森の底へ続く道①
「全員、その場を動くな」
サイゾウの声が飛んだ。
調査隊の者たちは即座に足を止め、細い亀裂から距離を取る。
「前後を警戒。術士は周囲の瘴気を測れ。許可なく亀裂へ近づくな」
「「了解!」」
第三討伐隊の兵たちが周囲へ目を配り、調査・研究部の術士たちは足元を確かめながら器具を取り出した。
マリエラは亀裂から目を離さないまま、静かに立ち上がる。
「先ほどの水の動きから、この裂け目が地表だけで終わっていないことは確かです。ただ、どれほど深くまで続いているのかは判断できません」
「地下に空間がある可能性は?」
サイゾウが尋ねる。
「あります。ですが、地中に細い水路があるだけという可能性も残っています」
マリエラは地面へ視線を落とした。
「少なくとも、ここから先は地表の様子だけで安全を判断すべきではありません」
「なら、地面の下も確かめながら進む必要があるな」
サイゾウは周囲を見渡した。
「ラデルカ。今いる場所から調べられる範囲で、亀裂の広がりを確認してくれ。斥候を1人つける」
「分かった」
「マリエラ副所長は術士と測定を。姫さまは、ここからでも流れを追えますか?」
テンカは足元へ意識を沈めた。
土の気は亀裂へ集まり、地の底へ流れ込んでいる。
方向は分かる。
だが、流れの先にあるものまでは見通せない。
「大まかな向きなら分かる。じゃが、地中の細かな変化までは、この場所からでは捉えきれぬ」
「承知しました。まずは周囲の確認を優先します」
サイゾウがそう答えると、テンカは素直に頷いた。
「うむ。そなたの判断に従う」
隣に立つキリカが、僅かに目を細める。
「姫さま」
「何じゃ?」
「いいえ。何もございません」
「随分と意外そうな顔をしておるな」
「そのようなことは」
「わらわとて、同じ注意を何度も受けるほど聞き分けが悪いわけではないぞ」
「左様でございますか」
「信じておらぬな?」
キリカは答えず、穏やかな笑みを浮かべた。
少し離れた場所では、ラデルカと斥候が長い枝を使って落ち葉を退けていた。
地表に残る亀裂は、一つではなかった。
黒い筋のような裂け目が、苔や落ち葉の下へ隠れながら南西へ伸びている。
別の場所にも裂け目があり、それも同じ方向へ続いていた。
「こちらにもある」
ラデルカが戦斧の柄で地面を示す。
「一つの亀裂が枝分かれしているわけではないようだな」
サイゾウが周囲の地形を確かめる。
「細い裂け目が、いくつも同じ場所へ向かっています」
マリエラは術士が記した位置を、手帳の簡単な図へ書き写していた。
「まるで、地面の下にあるものへ集まっているようです」
「木の根のようじゃな」
テンカが言うと、マリエラが頷く。
「ええ。ただし、木の根とは逆です。こちらは広がるのではなく、一点へ集まっている」
術士が測定杭を地面へ差し込む。
杭の上部に淡い黄色の光が灯り、しばらく揺れた後、南西へ引かれるように細長く伸びた。
「地中の魔力反応も同じ方向へ流れています」
「土行の巡りも同じじゃ」
テンカは目を閉じた。
大地を支えるはずの土行は亀裂に沿って流れ、枝葉にあるはずの木行まで根を通じて、その異様な流れへ引き込まれていた。
「このまま続けば、木々もいずれ枯れるやもしれぬ」
「可能性はあります」
マリエラの表情が険しくなる。
「今も葉が青いということは、すべての力を一度に失ったわけではありません。ですが、同じ状態が続けば影響は広がるでしょう」
地の下にある何かが、森の巡りを少しずつ歪めているようだった。
その先に何があるのか。
テンカは無意識に継火の柄へ手を添えた。
「姫さま」
「抜かぬ。分かっておる」
「まだ何も申し上げておりません」
「顔に書いてあったぞ」
「姫さまにだけは、言われたくございません」
その時、周囲の調査を終えたラデルカが戻ってきた。
「亀裂はこの先にも続いている。進むほど数も増えているようだ」
「足場は?」
「今いる辺りは問題ない。ただ、少し先から地面を叩いた音が変わる。表面は硬いが、下が詰まっていない場所があるかもしれない」
サイゾウの顔から、僅かに残っていた柔らかさが消えた。
「空洞の可能性があるな」
「ああ。全員で進むべきではない」
ラデルカの言葉に、サイゾウはすぐに頷く。
「本隊はここで待機する。兵2人は周囲を警戒。残りは帰還路を確保しろ」
それから、テンカへ視線を向けた。
「姫さま。ここから先へ進まなければ、土行の変化は分かりませんか?」
「方向を知るだけなら、ここでも足りる。じゃが、地中の異常を細かく見分けるには、もう少し近づく必要がある」
サイゾウはしばらく考えた。
テンカは口を挟まない。
現場ではサイゾウの判断へ従う。
母コトネと交わした約束だった。
「先行班を6人に絞ります」
サイゾウが決断する。
「私、ラデルカ、斥候1人、マリエラ副所長。それから姫さまとキリカ殿です」
「わたくしもですか?」
「地下の反応を調べる者が必要です。ただし、採取は行いません。測定と観察だけにしてください」
「承知しました」
マリエラは迷わず頷く。
「本隊とは縄でつなぐ。互いの間隔を空け、先頭が確かめた場所だけを踏め。同じ場所に立ち止まるな。異常があれば、すぐに引き返す」
サイゾウは全員を見渡した。
「目的は地下へ入ることではない。亀裂の行き先を確認することだけだ」
「「了解!」」
本隊の兵たちは、先行班の腰に結ばれた命綱を近くの大木へ回し、いつでも引けるように構えた。
誰かが足場を崩しても、他の者まで巻き込まれないためだ。
退路となる木々には目印の符を結び、先行班は亀裂に沿って慎重に進み始めた。
先頭は斥候。
その後ろにラデルカ、サイゾウ、マリエラ、テンカが続き、キリカが最後尾からテンカを守る。
斥候は長い杖で地面を確かめ、ラデルカもその足場に異常がないことを確認してから、後続を進ませる。
亀裂は進むほど太くなっていった。
かすかだった裂け目が、進むにつれて指1本ほどの幅まで広がっている場所もある。
ところどころで地面が盛り上がり、木の根が押し出されていた。
周囲の木々も、わずかに南西へ傾いている。
「臭いが強くなった」
ラデルカが低い声で言う。
「湿った土と古い鉄。それに、黒き鬼から漂っていた瘴気と似た臭いだ」
「近づいているということか?」
「恐らくな」
サイゾウは足元から目を離さない。
「無理はするな。少しでも違和感があれば止まれ」
先頭の斥候が頷き、長い杖を次の足場へ伸ばす。
杖の先は、落ち葉の下に隠れた太い木の根へ当たった。硬い手応えを確かめた斥候が、次の一歩を踏み出そうと足を上げる。
テンカも土行の流れへ意識を向け続けていた。
大地の気が、これまで以上の速さで地下へ吸い込まれている。
いくつもの流れが重なり、太い濁流のようになっていた。
その強さに意識を取られながら進んだ時、ふと奇妙な感覚が混じった。
流れではない。
その中にある、空白。
「待て」
テンカは足を止めた。
だが、斥候はすでに足を前へ運ぼうとしている。
「止まれ!」
テンカの声が森へ響いた。
斥候の足が宙で止まる。
サイゾウも即座に片手を上げ、先行班全員が動きを止めた。
「どうしました?」
「その先じゃ」
テンカは斥候の前にある地面を指した。
見た目には、何の異常もない。
落ち葉が重なり、低い草も生えている。
「土行が、途切れておる」
「吸われているのではなく?」
マリエラが尋ねる。
「違う。そこには、大地を支える気そのものがない」
テンカは眉を寄せた。
―もっと早く気づけなかったのか。
地下へ吸い込まれる土行の流れがあまりにも強く、その勢いばかりを追っていた。
だから、その中に開いた空白を見分けるのが遅れたのだ。
「足を戻せるか?」
サイゾウが斥候へ尋ねる。
「はい」
「体重を前へかけるな。ゆっくり戻せ」
斥候は宙に浮かせた足を、慎重に元の位置へ戻した。
ラデルカは杖が触れた場所を見つめた。
落ち葉の下から、木の根の一部が覗いている。
「根に当たっただけか」
少し離れた場所に落ちていた長い枝を拾うと、縄の張りを確かめて地面へ伏せ、木の根を避けるように枝の先を伸ばした。
一度目。
枝の先が落ち葉へ触れる。
異常はない。
二度目。
僅かに力を加えた瞬間、地面が沈んだ。
「下がれ!」
サイゾウの声と同時に、先行班が縄に沿って後退する。
草と落ち葉が形を保ったまま下へ落ち、その下の土が音を立てて崩れていく。
崩落は周囲へ広がり、ラデルカの枝が半ばから呑み込まれた。
土煙が立ち上がる。
本隊の兵たちが縄を引き、先行班を安全な地面まで下がらせた。
やがて崩落は止まり、先ほどまで地面だった場所には人が数人まとめて落ちるほどの穴が開き、その縁から土と小石が地の底へこぼれ続けていた。
そして、その暗がりから、冷たい瘴気が吹き上がってきた。
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