副所長の到着
授業を終えて教室を出たテンカは、廊下で学園職員に呼び止められた。
「ハヅキさん。学園長がお呼びです」
「わらわを?」
「はい。学園長室へ来てほしいとのことです」
「分かった」
フィアナの件が頭をよぎったが、昨日は一緒に街へ出かけたばかりだ。医務室での確認でも体調に問題はなく、属性魔術こそ禁じられたままだが、普段の生活には戻りつつあった。
それでも、完全に安心できる状態ではないことは分かっていた。そんな思いを抱えたまま学園長室へ向かい、廊下を曲がったところで、扉の前に立つ2人の姿が目に入る。
1人は灰色の混じった黒髪に、黒い鎧と外套を纏ったローディス。隣に立つもう1人を見た瞬間、テンカの足がわずかに速くなった。
「マリエラではないか」
栗色の髪を後ろで束ねた女性が振り返った。
「お久しぶりです、姫さま」
滅魔旅団調査・研究部副所長、マリエラ=ヴェルナー。
かつて大魔境で黒き鬼の痕跡を追った時にも、一緒に調査へ入ったことがある。土や瘴気のわずかな変化を前にすると、周囲が見えなくなるほどではないものの、途端に目の色が変わる女性だった。
「なぜ学園に?」
「コトネ様より、こちらの薬を調べるよう命を受けました」
「母上が……」
テンカは隣のローディスを見た。
「そなたが連れてきたのか?」
「道中の護衛は別の者たちが務めたでござる。拙者は学園都市に入ってから合流したのでござるよ」
「第二討伐隊は?」
「引き続きこちらに残り、周辺の警戒に当たっているでござる。マリエラ殿が動く際には、護衛も付ける手筈でござる」
母らしい手堅さだった。
「それで、マリエラ。もう何か見たのか?」
「まだです」
「まだ?」
マリエラの眉がわずかに寄った。
「到着してすぐに薬を見せていただこうとしたのですが、まず学園長へ挨拶をするよう止められました」
「当然でござろう」
ローディスが横から口を挟む。
「時間が惜しいのです」
「薬は逃げぬぞ」
「未知のものを前にして待たされる時間というのは、長く感じるものなのです」
真顔で答えるマリエラに、テンカは思わず口元を緩めた。
「相変わらずじゃな」
「姫さまに言われたくはありません」
「なぜじゃ」
ローディスが小さく笑ったところで、学園長室の扉が開いた。
「お待たせしました。どうぞ、お入りください」
アルディオンの補佐に促され、3人は室内へ入った。
◇ ◇ ◇
学園長室の応接卓には、何枚もの記録が並べられていた。
アルディオンの向かいへマリエラが座り、テンカとローディスもその脇へ席を取る。
「始める前に、ハヅキさんへ1つお伝えしておきます」
アルディオンがテンカへ顔を向けた。
「オルフィスさんからは、今回の調査についてあなたにも共有して構わないと了承を得ています」
「フィアナが?」
「ええ」
それを聞いて、テンカは小さく頷いた。
「分かった」
アルディオンはマリエラへ向き直った。
「改めまして、皇国学園長アルディオン=グランディスです。遠路ありがとうございます」
「滅魔旅団調査・研究部、マリエラ=ヴェルナーです。こちらこそ、記録を準備していただきありがとうございます」
挨拶を終えると、マリエラはすぐに机上の資料へ目を落とした。
「事前にいただいた書状には目を通しました。追加で判明したこともあるそうですね」
「ええ」
アルディオンが1冊の記録を差し出した。
「フィアナ=オルフィス本人から、《万象接脈》について話を聞くことができました」
マリエラの視線が記録へ落ちた。
頁をめくる速度は速いが、読み飛ばしている様子はない。
「他者の属性を持つ魔脈を身体へ接ぐ……」
指先が一行の上で止まる。
「フィアナ嬢へ接がれているのは、火と水で間違いありませんか?」
「はい。本人はそう話しています」
「そして薬が反応したのも、火と水」
「その通りです」
マリエラが次の頁へ進んだ。
「別々に属性魔力を与えた薬液は、それぞれ黒紫色へ変質。その後、2つを近づけると互いへ細い筋を伸ばし、接触した後に融合した」
「ええ」
「融合したものは?」
「何者かに奪われました」
マリエラの手が止まった。
「分析室へ侵入した人物に?」
「はい」
短い沈黙の後、マリエラが息を吐いた。
「それは惜しいですね」
「そこか?」
思わずテンカが口を挟む。
「もちろん、奪われたこと自体も問題です」
「先にそちらを気にせぬか」
「ですが、火と水を取り込んだ2つの物質が、自ら接触して融合したのでしょう? 直接見られたなら、かなりのことが分かったはずです」
「やはり相変わらずじゃ……」
テンカが呟くと、ローディスも静かに頷いていた。
マリエラは気にする様子もなく、資料を読み進める。
「フィアナ嬢は、薬の成分については知らないのですね」
「接いだ魔脈を身体へ馴染ませ、定着させるものだと説明されていたそうです」
アルディオンの答えに、マリエラが顔を上げた。
「その薬は現在どちらに?」
「学園で保管しています」
「見せていただけますか?」
「もちろんです。そのために来ていただいたのですから」
アルディオンが補佐へ視線を向けた。
ほどなくして小さな箱が運び込まれ、留め具が外されると、中から薬瓶が姿を見せた。テンカはそれを見つめ、これがフィアナに父親から送られていた定期薬なのだと知った。
マリエラは手袋をつけて瓶を光に透かし、液体の色や流れ方を確かめるようにゆっくりと傾けていく。しばらく観察したあとで栓を開け、手で空気を仰ぎながら匂いも確かめた。
「見た目も匂いも、特別おかしくはありませんね」
「通常の分析でも、既知の毒物に該当する反応は確認されませんでした」
「なるほど」
マリエラは鞄から細い金属棒と、小さな透明の板を取り出した。
「それは何じゃ?」
「簡易測定具です。まずは無属性の検査魔力への反応を見ます」
透明板へ薬を1滴落とし、金属棒の先を近づける。
淡い光が灯ったものの、薬液に目立った変化はなかった。
マリエラはしばらく観察した後、道具を離した。
「無属性の魔力には反応なし、と」
「以前は火と水で変わったのじゃろう?」
「はい。ですから、魔力そのものではなく、属性を帯びた魔力が条件になっている可能性があります」
マリエラは薬瓶を卓上へ戻した。
「今のところ、わたくしにも分かりません」
「分からぬのか」
期待していた分、少し肩透かしを食らった気分だった。
「分からないものを、分かったと言うわけにはいきませんから」
「……うむ」
その返答に、テンカは小さく頷いた。
大魔境の調査でもそうだった。
マリエラは未知の現象を前にすると前のめりになるが、推測と確認できた事実を混ぜることはしない。
「ただ、通常の検査で異常が見つからなかったという点には納得しました」
「どういう意味じゃ?」
テンカが尋ねる。
「この薬が、単独で何かを起こすためのものではない可能性があります」
マリエラは《万象接脈》の記録を手元へ引き寄せた。
「フィアナ嬢には、本来なかった火と水の魔脈が接がれている。そして薬は、火と水の属性魔力を与えられた時に初めて明確な変化を見せた」
「……薬だけを見ても足りぬということか?」
「その可能性を考えています」
マリエラは薬瓶と記録を並べた。
「薬を調べるだけではなく、フィアナ嬢の身体へ接がれた魔脈と、この薬がどのように関わっているのかを見る必要があります」
「《万象接脈》と薬を、別のものとして考えぬ方がよい、と?」
「はい」
テンカは机の上へ視線を落とした。フィアナの身体へ後から接がれた火と水と、それを馴染ませるためだと説明され、長く飲んできた薬。今まで別々に聞いていた話が、1本の線につながり始めた気がした。
「学園長」
マリエラがアルディオンを見る。
「フィアナ嬢本人の状態を確認させていただけませんか?」
「本人を?」
「はい。魔脈そのものを直接見ることはできませんが、魔力の流れ、属性を行使した痕跡、身体への負荷など、確認できることはあります」
テンカの眉がわずかに寄った。
「危険なことはせぬのだろうな」
「もちろんです」
マリエラは即答した。
「属性魔術を使わせるつもりもありません。現在の状態を調べるだけです」
「そうか」
少しだけ力が抜けた。
昨日、焼き菓子を食べながら笑っていたフィアナの姿が浮かぶ。
蜂蜜と木の実の焼き菓子を食べて、「これが好きかもしれません」と口にした時の顔も覚えている。
あの時間だけを見れば、フィアナはどこにでもいる学生と変わらなかった。
「何か、分かりそうか?」
テンカの問いに、マリエラはすぐには答えなかった。
「調べてみなければ、何とも言えません」
「そうか」
「ですが、そのためにわたくしは来ました」
力強い言葉ではなかった。
それでも、テンカには十分だった。
「うむ。頼む」
アルディオンも頷く。
「では、本人の了承を得ましょう。医務室にも立ち会ってもらいます」
「お願いします」
マリエラは再び《万象接脈》の記録を開き、薬瓶をその横へ置いた。
「薬と接脈……」
火と水について書かれた箇所へ目を落とす。
「別々に考えない方がよさそうですね」
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