表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ハヅキ辺境伯家の五行姫  作者: あの夏と勇者
第3章 継火と氷華
38/126

氷華は北より来たる①

 継火を佩くようになってから、ひと月近くが過ぎた。

 その間、テンカは毎朝のように継火を手に取り、抜き、振り、納める稽古を続けていた。


 屋敷の鍛錬場には、朝の澄んだ空気が流れている。

 テンカは黒い鞘の太刀を腰に佩き、静かに息を整えていた。


 継火。

 刀匠ムネチカが打った、新しい太刀。


 砕けた刀の欠片を継ぎ、火喰い鋼と霊水石を用いて打たれたその一振りは、テンカの腰に不思議なほど自然に収まっている。


 だが、自然だからといって、使いこなせているわけではない。


「ふっ」


 短く息を吐き、テンカは一歩踏み込んだ。


 鞘から刃が抜ける。

 黒い鞘から現れた刀身が、朝の光を淡く返した。


 振り抜く。

 戻す。

 納める。


 動きは、まだ遅い。

 速さよりも、乱れないことを意識する。


 火を巡らせるわけではない。

 ただ、刀を抜き、振り、戻し、納める。


 それだけの動作が、以前よりもずっと重く感じられた。

 継火は、ただ斬るための太刀ではない。


 帰るための太刀だ。

 そう思うたびに、テンカの手の内も、足の運びも、少しだけ慎重になる。


「姫さま」


 鍛錬場の端に控えていたキリカが声をかけた。

 今日もアッシュブラウンの髪をきちんとまとめ、隙のない立ち姿である。


「今の納刀、少しだけ急がれました」

「む。分かるか」

「分かります」

「そなた、最近ますます厳しくなっておらぬか」

「姫さまが継火を佩くようになられましたので」

「理由になっておるような、なっておらぬような」

「なっています」


 きっぱりと言い切られ、テンカは小さく唸った。


 だが、言い返しはしなかった。

 キリカが見ているのは、テンカを止めるためだけではない。


 テンカが倒れずに戻るためだ。

 それが分かるようになった分だけ、少しだけ反論しにくくなった。


「もう一度じゃ」


 テンカは再び継火の柄に手を添える。


 その時だった。


 鍛錬場の入り口に、屋敷のメイドが姿を見せた。


「テンカ様。当主様がお呼びです」

「母上が?」

「はい。執務室へお越しくださいとのことです」


 テンカはキリカを見る。


 キリカもわずかに首を傾げた。


「何かしたかのう」

「心当たりがあるのですか」

「ない。ないはずじゃ」

「では、堂々となさればよいかと」

「それはそうなのじゃが、母上に呼ばれると何かしら身構えるのう」


 そう言いながらも、テンカは継火をきちんと納めた。

 黒い鞘が、かちりと静かに音を立てる。


 その音を聞いてから、テンカは執務室へ向かった。

 ハヅキ辺境伯家の執務室には、何通もの書状が並べられていた。


 机の前にはコトネが座っている。

 艶やかな黒髪を結い上げ、背筋を伸ばした姿は、母である前にハヅキ辺境伯家の当主だった。


 その隣にはアルバート。

 そして、少し離れた位置に、銀縁の眼鏡をかけた細身の男――滅魔旅団副長トウマが控えている。


「来ましたか、テンカ」

「はい、母上」


 テンカは一礼する。

 キリカもその後ろで頭を下げた。


「稽古中に呼び立ててしまいましたね」

「問題ありませぬ」


 テンカはちらりと机の上を見る。


 いくつもの封蝋。

 見慣れぬ紋章。

 丁寧に開かれた書状。


 ただの家中の用件ではないことくらいは、さすがに分かる。


「何かあったのですか」


 コトネは一通の書状を手に取った。


「あなたの噂が、思ったより早く広がっています」

「わらわの噂?」

「黒き鬼を斬ったハヅキの姫さま。刀匠ムネチカが新たに太刀を打った辺境伯家のご令嬢。東方の術を扱うハヅキ家の次女」


 並べられる言葉に、テンカは少しだけ眉を寄せた。


「……随分と大げさじゃな」

「噂とは、そういうものです」


 コトネは淡々と言った。


「あなたが恐れたこと。刀が砕けたこと。倒れて戻ったこと。そうしたものは、都合よく削られます」

「残るのは、分かりやすい武勇譚だけ、ということか」

「ええ」


 テンカは継火の柄にそっと触れた。

 黒き鬼を斬ったことは、事実だ。


 けれど、あれは自分ひとりの武勇ではない。

 キリカがいた。サイゾウがいた。第三討伐隊がいた。

 母の教えがあった。

 砕けた刀が、最後まで火を通してくれた。


 それらすべてがあって、ようやく戻ってこられたのだ。


「わらわひとりの手柄ではない」

「そのように理解しているのなら、よろしい」


 コトネの声は静かだった。

 だが、どこか安堵が混じっているようにも聞こえた。


 アルバートが柔らかく微笑む。


「ただ、外の人たちはそこまで丁寧には見てくれないからね」

「面倒じゃな」

「貴族社会は、だいたい面倒なものだよ」

「父上が言うと説得力があるのう」

「僕はハヅキ家に婿入りした身だからね。最初はずいぶん見られたよ」


 アルバートは苦笑した。


 コトネが小さく咳払いをする。


「本題に入ります」

「はい」

「近く、領内貴族と有力商会を招いた報告会を開きます。名目は、大魔境周辺の状況報告と交易路の確認です」

「報告会ですか」

「ええ。中央からの使者も数名、顔を出す予定です」


 テンカは嫌な予感がした。

 こういう時の嫌な予感は、だいたい当たる。


「まさか、わらわも出るのですか」

「出ます」


 即答だった。


 テンカは思わずキリカを見た。

 キリカは涼しい顔をしている。


 どうやら驚いていない。


「キリカ、知っておったのか」

「今、知りました」

「本当か?」

「本当です。ただ、いずれそうなるだろうとは思っておりました」

「そなたまで」


 テンカは唸った。


 コトネは机の上の書状を整えながら続ける。


「あなたを隠し続けることはできません。むしろ、噂だけが先に走る方が危うい」

「だから、姿を見せると」

「ええ。噂に振り回されるのではなく、こちらから形を与えます」


 テンカは黙った。


 噂の中の「ハヅキの姫さま」。

 そして、これから人前に立つハヅキ辺境伯家の娘。


 どうやら継火を佩いた自分は、もう屋敷の中だけにいられる存在ではないらしい。

 刀を抜かぬ場で、何を見られ、何を測られるのか。


 その時のテンカには、まだ分からなかった。

評価やブックマークで応援いただけると、執筆の励みになりますのでよろしくお願いいたします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ