氷の令嬢は退屈を嫌う②
言葉は柔らかい。
だが、問いは鋭い。
セドリックの問いとは違う。
彼はハヅキ家の余裕や立場を探っていた。
エリシアは、テンカ自身を見ようとしている。
その違いが、テンカには分かった。
「わらわは、まだ未熟じゃ」
テンカはそう答えた。
エリシアの眉が、ほんのわずかに動く。
「ずいぶん素直ですのね」
「事実じゃからな。黒き鬼を斬った時も、わらわ一人では何もできなんだ。新しい太刀を持つことになったのも、前の刀を砕いたからじゃ」
腰の継火に、そっと意識が向く。
黒い鞘に走る緋の一筋。
それは誇りであり、戒めでもある。
「ただ、未熟だからといって、下を向く気はない。斬るべき時に斬るために、今は少しずつ整えておる」
「整える?」
「火を、刀を、身体を、心を。全部じゃな」
言ってから、テンカは少しだけ恥ずかしくなった。
何やら、かなり真面目なことを言っている。
初対面の令嬢相手に話す内容としては、重い気もする。
だが、エリシアは笑わなかった。
氷青色の瞳で、ただ静かにテンカを見ていた。
「……よい答えですわ」
「意外じゃな」
「何がですの?」
「また、退屈しない、と言われるかと思った」
「同じ言葉ばかり繰り返すのは、芸がありませんもの」
「それは手厳しい」
「褒めていますのよ」
「分かりにくい褒め方じゃ」
テンカがそう言うと、エリシアは涼しい顔で小さく笑った。
その笑みは冷たい。
けれど、人を遠ざける冷たさではなかった。
澄んだ水が、冬の朝に薄く凍るような冷たさだ。
「北方の社交は、寒いだけではありませんの」
エリシアは視線を少しだけ広間へ向けた。
「長いのです。寒くて、長くて、形式ばかりで、少しでも気を抜くと誰かが家格や血筋や婚約話を持ち出す。こちらの茶が冷める前に、心の方が先に冷えますわ」
「それは、なかなかの苦行じゃな」
「でしょう?」
エリシアの声に、初めて少しだけ年相応の響きが混じった。
「だから、わたくしは張り合いのあるものを大切にしますの。魔術も、氷も、相手も」
「相手も、か」
「ええ。話すに値する相手かどうかは、大事ですもの」
テンカはエリシアを見た。
気位が高い。
遠慮も少ない。
だが、嫌な感じはしなかった。
相手を見下すための高さではない。
自分もまた、そう簡単には退かないという高さだ。
「では、わらわは少しは値したか?」
「今のところは」
「厳しいのう」
「当然ですわ。まだ、あなたが刀を振るうところを見ていませんもの」
「見る気なのか?」
「機会があれば」
「物騒な令嬢じゃ」
「あなたに言われたくはありませんわ。黒き鬼を斬ったのでしょう?」
「またそれを言う」
「事実でしょう?」
「……まあ、そうじゃな」
二人はしばし見つめ合った。
黒と緋。
白と淡い水色。
火を宿す太刀を佩いた姫さま。
氷のような瞳を持つ北方の令嬢。
互いに笑っているわけではない。
けれど、不思議と空気は悪くなかった。
むしろ、刃を交えずに火花を散らすような心地よさがある。
その時、エリシアの視線がふと小卓へ向いた。
「ところで」
「何じゃ」
「先ほどから、そちらの菓子を見ていらっしゃいましたわね」
「見ておらぬ」
「見ていましたわ」
「……少しだけじゃ」
「それだけ目で追っておいて、少しで済ませますの?」
「北方の令嬢は細かいのう」
「観察眼がある、と言っていただきたいですわ」
エリシアは小さく笑った。
氷がわずかに光を返すような、控えめな笑みだった。
「ハヅキ領の菓子は、北方のものとはずいぶん違いますのね」
「うむ。米粉を使ったものや、柚子を香らせたものが多い。黒糖を使ったものもあるぞ」
「詳しいですわね」
「客人をもてなすために、知っておるだけじゃ」
「本当に?」
「……好きでなければ、ここまでは覚えぬ」
「それは正直なこと」
「隠しても、キリカに見抜かれるからのう」
キリカが背後で、控えめに咳払いをした。
「姫さま」
「分かっておる。節度を持つ」
「お願いいたします」
エリシアはそのやり取りを見て、どこか楽しそうに目を細めた。
「よい侍女ですわね」
「自慢のキリカじゃ」
「姫さま」
キリカの声が少しだけ慌てる。
エリシアは一瞬だけ驚いたように瞬き、それから静かに微笑んだ。
「……そういうところも、面白いですわ」
「それは何よりじゃ」
テンカは小卓から、柚子の香りを移した白い砂糖菓子を一つ取った。
指先が、ほんの一瞬だけ離れがたそうに止まる。
自分のためではない。
客人をもてなすためである。
たぶん。
「エリシア様。よければ、こちらを」
「あら。いただきますわ」
エリシアは菓子を受け取り、口元へ運んだ。
小さく噛む。
表情は大きく変わらない。
けれど、氷青色の瞳がほんの少しだけ丸くなった。
「……悪くありませんわ」
「それは、気に入ったという意味か?」
「悪くない、という意味ですわ」
「北方の令嬢は回りくどいのう」
「あなたほど分かりやすくはありませんもの」
「む」
テンカは思わず口を尖らせた。
エリシアは涼しい顔で、もう一度菓子を見た。
「柑橘の香りがよいですわね。甘いだけではなく、後に残らない」
そう言うエリシアの声は涼しかったが、菓子を見つめる氷青色の瞳だけは、ほんの少しだけやわらいでいた。
「分かっておるではないか」
「わたくしを誰だと思っていらっしゃるの?」
「張り合いのあるものを好む、北方の令嬢じゃな」
「だいたい合っていますわ」
二人の間に、小さな沈黙が落ちた。
それは気まずいものではなかった。
初対面の相手を探るための、静かな間だった。
テンカは、エリシアを改めて見る。
礼装も、所作も、言葉も、いかにも名門貴族の令嬢らしい。
だが、その奥にあるのは、ただ冷たいだけの気配ではない。
自分の目で見たい。
自分の言葉で確かめたい。
決められた評価に収まるくらいなら、冷たいと言われた方がまし。
そんな意地のようなものが見えた。
「エリシア様」
「何ですの?」
「そなたは、なぜわらわに声をかけた」
「先ほど言ったでしょう。あなたには、張り合いがありそうだったからですわ」
「それだけか?」
「それだけでは不満ですの?」
「いや」
テンカは首を横に振った。
「それだけなら、分かりやすくてよい」
エリシアは少しだけ目を細めた。
「あなたは、本当に妙な方ですわ」
「それはもう聞いた」
「では、もう一つ」
「何じゃ」
「親しい者は、わたくしをエリーと呼びます」
テンカは瞬きをした。
急に何の話だろうか。
エリシアは涼しい顔のまま続ける。
「けれど、まだあなたには早いですわね」
「頼んでおらぬ」
「でしょうね」
「自分から言い出しておいて、何なのじゃ」
「確認ですわ」
「何の確認じゃ」
「あなたが、わたくしを飽きさせない方かどうかの」
そう言って、エリシアは小さく礼を取った。
休憩時間の終わりを告げる鐘が、広間の隅で控えめに鳴る。
出席者たちが、少しずつ席へ戻り始めていた。
「では、テンカ様。また後ほど」
「うむ。エリシア様も、菓子だけで満足して帰るでないぞ」
「もちろんですわ。まだ、あなたのことを確かめきっておりませんもの」
エリシアはそう言い残し、フロストレイン侯爵家の席へ戻っていった。
背筋はまっすぐで、歩くたびに銀白の髪が淡く揺れる。
テンカはその背を見送る。
今日は刀を抜かぬ戦場だと思っていた。
だが、どうやらこの戦場には、氷のような目をした同世代の令嬢も現れるらしい。
「姫さま」
キリカが静かに声をかける。
「楽しそうでしたね」
「そう見えたか?」
「はい」
「……そうか」
テンカは腰の継火にそっと触れた。
抜かぬ太刀。
交わした言葉。
北より来た氷の令嬢。
そのどれもが、今日の黒松の間に新しい熱を残している。
テンカは小さく息を吐き、席へ戻った。
どうやら彼女とは、これから少し面白いことになりそうだった。
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