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ハヅキ辺境伯家の五行姫  作者: あの夏と勇者
第2章 刀匠と継ぎ火
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焔を鎮める石

 火喰い鋼を打つには、水気が要る。


 ムネチカがそう告げたのは、レイナが学園都市へ旅立った翌日のことだった。

 ハヅキ辺境伯家の屋敷、その客間。

 机の上には、砕けた刀の欠片と、ムネチカが持ち込んだ小さな図面が広げられている。


「火喰い鋼は、火の気に強い鋼ですな」


 ムネチカは太い指で図面を叩いた。


「ですが、強い火を受け止めるだけでは足りませぬ。姫さまの火行は、ただ燃えるだけの火ではない。瘴気を焼き、再生を断ち、刀身そのものを内側から食い破るほどの火です」

「……随分な言いようじゃな」

「事実ですので」


 どこかで聞いたような言い方だった。

 テンカは思わずキリカを見る。

 キリカは涼しい顔をしていた。


「ですので、火を鎮める水気が要ります」

「水気?」

霊水石れいすいせきですな。清浄な水の気を宿した石で、火喰い鋼を鍛える際の急冷に用います。火をただ冷ますのではなく、暴れぬように落ち着かせる」


 ムネチカは、砕けた刃の欠片へ視線を落とした。


「姫さまの太刀には、火を受ける器だけでなく、火を鎮める流れが必要です」


 火を鎮める流れ。

 その言葉に、テンカは小さく息を吐いた。

 黒き鬼を斬った緋色の火。

 あれは強すぎた。

 刀を砕き、自分自身を倒れさせるほどに。


 ならば、その火を振るうために水がいるというのは、妙に納得できた。


「その霊水石は、どこにあるのじゃ」


 テンカが問うと、ムネチカは少しだけ目を細めた。


「領都北の山裾に、古い湧水場があります。そこに小さな鉱脈がありますな。大魔境ではありませんが、魔力の流れが濃い土地です」

「採れるのか」

「採れるには採れます。ただし、最近は石喰い猿が住み着いておりましてな」

「石喰い猿?」

「鉱石を好んで持ち去る小型の魔物です。硬い石を噛み砕く歯を持ち、群れで動く。人を積極的に襲うほどではありませんが、すばしこく、面倒ですな」


 テンカは少しだけ身を乗り出した。

 それだけで、キリカの目が細くなる。


「姫さま」

「まだ何も言っておらぬ」

「お顔に書いてあります」


 テンカは咳払いをして、コトネへ向き直った。


「母上」

「なりません」

「まだ何も言っておりませぬ」

「行きたいのでしょう」

「……うむ」

「なりません」


 即答だったが、予想はしていた。

 だが、テンカも引くつもりはない。


「母上。火行は使いませぬ」


 コトネの瞳がわずかに動いた。


「水行だけで対処します。霊水石は、わらわの太刀に必要なものなのでしょう。ならば、わらわ自身も見ておきたい」

「あなたはまだ本調子ではありません」

「承知しております。だから無理はしませぬ。キリカも連れていきます。護衛もつけてください。危ういと判断されたら、すぐに戻ります」


 テンカはまっすぐ母を見る。


「ですが、わらわは、自分の火を鎮めるための水を知りたいのです」


 コトネは黙ってテンカを見ていた。

 その沈黙が長い。


 やがて、コトネは静かに息を吐いた。


「条件があります。あなたが申した通り、火行は使わないこと。単独行動をしないこと。キリカの制止には必ず従うこと」

「承知しました」

「そして、危険と判断した時点で即座に撤退すること」

「はい」


 テンカが頷くと、コトネはキリカへ視線を向けた。


「キリカ」

「はい、当主様」

「あなたの判断で連れ戻しなさい」

「承知いたしました」


 キリカの声には、妙な気合いがこもっていた。


「……キリカ」

「はい」

「少し嬉しそうではないか?」

「気のせいです」


 絶対に気のせいではなかった。


 翌日、テンカたちは領都北の山裾にある湧水場へ向かった。

 同行するのは、テンカ、キリカ、ムネチカの弟子である若い職人、そして護衛が三名。

 ムネチカ本人は屋敷に残り、砕けた刀の欠片と図面を調べている。


 代わりに来た弟子の名は、リク。

 まだ若いが、霊水石の見分けはできるらしい。


「この辺りです」


 リクが小さな槌を腰に下げたまま、湧水場の奥を指差した。

 山肌から清らかな水が細く流れ出し、岩の窪みに小さな池を作っている。


 水は澄んでいて、底に沈む石まで見える。

 空気も涼しい。

 大魔境の湿った瘴気とは違う、静かで清らかな魔力が満ちている。


「よい場所じゃな」


 テンカは水面を見つめ、水行の感覚を薄く広げる。


 流れが見えた。

 山肌から染み出す水。

 石の間を抜ける細い流れ。

 地中に沈む、冷たい光のような水気。


 その中に、いくつか澄んだ点がある。


「あれが霊水石か」


 テンカが呟くと、リクが驚いたように目を見開いた。


「分かるのですか?」

「水の流れが、そこだけ少し違う」

「さすがです。霊水石は、周囲の水気を集める性質がありますので」


 テンカは小さく頷いた。


 その時だった。


 岩陰で、何かが動き、キリカが即座に前へ出る。


「姫さま」

「分かっておる」


 テンカも、腰の刀に手を添える。

 今のテンカには、以前の刀がない。

 代わりに帯びているのは、屋敷の武具庫から借り受けた予備の刀だ。


 長さも重さも、テンカの手に完全に馴染むものではない。

 火行を通すためのものでもない。


 だが、刀は刀。

 抜けば、テンカの手に確かな重みが返ってくる。


 そこへ、岩の上に小さな影が現れる。


 猿だった。だが、普通の猿ではない。

 灰色の毛並み。

 石を噛み砕くための大きな前歯。

 細い腕には、青白い石を抱えている。


「石喰い猿です!」


 リクが叫ぶ。


 一匹。二匹。三匹。

 岩陰や木の上から、次々と姿を現す。


 小さい。だが、動きが速い。

 そして、その腕の中には霊水石らしき石がいくつも抱えられていた。


「逃がすな。霊水石を持っておる」


 護衛の一人が前に出る。

 だが、石喰い猿の一匹が鋭く鳴き、岩の上を跳ねた。


 速い。

 護衛の剣が空を切る。


 別の猿が、リクの背負い袋へ飛びかかった。


「うわっ!」


 キリカが袖口から隠し針を滑らせる。


「姫さま、後ろへ」

「いや」


 テンカは水行の感覚を広げた。

 猿を見るのではない。


 流れを見る。


 足場の水気。

 濡れた岩。

 苔の上を伝う薄い水の膜。

 猿たちが跳ねるたびに乱れる、空気と水の動き。


 火で焼く必要はない。

 力で斬る必要もない。

 流れを読めばいい。


「キリカ、右の猿を追うな。戻ってくる」

「はい」


 キリカが即座に動きを止める。

 直後、逃げたように見えた石喰い猿が、別の岩を蹴って戻ってきた。


 そこへキリカの短刀が走る。

 峰で打たれた猿が地面を転がった。


「左の岩陰、押さえよ!」

「承知!」


 テンカの声に、護衛が盾を構える。

 岩陰から飛び出した猿が盾にぶつかり、体勢を崩す。


 その隙に、別の護衛が網を投げた。

 一匹を捕らえる。

 だが、まだ数が多い。


 石喰い猿たちは霊水石を抱えたまま、散るように逃げようとする。

 テンカは一歩踏み出した。


「姫さま!」


 キリカの声が飛ぶ。


「火は使わぬ!」


 テンカは刀を抜いた。

 だが、火は通さない。

 刃を低く構え、切っ先を水面へ向ける。


 斬るためではない。

 流れを指し示すためだ。


 刀身に映る水面が、わずかに揺れる。

 猿たちの足運び。

 跳躍の癖。

 濡れた岩肌を伝う水の筋。


 それらが、一本の線のようにテンカの目に映った。


 水行。


 流れを読む。

 流れを添える。


 そして、ほんの少しだけ、流れを変える。


「――水行・流転水鏡(るてんすいきょう)


 湧水場の岩肌に広がる薄い水の膜が、淡く揺れた。

 石喰い猿の足が滑る。


 一匹。

 二匹。


 跳躍の瞬間に足場を奪われた猿たちが、次々と転がった。


「今じゃ!」


 護衛たちが動く。

 網が飛び、キリカの短刀が峰で急所を外して打つ。


 テンカは呼吸を乱さないよう、ゆっくりと水行を巡らせた。

 火行のように燃え上がらない。

 水行は静かだった。


 だが、確かに場を変えていく。

 猿たちの逃げ道を読み、足元の水をわずかに動かし、仲間の動きに合わせる。

 

 斬るのではない。

 流れを整える。


 それだけで、戦いは少しずつこちらへ傾いた。

 最後の一匹が、高い岩へ飛び移ろうとする。

 その腕には、大きめの霊水石が抱えられていた。


 テンカは目を細める。


 水行の感覚が、猿の着地点を示す。


「キリカ、上じゃ」

「はい」


 キリカが地を蹴った。

 袖口から放たれた細い糸付きの針が、猿の進路を塞ぐ。


 驚いた猿が空中で身を捻る。

 その着地点に、テンカは水を集めていた。


 ぬるり、と岩肌が滑る。

 猿が見事に転び、抱えていた霊水石が宙へ舞い、テンカは手を伸ばすが、届かない。


 次の瞬間、キリカが横から飛び込み、石を受け止めた。


「姫さま、無理をなさらないでください」

「……今のは、少し惜しかった」

「惜しくありません」


 キリカはきっぱりと言った。

 テンカは小さく笑う。

 石喰い猿たちは、捕らえられた数匹を除き、山の奥へ逃げていった。


 積極的に人を襲う魔物ではないため、深追いはしない。

 護衛たちは周囲を警戒しながら、リクが霊水石を確認するのを待った。


 リクは、キリカが受け止めた石を手に取る。

 青白く澄んだ石だった。

 中に水が閉じ込められているかのように、光が揺れている。


「これは……上質です」


 リクの声が弾んだ。


「これだけの大きさなら、火喰い鋼の急冷に使えます。小さな石もいくつか回収できました。十分です」

「そうか」


 テンカは安堵の息を吐いた。

 その瞬間、少しだけ膝から力が抜ける。

 キリカがすぐに支えた。


「姫さま」

「分かっておる。少し疲れただけじゃ」

「それを無理と言います」

「火行は使っておらぬ」

「水行も魔力を使います」

「む」


 正論だった。

 テンカは言い返せず、素直に近くの岩へ腰を下ろす。


 湧水の音が耳に届く。

 静かな音だった。

 黒き鬼を焼いた火の轟きとはまるで違う。


 けれど、今のテンカには、その静けさが心地よかった。


「火だけでは、駄目なのじゃな」


 テンカはぽつりと呟いた。


「姫さま?」

「火を振るうには、水も要る。火を鎮め、流れを見て、暴れぬように整えるものが」


 テンカは、キリカの手の中にある霊水石を見た。

 青白い光が、静かに揺れている。


「わらわ自身も、そうならねばならぬのじゃろう」


 強い火を持つだけでは足りない。

 その火を鎮め、御するための流れを、己の内にも持たなければならない。


「帰ろう、キリカ」

「はい」

「母上に、火行は使わなかったと報告せねばならぬ」

「それはよい報告です」

「それと、無理もしておらぬ」

「それは審議が必要です」

「厳しいのう」

「姫さまのためです」


 テンカは小さく笑った。

 リクが霊水石を丁寧に布で包む。

 護衛たちが周囲を確認し、一行は帰路についた。


 手に入れたのは、青白い霊水石。

 火を鎮めるための石。


 そしてそれは、テンカ自身が焔を御するための、小さな手がかりでもあった。

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