好きなもの
医務室で状態を確認してもらい、体調にも問題がなかったフィアナに案内され、テンカたちは街の通りを歩いていた。
いつもなら目的の店を見つければ真っ先に向かうテンカも、今日は先頭を歩くフィアナについていった。曲がり角へ来るたびにフィアナは周囲を確かめ、迷うことなく次の道を選んでいた。
「随分と調べたのう」
「皆さんをお誘いしたのですから、迷うわけにはいきません」
「そこまで気負わずともよいのではありません?」
エリシアの言葉に、フィアナが振り返った。
「ですが、私が選んだお店ですし……」
「フィアナらしいですわね」
エリシアが小さく笑った。
そのまま進んだ先で、フィアナが1軒の店を指した。
「あちらです」
大きな店ではなかった。通りに面した窓の向こうには焼き菓子が並び、扉を開ける前から甘い香りが漂ってきた。
「おお……」
テンカの足が自然と速くなった。
「テンカ様、まだ入ってませんよ」
「分かっておる」
ミナに言われて歩調を戻したものの、目はすでに店内へ向いていた。
扉を開けると、小麦とバターの香ばしい匂いが一層濃くなった。
壁際の棚には木の実を練り込んだ菓子や小さなパイが並び、奥の硝子棚には果実を焼き込んだタルトも見えた。店内には幾つかの卓が置かれ、学生らしい客が茶と一緒に菓子を楽しんでいた。
「……全部頼んでは駄目か?」
「駄目ですわ」
「まだ何も言うておらぬぞ!」
「今、仰ったでしょう」
「聞こえておったか……」
エリシアが呆れたように息をつき、ミナがくすりと笑った。
フィアナまで口元を緩めていた。
「こちらにしましょう」
空いていた窓際の卓へ座り、それぞれ品書きを開いた。
テンカはすぐに目移りした。
「木の実の焼き菓子もよい。こちらの果実のパイも捨てがたいのう。む、この蜂蜜を使ったものも……」
「テンカ。注文は1人分ですわよ」
「分かっておる。だから悩んでおるのじゃ」
向かいではミナが品書きと値段を交互に見ていたが、ほどなく小さな柑橘のパイを選んだ。
エリシアは林檎のタルトに決めたらしい。
フィアナだけが、まだ品書きを見つめていた。
「フィアナは決まらぬのか?」
声をかけると、フィアナが顔を上げた。
「もう少し考えています」
「どれと迷っておる?」
「人気があるのはこちらだそうです。それから、皆さんと違うものを選んだ方が、いろいろな種類を見られますし……」
「待て待て」
テンカは途中で止めた。
「そなたは、どれを食べたいのじゃ?」
「私が、ですか?」
「他に誰がおる」
フィアナはもう一度、品書きへ目を落とした。
すぐには答えが返ってこなかった。
人気があるものでも、皆と違うものでもない。ただ自分が食べたいものを選べと言われて、かえって迷っているように見えた。
「美味しそうだと思ったものでよいのではありませんの?」
エリシアも品書きを閉じた。
「そうですよ。せっかくフィアナ様が選んだお店なんですから」
ミナにも言われ、フィアナは棚の方へ視線を向けた。
少しして、1つの菓子のところで目が止まった。
「……では、蜂蜜と木の実の焼き菓子にします」
「決まりじゃな」
「はい」
注文を終えると、ほどなく茶と菓子が運ばれてきた。
テンカの前には、バターをたっぷり使った焼き菓子。エリシアの前には薄く切った林檎が重なるタルトが置かれている。
ひと口食べたテンカは満足して頷いた。
「うむ。これは当たりじゃ」
「先ほどまで他のものに未練たっぷりでしたのに」
「美味ければそれでよい」
そう答えながら、テンカの視線は隣の皿へ向かった。
林檎の表面には薄く艶があり、焼けた果実の甘い香りが漂っていた。
エリシアがフォークを止めた。
「……何ですの?」
「エリー。それも一口くれぬか?」
「人のお皿を覗いて欲しがるなんて、はしたないですわよ」
「駄目か?」
テンカが尋ねると、エリシアは小さく息をついた。
「駄目とは言っておりませんわ」
そう言いながら、林檎と生地を一口分だけフォークで切り分けた。
テンカが自分の皿を差し出そうとすると、エリシアはそのままフォークを持ち上げた。
「ほら」
「む?」
口元へ差し出されていた。
テンカは少し首を傾げたものの、そのまま口を開けてタルトを食べた。
「おお、これも美味い」
「そうでしょう?」
林檎の酸味がほどよく残り、甘さも強すぎない。
テンカは自分の焼き菓子を一口分切り分け、そのままフォークをエリシアへ向けた。
「では、礼じゃ。エリーも食べるか?」
「……え?」
エリシアの動きが止まった。
「ほれ」
「じ、自分でいただきますわ」
「もう差し出しておるぞ?」
「そういう問題ではありません!」
なぜ急に慌てるのか分からない。
それでもエリシアは少し周囲を気にするように目を動かし、頬を赤くしながらフォークの先へ口を寄せた。
一口を味わい、エリシアが口元を押さえた。
「……美味しいですわ」
「そうじゃろう」
テンカは満足して、自分の焼き菓子へフォークを戻した。
「お2人とも、仲がいいですね」
ミナが微笑んでいた。
「うむ。仲はよいぞ」
「そ、そういう言い方をなさらないでくださいな!」
「違うのですか?」
フィアナが不思議そうに尋ねる。
「違わなくはありませんけれど……!」
エリシアの頬がまた少し赤くなった。
何が気に入らないのか、テンカにはやはり分からない。
「エリーは難しいのう」
「テンカにだけは言われたくありませんわ!」
ミナがとうとう吹き出し、フィアナも声を抑えながら笑った。
しばらくして、テンカはフィアナの皿へ目を向けた。
蜂蜜を練り込んだ生地の上に、細かく砕いた木の実が散らされている。すでに半分ほど減っていた。
「フィアナ。それはどうじゃ?」
「これですか?」
フィアナは手元の菓子を見た。
もう一口食べ、ゆっくり味わってから頷いた。
「美味しいです」
「ならばよかったではないか」
「はい」
フィアナはもう一度、焼き菓子へ目を落とした。
「……私、これが好きかもしれません」
何気ない言葉だった。
それでもテンカは、少しだけ目を細めた。
「では、覚えておかねばなりませんわね」
エリシアが言った。
「覚えるのですか?」
「フィアナが蜂蜜と木の実の焼き菓子を好きだということを、ですわ」
「そんなことまで覚えておく必要が……」
「あるぞ」
テンカも頷いた。
「あるんですか?」
「友の好物を知っておくのは大事じゃろう」
「そういうものなのでしょうか」
「そういうものじゃ」
自信を持って答えたものの、別に誰かから教わったわけではない。
ただ、エリーがどんな菓子を好むのかも、ミナが魔導具の話になると目を輝かせることも、知っているからこそ一緒にいて楽しいのだと思う。
「では、私も覚えておきます」
フィアナが言った。
「テンカ様は、焼き菓子なら大抵お好きです」
「随分と大雑把ではないか?」
「違うんですか?」
「……否定はできぬ」
「フロストレイン様は、甘すぎるものより果実を使ったものがお好きですよね」
「ええ。よく見ていますわね」
「アーレン様は?」
「私は……そうですね。今日のこれ、かなり好きです」
ミナが柑橘のパイを示した。
「では、覚えておきます」
フィアナが楽しそうに頷いた。
食べ終えた後も、4人はしばらく店で話していた。
授業のこと。今度試してみたい菓子のこと。学生街で気になっている店のこと。
どれも急いで答えを出す必要のない話ばかりだった。
店を出る頃には、通りを流れる風も少し柔らかくなっていた。
「皆さん。今日はありがとうございました」
フィアナが3人へ頭を下げる。
「礼はいらぬと言うたじゃろう。誘ってくれたのはそなたじゃ」
「そうですけれど……楽しかったので」
「わらわも楽しかったぞ」
「わたくしもですわ」
「私もです」
3人の返事を聞いて、フィアナが笑った。
以前なら、それで話を終えていたかもしれない。
フィアナは少しだけ通りの先へ目を向けてから、もう一度テンカたちを見た。
「今度は、別のお店も探してみたいです」
「おお、よいではないか」
「またフィアナが選びますの?」
「はい。今度は、今日とは違うものがあるところを探してみます」
「ならば楽しみにしておるぞ」
フィアナはしっかりと頷いた。
「はい」
4人は並んで寮区へ向かって歩き出した。
次にどこへ行くのかは、まだ決まっていない。
それでも今度は、筆記帳へ書くより先に、フィアナ自身の口から次の予定が生まれていた。
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