂が敷かれ、平たい石が五つ置かれている。
木。
火。
土。
金。
水。
それぞれを示す紋が、石の表面に刻まれていた。
庭の周囲には低い竹垣が巡らされ、さらにその外側には目に見えない結界が張られ、母コトネは、その中央に立っていた。
「テンカ」
「はい、母上」
「今日から、あなたに五行の基礎を教えます」
コトネの声は静かだった。
だが、柔らかくはない。
当主として、母として、師として。
そのすべてを含んだ声だった。
テンカは背筋を伸ばす。
「よろしくお願いいたします」
「まず、確認します。あなたは五行を何だと理解していますか?」
いきなり問われ、テンカは少し考えた。
前世の知識としての五行。
この世界で学んだ陰陽術としての五行。
そして、自分の中で実際に感じた五つの流れ。
それらを混ぜないように、慎重に言葉を選ぶ。
「木、火、土、金、水。五つの理により、世界の巡りを捉える術……でしょうか」
「間違いではありません」
コトネは頷いた。
「皇国で一般的な属性魔術は、魔力を属性へ変換し、現象として放出する技術です。火なら炎を、水なら水流を、風なら風刃を生み出す」
「はい」
「対して、陰陽五行術は少し異なります。五行とは、単なる属性ではありません。巡りです。関係です。変化です」
コトネは白砂の上に足を進める。
まず、木の石を指した。
「木は芽吹き、伸びるもの。成長、活性、生命の巡り」
次に火。
「火は燃え、昇るもの。熱、勢い、浄化、破邪」
土。
「土は受け止め、支えるもの。安定、守護、封じ」
金。
「金は硬く、鋭く、収束するもの。斬撃、硬質、破断」
水。
「水は流れ、沈み、形を変えるもの。冷却、柔軟、受け流し」
テンカは静かに聞いていた。
頭では理解している。
だが、実際に自分の中に五つの流れがあると分かってから聞くと、言葉の重みが違った。
木は、胸の奥で脈打つ生命のように。
火は、腹の底で燻る熱のように。
土は、足元を支える重さのように。
金は、背筋を通る刃筋のように。
水は、血の巡りのように。
確かに、自分の内側に存在している。
「昨日、あなたは五つすべてに反応しました」
「はい」
「ですが、五つを持つことと、五つを扱えることは別です」
「承知しております」
「本当に?」
コトネの目が細くなる。
テンカは反射的に背筋を正した。
「……肝に銘じます」
「よろしい」
怖い。
前世を思い出してなお、母は怖い。
いや、むしろ前世の社会経験があるからこそ、コトネの怖さがより分かる。
この人は、感情で脅しているのではない。
必要だから厳しくしている。
そして必要とあらば、娘であっても容赦なく叩き直す人だ。
「まずは水行から始めます」
「水行、ですか」
「ええ。あなたの気質には火も強く出ていますが、今のあなたに必要なのは火ではありません」
「では、何が必要なのでしょう」
「流すこと。受け止めず、逆らわず、荒れた魔力を巡らせることです」
コトネは水の石に手をかざした。
淡い蒼の光が灯る。
次の瞬間、石の上に小さな水球が浮かび上がった。
ただの水球ではない。
それは丸い形を保ちながら、内側で静かに流れていた。
「力を押さえつけてはなりません。押さえつけた力は、いつか弾けます。五行は封じるものではなく、巡らせるものです」
「巡らせる……」
「あなたの中にある魔力を、水のように流しなさい。まずは、それだけです」
「やってみます」
テンカは水の石の前に立ち、目を閉じる。
内側へ意識を沈める。
五つの流れがある。
その中で、水の気配を探す。
冷たいもの。
静かなもの。
形を変えるもの。
流れ続けるもの。
それを、そっと指先へ導く。
押し出すのではない。
流す。
そう意識した瞬間、指先に冷たい感覚が宿った。
テンカは目を開く。
水の石の上で、ほんの小さな水滴が震えていた。
「……できた」
思わず呟いた。
水滴は小さい。
今にも消えそうなほど頼りない。
だが、確かにテンカの魔力から生まれたものだった。
コトネはそれを見て、少しだけ目を細めた。
「初回でそれなら、十分です」
「母上に褒められた……?」
「調子に乗らない」
「はい」
水滴が弾け、テンカの肩がぴくりと跳ねる。
コトネは淡々と告げた。
「集中が乱れました」
「……はい」
「もう一度」
そこから、修練は延々と続いた。
水滴を作る。
崩れる。
水滴を作る。
弾ける。
水滴を作る。
今度は少し大きくなる。
気を抜いた瞬間、消える。
地味だった。
非常に地味だった。
前世のゲームなら、五行術といえばもっと派手なものだった。
刀に炎を纏わせたり、水の斬撃を飛ばしたり、金色の刃を生み出したりする。
だが現実の修行は、水滴ひとつを維持するところから始まる。
テンカは内心で遠い目をした。
そうだよな。
ゲームじゃないんだよな。
いきなり必殺技なんて撃てるわけないよな。
そう思いながらも、口から出る言葉は違った。
「もう一度、お願いいたします」
コトネは頷いた。
「続けなさい」
水滴が生まれ、揺れて、消える。
また生まれる。
何度も繰り返すうちに、テンカの額に汗が滲んだ。
たかが水滴。
されど水滴。
ただ魔力を出すだけなら簡単だ。
だが、一定の形に保ち、乱さず、巡らせるのは難しい。
身体の奥にある力が、少しでも油断すると別の行へ流れようとする。
火が熱を上げる。
金が硬く尖る。
木が広がろうとする。
土が沈めようとする。
五行すべてに適性があるということは、五つの力が常に主張してくるということでもあった。
「乱れています」
「はい」
「呼吸を整えなさい」
「はい」
「水を押してはいけません」
「はい」
「あなたは力で何とかしようとしすぎです」
「……はい」
さすが母上。
痛いところを突いてくる。
前世でもそうだった。
仕事でもゲームでも、結局は力技で何とかしようとする癖があった。
効率を考えているようで、最後は気合いで押し切る。
それはそれで悪いことばかりではない。
だが、五行術には向かない。
少なくとも、水行には。
テンカは深く息を吐いた。
水は流れる。
形にこだわらない。
無理に掴まない。
ただ、そこに道を作る。
次に生まれた水滴は、先ほどよりも静かだった。
小さい。
けれど、崩れない。
コトネはそれを見て、ほんの少しだけ頷いた。
「今日はそこまで」
「……はい」
テンカは息を吐いた。
身体が重い。
派手な術は何ひとつ使っていないのに、妙に疲れていた。
「母上」
「何です」
「五行とは、難しいものなのですね」
「当然です」
コトネは即答した。
「力とは、本来そういうものです。簡単に扱える力ほど、簡単に身を滅ぼします」
「……覚えておきます」
「覚えるだけでは足りません。身に刻みなさい」
「はい」
テンカは頭を下げた。
その姿を、庭の端で控えていたキリカがじっと見つめていた。
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