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ハヅキ辺境伯家の五行姫  作者: あの夏と勇者
第3章 継火と氷華
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氷の令嬢は退屈を嫌う②

 言葉は柔らかい。

 だが、問いは鋭い。


 セドリックの問いとは違う。

 彼はハヅキ家の余裕や立場を探っていた。


 エリシアは、テンカ自身を見ようとしている。

 その違いが、テンカには分かった。


「わらわは、まだ未熟じゃ」


 テンカはそう答えた。


 エリシアの眉が、ほんのわずかに動く。


「ずいぶん素直ですのね」

「事実じゃからな。黒き鬼を斬った時も、わらわ一人では何もできなんだ。新しい太刀を持つことになったのも、前の刀を砕いたからじゃ」


 腰の継火に、そっと意識が向く。

 黒い鞘に走る緋の一筋。

 それは誇りであり、戒めでもある。


「ただ、未熟だからといって、下を向く気はない。斬るべき時に斬るために、今は少しずつ整えておる」

「整える?」

「火を、刀を、身体を、心を。全部じゃな」


 言ってから、テンカは少しだけ恥ずかしくなった。


 何やら、かなり真面目なことを言っている。

 初対面の令嬢相手に話す内容としては、重い気もする。


 だが、エリシアは笑わなかった。

 氷青色の瞳で、ただ静かにテンカを見ていた。


「……よい答えですわ」

「意外じゃな」

「何がですの?」

「また、退屈しない、と言われるかと思った」

「同じ言葉ばかり繰り返すのは、芸がありませんもの」

「それは手厳しい」

「褒めていますのよ」

「分かりにくい褒め方じゃ」


 テンカがそう言うと、エリシアは涼しい顔で小さく笑った。


 その笑みは冷たい。

 けれど、人を遠ざける冷たさではなかった。

 澄んだ水が、冬の朝に薄く凍るような冷たさだ。


「北方の社交は、寒いだけではありませんの」


 エリシアは視線を少しだけ広間へ向けた。


「長いのです。寒くて、長くて、形式ばかりで、少しでも気を抜くと誰かが家格や血筋や婚約話を持ち出す。こちらの茶が冷める前に、心の方が先に冷えますわ」

「それは、なかなかの苦行じゃな」

「でしょう?」


 エリシアの声に、初めて少しだけ年相応の響きが混じった。


「だから、わたくしは張り合いのあるものを大切にしますの。魔術も、氷も、相手も」

「相手も、か」

「ええ。話すに値する相手かどうかは、大事ですもの」


 テンカはエリシアを見た。


 気位が高い。

 遠慮も少ない。


 だが、嫌な感じはしなかった。

 相手を見下すための高さではない。

 自分もまた、そう簡単には退かないという高さだ。


「では、わらわは少しは値したか?」

「今のところは」

「厳しいのう」

「当然ですわ。まだ、あなたが刀を振るうところを見ていませんもの」

「見る気なのか?」

「機会があれば」

「物騒な令嬢じゃ」

「あなたに言われたくはありませんわ。黒き鬼を斬ったのでしょう?」

「またそれを言う」

「事実でしょう?」

「……まあ、そうじゃな」


 二人はしばし見つめ合った。


 黒と緋。

 白と淡い水色。

 火を宿す太刀を佩いた姫さま。

 氷のような瞳を持つ北方の令嬢。


 互いに笑っているわけではない。

 けれど、不思議と空気は悪くなかった。

 むしろ、刃を交えずに火花を散らすような心地よさがある。


 その時、エリシアの視線がふと小卓へ向いた。


「ところで」

「何じゃ」

「先ほどから、そちらの菓子を見ていらっしゃいましたわね」

「見ておらぬ」

「見ていましたわ」

「……少しだけじゃ」

「それだけ目で追っておいて、少しで済ませますの?」

「北方の令嬢は細かいのう」

「観察眼がある、と言っていただきたいですわ」


 エリシアは小さく笑った。

 氷がわずかに光を返すような、控えめな笑みだった。


「ハヅキ領の菓子は、北方のものとはずいぶん違いますのね」

「うむ。米粉を使ったものや、柚子を香らせたものが多い。黒糖を使ったものもあるぞ」

「詳しいですわね」

「客人をもてなすために、知っておるだけじゃ」

「本当に?」

「……好きでなければ、ここまでは覚えぬ」

「それは正直なこと」

「隠しても、キリカに見抜かれるからのう」


 キリカが背後で、控えめに咳払いをした。


「姫さま」

「分かっておる。節度を持つ」

「お願いいたします」


 エリシアはそのやり取りを見て、どこか楽しそうに目を細めた。


「よい侍女ですわね」

「自慢のキリカじゃ」

「姫さま」


 キリカの声が少しだけ慌てる。

 エリシアは一瞬だけ驚いたように瞬き、それから静かに微笑んだ。


「……そういうところも、面白いですわ」

「それは何よりじゃ」


 テンカは小卓から、柚子の香りを移した白い砂糖菓子を一つ取った。

 指先が、ほんの一瞬だけ離れがたそうに止まる。


 自分のためではない。

 客人をもてなすためである。

 たぶん。


「エリシア様。よければ、こちらを」

「あら。いただきますわ」


 エリシアは菓子を受け取り、口元へ運んだ。


 小さく噛む。

 表情は大きく変わらない。


 けれど、氷青色の瞳がほんの少しだけ丸くなった。


「……悪くありませんわ」

「それは、気に入ったという意味か?」

「悪くない、という意味ですわ」

「北方の令嬢は回りくどいのう」

「あなたほど分かりやすくはありませんもの」

「む」


 テンカは思わず口を尖らせた。

 エリシアは涼しい顔で、もう一度菓子を見た。


「柑橘の香りがよいですわね。甘いだけではなく、後に残らない」


 そう言うエリシアの声は涼しかったが、菓子を見つめる氷青色の瞳だけは、ほんの少しだけやわらいでいた。


「分かっておるではないか」

「わたくしを誰だと思っていらっしゃるの?」

「張り合いのあるものを好む、北方の令嬢じゃな」

「だいたい合っていますわ」


 二人の間に、小さな沈黙が落ちた。

 それは気まずいものではなかった。

 初対面の相手を探るための、静かな間だった。


 テンカは、エリシアを改めて見る。

 礼装も、所作も、言葉も、いかにも名門貴族の令嬢らしい。

 だが、その奥にあるのは、ただ冷たいだけの気配ではない。


 自分の目で見たい。

 自分の言葉で確かめたい。

 決められた評価に収まるくらいなら、冷たいと言われた方がまし。

 そんな意地のようなものが見えた。


「エリシア様」

「何ですの?」

「そなたは、なぜわらわに声をかけた」

「先ほど言ったでしょう。あなたには、張り合いがありそうだったからですわ」

「それだけか?」

「それだけでは不満ですの?」

「いや」


 テンカは首を横に振った。


「それだけなら、分かりやすくてよい」


 エリシアは少しだけ目を細めた。


「あなたは、本当に妙な方ですわ」

「それはもう聞いた」

「では、もう一つ」

「何じゃ」

「親しい者は、わたくしをエリーと呼びます」


 テンカは瞬きをした。

 急に何の話だろうか。


 エリシアは涼しい顔のまま続ける。


「けれど、まだあなたには早いですわね」

「頼んでおらぬ」

「でしょうね」

「自分から言い出しておいて、何なのじゃ」

「確認ですわ」

「何の確認じゃ」

「あなたが、わたくしを飽きさせない方かどうかの」


 そう言って、エリシアは小さく礼を取った。


 休憩時間の終わりを告げる鐘が、広間の隅で控えめに鳴る。

 出席者たちが、少しずつ席へ戻り始めていた。


「では、テンカ様。また後ほど」

「うむ。エリシア様も、菓子だけで満足して帰るでないぞ」

「もちろんですわ。まだ、あなたのことを確かめきっておりませんもの」


 エリシアはそう言い残し、フロストレイン侯爵家の席へ戻っていった。

 背筋はまっすぐで、歩くたびに銀白の髪が淡く揺れる。


 テンカはその背を見送る。

 今日は刀を抜かぬ戦場だと思っていた。

 だが、どうやらこの戦場には、氷のような目をした同世代の令嬢も現れるらしい。


「姫さま」


 キリカが静かに声をかける。


「楽しそうでしたね」

「そう見えたか?」

「はい」

「……そうか」


 テンカは腰の継火にそっと触れた。


 抜かぬ太刀。

 交わした言葉。

 北より来た氷の令嬢。


 そのどれもが、今日の黒松の間に新しい熱を残している。


 テンカは小さく息を吐き、席へ戻った。


 どうやら彼女とは、これから少し面白いことになりそうだった。

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