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ハヅキ辺境伯家の五行姫  作者: あの夏と勇者
第2章 刀匠と継ぎ火
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帰るための刀

 ムネチカから呼び出しがあったのは、継ぎ火の炉を見届けた翌日のことだった。


 場所は、前と同じく領都北の山裾にある鍛冶場。

 ただし、今日は炉の前ではなく、鍛冶場の奥にある小さな作業部屋へ通された。

 壁には、鍔や柄巻きに使う紐、鞘に用いる木材、金具の見本が並んでいる。


 部屋の中央には低い机。

 その上には、一枚の図面が広げられていた。

 まだ刀の姿ではない。


 刀身の長さ。

 反り。重心。鍔の形。

 鞘に刻む術式の位置。


 細かい線が幾重にも引かれ、ところどころにムネチカの字で書き込みがある。


「姫さまに、決めていただきたいことがあります」


 ムネチカはそう言った。

 テンカは思わず首を傾げる。


「わらわに?」

「はい」


 ムネチカは、図面の端を太い指で押さえた。


「火喰い鋼、霊水石、砕けた刃の欠片。材料は揃い始めております。刀身の方針も見えてきました。ですが、最後に決めねばならぬことがある」

「最後?」

「姫さまが、その刀に何を望むかですな」


 テンカは黙った。

 何を望むか。


 テンカは図面へ視線を落とした。


 紙の上には、まだ名を持たない太刀の線が引かれている。

 その細い線を見ていると、胸の奥に沈んでいたものが、ゆっくりと浮かび上がってくるようだった。


 強い刀。

 折れにくい刀。

 火行に耐える刀。


 どれも必要だ。

 けれど、それだけでは足りない。


 ムネチカが聞いているのは、おそらく違う。

 テンカが黙っていると、ムネチカが図面の上に太い指を置いた。


「強い刀なら、打ちます。折れにくい刀も目指しましょう。火行に耐える刀にするため、火喰い鋼も使います」


 そこで、ムネチカは顔を上げた。


「ですが、それは刀の働きの話ですな」

「刀の、働き」

「はい。私が聞きたいのは、姫さまがその刀で何を斬るかではありませぬ」


 ムネチカは、図面の上に置いた指を静かに動かした。


「その刀を振るった後、どこへ戻りたいかです」


 問いは静かだった。


 だが、胸の奥にすとんと落ちてくる。

 刀を振るった後、自分はどこへ戻りたいのか。


 黒き鬼を斬るため。

 大魔境の魔物を討つため。

 ハヅキ領を守るため。


 答えはいくつも浮かんだ。

 けれど、どれも少しだけ遠い。


 テンカの胸に残っていたのは、黒き鬼を斬った瞬間ではない。


 砕けた刀を抱えて戻った時の重さ。

 目元を赤くしたキリカ。

 泣きそうな顔で手を握ったレイナ。


 そして、母の言葉。


 ――次は、倒れずに戻りなさい。


 テンカは静かに息を吐いた。


「わらわは」


 言葉がゆっくりと形になる。


「斬りたいわけではない」


 ムネチカは何も言わない。

 キリカも、テンカの隣で静かに控えている。


「いや、斬らねばならぬ時はある。大魔境の魔物が来れば、刀を抜かねばならぬ。黒き鬼のようなものが現れれば、わらわはきっとまた斬る」


 テンカは、図面の上に置かれた線を見つめた。


「だが、斬って終わりではないのじゃ」


 黒き鬼は倒した。

 けれど、戦いはそこで終わらなかった。

 砕けた刀を抱えて戻り、火行の危うさを知り、母に叱られ、姉を泣かせた。

 戦いは、斬った瞬間だけで終わるものではない。


「わらわは、帰りたい」


 その言葉を口にした瞬間、テンカ自身が少し驚いた。

 けれど、不思議と違和感はなかった。


「斬って、守って、それで倒れるのではなく。ちゃんと立って戻りたい。キリカのところへ。母上と父上のところへ。姉上に手紙を書ける場所へ」


 キリカが、小さく息を呑んだ気配がした。

 テンカは続ける。


「だから、わらわが欲しいのは、敵を斬るためだけの刀ではない」


 顔を上げる。

 ムネチカと目が合った。


()()()()()()じゃ」


 作業部屋が静まり返った。


 炉の音が、遠くから聞こえる。

 低く、重い音。

 ムネチカはしばらく黙っていた。


 やがて、ゆっくりと頷く。


「帰るための刀、ですか」

「変か?」

「いいえ」


 ムネチカは首を横に振った。


「生きて帰ることほど、難しいことはありませぬ」


 その声は、いつもより少しだけ重かった。


「刀は斬る道具です。ですが、斬るだけならば、まだ易い。斬った後に立っていること。守った者のもとへ戻ること。次もまた刀を取れること。それは、強さだけでは届かぬところにあります」


 ムネチカは図面に視線を落とした。


「なるほど。姫さまが求めるのは、勝つための刀ではなく帰るための刀ですか…」

「勝たぬわけにはいかぬぞ」

「もちろんです。負けては戻れませぬからな」

「うむ」


 テンカが頷くと、ムネチカは少しだけ笑った。


「難しい注文です」

「またそれか」

「ええ。ですが、悪くありませぬ」


 ムネチカは筆を取り、図面の端へ何かを書き込んだ。


 テンカには読めない。

 だが、その筆先が迷っていないことだけは分かった。


「では、刀身は少し重心を手元に寄せましょう。姫さまの体格で振り切るためではなく、振った後に戻せるために」

「戻せるため?」

「はい。強く斬るだけなら、前へ重くしてもよい。ですが、姫さまの望みは違う。斬った後、次の一手へ戻れる刀でなければなりませぬ」


 ムネチカの指が、図面の線をなぞる。


「火行を通す時も同じです。火を前へ押し出すだけではなく、余熱を逃がし、使い手へ跳ね返らぬようにする。霊水石の水気は、鞘と鍔の術式にも回します」

「鞘にも?」

「ええ。抜いた時だけではなく、納める時にも意味があります。火を振るった後、きちんと納められること。それも帰る刀には必要でしょう」


 テンカは思わず息を呑んだ。


 抜くための刀。

 斬るための刀。

 それだけではない。


 納めるための刀。


 その考え方が、胸に残った。


「刀を納めることも、帰ることなのじゃな」

「そうですな」


 ムネチカは頷いた。


「抜くより、納める方が難しい時もあります」


 その言葉に、テンカは母の教えを思い出す。


 ――斬るべき時にのみ、刀を抜きなさい。


 ならば、抜いた刀を納めることもまた、学ぶべきことなのだろう。

 キリカが静かに口を開いた。


「姫さまらしい刀になるのですね」

「そうか?」

「はい」


 キリカは微かに微笑んだ。


「姫さまは、前へ出ます。ですが、戻ってこようともなさいます。だから、帰るための刀というのは、とても姫さまらしいと思います」


 真正面からそう言われると、少し照れる。


 テンカは咳払いをした。


「そう言われると、悪くないのう」

「悪くありません」

「では、見た目も少し格好良くしたい」


 キリカの表情が、すっと整った。


「実用性が優先です」

「分かっておる。だが、格好良さも重要じゃ」

「重要でしょうか」

「重要じゃ。武人たるもの、己の刀には誇りを持たねばならぬ」

「誇りと装飾は別では?」

「ぐぬ」


 ムネチカが小さく笑った。


「多少ならば、意匠も入れられますな」

「本当か!」

「ただし、重くならぬ範囲で」

「うむ。そこは任せる」

「色味はどうされますかな」

「黒がよい」


 テンカは即答した。


「黒き鞘に、緋を少し。だが、派手すぎぬように」

「黒と緋ですか」

「わらわの髪と、火行の色じゃ」


 言ってから、少しだけ気恥ずかしくなる。

 だが、ムネチカは真面目に頷いた。


「よろしいかと。黒は姫さまの髪に、緋は火行に通じる。ならば、他の四行も隠し意匠として入れましょう」

「隠し意匠?」

「はい。木、火、土、金、水。それぞれを示す色を、鞘と鍔の内側に細く巡らせます。普段は目立たず、五行を巡らせた時にだけ、淡く浮かぶ程度に」

「それは……よいな」


 テンカは思わず身を乗り出した。


「ですが、見えすぎてはなりません。姫さまの太刀は飾りではない。黒を基調に、緋を一筋。そして奥に、五行の色を忍ばせる」

「ふむ。控えめでありながら、わらわらしい」

「そのように打ちましょう」

「任せる」


 ムネチカは図面に線を加えていく。


 その横顔は楽しそうだった。

 難しいと言いながら、やはり難しいものほど燃える職人なのだろう。


 しばらくして、ムネチカは筆を置いた。


「これで方針は定まりました」

「もうよいのか?」

「ええ。刀身は、帰るために。拵えは、姫さまが誇りを持てるように。術式は、火を受け、水で鎮め、五行の巡りを邪魔しないように」


 ムネチカは図面を見下ろした。


「まだ形はありません。ですが、行き先は決まりました」


 行き先。

 その言葉が、テンカの胸に残る。


 黒き鬼を斬ってから、目まぐるしい日々が続いていた。

 砕けた刀と向き合い、火行の危うさを知り、素材を集め、稽古を始めた。

 それらは後始末のようでいて、少しずつ次へ進むための道でもあった。


 新しい刀だけではない。

 テンカ自身もまた、少しずつ形を変えようとしている。


「ムネチカ」

「はい」

「その刀ができたら、わらわはもっと強くなれるか?」


 ムネチカはすぐには答えなかった。


 少し考え、それから首を横に振る。


「刀が姫さまを強くするのではありませぬ」

「む」

「刀は、姫さまが強くなるための道を作るだけです。歩くのは、姫さまご自身ですな」


 厳しい。

 だが、嫌ではなかった。


「ならば、歩く」


 テンカは静かに言った。


「何度でも稽古して、火を留め、水を巡らせ、刀を振るう。ちゃんと帰るために」

「よいお覚悟です」


 ムネチカは深く頷いた。

 キリカも、隣で静かに頭を下げる。


「その時は、わたしもお供いたします」

「うむ。頼りにしておる」

「はい、姫さま」


 ムネチカは図面を丁寧に巻き、紐で結んだ。


 そして、作業部屋の向こうにある炉へ視線を向ける。

 そこではまだ、名もなき鋼が火を待っている。


「では、打ちましょう」


 ムネチカは低く告げた。


「姫さまが、帰るための一振りを」


 炉の奥で、炭が小さく爆ぜた。

 火はまだ、刀の形を持たない。


 けれど、その行き先は決まった。


 斬るためだけではなく。

 守り、納め、そして帰るために。


 その一振りは、少しずつ姿を得ようとしていた。

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