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ハヅキ辺境伯家の五行姫  作者: あの夏と勇者
第1章 黒き鬼と緋色の姫
6/19

姫さまとキリカ①

ブクマありがとうございます!!

 ハヅキ辺境伯家の屋敷には、いくつもの訓練場がある。


 兵たちが集団戦を行う広場。

 ()()()()の者たちが魔物を想定して実戦訓練を行う石畳の場。

 弓や投擲のための射場。

 そして、陰陽術の修練に用いる結界付きの小庭。


 その中でも、テンカが連れてこられたのは屋敷の奥にある静かな庭だった。


 白砂が敷かれ、平たい石が五つ置かれている。


 木。

 火。

 土。

 金。

 水。


 それぞれを示す紋が、石の表面に刻まれていた。

 庭の周囲には低い竹垣が巡らされ、さらにその外側には目に見えない結界が張られ、母コトネは、その中央に立っていた。


「テンカ」

「はい、母上」

「今日から、あなたに五行の基礎を教えます」


 コトネの声は静かだった。

 だが、柔らかくはない。


 当主として、母として、師として。

 そのすべてを含んだ声だった。


 テンカは背筋を伸ばす。


「よろしくお願いいたします」

「まず、確認します。あなたは五行を何だと理解していますか?」


 いきなり問われ、テンカは少し考えた。


 前世の知識としての五行。

 この世界で学んだ陰陽術としての五行。

 そして、自分の中で実際に感じた五つの流れ。

 それらを混ぜないように、慎重に言葉を選ぶ。


「木、火、土、金、水。五つの理により、世界の巡りを捉える術……でしょうか」

「間違いではありません」


 コトネは頷いた。


「皇国で一般的な属性魔術は、魔力を属性へ変換し、現象として放出する技術です。火なら炎を、水なら水流を、風なら風刃を生み出す」

「はい」

「対して、陰陽五行術は少し異なります。五行とは、単なる属性ではありません。巡りです。関係です。変化です」


 コトネは白砂の上に足を進める。

 まず、木の石を指した。


「木は芽吹き、伸びるもの。成長、活性、生命の巡り」


 次に火。


「火は燃え、昇るもの。熱、勢い、浄化、破邪」


 土。


「土は受け止め、支えるもの。安定、守護、封じ」


 金。


「金は硬く、鋭く、収束するもの。斬撃、硬質、破断」


 水。


「水は流れ、沈み、形を変えるもの。冷却、柔軟、受け流し」


 テンカは静かに聞いていた。

 頭では理解している。

 だが、実際に自分の中に五つの流れがあると分かってから聞くと、言葉の重みが違った。


 木は、胸の奥で脈打つ生命のように。

 火は、腹の底で燻る熱のように。

 土は、足元を支える重さのように。

 金は、背筋を通る刃筋のように。

 水は、血の巡りのように。


 確かに、自分の内側に存在している。


「昨日、あなたは五つすべてに反応しました」

「はい」

「ですが、五つを持つことと、五つを扱えることは別です」

「承知しております」

「本当に?」


 コトネの目が細くなる。

 テンカは反射的に背筋を正した。


「……肝に銘じます」

「よろしい」


 怖い。

 前世を思い出してなお、母は怖い。

 いや、むしろ前世の社会経験があるからこそ、コトネの怖さがより分かる。


 この人は、感情で脅しているのではない。

 必要だから厳しくしている。


 そして必要とあらば、娘であっても容赦なく叩き直す人だ。


「まずは水行から始めます」

「水行、ですか」

「ええ。あなたの気質には火も強く出ていますが、今のあなたに必要なのは火ではありません」

「では、何が必要なのでしょう」

「流すこと。受け止めず、逆らわず、荒れた魔力を巡らせることです」


 コトネは水の石に手をかざした。

 淡い蒼の光が灯る。

 次の瞬間、石の上に小さな水球が浮かび上がった。


 ただの水球ではない。


 それは丸い形を保ちながら、内側で静かに流れていた。


「力を押さえつけてはなりません。押さえつけた力は、いつか弾けます。五行は封じるものではなく、巡らせるものです」

「巡らせる……」

「あなたの中にある魔力を、水のように流しなさい。まずは、それだけです」

「やってみます」


 テンカは水の石の前に立ち、目を閉じる。

 内側へ意識を沈める。


 五つの流れがある。

 その中で、水の気配を探す。


 冷たいもの。

 静かなもの。

 形を変えるもの。

 流れ続けるもの。


 それを、そっと指先へ導く。


 押し出すのではない。

 流す。


 そう意識した瞬間、指先に冷たい感覚が宿った。


 テンカは目を開く。


 水の石の上で、ほんの小さな水滴が震えていた。


「……できた」


 思わず呟いた。


 水滴は小さい。

 今にも消えそうなほど頼りない。


 だが、確かにテンカの魔力から生まれたものだった。

 コトネはそれを見て、少しだけ目を細めた。


「初回でそれなら、十分です」

「母上に褒められた……?」

「調子に乗らない」

「はい」


 水滴が弾け、テンカの肩がぴくりと跳ねる。

 コトネは淡々と告げた。


「集中が乱れました」

「……はい」

「もう一度」


 そこから、修練は延々と続いた。


 水滴を作る。

 崩れる。

 水滴を作る。

 弾ける。

 水滴を作る。

 今度は少し大きくなる。

 気を抜いた瞬間、消える。


 地味だった。

 非常に地味だった。


 前世のゲームなら、五行術といえばもっと派手なものだった。

 刀に炎を纏わせたり、水の斬撃を飛ばしたり、金色の刃を生み出したりする。


 だが現実の修行は、水滴ひとつを維持するところから始まる。

 テンカは内心で遠い目をした。


 そうだよな。

 ゲームじゃないんだよな。

 いきなり必殺技なんて撃てるわけないよな。


 そう思いながらも、口から出る言葉は違った。


「もう一度、お願いいたします」


 コトネは頷いた。


「続けなさい」


 水滴が生まれ、揺れて、消える。

 また生まれる。

 何度も繰り返すうちに、テンカの額に汗が滲んだ。


 たかが水滴。

 されど水滴。


 ただ魔力を出すだけなら簡単だ。

 だが、一定の形に保ち、乱さず、巡らせるのは難しい。


 身体の奥にある力が、少しでも油断すると別の行へ流れようとする。


 火が熱を上げる。

 金が硬く尖る。

 木が広がろうとする。

 土が沈めようとする。


 五行すべてに適性があるということは、五つの力が常に主張してくるということでもあった。


「乱れています」

「はい」

「呼吸を整えなさい」

「はい」

「水を押してはいけません」

「はい」

「あなたは力で何とかしようとしすぎです」

「……はい」


 さすが母上。

 痛いところを突いてくる。


 前世でもそうだった。

 仕事でもゲームでも、結局は力技で何とかしようとする癖があった。

 効率を考えているようで、最後は気合いで押し切る。


 それはそれで悪いことばかりではない。

 だが、五行術には向かない。


 少なくとも、水行には。

 テンカは深く息を吐いた。


 水は流れる。

 形にこだわらない。

 無理に掴まない。

 ただ、そこに道を作る。


 次に生まれた水滴は、先ほどよりも静かだった。


 小さい。

 けれど、崩れない。


 コトネはそれを見て、ほんの少しだけ頷いた。


「今日はそこまで」

「……はい」


 テンカは息を吐いた。

 身体が重い。

 派手な術は何ひとつ使っていないのに、妙に疲れていた。


「母上」

「何です」

「五行とは、難しいものなのですね」

「当然です」


 コトネは即答した。


「力とは、本来そういうものです。簡単に扱える力ほど、簡単に身を滅ぼします」

「……覚えておきます」

「覚えるだけでは足りません。身に刻みなさい」

「はい」


 テンカは頭を下げた。


 その姿を、庭の端で控えていたキリカがじっと見つめていた。

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