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ハヅキ辺境伯家の五行姫  作者: あの夏と勇者
第2部第4章 接がれた者と翠の姫
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好きなもの

 医務室で状態を確認してもらい、体調にも問題がなかったフィアナに案内され、テンカたちは街の通りを歩いていた。


 いつもなら目的の店を見つければ真っ先に向かうテンカも、今日は先頭を歩くフィアナについていった。曲がり角へ来るたびにフィアナは周囲を確かめ、迷うことなく次の道を選んでいた。


「随分と調べたのう」

「皆さんをお誘いしたのですから、迷うわけにはいきません」

「そこまで気負わずともよいのではありません?」


 エリシアの言葉に、フィアナが振り返った。


「ですが、私が選んだお店ですし……」

「フィアナらしいですわね」


 エリシアが小さく笑った。


 そのまま進んだ先で、フィアナが1軒の店を指した。


「あちらです」


 大きな店ではなかった。通りに面した窓の向こうには焼き菓子が並び、扉を開ける前から甘い香りが漂ってきた。


「おお……」


 テンカの足が自然と速くなった。


「テンカ様、まだ入ってませんよ」

「分かっておる」


 ミナに言われて歩調を戻したものの、目はすでに店内へ向いていた。


 扉を開けると、小麦とバターの香ばしい匂いが一層濃くなった。


 壁際の棚には木の実を練り込んだ菓子や小さなパイが並び、奥の硝子棚には果実を焼き込んだタルトも見えた。店内には幾つかの卓が置かれ、学生らしい客が茶と一緒に菓子を楽しんでいた。


「……全部頼んでは駄目か?」

「駄目ですわ」

「まだ何も言うておらぬぞ!」

「今、仰ったでしょう」

「聞こえておったか……」


 エリシアが呆れたように息をつき、ミナがくすりと笑った。


 フィアナまで口元を緩めていた。


「こちらにしましょう」


 空いていた窓際の卓へ座り、それぞれ品書きを開いた。


 テンカはすぐに目移りした。


「木の実の焼き菓子もよい。こちらの果実のパイも捨てがたいのう。む、この蜂蜜を使ったものも……」

「テンカ。注文は1人分ですわよ」

「分かっておる。だから悩んでおるのじゃ」


 向かいではミナが品書きと値段を交互に見ていたが、ほどなく小さな柑橘のパイを選んだ。


 エリシアは林檎のタルトに決めたらしい。


 フィアナだけが、まだ品書きを見つめていた。


「フィアナは決まらぬのか?」


 声をかけると、フィアナが顔を上げた。


「もう少し考えています」

「どれと迷っておる?」

「人気があるのはこちらだそうです。それから、皆さんと違うものを選んだ方が、いろいろな種類を見られますし……」

「待て待て」


 テンカは途中で止めた。


「そなたは、どれを食べたいのじゃ?」

「私が、ですか?」

「他に誰がおる」


 フィアナはもう一度、品書きへ目を落とした。


 すぐには答えが返ってこなかった。


 人気があるものでも、皆と違うものでもない。ただ自分が食べたいものを選べと言われて、かえって迷っているように見えた。


「美味しそうだと思ったものでよいのではありませんの?」


 エリシアも品書きを閉じた。


「そうですよ。せっかくフィアナ様が選んだお店なんですから」


 ミナにも言われ、フィアナは棚の方へ視線を向けた。


 少しして、1つの菓子のところで目が止まった。


「……では、蜂蜜と木の実の焼き菓子にします」

「決まりじゃな」

「はい」


 注文を終えると、ほどなく茶と菓子が運ばれてきた。


 テンカの前には、バターをたっぷり使った焼き菓子。エリシアの前には薄く切った林檎が重なるタルトが置かれている。


 ひと口食べたテンカは満足して頷いた。


「うむ。これは当たりじゃ」

「先ほどまで他のものに未練たっぷりでしたのに」

「美味ければそれでよい」


 そう答えながら、テンカの視線は隣の皿へ向かった。


 林檎の表面には薄く艶があり、焼けた果実の甘い香りが漂っていた。


 エリシアがフォークを止めた。


「……何ですの?」

「エリー。それも一口くれぬか?」

「人のお皿を覗いて欲しがるなんて、はしたないですわよ」

「駄目か?」


 テンカが尋ねると、エリシアは小さく息をついた。


「駄目とは言っておりませんわ」


 そう言いながら、林檎と生地を一口分だけフォークで切り分けた。


 テンカが自分の皿を差し出そうとすると、エリシアはそのままフォークを持ち上げた。


「ほら」

「む?」


 口元へ差し出されていた。


 テンカは少し首を傾げたものの、そのまま口を開けてタルトを食べた。


「おお、これも美味い」

「そうでしょう?」


 林檎の酸味がほどよく残り、甘さも強すぎない。


 テンカは自分の焼き菓子を一口分切り分け、そのままフォークをエリシアへ向けた。


「では、礼じゃ。エリーも食べるか?」

「……え?」


 エリシアの動きが止まった。


「ほれ」

「じ、自分でいただきますわ」

「もう差し出しておるぞ?」

「そういう問題ではありません!」


 なぜ急に慌てるのか分からない。


 それでもエリシアは少し周囲を気にするように目を動かし、頬を赤くしながらフォークの先へ口を寄せた。


 一口を味わい、エリシアが口元を押さえた。


「……美味しいですわ」

「そうじゃろう」


 テンカは満足して、自分の焼き菓子へフォークを戻した。


「お2人とも、仲がいいですね」


 ミナが微笑んでいた。


「うむ。仲はよいぞ」

「そ、そういう言い方をなさらないでくださいな!」

「違うのですか?」


 フィアナが不思議そうに尋ねる。


「違わなくはありませんけれど……!」


 エリシアの頬がまた少し赤くなった。


 何が気に入らないのか、テンカにはやはり分からない。


「エリーは難しいのう」

「テンカにだけは言われたくありませんわ!」


 ミナがとうとう吹き出し、フィアナも声を抑えながら笑った。


 しばらくして、テンカはフィアナの皿へ目を向けた。


 蜂蜜を練り込んだ生地の上に、細かく砕いた木の実が散らされている。すでに半分ほど減っていた。


「フィアナ。それはどうじゃ?」

「これですか?」


 フィアナは手元の菓子を見た。


 もう一口食べ、ゆっくり味わってから頷いた。


「美味しいです」

「ならばよかったではないか」

「はい」


 フィアナはもう一度、焼き菓子へ目を落とした。


「……私、これが好きかもしれません」


 何気ない言葉だった。


 それでもテンカは、少しだけ目を細めた。


「では、覚えておかねばなりませんわね」


 エリシアが言った。


「覚えるのですか?」

「フィアナが蜂蜜と木の実の焼き菓子を好きだということを、ですわ」

「そんなことまで覚えておく必要が……」

「あるぞ」


 テンカも頷いた。


「あるんですか?」

「友の好物を知っておくのは大事じゃろう」

「そういうものなのでしょうか」

「そういうものじゃ」


 自信を持って答えたものの、別に誰かから教わったわけではない。


 ただ、エリーがどんな菓子を好むのかも、ミナが魔導具の話になると目を輝かせることも、知っているからこそ一緒にいて楽しいのだと思う。


「では、私も覚えておきます」


 フィアナが言った。


「テンカ様は、焼き菓子なら大抵お好きです」

「随分と大雑把ではないか?」

「違うんですか?」

「……否定はできぬ」

「フロストレイン様は、甘すぎるものより果実を使ったものがお好きですよね」

「ええ。よく見ていますわね」

「アーレン様は?」

「私は……そうですね。今日のこれ、かなり好きです」


 ミナが柑橘のパイを示した。


「では、覚えておきます」


 フィアナが楽しそうに頷いた。


 食べ終えた後も、4人はしばらく店で話していた。


 授業のこと。今度試してみたい菓子のこと。学生街で気になっている店のこと。


 どれも急いで答えを出す必要のない話ばかりだった。


 店を出る頃には、通りを流れる風も少し柔らかくなっていた。


「皆さん。今日はありがとうございました」


 フィアナが3人へ頭を下げる。


「礼はいらぬと言うたじゃろう。誘ってくれたのはそなたじゃ」

「そうですけれど……楽しかったので」

「わらわも楽しかったぞ」

「わたくしもですわ」

「私もです」


 3人の返事を聞いて、フィアナが笑った。


 以前なら、それで話を終えていたかもしれない。


 フィアナは少しだけ通りの先へ目を向けてから、もう一度テンカたちを見た。


「今度は、別のお店も探してみたいです」

「おお、よいではないか」

「またフィアナが選びますの?」

「はい。今度は、今日とは違うものがあるところを探してみます」

「ならば楽しみにしておるぞ」


 フィアナはしっかりと頷いた。


「はい」


 4人は並んで寮区へ向かって歩き出した。


 次にどこへ行くのかは、まだ決まっていない。


 それでも今度は、筆記帳へ書くより先に、フィアナ自身の口から次の予定が生まれていた。

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