接がれた魔脈
学園の医務室には、以前フィアナを診た医務担当の教師とマリエラが待っていた。
フィアナは寝台の脇に置かれた椅子へ腰掛け、白い手袋を外していた。右手首の内側には、あの黒紫色の線がまだ残っていた。
「フィアナ」
テンカが声をかけると、フィアナが顔を上げた。
「テンカ様。来てくださったのですね」
「うむ。じゃが、本当によかったのか? わらわまで検査に立ち会って」
「はい。私からお願いしました」
フィアナは右手を膝の上へ置いた。
「テンカ様には、もう知っていただいていますから。それに……いてくださった方が、少し安心します」
「そうか」
それならば、テンカに断る理由はなかった。
「では、ここにおる」
「ありがとうございます」
フィアナの口元がわずかに緩んだ。
その様子を確認してから、教師が机上の診療記録を開く。
「始めましょう。最初に、これまでと同じ確認をします。痛みや痺れはありますか?」
「ありません」
「右手を開いて、握ってください」
フィアナが指を開き、ゆっくりと握る。何度か繰り返しても動きに引っかかりはなく、教師が左右の腕や指先へ触れて感覚を確かめても、本人が違和感を訴えることはなかった。
続いて測定器へ両手をかざす。
魔力を属性へ変換する必要はない。ただ身体の内側へ普段どおり魔力を巡らせ、その量と安定を確認する検査だった。
「そのまま維持してください」
測定器の針がゆっくりと動き、一定の位置で止まった。
教師が記録へ数字を書き込み、マリエラも横から測定器を覗き込んだ。
「前回と大きな差はありません」
「はい。魔力量にも、全体の安定にも目立った変化は出ていません」
フィアナが両手を下ろした。
「では、問題はないのでしょうか?」
期待を含んだ問いに、教師はすぐには頷かなかった。
「少なくとも、これまで確認してきた項目に悪化は見られません」
それを聞いても、マリエラは測定器から目を離さなかった。
「もう一度、よろしいですか?」
「同じ検査を?」
「少し見方を変えます」
マリエラは鞄から細長い板状の測定具を取り出し、教師へ使用してよいか確認してから、フィアナの右腕の下へ差し入れた。
「フィアナ嬢。属性へ変換せず、ほんの少しだけ魔力を流してください。普段、身体の中を巡らせている程度で構いません」
「分かりました」
フィアナが目を閉じて魔力を巡らせると、板の表面に刻まれた細い目盛りが、手首側から順に淡く光っていき、テンカも隣からその流れを追った。
「……止まったか?」
光が消えたわけではなかった。右手首から肘へ向かって進む途中でほんのわずかに遅れ、それでもすぐに先へ続いて最後まで灯った。
「もう一度お願いします」
マリエラの声から、先ほどまでの柔らかさが消えていた。
フィアナが再び魔力を巡らせると、光は先ほどと同じ場所でわずかに遅れ、それから先へ進んだ。
「左腕も見せてください」
マリエラは測定具を左腕へ移し、同じように魔力の流れを追った。光は途切れずに進んだものの、手首を越えたあたりで一瞬だけ動きが鈍り、マリエラは何も言わず測定位置を変えながら同じ確認を繰り返した。
「マリエラ」
テンカは測定具へ目を向けたまま尋ねた。
「魔力の強さを見ておるのではないのか?」
「はい。どれだけあるのかではなく、どう流れているのかを見ています」
マリエラは右腕の測定結果と左腕のものを見比べた。
「通常の測定では、身体全体の魔力の巡りと安定を見ます。これほど小さな遅れなら、全体として問題なく巡っていれば数値には大きく現れません」
「先ほどの遅れまでは、拾えぬということか」
「はい。ですから今回は、流れを区切って見ています」
教師も過去の記録を開いた。
「以前、水属性を確認した際にも、発動前に魔力が一瞬つかえたように見えたことがあります」
「右手に異常が出た時もありましたね」
「ええ」
マリエラは測定具を置き、今度はフィアナの両腕を見た。
「フィアナ嬢。火と水の魔脈は、後から接がれたものだと聞いています」
「はい」
「どのような処置をされたのか、詳しく覚えていますか?」
フィアナは少し考えてから首を横へ振った。
「幼い頃から何度も処置を受けています。ですが、当時は説明されたことをすべて理解できていたわけではありません」
それ以上を無理に聞こうとはせず、マリエラは頷いた。
「分かりました」
テンカはフィアナの腕へ目を落とした。
外から見れば、右手首の黒紫色の線を除いて何も変わらない。指も動き、痛みもなく、魔力そのものも測定上は安定している。
それでも、身体の中を通る流れにはわずかな遅れがあった。
「接がれた魔脈と関係があるのか?」
テンカが尋ねると、マリエラはすぐには答えなかった。
「可能性はあります。ですが、今の段階では断定できません」
マリエラは右腕と左腕、それぞれの測定結果へ指を置いた。
「分かるのは、身体全体の魔力が乱れているわけではないこと。そして、特定の場所を通る時だけ、同じ遅れが繰り返し出ていることです」
「それは、普通ではないのか?」
「少なくとも、わたくしなら正常とは記録しません」
フィアナが自分の右手を見た。
「では、治せますか?」
医務室が静かになった。
マリエラは答えを急がなかった。
「まだ、治す方法をお話しできる段階ではありません」
フィアナの指が、膝の上でわずかに曲がる。
「まず、何が起きているのかを確かめます。分からないまま手を加えれば、かえって悪くする可能性がありますから」
「……はい」
フィアナは静かに頷いた。その顔を見て、テンカの脳裏に焼き菓子の店で見せた笑顔が浮かぶ。あの時は、自分で食べたいものを選び、次に行きたい店のことまで話していた。
テンカは何か声をかけようとして、やめた。今ここで「大丈夫じゃ」と言っても、何の根拠にもならない。
やがてフィアナが顔を上げると、テンカはその視線を受け止めて静かに頷き、フィアナもほんの少しだけ頷き返した。
「今日はここまでにしましょう」
マリエラが測定具を片づけた。
「属性魔術の使用停止は、このまま続けてください。それから学園長へ、追加の検査をお願いしたいと思います」
「薬を調べるのか?」
テンカが尋ねた。
「薬だけではありません」
マリエラは記録へ新たな測定結果を書き加えた。
「この身体に起きている流れの遅れと、薬が火と水の属性魔力へ示した反応。その2つを並べて調べる必要があります」
書き終えた記録の上には、右腕と左腕、それぞれに生じたわずかな異常が残されていた。
どちらも、普段の測定なら見過ごしてしまうほど小さなものだった。
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