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ハヅキ辺境伯家の五行姫  作者: あの夏と勇者
第2章 刀匠と継ぎ火
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継火

 ムネチカから使いが来たのは、昼を少し過ぎた頃だった。


 ――太刀を見ていただきたい。


 その一言だけで、テンカの胸は大きく跳ねた。


 領都北の山裾にある鍛冶場へ向かう道すがら、テンカは何度も足を速めかけた。

 そのたびに、隣を歩くキリカの視線が向く。


「姫さま」

「分かっておる」

「まだ何も申し上げておりません」

「急ぐな、であろう」

「はい」

「分かっておると言うた」

「では、歩幅をお戻しください」

「む」


 テンカは不承不承、歩く速さを落とした。


 気が急く。


 それは仕方がない。

 砕けた刀の欠片を炉へ託した日から、どれほどこの時を待っていたことか。


 火喰い鋼。

 霊水石。

 砕けた刃。


 それらがどう形を変えたのか。

 自分の手に戻ってくるのか。

 考えるだけで、胸の奥が熱くなる。


「楽しみなのですね」


 キリカが静かに言った。


「当然じゃ」


 テンカは即答した。


「わらわの太刀じゃぞ」

「はい」

「それに、あの刀の欠片も継がれておる」

「はい」

「ならば、急ぎたくもなる」

「お気持ちは分かります」

「では」

「歩幅はお戻しください」

「厳しいのう」

「姫さまのためです」


 いつもの言葉だった。

 けれど、テンカは少しだけ笑った。


 それを言われて腹を立てることは、以前より減った気がする。

 心配されることも、止められることも、ただ窮屈なだけではないと知ったからだ。


 鍛冶場に着くと、槌音は聞こえなかった。

 いつもなら低く響いている音が、今日はない。

 その静けさが、かえって胸を高鳴らせる。


 ムネチカは鍛冶場の奥、作業台の前で待っていた。

 灰色の髪には煤が混じり、腕にはまだ作業の熱が残っているようだった。


 しかし、その表情は静かだった。


「来られましたか」

「うむ」

「お待ちしておりました」


 作業台の上には、白い布に包まれた長いものが置かれている。


 テンカは息を呑んだ。


 まだ見えていない。

 布に包まれているだけだ。


 それなのに、そこに何があるのか、身体が先に分かっているような気がした。


「ムネチカ」

「はい」

「それが」

「ええ」


 ムネチカは布の前に立ち、深く一礼した。


「姫さまの太刀です」


 その言葉だけで、テンカの指先が少し震えた。

 キリカが隣で静かに息を止める気配がする。


 ムネチカはゆっくりと布を解いた。


 まず見えたのは、黒い鞘だった。


 深い黒。


 ただの黒ではない。

 光を受けると、わずかに赤みを帯びるような、奥行きのある黒だった。


 鞘には、細い緋の線が一筋だけ走っている。

 派手ではない。

 だが、目を離せない。


 そして鞘口と鍔の内側には、よく見なければ分からないほど細い五色の意匠が忍ばされていた。


 木。

 火。

 土。

 金。

 水。


 それぞれの色が主張しすぎることなく、黒の奥に静かに息づいている。


「……綺麗じゃな」


 テンカは思わず呟いた。


 可愛いでも、派手でもない。

 凛としている。

 それでいて、どこか温かい。


「黒を基調に、緋を一筋。五行の色は、鞘口と鍔の内側へ控えめに入れてあります」


 ムネチカは説明する。


「姫さまが五行を巡らせた時、わずかに浮かぶよう術式を組みました。普段は目立ちませぬ」

「飾りではなく、術式なのじゃな」

「もちろんです。飾りだけの意匠は、姫さまには重すぎましょう」

「それは、わらわが飾りをつけすぎると言っておるのか?」

「言っておりませぬ」

「本当か?」

「半分ほど」

「ムネチカ」


 ムネチカは真面目な顔のまま、ほんのわずかに口元を緩めた。

 キリカも、目元だけで笑っている。


 テンカは咳払いをした。


「それで、刀身は」

「はい」


 ムネチカは、太刀を両手で持ち上げた。

 そして、ゆっくりと鞘から抜く。


 音は静かだった。


 抜かれた刀身が、鍛冶場の光を受ける。

 テンカは呼吸を忘れた。


 刃は、白く澄んでいた。


 だが、ただ白いだけではない。

 鋼の奥に、淡い緋色が眠っているように見える。

 刃文は、波のようにゆるく揺れ、その際に青白い光がほんの一瞬だけ走った。


 火と水。


 相反するはずの二つが、刃の中で静かに寄り添っている。


「火喰い鋼を芯に、霊水石の水気を術式へ通しました」


 ムネチカの声は低い。


「砕けた刃の欠片は、刀身の内へ継いであります。表に見えるものではありませんが、確かにここにある」


 テンカは刀身を見つめた。


 あの刀は、もうない。

 けれど、消えたわけではない。

 形を変えて、ここにいる。


「そなたは……」


 テンカは小さく呟いた。

 言葉が続かなかった。

 キリカも何も言わない。


 ムネチカは、太刀をテンカへ差し出した。


「お持ちください」


 テンカは両手を伸ばした。


 受け取った瞬間、ずしりとした重みが掌に返ってくる。

 

 軽くはない。

 だが、重すぎない。


 手元に重心がある。

 振るためだけではなく、振った後に戻すための重さ。

 握っただけで、それが分かった。


「……手に戻る」


 テンカは呟いた。


「ほう」


 ムネチカが目を細める。


「分かりますか」

「うむ。前へ行きすぎぬ。手の内へ、きちんと収まる感じがある」

「それが姫さまの望まれたものです」


 帰るための刀。


 その言葉が、胸の奥に静かに落ちる。

 テンカは太刀を構えた。


 大きく振るわない。

 ただ、ゆっくりと型をなぞる。


 刃が空を動く。

 手首を返す。


 切っ先が流れず、戻る。

 袖が遅れて揺れた。


 身体が前へ残らない。

 刀が、帰る先を知っている。


「……すごいのう」


 テンカは素直に言った。


「ようやく太刀として整ったところです」

「これでか?」

「ええ。仕上げは終えておりますが、姫さまの手に合わせる調整はこれからも必要になりますな」

「十分すごいぞ」

「それは光栄です」


 ムネチカは淡々と答えたが、その目はわずかに嬉しそうだった。


 キリカが一歩前へ出る。


「姫さま。火行は」

「分かっておる。全力では巡らせぬ」

「少しでも異常があれば止めます」

「うむ」


 テンカは太刀を正面に構えた。


 火行を巡らせる。

 ほんの一筋だけ。

 腹の底に沈む赤い熱へ、そっと触れる。


 以前なら、その熱はすぐに膨らもうとした。

 だが今は、水行を添える。

 火を消さず、押さえつけず、輪郭をなぞる。


 そして、刃へ通す。


 太刀が、応えた。

 刀身の奥に、緋色の筋が走る。

 同時に、青白い光がその輪郭をすっと縁取った。


 鞘口と鍔の内側に忍ばされた五色の意匠が、淡く浮かび、ほんの一瞬だけ、五行が刃の周りに巡った。

 熱は跳ね返らない。

 手の内で暴れない。


 刃先へ走った火は、水に縁取られ、鋼に受け止められ、静かに収まった。


「……収まった」


 テンカは息を呑む。


 前へ流れるだけではない。

 暴れて砕けるだけでもない。

 火が、刀の内に収まっている。


 キリカが小さく息を吐いた。

 ムネチカは、じっと刀身を見ている。


「どうじゃ」


 テンカが問うと、ムネチカはゆっくり頷いた。


「悪くありませぬ」

「悪くない、か」

「刀匠がそう言う時は、かなり良いという意味です」


 キリカが静かに補足した。


「そうなのか?」

「そうです」


 ムネチカは否定しなかった。


「ですが、見るだけでは足りませぬな」


 ムネチカは弟子へ目配せした。


 すぐに、鍛冶場の端に置かれていた太い青竹が運ばれてくる。

 試し台の上に据えられた青竹は、大人の腕ほどの太さがあった。


「これを?」

「はい。刃筋を見るには十分です」


 テンカは太刀を握り直した。


 青竹を前にすると、胸の奥が少しだけ静かになる。


 斬る。

 ただし、斬るためだけではない。


 振った後に戻る。

 火を通す。

 けれど、火に呑まれない。


 テンカは息を吸い、刃にほんのわずかな火行を乗せた。


 緋色が走る。

 水行がその輪郭を整える。


 足を運ぶ。

 踏み込む。

 振り抜く。


 音は、ほとんどなかった。


 青竹が斜めにずれ、遅れて二つに分かれる。

 切り口は焼け焦げていない。


 ただ、薄い湯気のようなものが立ち、断面に青白い光が一瞬だけ揺れた。


 テンカは振り抜いた太刀を、そのまま手の内へ戻した。

 身体は前に流れていない。

 火も、跳ねていない。


「……斬れた」


 テンカは呟いた。


 ムネチカが青竹の断面を確かめる。

 指で軽くなぞり、低く唸った。


「よろしい」

「よろしい、か」

「ええ。刃は通っております。火も暴れておりませぬ。水気も効いている」


 ムネチカは振り返り、深く頷いた。


「これが、姫さまの太刀です」


 その言葉が、静かに鍛冶場へ落ちた。


 テンカは太刀を見た。

 手の中にある重み。

 刃に宿る緋色。

 その輪郭を縁取る青白い光。


 あの刀の欠片が継がれ、自分の火を受け、今ここにある。


「姫さま。名を」

「名?」

「この太刀の名です」


 テンカは太刀を見つめた。


 名。


 そう問われた瞬間、胸の奥に浮かぶものは一つだった。

 自分の火を知り、形を変え、ここへ戻ってきたもの。

 終わりではない。


 受け継がれた火。


「継火」


 テンカは静かに言った。


「名は、継火(つぎび)じゃ」


 作業場に、しんとした沈黙が落ちた。


 ムネチカが深く頷く。


「よい名ですな」

「そうか」

「はい。砕けた刃の火を継ぎ、姫さまの火を受け、次へ繋ぐ。よい名です」


 キリカも、穏やかに微笑んだ。


「姫さまらしい名です」

「そう言われると、少し照れるのう」


 テンカはそう言いながらも、太刀から目を離せなかった。

 名を得た太刀は、手の中で静かに重みを返している。

 まるで、自分の名を聞き届けたかのように。


 ムネチカは改めて姿勢を正した。


「本日より、この太刀は姫さまの佩刀(はいとう)です」


 その言葉に、テンカは顔を上げた。


「持ち帰ってよいのか」

「もちろんです」

「……本当に?」

「本当に」


 ムネチカは少しだけ目を細めた。


「帰るための刀を、ここに置いたままでは本末転倒ですからな」


 テンカは一瞬だけ言葉を失い、それから小さく笑った。


「それもそうじゃ」


 ムネチカは継火を鞘へ納め、両手でテンカへ差し出した。


 テンカもまた、両手で受け取る。


 黒い鞘。

 緋の一筋。

 奥に忍ぶ五行の色。


 そして、その内に継がれた火。


 テンカは継火を腰に()いた。

 新しい重みが、身体の横に落ち着く。


 不思議と、初めての重さではない気がした。

 砕けた刀の欠片がここにあるからだろうか。

 それとも、この太刀が最初から帰る場所を知っているからだろうか。


「ムネチカ」

「はい」

「見事な太刀じゃ」


 ムネチカは深く頭を下げた。


「ありがたきお言葉」

「これで、わらわはもっと強くなる」

「ええ」


 ムネチカは静かに頷いた。


「ですが、刀が姫さまを強くするのではありませぬ。姫さまが強くなる道を、この太刀が支えるのです」

「分かっておる」


 テンカは継火の柄にそっと触れた。


「歩くのは、わらわ自身じゃ」


 キリカが隣で静かに頭を下げる。


「その道には、わたしもお供いたします」

「うむ。頼りにしておる」

「はい、姫さま」


 鍛冶場の外へ出ると、夕暮れの風が頬を撫でた。


 槌音はもう聞こえない。

 けれど、腰には確かな重みがある。


 緋色の火は、もう暴れるだけのものではなかった。

 水に縁取られ、鋼に受け止められ、テンカの手の中へ戻ってくる。

 帰るための一振り。


 その名は、継火。

継火はいわゆる打刀ではなく、太刀のイメージです。


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