わらわは、俺だった②
朝食の席では、レイナが待ち構えていた。
「テンカ!」
扉を開けた瞬間、金色の髪を揺らして姉が立ち上がる。
レイナ=ハヅキ。
父アルバート譲りの金髪を持つ、ハヅキ家の長女。
次期当主としての才覚と品位を備えた少女である。
ただし、妹のことになると少し様子がおかしくなる。
「体調は? 頭は痛くありませんか? 魔力は乱れていませんか? 朝はきちんと眠れましたか? 怖い夢は見ませんでしたか?」
「姉上、近い」
気づけば、レイナはテンカの両手を握っていた。
「だって心配だったのです。昨日のテンカは、五色に光って、それはもう神々しく美しく可愛らしく、それでいて恐ろしくもあって……!」
「途中から感想が混ざっておるぞ」
「当然です。テンカのすべてを記録するのが姉の務めですから」
「その務めは誰に命じられたものなのじゃ」
「わたくしの魂です」
「重い」
思わず本音が出た。
レイナは気にした様子もなく、テンカを席へと案内する。
食卓にはすでに母コトネと父アルバートが座っていた。
コトネは落ち着いた表情で茶を口にしている。
アルバートは穏やかな微笑みを浮かべていた。
「おはよう、テンカ」
「おはようございます、父上、母上」
「体調はどうだい?」
「問題ありません。少し頭が重い程度ですが、動くには支障ありませぬ」
「そうか。無理はしないように」
「はい」
アルバートの声音は柔らかい。
その優しさに、テンカは少し胸が温かくなった。
前世の自分には、こういう家族の食卓はあまり縁がなかった。
いや、子供の頃にはあったのだろうが、遠い記憶になっている。
今世の8年間で、テンカはこの食卓を当たり前のものとして受け入れていた。
だが前世を思い出したことで、その当たり前が少しだけ眩しく見えた。
「テンカ」
コトネが口を開く。
「本日の座学は予定通り行います。ただし、陰陽術の実技はしばらく停止します」
「承知しております」
「刀の稽古は、軽い型までなら許可します」
「はい」
「それと、昨日の件についてですが」
食卓の空気が少し引き締まった。
「あなたの五行適性は、現時点では外部に伏せます」
「伏せる、ですか?」
「ええ。五行すべてに反応する才は、ハヅキ家の中でも稀です。まして、8歳で儀式場の結界を損傷させるほどの魔力となれば、余計な関心を招きます」
テンカは頷いた。
それは分かる。
ハヅキ家は皇国南方を守る大領主。
しかも大魔境への対応を担う武門の家だ。
その次女に異常な才能があると広まれば、当然、周囲は放っておかない。
皇国中央。
他の貴族。
魔導協会。
探索者協会。
あるいは、もっと厄介な者たち。
前世の社会経験があるからこそ、テンカには何となく想像できた。
力は、便利なだけではない。
目立ちすぎれば、面倒を呼ぶ。
「母上の判断に従います」
「よろしい」
コトネは短く頷いた。
「ただし、あなた自身が自分の力を知らぬままでは危険です。明日より、私が直接、基礎を見ます」
「母上が?」
「不満ですか?」
「いいえ」
テンカはすぐに首を振った。
「恐れ多くも、ありがたきことにございます」
そう答えた瞬間、内心のおじさんがまた頭を抱えた。
言い回しが大仰。
だが、テンカとしては自然。
そして母の前ではこれくらいがちょうどいい。
もう諦めた方がいいのかもしれない。
自分は、わらわ口調の姫武者なのだ。
「テンカ」
今度はレイナが真剣な顔で言った。
「母上の修行は厳しいです。とても厳しいです」
「姉上も受けたのか?」
「ええ。何度も泣きました」
「姉上が?」
「泣きました。ですが、テンカの前では泣きません。姉ですから」
「いや、今言っておるではないか」
「過去のわたくしですので問題ありません」
「そういうものか?」
「そういうものです」
レイナは胸を張った。
テンカは思わず笑いそうになる。
やはり、この姉は強い。
色々な意味で。
食卓に穏やかな空気が戻る。
その中でテンカは、そっと自分の手を見つめた。
小さな手だ。
前世の男の手とは違う。
刀を握るには、まだ頼りない。
だが、この手の中には五行の力が眠っている。
木。
火。
土。
金。
水。
そして、前世の自分が憧れた理想の姿も。
テンカは小さく息を吐いた。
わらわは、俺だった。
けれど、俺だけではない。
この身体で生きてきた8年間も、確かに自分だ。
ならば、自分は何者なのかの答えはまだ出ないし、これからも出ないかもしれない。
だが、少なくとも今の自分には名がある。
テンカ=ハヅキ。
ハヅキ辺境伯家の次女で、艶やかな黒髪に、暗い紅玉のような瞳を持つ、わらわ口調の美少女。
そしていつか、五行を己のものとする者。
「……ふむ」
「どうかしましたか、テンカ?」
レイナが首を傾げる。
テンカは少しだけ笑った。
「いや。腹が決まっただけじゃ」
「腹?」
「うむ」
テンカは箸を取った。
「まずは朝餉じゃ。強くなるにも、腹が減っては始まらぬ」
その言葉に、アルバートが笑い、レイナが嬉しそうに頷き、キリカが控えめに微笑んだ。
コトネだけは、静かにテンカを見つめていた。
その瞳には厳しさがあると同時に、ほんのわずかな期待もあった。
テンカはそれに気づき、背筋を伸ばす。
前世の記憶を得た朝。
テンカの日常は、少しだけ形を変えて続いていく。
この世界はゲームではない。
誰かが用意したシナリオもない。
攻略情報も、未来の知識もない。
それでも。
この手に刀があるのなら。
この身に五行が巡るのなら。
自分は、この世界で立ってみせる。
そう決めた。




