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ハヅキ辺境伯家の五行姫  作者: あの夏と勇者
第3章 継火と氷華
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氷華は北より来たる②

「わらわは、何をすればよいのですか」

「難しいことではありません。ハヅキ辺境伯家の娘として、場に立ちなさい」

「それが難しいのでは?」

「テンカ」

「はい」

「武人として刀を振るうより、令嬢として人前に立つ方が難しい時もあります」


 令嬢。

 噂の中では、テンカはすでに「ハヅキの姫さま」と呼ばれている。


 けれど、皇国貴族の席に立てば、そこにいるのは他家の者たちから見たハヅキ辺境伯家のご令嬢だ。

 親しげな呼び名ではなく、家名と立場を背負った呼び名。


 継火を握る手なら、少しずつ分かってきた。

 火を留める稽古も、まだ未熟ながら続けている。


 だが、ハヅキ辺境伯家の令嬢として立つ。

 それは、刀を抜くのとは違う難しさがある気がした。


「……わらわは、そこまで見られておるのか」

「すでに見られています」


 コトネは言った。


「だからこそ、こちらも相応に整えなければなりません」


 テンカは黙って、腰の継火へ意識を向けた。

 戦場であれば、斬るべきものを見定めればいい。


 だが、これから立つのは、刀を抜かぬ場だ。

 そこで何を見られ、何を測られるのか。

 それを考えるだけで、継火の重みとは別のものが、肩にのしかかる気がした。


 トウマが静かに一歩前へ出る。


「当日は、領内の有力者だけでなく、中央寄りの家からも使者が参ります。純粋な祝意だけではなく、探りもあると見てよいでしょう」

「探り」

「テンカ様の実力、継火の存在、ハヅキ家の方針。それらを見極めたい者がいます」

「直接聞いてくれればよいものを」

「直接聞かずに探るのが貴族の礼儀と考える方もおりますので」

「面倒じゃな」

「ええ、面倒です」


 トウマが真顔で答えた。


 そのあまりの即答に、テンカは少しだけ笑いそうになった。


「ただし、全員が敵というわけではありません」


 トウマは続ける。


「友好的な家もあります。たとえば、北方のフロストレイン侯爵家」

「フロストレイン?」

「氷魔術の名門です。今回は令嬢を伴って来訪するとのこと」

「令嬢?」


 テンカは首を傾げた。


「同じくらいの年頃なのですか」

「おそらくは」


 コトネが答える。


「名は、エリシア=フロストレイン。北方でも氷魔術の才を高く評価されている令嬢だそうです」

「氷魔術」


 テンカの目が少しだけ輝いた。

 火行や水行とは違う、属性魔術としての氷。

 それも北方名門の令嬢が扱うとなれば、興味が湧かないはずがない。


「その者も来るのか」

「ええ」


 トウマが頷く。


「フロストレイン家からの書状には、テンカ様に一度お目にかかりたい、という文言もありました」

「わらわに?」

「はい。黒き鬼を斬った『ハヅキの姫さま』に、令嬢ご本人も関心を示されているようです」

「……それはまた、随分と見られておるのう」


 テンカは継火の柄を軽く撫でた。


 まだ会ったこともない北方の令嬢が、自分に興味を持っている。

 それは少し不思議で、少し落ち着かない。


「どのような娘なのじゃ」

「会えば分かります」

「母上、そういう返しは少しずるい」

「事前に決めつけてはなりません」

「む」


 たしかに、それはそうだった。


 テンカはまだ見ぬ令嬢の姿を想像する。

 氷魔術の才を持つ、北方の名門侯爵家の令嬢。


 雪のように冷たい目をしているのだろうか。

 それとも、貴族令嬢らしく優雅に微笑むのだろうか。

 どちらにしても、饅頭の話が通じるかは分からない。


「テンカ」

「はい」

「今、何を考えていましたか」

「……氷魔術とは、どのようなものかと」


 嘘ではない。

 半分は。


 キリカの視線が、横から刺さった。


「姫さま」

「何じゃ」

「もう半分は?」

「……菓子の趣味が合うかどうかじゃ」


 執務室に、わずかな沈黙が落ちた。


 アルバートが肩を震わせている。

 トウマは眼鏡の位置を直した。

 コトネは目を閉じ、静かに息を吐く。


「テンカ」

「はい」

「報告会は、菓子を食べに行く場ではありません」

「承知しております」

「本当に?」

「……努力します」

「努力では困ります」

「では、善処します」


「同じです」


 キリカが小さく頷く。


「姫さま、わたしも当日は側に控えます」

「それは心強いが、少し監視に近くないか?」

「護衛です」

「本当か?」

「護衛です」


 テンカは疑わしげにキリカを見た。

 だが、キリカの表情は揺らがない。


 コトネは机の上から別の書状を取り、テンカへ向けた。


「当日の衣装も整えます」

「衣装?」

「ええ。継火を佩くことを前提にした、ハヅキ家の礼装です」


 テンカの眉がぴくりと動いた。


「継火を佩いてよいのですか」

「佩きなさい」


 その言葉は、思っていたよりもはっきりとしていた。


「あなたを、噂の中の『ハヅキの姫さま』として見せるのではありません。ハヅキ辺境伯家の娘として、そして継火を佩く武人として見せます」


 テンカは黙った。


 腰の継火が、静かに重みを返している。


 ハヅキ辺境伯家の娘。

 継火を佩く武人。


 そのどちらも、自分なのだろうか。

 まだ少し、実感は薄い。


 けれど、逃げるわけにはいかない。

 黒き鬼を斬った噂が広がったのなら。

 継火を佩いた姿を見られるのなら。


 そこに立つ自分が、噂に負けるわけにはいかない。


「分かりました、母上」


 テンカは静かに頷いた。


「わらわは、ハヅキの姫としてその場に立ちます」


 コトネは、ほんのわずかに目を細めた。


「よろしい」

「ただし」


 テンカは少しだけ真剣な顔で続けた。


「北方の令嬢を迎えるなら、菓子の用意は慎重にした方がよいと思います」

「菓子、ですか」


 コトネの声が、わずかに低くなる。

 キリカの視線も、横から静かに刺さった。


「誤解するでない。これは大事な話じゃ」

「どのあたりがでしょう」

「客人をもてなす席で出す菓子は、ハヅキ領の印象にも関わる。まして相手は北方の名門侯爵家の令嬢であろう。ならば、まずはハヅキの菓子で心を掴むのも一手ではないか?」


 テンカは堂々と言い切った。


 アルバートが、とうとう小さく笑う。


「それは一理あるね」

「父上は分かっておられる」

「たしかに、ハヅキ領の甘味は良い話題になるかもしれない。テンカの目は厳しいから」

「そうじゃろう」

「ですが」


 コトネが静かに言った。


「あなたが食べたいだけではありませんね?」

「……少しだけです」

「少しはあるのですね」

「確認は必要じゃ」

「試食と言い換えても駄目です」

「む」


 テンカが唇を尖らせると、キリカが小さく笑った。

 執務室の空気が、わずかに柔らかくなる。


 それでも、机の上には多くの書状が残っている。

 噂は、すでに動き出している。


 中央からの視線。

 領内貴族の好奇。

 北方の令嬢。


 それらが、これからテンカの前に現れる。


 テンカは継火の柄にそっと触れた。

 これは、戦場ではない。

 けれど、立たねばならない場だ。


 刀を抜くためではなく。

 ハヅキの姫さまと呼ばれる者として、人々の前に立つために。


 その日、テンカは初めて知った。

 継火を佩くということは、ただ武器を得ることではない。


 その重みごと、人々の視線を受けるということなのだと。

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