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ハヅキ辺境伯家の五行姫  作者: あの夏と勇者
第2章 刀匠と継ぎ火
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継ぎ火の支度

 屋敷へ戻ったテンカは、まず母へ報告することになった。


 場所は、コトネの私室。

 テンカの前には、白い布に包まれた霊水石が置かれており、青白く澄んだ石は、部屋の光を受けて、内側に水を閉じ込めているかのように揺らめいていた。


「火行は使いませなんだ」


 テンカは、まずそこから告げた。

 コトネは静かに頷く。


「それはよい報告です」

「うむ」

「ですが、水行は使ったのですね」

「……使いました」


 テンカは素直に頷いた。

 隣に控えていたキリカが、一歩前に出る。


「水行による魔力消費は確認しています。帰路で姫さまの足取りがやや重くなりました」

「キリカ」

「はい」

「そこまで詳しく報告せずともよいのではないか?」

「必要な報告です」

「む」


 コトネの視線がテンカへ向く。


「テンカ」

「はい」

「無理は?」

「しておりませぬ」

「キリカ」

「審議が必要です」

「キリカ!」

「事実です」


 テンカは言い返せなかった。

 コトネは小さく息を吐いた。

 叱られるかと思ったが、その声は思ったよりも柔らかい。


「火行を使わなかったことは評価します。ですが、水行であっても魔力は消費します。まだ本調子ではないことを忘れてはなりません」

「はい」

「それでも、霊水石を得たことは確かです。よく戻りました」


 その言葉に、テンカの胸が少しだけ温かくなる。

 叱責だけではない。

 結果も、選んだ手段も、母はちゃんと見ている。


「ありがとうございます、母上」


 テンカは頭を下げた。

 その後、霊水石はムネチカのもとへ運ばれた。

 

 ハヅキ家の客間。

 前回と同じように、机の上には白い布が敷かれ、砕けた刀の欠片、図面、細かな道具が並べられ、そこへ青白い霊水石が加わった。


 石を手に取り、ムネチカは硝子板越しに覗き込む。


「よい石ですな」


 低く、しかし満足げな声だった。


「水の気が澄んでおります。これなら、火喰い鋼の荒ぶりを鎮めるには十分でしょう」

「本当に使えそうか?」

「ええ。姫さまたちが取ってきた甲斐はありますな」


 テンカは少しだけ得意げに胸を張ったが、すぐにキリカの視線が飛んでくる。


「姫さま」

「分かっておる。無理はしておらぬ」

「審議中です」

「まだ審議しておるのか」

「継続審議です」


 ムネチカが喉の奥で笑った。


「よい護り手ですな」

「それは認めるが、少し厳しすぎる」

「厳しいくらいが、姫さまにはちょうどよいかと」

「ムネチカまでそちら側か」

「刀匠は、折れそうなものを放ってはおけませぬ」


 それは冗談のようで、冗談ではなかった。

 テンカは少しだけ言葉を失う。

 ムネチカは霊水石を布の上に置き、今度は火喰い鋼の小片を取り出した。


 赤黒い金属だった。


 一見すれば鈍い色の鉄片にしか見えない。

 だが、近くに置かれただけで、空気の熱がわずかに変わった気がした。


「これが火喰い鋼か」

「試料ですな。本命の量は、北の霊山から届く手配になっております」


 ムネチカが、火喰い鋼、霊水石、そして砕けた刃の欠片を順に指差した。


「火を受ける鋼。火を鎮める石。そして、姫さまの最初の火を知る刃」


 その言葉に、テンカは目を伏せる。

 砕けた刀の欠片は、静かにそこにある。


 もう刀ではない。

 だが、ただの金属片にも見えなかった。


「この三つを合わせ、姫さまの太刀を打ちます」

「火行に耐える太刀か」

「それだけではありませぬ」


 首を横に振った。


「姫さまは火だけの方ではありません。五行を扱うのでしょう。ならば、ただ火に耐えるだけの刀では足りない。火を受け、水で鎮め、他の行の流れも邪魔しない。そういう器が要ります」

「器……」

「刀は、姫さまの代わりに力を制御してくれるものではありませぬ」


 声が少しだけ厳しくなる。


「刀は、力の通り道です。通り道が整っていれば、火は刃へ届く。乱れていれば、刃も、使い手も傷つく」


 テンカは黙って聞いていた。

 黒き鬼を斬った時の熱が、手のひらに蘇る。

 あの時、刀は最後まで火を通してくれた。


 だが、耐えきれずに砕けた。


 次の刀ができたとしても、自分が同じままなら、また同じことを繰り返すかもしれない。


「ムネチカ」

「はい」

「わらわは、何をすればよい」


 ムネチカは、少しだけ口元を緩めた。


「それを聞けるなら、上々ですな」

「からかうでない」

「からかってはおりませぬ」


 ムネチカは太い指を一本立てた。


「姫さまが今すべきは、火を強くすることではありませぬ」

「では、何じゃ」

「火を出さずに、火を保つことです」


 テンカは眉を寄せた。


「火を出さずに、保つ?」

「ええ」


 ムネチカは、霊水石を軽く叩いた。


「火喰い鋼が火を受け、霊水石がそれを鎮める。太刀はそう作ります。ならば、使い手である姫さまも同じことを学ばねばならない」

「……己の内で、火を鎮めるということか」

「その通りですな」


 ムネチカは頷き。


「燃え上がらせるのは、おそらく姫さまには難しくない。ですが、燃やしながら暴れさせないこと。消さずに留めること。必要な時まで、刃に流さないこと。そちらの方が、ずっと難しい」


 テンカは胸の奥を意識した。

 火行の熱は、まだそこにある。

 黒き鬼を斬った時のような荒々しい炎ではない。

 けれど、腹の底に沈む赤い種のように、確かに残っている。


「水行で包むのはどうじゃ」

「よいでしょうな」

「霊水石と同じように?」

「近いです。姫さま自身が、火喰い鋼であり、霊水石にもなる」

「わらわ自身が……」


 テンカは小さく呟いた。

 火を持つだけでは足りない。


 火を受け止める器にならなければならない。


 そして、その火を鎮める流れも、自分の内に持たなければならない。

 コトネが静かに口を開く。


「テンカ」

「はい」

「刀ができるまで、火行の実戦使用は禁じます」

「……はい」

「ただし、制御の稽古は許します。ムネチカの言う通り、火を出さず、保ちなさい」

「承知しました」

「キリカ」

「はい、当主様」

「稽古中も付き添いなさい。危ういと判断したら止めること」

「承知しました」


 キリカの返事は早かった。

 テンカはじっとキリカを見る。


「また少し嬉しそうではないか?」

「気のせいです」

「最近、その返答が多くないか?」

「気のせいです」


 コトネの口元が、ほんのわずかに緩んだ気がした。


 その日の午後。


 テンカは屋敷の庭にいた。

 庭の一角には、鍛錬用の小さな砂地がある。


 周囲には結界符が貼られ、万が一火行が乱れても広がらないよう準備されていた。

 キリカが少し離れた位置に立ち、じっとこちらを見ている。


 手には、簡易の消火符。

 本気である。


「キリカ」

「はい」

「その符は必要か?」

「必要です」

「即答か」

「姫さまですので」

「理由になっておるようで、ひどくないか?」

「信頼です」

「信頼とは何であったかのう」


 テンカは小さく息を吐いた。

 そして、両手を前に出す。


 火行を巡らせる。

 ただし、外へ出さない。

 燃え上がらせない。


 腹の底にある熱へ、そっと意識を触れさせる。

 赤い種が揺れた。

 ほんの少しだけ、熱が膨らむ。

 

 テンカはすぐに水行を巡らせた。

 湧水場で感じた、あの静かな流れ。霊水石の青白い光。

 それを思い出しながら、火の周りに水を添える。


 火が揺れ、水が包む。

 消えそうになり、慌てて火を足す。

 今度は燃え上がりそうになる。


「む……」


 難しい。

 黒き鬼を斬った時より、ある意味では難しい。

 あの時は、ただ斬るべきものへ火を向けた。


 だが今は違う。


 火を出してはいけない。消してもいけない。

 暴れさせてもいけない。ただ、そこに留める。

 テンカの額に汗が滲んだ。


 指先が熱い。だが、炎は出ていない。

 キリカが一歩近づく。


「姫さま」

「まだじゃ」

「ですが」

「まだ、いける」


 火が揺れ、水が乱れる。

 テンカは息を吸う。


 恐れるな。いや、恐れを恥じるな。

 恐れたまま、視る。


 火の形。水の流れ。

 その境目。

 ほんの一瞬。


 腹の底で、赤い熱が青い流れに包まれた。

 燃え上がらず、消えもせず。


 ただ、静かにそこにあった。


「……できた」


 呟いた瞬間、集中が切れた。


 火がふっと散り、水行の流れもほどける。

 テンカの身体がわずかに傾いた。

 すぐにキリカが支える。


「姫さま」

「分かっておる。今日はここまでじゃ」

「珍しく聞き分けがよろしいですね」

「わらわも学ぶのじゃ」

「その調子でお願いします」


 テンカは苦笑した。

 ほんの一瞬だった。だが、確かに留められた。

 火を振るうのではなく、火を保つ。

 火に呑まれず、火を消さず、己の内に置く。


 それは、新しい太刀を待つ間に、テンカ自身が作らなければならない器だった。

 遠く、屋敷の客間では、ムネチカが図面を引いているのだろう。


 火喰い鋼。霊水石。砕けた刀の欠片。

 それらがいつか、一振りの太刀になる。


 だが、その太刀を持つ自分が未熟なままでは意味がない。

 テンカは、キリカに支えられながら空を見上げた。


 夕暮れにはまだ早い。

 けれど、光は少しだけ柔らかくなっている。


「キリカ」

「はい」

「次は、もう少し長く保つ」

「承知しました」

「その次は、もっと長く」

「ですが、焦ってはなりません」

「分かっておる」

「本当に?」

「……努力する」


 キリカは小さく息を吐いた。

 けれど、その表情はどこか柔らかかった。


「では、その努力を見届けます」


 テンカはキリカを見上げた。

 アッシュブラウンの髪が、風にわずかに揺れている。


「うむ。頼りにしておる」

「はい、姫さま」


 火を斬るより、火を留める方が難しく、思うようにならぬことは、まだ多い。


 けれど、一つずつ知り、一つずつできるようになっていくのは、案外悪くない。

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