わらわと饅頭②
しばらくすると、ルルが盆を持って戻ってきた。
「お待たせにゃ! 姫さま用、小さめ三種盛りにゃ!」
盆の上には、小ぶりの饅頭が三つ並んでいた。
黒糖饅頭。
胡麻饅頭。
こし餡饅頭。
それぞれ半分ほどの大きさで、隣には小さな湯呑みが添えられている。
湯呑みからは香ばしい茶の香りが立ち上っていた。
「……美しい」
テンカは思わず呟いた。
「饅頭を前にした姫さま、黒きオーガを前にした時より真剣ですね」
「キリカ」
「はい」
「今は余計なことを言うでない」
「失礼いたしました」
テンカはまず、黒糖饅頭を手に取った。
小さく、温かい。
指先に伝わる柔らかさが、すでに素晴らしい。
口元へ運び、一口。
ふわりとした生地の中から、黒糖の深い甘みが広がった。
ただ甘いだけではない。
香ばしさがあり、どこか懐かしい。
テンカは目を閉じた。
「……よい」
短い一言。
だが、それで十分だった。
コリンズが満足げに頷く。
「ありがとうございます」
次に胡麻饅頭。ほのかな栗の香り。
餡の甘みの中に、秋の気配がある。
テンカはまた目を閉じる。
「……これも、よい」
「姫さま、語彙が減っております」
「饅頭を前に、多くの言葉はいらぬ」
「先ほど店主が同じようなことを言っていましたね」
「つまり、真理じゃ」
最後に、こし餡饅頭。
なめらかだった。
舌の上で、餡が静かにほどける。
派手さはない。だが、余韻が長い。
茶を一口飲むと、甘みがすっと引き、また次の一口が欲しくなる。
テンカは深く息を吐いた。
「……コリンズ」
「はい」
「見事じゃ」
「光栄です」
コリンズは胸に手を当て、深々と頭を下げた。
その様子はまるで、皇帝から勲章でも授かったかのようだった。
「キリカも食べよ」
「わたしは護衛中ですので」
「護衛中でも、饅頭は食べられる」
「その理屈は危険です」
「一口だけじゃ」
テンカはこし餡饅頭を小さく割り、キリカへ差し出した。
キリカは少し迷った。
だが、テンカがあまりにも真剣な顔をしているので、断りきれなかったらしい。
「では、一口だけ」
「うむ」
キリカが饅頭を口にする。
その瞬間、彼女の表情がわずかに緩んだ。
ほんの少し。
だが、テンカは見逃さなかった。
「どうじゃ?」
「……おいしいです」
「であろう?」
テンカは得意げに笑った。
ルルが嬉しそうに尻尾を揺らす。
「キリカちゃんも、もっと素直に食べればいいのにゃ」
「護衛としての節度がありますので」
「でも、尻尾があったら絶対揺れてる顔してるにゃ」
「ルルさん」
「にゃ?」
「それ以上はいけません」
キリカの声は静かだったが、妙な圧があった。
ルルは猫耳をぴたりと伏せる。
「はいにゃ…」
テンカは小さく笑った。
その時、店の外を通る子供たちが、窓越しにこちらを見つけて手を振った。
「テンカ姫さまだ!」
「姫さま、こんにちは!」
テンカは饅頭を置き、姿勢を正して軽く手を振り返す。
「うむ。健やかであるか」
「はい!」
子供たちは笑顔で駆けていった。
その背を見送りながら、テンカは少しだけ目を細める。
ハヅキ領。
自分が生まれた場所。
母が守り、父が支え、姉が継ぎ、滅魔旅団が命を懸けて守る地。
そして、自分も守るべき場所。
領都には、こうして甘味処があり、饅頭があり、子供たちの笑い声がある。
そのことが、妙に胸に染みた。
「姫さま?」
キリカが声をかける。
「何でもない」
テンカは饅頭をもう一口食べた。
「ただ、思っただけじゃ」
「何をでしょう」
「わらわは、この町が好きじゃ」
キリカは少しだけ目を見開いた。
それから、柔らかく微笑む。
「はい」
「この饅頭も好きじゃ」
「そちらが本音では?」
「両方じゃ」
テンカは真面目な顔で言った。
「町も、饅頭も、どちらも大切じゃ」
「では、食べすぎないようにしましょう。大切なものは、長く楽しむべきです」
「む……正論じゃ」
キリカの言葉に、テンカは渋々頷いた。
ルルが盆を抱えながら笑う。
「姫さま、また来てにゃ。次は新作も用意しておくにゃ」
「新作?」
テンカの瞳が輝いた。
キリカの目が細くなる。
「ルルさん」
「にゃっ」
「姫さまを誘惑しないでください」
「でも、新作の試食は大事にゃ」
「わらわもそう思う」
「姫さま」
「……思うだけじゃ」
コリンズが真剣な顔で頷く。
「次回は、皇国の焼き菓子の技法を取り入れた新しい饅頭を試作する予定です」
「ほう」
「外は香ばしく、中はしっとり。餡には少量の乳と蜂蜜を加え、皇国風の風味を持たせます」
「それは……興味深い」
「姫さま」
キリカの声が低くなる。
テンカは咳払いをした。
「領地の食文化研究として、いずれ確認する必要があるやもしれぬ」
「やはり来る気ですね」
「研究じゃ」
「饅頭です」
「饅頭もまた研究対象じゃ」
店内に、穏やかな笑いが広がった。
外では領都の人々が行き交い、遠くで鐘の音が鳴っている。
甘い香り。温かな茶。
キリカの小言。ルルの明るい声。
コリンズの饅頭への熱弁。
そのすべてが、テンカには心地よかった。
やがて饅頭を食べ終えたテンカは、名残惜しそうに空の皿を見つめた。
「……終わってしまった」
「饅頭は儚いものですね」
「キリカ、なぜ少し楽しそうなのじゃ」
「気のせいです」
「絶対に気のせいではない」
テンカは軽く頬を膨らませた。
その姿に、ルルが小さく声を漏らす。
「姫さま、可愛いにゃあ」
「ルル」
「はいにゃ?」
「わらわは武人を志す身じゃ。可愛いではなく、凛々しいと言うがよい」
「凛々しくて可愛いにゃ」
「む……それならよい」
「よいのですか」
キリカが小さく呟く。
テンカは立ち上がり、袖を整えた。
「では、そろそろ行くぞ」
「はい、姫さま」
「また来る、コリンズ、ルル」
「お待ちしております」
「また来てにゃ、姫さま!」
店を出ると、領都の通りに柔らかな日差しが降り注いでいた。
テンカは一度だけ振り返り、フクキタルの暖簾を見る。
丸い饅頭の絵が、風に揺れている。
「キリカ」
「はい」
「饅頭とは、よいものじゃな」
「本日、何度目でしょうか。そのお言葉」
「何度でも言う。よいものは、よい」
「はいはい」
「キリカ、返事が雑じゃぞ」
「気のせいです」
二人は並んで歩き出した。
ハヅキ領の領都は、今日も賑やかだった。
人々が笑い、商人が声を張り、子供たちが駆け回る。
その中を黒髪の姫君と、その半歩後ろに控えるアッシュブラウンの髪のメイドが歩いていく。
大魔境は遠く南にある。
いつかまた、戦いの日は来るのだろう。
けれど今だけは。
テンカの胸には、饅頭の優しい甘さが残っていた。




