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ハヅキ辺境伯家の五行姫  作者: あの夏と勇者
第4章 大魔境に眠るもの
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大魔境調査隊②

 マリエラの瞳だけが、期待に輝いていた。

 ラデルカは表情を変えず、サイゾウは腕を組んだままテンカを見ていた。


「理由を述べなさい」


 コトネの声は、母ではなく当主のものだった。


「黒き鬼の残滓と、あの樹皮に残る瘴気。わらわには、二つが似たものに感じられました」

「それだけですか?」

「いいえ」


 テンカは机上の地図へ視線を落とす。


「封瘴室で残滓が暴れた時、わらわは五行の巡りが歪むのを感じました。現地にも同じものがあるなら、術具が異常を捉えるより先に、わらわが気づけるやもしれませぬ」

「つまり、戦力ではなく感知役として同行したいと?」

「はい」


 コトネの瞳が、すっと細められた。

 その瞬間、小会議室の空気が冷たくなったように感じられた。


「あなたを守るために隊列が乱れれば、調査隊全体を危険に晒します」


 静かな声だった。


 だが、そこには拒絶よりも重い問いが込められていた。


「あなたはハヅキ家の次女です。現場の者が、危険に陥ったあなたを見捨てられないことも理解していますね?」

「はい」

「それでも、自分が必要だと言えますか?」


 テンカは、膝の上で拳を握った。


 危険な場所へ行きたいわけではない。

 黒き鬼に関わる異変を自分の目で確かめたいという気持ちは、確かにある。

 だが、それだけなら同行を願い出るべきではない。


「わらわが異常を早く感じ取れれば、皆が退くための時間を作れます」


 テンカは母の目を真っ直ぐに見返した。


「守られるためではなく、調査隊が無事に戻るために参ります」


 コトネは答えなかった。


 沈黙が、小会議室を満たす。

 テンカの内側で、鼓動だけが大きく響いていた。


 やがて、コトネの視線がトウマへ向く。


「副長。調査計画の観点から答えなさい」

「有用です」


 トウマは迷わなかった。


「黒き鬼の残滓が動いた際、最初に異常を感じ取ったのはテンカ姫でした。術具とは異なる手段で異常を捉えられる者がいることは、調査の精度を上げます」

「危険性は?」

「当然あります」


 今度はサイゾウが口を開いた。


「姫さまがいることで、隊の動きに制限が加わるのは事実です」


 サイゾウは、取り繕うことなく言った。


「ですが、異常を早く見つけられる利点も大きい。第三結界柱から半日以内の範囲に留め、深入りはしない。異変があれば即時撤退する。姫さまが私の命令に従ってくださるなら、同行は可能です」


 コトネの視線が、再びテンカへ戻る。


「条件があります」

「はい」

「現地ではサイゾウの命令に必ず従うこと。単独で行動しないこと。異常を感じても、許可なく先へ進まないこと」


 一つずつ、重い言葉が落ちる。


「そして、撤退命令が出た場合は、何を見つけていようと、理由を問わず帰還しなさい」

「承知いたしました」

「本当に?」

「はい」


 テンカは背筋を伸ばした。


「此度は、見たいものを見るために行くのではありませぬ」


 黒き鬼と対峙した時のように、一人で前へ出るためでもない。


「皆とともに調べ、皆とともに戻るために参ります」


 コトネは、しばらく娘の瞳を見つめていた。


 やがて、小さく頷く。


「同行を許可します」

「ありがとうございます」

「キリカ」

「はい、当主様」


 コトネが命じるより先に、キリカは頭を下げていた。


「わたしも姫さまに同行し、決してお側を離れません」

「頼みます」

「承知しました」


 会議が終わると、マリエラがすぐにテンカの前へやってきた。


「テンカ様。五行による感知について、出発前にいくつか確認させていただいても?」

「構わぬが、いくつじゃ?」

「さほど多くはありません。まず、残滓を感知した際の身体感覚、五行それぞれの反応、距離による変化、瘴気濃度との関係、それから――」

「副所長」


 ラデルカが、マリエラの襟元を後ろから軽く掴んだ。


「明朝は早いので、質問は三つまでにしてください」

「三つでは足りません」

「では、残りは歩きながら聞いてください。隊列から外れなければ」

「分かりました」


 マリエラはあっさりと頷いた。

 その返事を聞いたラデルカの犬耳が、疑わしげにぴくりと動いた。


「姫さま」


 サイゾウが声をかけた。


「大魔境では、見つけたものすべてを確かめられるわけではありません。気になるものがあっても、まず私かラデルカに知らせてください」

「分かっておる」

「マリエラ副所長も、毎回そう答えます」

「……苦労しておるのじゃな」

「ええ。お互いに」


 サイゾウは小さく笑った。


 ◇  ◇  ◇


 翌朝。

 第三結界柱の門前には、十二名の調査隊が集まっていた。


 先頭にはサイゾウ。

 その隣に戦斧を背負ったラデルカが立ち、マリエラは調査器具を詰めた鞄を何度も確かめている。

 第三討伐隊の兵たちは周囲を警戒し、調査・研究部の術士たちは瘴気計測の器具と封印箱を背負っていた。


 テンカは継火の柄へ手を添える。

 隣にはキリカがいる。


「姫さま」

「何じゃ」

「お約束を、お忘れなきよう」

「分かっておる。単独で動かぬ。勝手に進まぬ。撤退命令には従う」


「もう一つございます」

「何じゃ?」

「危険なものを見つけても、嬉しそうな顔をなさらないことです」

「それは、わらわではなくマリエラへ申せ」


 少し離れた場所で、マリエラがくしゃみをした。


 ラデルカが門の向こうへ鼻先を向ける。

 褐色の犬耳が微かに動いた。


「風は南西から。今のところ、強い瘴気臭はありません」

「よし」


 サイゾウが全員を見渡した。


「目的は、黒き鬼の移動経路と、足跡が途切れた地点の調査だ」


 兵たちの表情が引き締まる。


「討伐任務ではない。深追いはせず、異常があれば即座に戻る。勝手な行動は慎め」


 全員が頷いた。


「出発する」


 第三結界柱の門が開いた。

 その先には、朝の光さえ呑み込むような深い森が広がっている。


 悠久なる大魔境。


 テンカがここへ足を踏み入れるのは、黒き鬼と遭遇した日以来だった。

 あの日は、外へ現れた脅威を斬った。

 今度は、その脅威がどこから来たのかを確かめに行く。


 調査隊は隊列を組み、木々の間へ入っていく。


 門から遠ざかるにつれ、鳥の声が少なくなった。

 虫の羽音も。

 獣が草を踏む音も。


 森に棲むすべてのものが、何かを恐れて息を潜めている。

 そんな静けさだった。


 テンカは継火へ添えた手に、わずかに力を込める。

 深い森の、さらに奥。


 大魔境は何も語らず、調査隊を待ち受けていた。

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