五行の才
前話のように①と②に分割しようか悩みましたが、一旦この長さで投稿してみます。
夢を見ていた。
それは、テンカ=ハヅキとしての夢ではなかった。
暗い部屋に安物の椅子。
机の上には、空になった缶コーヒーと、冷めきったコンビニ弁当があり、画面の中では、黒髪の少女が刀を構えている。
長い黒髪。
白と緋を基調にした巫女装束。
腰に佩いた日本刀。
年若くも気位の高そうな顔立ち。
名前は、テンカ。
自分が作ったセカンドキャラで、メインキャラに飽きたわけではない。
ただ、少し違う遊び方をしてみたくなったのだ。
効率ではなく、雰囲気重視。
強さではなく、なりきり重視。
古風な姫武者で、一人称は『わらわ』
東方の名家に生まれた、刀と五行を操る黒髪の少女。
設定だけはやたらと作り込んだ。
仕事で疲れ果てた夜に誰に見せるでもないキャラ設定を眺めながら、画面の中の少女に喋らせた。
『案ずるでない。わらわが斬る』
痛い。
正直、かなり痛い。
40歳のおじさんが何をやっているのか、と自分でも思った。
だが、それでも楽しかった。
現実の自分にはないものを、その少女は持っていた。
美しさ。
気品。
強さ。
迷いなく立つ背筋。
だから、自分は彼女を作ったのだ。
自分とは正反対の、理想のキャラクターとして。
そのはずだった。
なのに。
「……俺が、テンカ?」
夢の中で、誰かが呟いた。
それは男の声だった。
疲れた、40歳の男の声だった。
だが、次に響いた声は違う。
「いや……わらわ、が?」
幼い少女の声。
その二つが重なり、溶け合う。
そして、意識が浮上した。
目を開けると、見慣れた天井があった。
白い天井板に木の梁。
薄く香る薬草の匂い。
自室だ。
テンカは瞬きをした。
身体が重く、頭の奥が鈍く痛む。
だが、それ以上に記憶があった。
前世の記憶。
自分はかつて、日本という国で生きていたが、特別な英雄でも、大悪人でもないただの男だった。
40歳で独身。
会社員で、趣味はゲーム。
自分はあるゲームで「テンカ」というキャラクターを作っていた。
大和撫子というより、古風な姫武者。
わらわ口調で、日本刀を使い、五行の力を操る少女の姿が、今の自分と酷似している。
「……待て」
テンカは布団の中で固まった。
「待て待て待て」
声は少女のものだった。
自分の声だ。
だが、思考の奥では、完全におじさんの悲鳴が上がっていた。
いやいやいや。
おかしいだろう。
何だこれは。
転生?異世界?TS?
しかもよりによって、自分が作ったセカンドキャラっぽい少女?
テンカは震える手で自分の頬に触れた。
柔らかく、小さい。
ついでに、髪が長い。
布団の上に広がる黒髪を見て、思考が止まりかける。
間違いない。
これはテンカだ。
前世の自分が、仕事終わりの深夜にテンションのおかしいまま設定を盛りに盛った、あの姫武者キャラ。
ただし、ゲームそのものの世界ではない。
ファールン皇国にハヅキ辺境伯家。
母コトネ。
父アルバート。
姉レイナ。
キリカ。
それらに、前世のゲームでは聞き覚えがない。
つまり、世界は別物。
身体と名前と雰囲気だけが、自分の作ったキャラクターに近い。
「……なんでじゃ」
テンカは額を押さえた。
口から自然に出た言葉に、さらに頭を抱えたくなる。
なんでじゃ、ではない。
なんでだ、だ。
いや、でもテンカは「なんでじゃ」と言う。
そういうキャラにしたのは自分だ。
自分だが。
「うわ……痛い……」
小さく呟いた瞬間、部屋の襖に似た扉が勢いよく開いた。
「姫さま!」
駆け込んできたのはキリカだった。
目元が赤い。
いつも冷静な彼女が、今は明らかに取り乱していた。
「お目覚めになられたのですね!」
「あ、ああ……うむ。心配をかけた、キリカ」
反射的にそう答えて、テンカは内心で呻いた。
自然に出る。
わらわ口調が、恐ろしいほど自然に出る。
キャラ作りのせいなのか。
この身体で育った8年間の人格のせいなのか。
それとも両方なのか。
分からない。
ただ、キリカが涙を浮かべているのを見た瞬間、混乱よりも先に申し訳なさが湧いた。
「姫さま……本当に、よかった……」
キリカは布団の横に膝をついた。
テンカは少し迷ってから、その頭に手を伸ばした。
「案ずるでない。わらわは、ここにおる」
言ってから、また内心で悶えた。
何を言っているんだ俺は。
いや、違う。
これはテンカなら言う。
むしろ完璧にテンカだ。
おじさんの魂が叫んでいる。
しかし、目の前のキリカはその言葉に安心したように頷いた。
「はい……はい、姫さま」
そこへ、複数の足音が近づいてきた。
入ってきたのは、母コトネだった。
その後ろに、父アルバートと姉レイナもいる。
「テンカ」
コトネの声は落ち着いていた。
だが、その目には隠しきれない安堵があった。
「母上……」
「身体に異常は?」
「少し頭が重い程度です」
「魔力の乱れは?」
テンカは自分の内側に意識を向けた。
五つの流れがある。
木。
火。
土。
金。
水。
以前はぼんやりとしか感じなかったものが、今ははっきりと分かる。
それはまるで、前世の記憶が戻ったことで、設定の輪郭が現実に馴染んだかのようだった。
「……あります」
テンカは答えた。
「五つ、すべて。まだ乱れておりますが、感じ取れます」
部屋の空気がわずかに変わった。
コトネは目を細める。
アルバートは息を呑み、レイナは口元に手を当てた。
「5つすべて……」
レイナが震える声で呟いた。
「さすがテンカです。やはり、わたくしの妹は天才でした」
「姉上、そういう話ではなかろう」
「いいえ、そういう話です」
レイナは真剣だった。
テンカは思わず脱力しかけた。
この姉、ブレない。
前世を思い出しても、姉の重い愛は変わらない。
むしろ妙な安心感すらある。
アルバートが穏やかに言った。
「テンカ、儀式のことは覚えているかい?」
「途中までは」
「五行すべての紋が反応した。その後、君の魔力が急激に膨れ上がったんだ」
「結界は?」
テンカが尋ねると、コトネが答えた。
「損傷しました。ですが、破壊には至っていません」
「……申し訳ありません」
「謝る必要はありません。ですが、理解はしなさい」
コトネは布団の横に座った。
母の手が、テンカの額に触れる。
冷たく、心地よい手だった。
「あなたの中には、強すぎる五行の才があります。今のあなたには、それを制御する術がありません」
「はい」
「今後、独断で五行を扱うことは禁じます。私か、許可された師範の立ち会いがある時だけです」
「承知いたしました」
テンカは素直に頷いた。
前世の記憶が戻ったからこそ、分かる。
力があることと、使えることは違う。
ゲームならボタン一つで技が出るが、この世界では違う。
暴走すれば、自分だけでなく周囲を巻き込む。
「母上」
「何です」
「わらわは……強くなりとうございます」
言葉は自然に出た。
だが、それは単なるキャラの台詞ではなかった。
前世の自分が憧れた理想。
今世のテンカが持っていた誇り。
その二つが、胸の奥で重なっていた。
「五行を恐れ、封じるのではなく、御する術を学びたい」
コトネはしばらくテンカを見つめた。
そして、静かに言った。
「それが、ハヅキの娘としての言葉ですか?」
テンカは少しだけ迷った。
元おじさんとしての自分、テンカ=ハヅキとしての自分。
どちらが本物なのかは、まだ分からない。
けれど、目の前でキリカが心配そうに見ている。
レイナが祈るように手を握っている。
父が優しく見守っていて、母が答えを待っている。
ならば、今ここで口にすべき言葉は一つだった。
「はい」
テンカは背筋を伸ばした。
「わらわは、ハヅキ辺境伯家の次女。テンカ=ハヅキにございます」
コトネの表情がわずかに緩む。
「よろしい」
母はそう言った。
「ならば、学びなさい。刀も、五行も、己自身も」
「はい、母上」
レイナが感極まったように口元を押さえた。
「テンカ……なんて凛々しいのでしょう……」
「姉上、泣くでない」
「無理です。可愛くて凛々しくて尊いのですから」
「尊いとは何じゃ、尊いとは」
思わず突っ込んだ瞬間、部屋の空気が少しだけ和らいだ。
キリカも小さく笑っている。
テンカはその様子を見て、胸の奥が温かくなるのを感じた。
前世の記憶はある。
自分が元は男だったことも覚えているし、四十歳のおじさんだったことも、忘れられない。
けれど、この8年間が偽物だったわけではない。
母に叱られ、父に本を読んでもらったことも。
姉に抱きしめられすぎて息ができなくなったこと。
キリカと一緒に稽古したこと。
それらはすべて、自分の記憶だ。
ならば。
テンカは、布団の上で小さく拳を握った。
この世界がゲームではなく、未来を知っているわけでもない。
自分は、この世界で生きるしかない。
元おじさんとしてではなく、誰かの作ったキャラクターとしてでもなく、テンカ=ハヅキとして。
「キリカ」
「はい、姫さま」
「明日からの鍛錬、少し厳しくなるやもしれぬ」
「望むところです」
「ふふ。頼もしいのう」
テンカは微笑んだ。
その笑みを見て、キリカが安心したように頭を下げる。
部屋の外では、庭の木々が風に揺れていた。
五行の力は、まだ荒々しくテンカの内で巡っている。
だが、もう恐怖だけではない。
木は芽吹き。
火は燃え。
土は支え。
金は研がれ。
水は流れる。
五つの理が、少女の中で目を覚ました。
この日、ハヅキ辺境伯家の次女テンカは、前世を思い出した。
そして同時に。
後に五行姫と呼ばれる少女の、最初の一歩が始まった。
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