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ハヅキ辺境伯家の五行姫  作者: あの夏と勇者
第3章 継火と氷華
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氷の令嬢は退屈を嫌う①

 報告会は、その後もしばらく続いた。

 掲図板の前では、トウマが淡々と説明を進めている。


 大魔境外縁における瘴気濃度の変化。

 各結界柱の連絡体制。

 南西街道を通る商隊への護衛推奨。

 結界柱に近い町村の避難経路確認。


 質問が上がり、答えが返されるたび、広間の空気は少しずつ現実の重みを帯びていった。


 黒き鬼。

 その名はもう、ただの恐ろしい魔物の名ではない。

 交易路に影を落とし、領内諸家の兵を動かし、商会の勘定にも響く、現実の問題になっていた。


 テンカは上座に近い席で、そのやり取りを聞いていた。

 先ほど、セドリック=ウェインへ答えた時の緊張は、まだ身体の奥に残っている。


 だが、不思議と手は震えていない。


 腰にある継火の重みが、静かにそこに在る。

 抜かない。けれど、逃げもしない。

 そう言われているような気がした。


「では、詳細な通達については、後ほど各家および各商会へ書面で送付いたします」


 トウマがそう締めると、コトネが静かに頷いた。


「ここで一度、休憩といたします。次の議題では、各結界柱への物資供給と、街道警備の分担について確認します」


 その言葉を合図に、張り詰めていた空気が少しだけ緩んだ。

 出席者たちは席を立ち、近くの者同士で小声を交わし始める。

 商会の代表たちは早速、護衛費用や通行予定について相談しているらしい。


 領内諸家の当主や名代たちは、互いの顔色を窺いながらも、掲図板に示された警戒線へ視線を向けていた。

 セドリックは、先ほどと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべている。

 だが、テンカを見る目は先ほどよりも少し慎重だった。


 テンカは小さく息を吐く。


「姫さま」


 背後から、キリカがそっと声をかけた。


「よいお答えでした」

「そうか?」

「はい。少なくとも、菓子の話をなさらなかった点は、とてもよかったです」

「そこを褒めるのか」

「大事なことですので」

「むう」


 否定できない。

 母上にも釘を刺されたばかりである。


 テンカはちらりと広間の端へ目を向けた。

 休憩用に整えられた小卓には、茶器と菓子が並んでいる。


 薄く焼いた米粉の菓子。

 黒糖を練り込んだ小さな干菓子。

 柚子の香りを移した白い砂糖菓子。


 どれも、客人に出すため丁寧に作られたものだ。


「……見ておらぬ」

「何も申し上げておりません」

「目が言っておる」

「姫さまの目も、十分に語っております」


 キリカは涼しい顔でそう言った。


 テンカはわずかに頬を膨らませる。

 しかし、ここで菓子に突撃するわけにはいかない。

 今日の自分は、ハヅキ家のご令嬢としてこの場にいる。


 黒き鬼を斬った姫さまとして見られている。

 菓子に目を奪われる姫さまとして記憶されるわけにはいかない。


 テンカは、菓子へ向かいそうになる視線をどうにか引き戻した。

 こんな時に菓子のことを考えていられる自分に少し呆れる。

 だが、甘いものに心を奪われる余裕があるのなら、まだ大丈夫なのかもしれない。


 そう思ったところで、正面から涼やかな声がした。


「先ほどは、なかなか退屈しないお答えでしたわ」


 テンカは顔を上げた。

 そこに立っていたのは、先ほど視線を交わした少女だった。


 淡い銀白色の髪。

 氷青色の瞳。

 白と淡い水色を基調にした北方貴族の礼装。


 近くで見ると、銀糸の刺繍は雪の結晶だけではなく、細い蔦のような意匠も織り込まれている。冷たいだけではない。凍った大地の下で春を待つ、北方の気配があった。


 エリシア=フロストレイン。


 フロストレイン侯爵家の令嬢。

 その少女がテンカの前に立った瞬間、近くにいた商会の者が言葉を止め、領内諸家の名代がさりげなく視線を向けた。


 北方の名門令嬢と、黒き鬼を斬ったハヅキの姫さま。

 その二人が休憩の場で言葉を交わす意味を、この場の者たちは見逃さなかった。


 テンカは椅子から立ち上がり、軽く礼を取った。


「テンカ=ハヅキです。エリシア様、お初にお目にかかります」

「ええ。エリシア=フロストレインですわ」


 エリシアは優雅に礼を返す。

 その所作は、年齢に似合わぬほど整っていた。


 だが、瞳だけは遠慮なくテンカを見ている。

 礼儀の形を取りながら、その奥で相手を測っている。


 そんな目だった。


「先ほど、わらわに届いた言葉は、そなたのものか?」


 テンカが問うと、エリシアは少しだけ目を細めた。


「どの言葉のことでしょう」

「『退屈は、しなさそうですわね』、というやつじゃ」

「まあ」


 エリシアは口元に手を添えた。

 驚いたふりにしては、目がまったく驚いていない。


「届いておりましたの?」

「聞こえたのか、唇を読んだのか、わらわにも分からぬ」

「では、北方の冷気が運んだのかもしれませんわね」

「便利な冷気じゃな」

「ええ。北では、長すぎる祝辞を半分ほど凍らせておくのにも使いますの」


 真顔で言う。

 冗談なのか本気なのか、少し分かりにくい。


 テンカは一拍置いてから、ふっと笑った。


「半分か。全部ではないのじゃな」

「全部凍らせると、あとで叱られますもの」

「それはそうじゃ」


 キリカが背後で、ごく小さく息を吐いた。

 おそらく、今の会話をどう判断すべきか迷っているのだろう。


 礼儀としては失礼ではない。

 だが、初対面の貴族令嬢同士の会話としては、少しばかり妙な方向へ進んでいる。


 エリシアはそんなキリカの反応にも気づいているらしい。

 ほんの少しだけ視線を向け、それからすぐにテンカへ戻した。


「あなた、本当に妙な方ですわね」

「初対面でそれを言うのか」

「褒めていますのよ」

「北方では、妙という言葉で人を褒めるのか?」

「少なくとも、わたくしはそう使いますわ」

「なるほど。それなら、悪くはない」


 テンカがそう答えると、エリシアの瞳にわずかな興味の色が増した。


「あなたは、ご自分のことをどう思っていらっしゃるの?」

「どう、とは?」


「黒き鬼を斬った姫さま。東方の術を扱うハヅキのご令嬢。刀匠ムネチカが新たに太刀を打った才ある少女。周囲がそう語るあなたを、あなた自身はどう見ているのかしら」

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