砕けた太刀を抱いて②
コトネの一言で、門前の空気が静まった。
レイナが小さく息を呑む。
アルバートは何も言わない。
キリカも、隣で姿勢を正した。
テンカは、視線を逸らさなかった。
逃げるつもりはない。
黒き鬼を斬ったのは、自分だ。
火行を解き放ったのも、自分だ。
その結果、刀は砕け、自分は倒れた。
一歩間違えれば、味方を焼いていたかもしれない。
その危うさから目を逸らしてはいけない。
「承知しております」
テンカは静かに答えた。
「わらわは、叱られるべきことをしました」
レイナが驚いたようにテンカを見る。
キリカも、わずかに目を見開いた。
コトネはしばらくテンカを見つめていた。
やがて、ほんのわずかに目元を緩める。
しかし、それは一瞬だけだった。
「ならば、まずは休みなさい」
「母上?」
「今のあなたに長い話をしても、途中で倒れるだけです」
「……それは、確かに」
反論できなかった。
コトネはキリカへ視線を向ける。
「キリカ」
「はい、当主様」
「テンカを部屋へ。治癒師を呼んで、再度容態を確認させなさい」
「承知しました」
「レイナ」
「はい、母上」
「あなたも付き添いなさい。ただし、泣いてテンカを疲れさせてはなりません」
「な、泣いてなど」
レイナは反論しかけた。
しかし、自分の目元が赤いことに気づいたのか、途中で言葉を止める。
「……努力します」
「よろしい」
コトネは次にアルバートを見る。
「あなたは、サイゾウから詳しい報告を」
「分かった」
アルバートは穏やかに頷いた。
その後ろでは、サイゾウが控えていた。
左肩に包帯を巻き、疲労の色を見せながらも、隊長らしく背筋を伸ばしている。
テンカと目が合うと、サイゾウは軽く頭を下げた。
テンカも小さく頷き返す。
その動作だけで、少しだけ息が上がった。
情けない。
だが、今はこれが限界だった。
「姫さま、参りましょう」
キリカがそっと支える。
レイナも反対側へ回った。
「テンカ、無理に歩かないでください」
「両側から支えられるほどではない」
「「あります」」
キリカとレイナの声が重なった。
テンカは一瞬だけ黙る。
「……そうか」
今の自分に、反論権はないらしい。
二人に支えられながら、テンカは屋敷の中へ入り、廊下を歩く。
見慣れた屋敷のはずなのに、今日は少し違って見えた。
使用人たちが道の端で頭を下げる。
皆、心配そうな顔をしていた。
中には、目元を赤くしている者もいる。
そのたびに、テンカの胸が小さく痛んだ。
自分が倒れたことで、どれだけの者を不安にさせたのか。
勝った。
守った。
だが、それだけではない。
力を振るうということは、周囲に心配も負わせるのだ。
「姫さま」
キリカが小さく声をかける。
「顔色が悪いです」
「少し、考え事をしておった」
「考え事は後になさってください」
「む」
「今は、お休みになることが姫さまの務めです」
「務めと言われると、逆らいにくいのう」
「では、そのように申し上げます」
レイナが反対側からテンカの顔を覗き込む。
「本当に、あなたは昔から頑固です」
「姉上ほどではない」
「私は頑固ではありません」
「そうかのう」
「そうです」
即答する姉を見て、テンカは少しだけ笑った。
笑うと、胸の奥が軽く痛む。
魔力枯渇の影響か。それとも疲労か。
どちらにせよ、無理はできない。
自室に着くと、寝台が整えられていた。
水差しと薬湯。
清潔な布。替えの寝間着。
すべて準備されている。キリカの指示だろう。
テンカは寝台に座らされ、羽織を脱がされる。
レイナが砕けた刀の柄に気づいた。
「テンカ、それは……」
「わらわの刀じゃ」
「でも」
「砕けた。だが、まだここにある」
テンカは布に包まれた柄をそっと撫でた。
レイナの表情が曇る。
「あなたを守ってくれたのですね」
「うむ」
テンカは頷いた。
「最後まで、付き合ってくれた」
その言葉に、レイナは何も言えなくなったようだった。
キリカが静かに布を整える。
「姫さま。こちらは、枕元に」
「頼む」
柄が枕元に置かれる。
それだけで、少し落ち着いた。
キリカが薬湯を差し出す。
「お飲みください」
「……また苦いのか」
「身体によく効きます」
「それは、苦いという意味であろう」
「身体によく効きます」
「否定せぬのじゃな」
テンカは諦めて薬湯を受け取り、一口飲んだ。
苦い。想像以上に苦い。
「……うむ。効きそうじゃ」
「全部お飲みください」
「半分では」
「全部です」
「むう」
黒き鬼より手強い。
そんなことを考えながら、テンカはどうにか薬湯を飲み干した。
キリカが満足げに器を受け取る。
レイナがその様子を見て、少しだけ笑った。
「よかった」
「何がじゃ」
「いつものテンカです」
そう言われて、テンカは少しだけ目を伏せた。
いつもの自分。
黒き鬼を斬った自分。
火行を暴走させかけた自分。
砕けた刀を抱えて戻ってきた自分。
全部が、自分なのだろう。
まだ、うまく整理できない。
だが、今は眠気の方が強かった。
「姉上」
「はい」
「学園の準備は、進んでおるのか」
唐突な問いに、レイナが少しだけ驚いた顔をした。
「ええ。予定通りなら、数日後には出立します」
「そうか」
レイナは13歳。
皇国の学園都市レイヴェルンへ向かう年齢である。
13歳から4年間、皇国中の才ある者が集う学園都市で学ぶ。
武術。
魔術。
商才。
芸術。
そして、貴族としての知識と社交。
ハヅキ家の次期当主であるレイナにとって、それは避けて通れない道だった。
「本当は」
レイナが小さく呟く。
「あなたが全快するまで、出立を延ばしたいのです」
「ならぬ」
テンカは即座に言った。
レイナが目を見開く。
「姉上は、ハヅキの次期当主であろう。ならば、わらわのことばかり案じておってはならぬ」
「テンカ……」
「わらわは大丈夫じゃ。キリカもおる。母上も父上もおる。だから、姉上は姉上の務めを果たすのじゃ」
言い終えたところで、テンカは少し息を切らした。
キリカがすぐに背に手を添える。
「姫さま、話しすぎです」
「分かっておる」
「分かっておられる方の話し方ではありません」
「今日はそればかりじゃな」
レイナはしばらくテンカを見つめていた。
そして、少しだけ泣きそうな顔で微笑む。
「あなたにそう言われると、姉として立つ瀬がありません」
「姉上は立派な姉じゃ」
「本当に?」
「うむ。少し心配性ではあるが」
「それは、妹が無茶をするからです」
「それは……否定できぬ」
テンカは小さく笑った。
レイナも、今度は本当に笑った。
その笑みを見て、テンカは少し安心した。
レイナが学園都市へ行く。
自分は屋敷に残る。
今まで当たり前のようにそばにいた姉が、遠くへ行く。
そう考えると、胸の奥が少し寂しい。
だが、それは口にしない。
レイナが立つべき場所へ向かうのなら、妹として見送るべきだ。
「姉上」
「はい」
「学園都市の菓子事情は、詳しく手紙に書くのじゃ」
「……そこなのですか?」
「重要じゃ」
「もっと他に聞きたいことはありませんか?」
「もちろんある。武術や魔術の授業についても知りたい」
「よかった」
「だが、菓子も重要じゃ」
「やはりそこなのですね」
キリカが小さく息を吐いた。
「姫さま、そろそろ本当にお休みください」
「うむ」
さすがに限界だった。
まぶたが重い。
レイナが布団を整え、キリカが枕元の刀の柄を少しだけ寄せる。
テンカはそれを確認してから、静かに目を閉じた。
「キリカ」
「はい」
「刀は、そのままに」
「承知しました」
「姉上」
「はい、テンカ」
「出立の時は、必ず見送る」
レイナは一瞬だけ黙った。
それから、優しく答える。
「ええ。約束です」
「うむ……約束じゃ」
その言葉を最後に、意識が少しずつ沈んでいく。
遠くで、キリカとレイナが小さな声で何かを話している。
内容までは聞き取れない。だが、不思議と安心できた。
戻った。
自分は、帰ってきたのだ。
黒き鬼を斬り、刀を砕き、たくさんの心配を背負って。
眠りに落ちる直前。
テンカは、枕元に置かれた砕けた刀の柄へ、そっと指先を伸ばした。
触れることはできなかった。
だが、それでよかった。
今は、休む。
叱られるのも、向き合うのも、その後だ。
そうしてテンカは、深い眠りへ落ちていった。
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