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ハヅキ辺境伯家の五行姫  作者: あの夏と勇者
第2章 刀匠と継ぎ火
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刀匠と砕けた刃

予約設定ミスりました…

 刀匠ムネチカは、思っていたよりも小柄な男だった。


 ハヅキ辺境伯家の屋敷、その一角にある小さな客間。

 本来ならば客を迎えるための部屋であるはずなのに、今は机の上に白い布が敷かれ、砕けた刀の柄と、回収された刃の欠片が静かに並べられていた。


 窓は開け放たれている。

 それでも、部屋には微かな鉄と炭の匂いが残っていた。

 ムネチカが持ち込んだ道具のせいだろう。


 黒ずんだ革袋。

 小さなヤスリ。

 刃を見るための薄い硝子板。

 鉄片を挟むための細い鋏。


 それらを机の脇に並べた男は、灰色の髪を短く刈り込んだ、がっしりとした体つきの刀匠だった。

 背は高くない。

 だが、腕が太い。

 肩から肘、肘から手首にかけて、鍛え上げられた筋が浮いている。


 顔には幾筋もの火傷の痕があり、目つきは鋭い。

 ただし、怖いというより、鉄と火を見続けてきた者の目だった。


「ムネチカ」


 コトネが静かに名を呼ぶ。

 ムネチカは背筋を伸ばし、深く頭を下げた。


「コトネ様。お呼びいただき、光栄です」

「急な呼び立てになりました」

「黒き鬼の件は聞いております」


 ムネチカの視線が、テンカへ向く。


「テンカ姫。まずは、よく生きて戻られましたな」

「うむ。皆のおかげじゃ」

「そう言えるなら、上々です」


 ムネチカは少しだけ口元を緩めた。


 魔力は少しずつ戻ってきているが、まだ本調子ではないため、テンカは椅子に座っていた。

 立っていようとすると、すぐにキリカの目が細くなる。

 そのキリカは、テンカの半歩後ろに控えていた。

 アッシュブラウンの髪を低い位置で一つに束ね、いつものように隙なく立っている。


 だが、視線は常にテンカの顔色を見ていた。


「姫さま」

「何じゃ」

「ご無理はなさらないでください」

「分かっておる」

「そのお返事は、信用してよいのでしょうか」

「……今日は信用してよい」


「今日は、なのですね」

「細かいのう」


 テンカが肩をすくめると、キリカは小さく息を吐いた。

 ムネチカはそのやり取りを見て、かすかに笑った。


「よい護り手をお持ちですな」

「自慢のキリカじゃ」

「姫さま」

「事実じゃろう」


 キリカがわずかに目を伏せる。

 耳元が少し赤いように見えた。


 コトネが静かに咳払いをする。


「ムネチカ。見てもらえますか」

「はい」


 空気が変わった。

 ムネチカの表情から、先ほどまでの柔らかさが消える。

 刀匠の顔になった。


「触れても?」

「うむ」


 テンカが頷くと、ムネチカは両手で砕けた刀の柄を取った。

 乱暴な動きではない。

 むしろ、驚くほど丁寧だった。


 彼は鍔元に残った刃を光にかざし、亀裂を見て、柄の焼け跡を指でなぞる。

 次に、刃の欠片を一つずつ拾い、硝子板越しに覗き込んだ。

 部屋には、紙の擦れる音と、ムネチカが欠片を置く小さな音だけが響いていた。


 テンカは息を詰めて、その手元を見つめる。

 この3年間、幾度となく握ってきた刀だった。


 決して名刀ではない。

 子供の身体に合わせて鍛えられた、実戦用の一振り。

 だが、テンカにとっては初めての相棒だった。


 黒き鬼を斬ったあの一太刀。

 緋色の火が刀身を走り、手のひらを焼くような熱が伝わってきた。

 そして、刀は砕けた。


「……ふむ」


 ムネチカが低く呟いた。

 テンカは思わず身を乗り出しかける。

 すぐにキリカの手が肩に添えられた。


「姫さま」

「分かっておる」


 分かってはいるが、気になるものは気になる。

 ムネチカは、鍔元に残る刃をじっと見つめていた。


「こいつは、折れたのではありませんな」


 テンカは目を上げる。


「折れたのではない?」

「ええ」


 ムネチカは刃の根元を指で示した。


「普通、刀は限界を超えれば折れます。刃筋が乱れた時、無理な力がかかった時、あるいは芯が耐えきれなくなった時。ですが、こいつは違う」

「どう違うのじゃ」

「最後まで、火を通したのです」


 ムネチカは、砕けた刀をそっと布の上へ戻した。


「姫さまの火行を、受け止めようとしたのでしょう。受け止めきれずに砕けたのは確かです。ですが、途中で投げ出して折れたのではありません。最後の一太刀まで、火を刃先へ通している」


 テンカは息を呑んだ。

 最後まで。

 火を通した。

 それは、あの瞬間の感覚と重なった。


 刀身を走る赤い紋様。

 悲鳴のような軋み。

 それでも、黒き鬼の核へ届いた刃。


「そなたは……最後まで、付き合ってくれたのじゃな」


 テンカは小さく呟いた。

 キリカが、静かに目を伏せ、コトネも何も言わなかった。


 ムネチカは腕を組む。


「ただし、次も同じようにやれば、次も砕けますな」

「分かっておる」

「いえ。分かっておられるようで、まだ足りないかもしれませぬ」


 ムネチカの声は厳しかった。

 テンカは口を閉じる。


「姫さまの火行は強すぎる。普通の刀では、そもそも器になりません。火に耐えるだけでも足りませぬ。火を逃がし、巡らせ、刃に乗せる必要がある」

「五行の巡りを阻害しない構造、という話じゃな」

「話が早いですな」


 ムネチカは頷いた。


「トウマ副長から、すでに要望は届いております。火行に耐える刀身。五行の巡りを邪魔しない芯。欲張りにもほどがある」

「わらわも同じことを言うた」

「でしょうな」


 ムネチカは苦笑した。


「だが、無理ではないのか?」


 テンカが尋ねると、ムネチカは少しだけ目を細めた。


「難しいですな」

「無理ではないのじゃな」

「ええ。難しいだけです」


 その言い方に、テンカは少しだけ笑った。

 職人というものは、こういうものなのだろうか。


 できないとは言わない。

 ただ、難しいと言う。

 そして、難しいものほど目が燃える。


「材料が要ります」


 ムネチカは砕けた刃の欠片を見つめた。


「火行を受け止めるなら、ただの鋼では足りません。火を喰い、暴れさせず、刃に通す鋼が要る」

「火を喰う鋼?」

「通称、火喰い鋼。火の気に強く、熱を内に留めず逃がす性質を持つ希少な金属ですな」

「ハヅキ領にあるのか」

「わずかに。北の霊山近くで採れます。ただ、今すぐ使える量は多くありませぬ」


 コトネが口を開く。


「必要なら手配します」

「お願いいたします。ただ、それだけでは足りませぬ」


 ムネチカは、布の上の砕けた刀を見た。


「この刀の欠片も使わせていただきたい」


 テンカは動きを止めた。


「……これを?」

「はい」

「炉に入れるということか」

「そうですな」


 胸の奥が、きゅっと痛んだ。

 砕けた刀。

 最後まで付き合ってくれた相棒。

 それを炉に入れ、溶かす。


 形を失わせる。

 それは、終わらせることのように思えた。


「姫さま」


 キリカが小さく声をかける。

 テンカは答えない。


 ムネチカは、まっすぐにテンカを見た。


「終わらせるのではありませぬ」


 その言葉に、テンカは顔を上げた。


「継がせるのです」

「継がせる……」


「この刀は、姫さまの火を知っています。どれほど危うく、どれほど強い火なのかを、身をもって知っている。なら、その痕跡を次の刀に継ぐ意味はあります」


 ムネチカは、砕けた刃の欠片を一つ摘まみ上げた。


「ただの材料ではありません。こいつは、姫さまの最初の火を受けた鋼です」


 テンカは、その欠片を見つめた。

 小さな銀の破片。

 黒き鬼を斬った時の熱を、まだ内に秘めているように見えた。


「わらわは……」


 声が少しだけ掠れた。


「そなたを、終わらせたくない」


 刀は答えない。

 だが、ムネチカは頷いた。


「なら、終わらせなければよいのです。形を変えて、次へ継げばよい」


 継ぎ火。

 その言葉が、テンカの胸に落ちる。


 火を継ぐ。

 刃を継ぐ。

 未熟だった一太刀を、次の一太刀へ繋げる。


 テンカは目を閉じ、深く息を吸った。

 砕けた刀への未練はある。

 寂しさもある。

 けれど、ここで抱え続けるだけでは、前へ進めない。


 テンカは目を開けた。


「ムネチカ」

「はい」

「この刀を、次の太刀へ継いでほしい」


 ムネチカは、深く頷いた。


「承りました」

「ただし」


 テンカは砕けた柄にそっと触れた。


「この刀が最後まで付き合ってくれたことを、忘れぬ形にしてほしい」


 ムネチカの目が、わずかに柔らかくなる。


「刀匠にとって、一番重い注文ですな」

「できぬか?」

「難しいですな」


 ムネチカは、にやりと笑った。


「だから、やりましょう」


 テンカは、布の上に並べられた刃の欠片を見つめた。

 黒き鬼を焼いた火とは違う。

 誰かを傷つけるためではなく、何かを継ぐための火。


 その火は、まだここにはない。

 けれど確かに、始まろうとしている。


 テンカは静かに拳を握った。

 次に振るう火は、壊すためだけの火ではない。

 守り、継ぎ、戻るための火にする。


 砕けた刀の欠片が、窓から差し込む光を受けて微かに輝いた。

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