皇帝の判断
皇城の一室に、1通の書状と2通の資料が広げられていた。
1通は皇国学園長アルディオン=グランディスから届いたもの。残る2通は、その内容をもとに皇国軍情報部がまとめた確認資料だった。
ゼノウス=ファールンは最後の頁まで目を通すと、書状を机へ戻した。
「《万象接脈》か」
他者の属性を持つ魔脈を身体へ接ぎ、生まれ持った適性とは異なる属性を後天的に扱えるようにする研究。
その被験者となっているのが、オルフィス子爵家の令嬢フィアナ=オルフィス。学園で彼女に届けられていた薬には、《澱み》が関わっている疑いまで浮かんでいる。
薬の分析中には学園へ侵入者が現れ、変質した分析物を奪った。さらに、アルディオンがハヅキ辺境伯家へ送った使者まで襲撃されている。
「それで、オルフィス子爵家は?」
ゼノウスが顔を上げる。
机を挟んで立っているのは2人だった。
1人は宰相マクシス=ローズマリー。六大貴族の一角、ローズマリー家の出身である。
もう1人は、皇国軍情報部を預かるレレリア。
浅黒い肌と尖った耳を持ち、表情をほとんど動かさずにゼノウスを見返している。
「現在確認できている範囲では、オルフィス子爵家が何らかの魔術研究を長く続けていることは間違いありません」
レレリアが答えた。
「ただし、《万象接脈》の全容については、まだ裏付けが取れておりません」
「フィアナ=オルフィス本人の証言があるだろう」
「証言だけで子爵家を押さえるには弱い、ということです」
マクシスが横から言葉を添えた。
「ましてオルフィス家は、皇国でも歴史の古い貴族家です。陛下の命であろうと、疑いだけで軍を送り込めば余計な火種になります」
「古ければ何をしても許されるわけではあるまい」
「もちろんです」
マクシスの返事には迷いがない。
「ですから、逃げ道を残さない形で押さえます」
ゼノウスは椅子の背へ身体を預けた。
そこまで言うからには、すでに何か考えているのだろう。
長く宰相を任せている男だった。面倒事が起きるたびに眉間の皺を増やしているが、その頭の回転について疑ったことはない。
「聞こう」
マクシスがレレリアへ視線を向ける。
「まず情報部で《万象接脈》に関わる者を洗います。研究に使われている場所、資金と物資の流れ、薬剤の製造に関わった者。学園へ侵入した人物とのつながりも含めてです」
「すでに動かしています」
レレリアが続けた。
「オルフィス家の表向きの研究記録だけでは足りません。屋敷へ出入りしている研究者と商人についても確認を進めます」
「気づかれるなよ」
「そのための情報部です」
即答だった。
ゼノウスはわずかに口元を緩める。
「頼もしいな」
「お褒めの言葉として受け取っておきます」
レレリアの表情は変わらない。
「証拠が揃えば?」
ゼノウスが尋ねると、マクシスが答えた。
「監察軍を動かします」
室内の空気がわずかに重くなった。
「オルフィス子爵家の本邸だけではありません。《万象接脈》に使われている研究施設が他にあるなら、可能な限り同時に押さえます。研究者や記録を逃がしては意味がありません」
「子爵本人もか」
「当然です。研究への関与が確認できれば、ヴァルター=オルフィスも拘束対象になります」
ゼノウスは、フィアナへ施された処置や、接がれた火と水の魔脈について書かれた箇所を見返した。
なかでも、成果を出せなくなれば「処分対象になる」と教えられてきたという話は、読んだ時から腹の底に残っていた。
「《澱み》についてはどうする」
「こちらも確認を急がせます」
レレリアが答える。
「現時点で確かなのは、学園で調べられた薬が火と水の魔力を取り込み、黒紫色へ変質したこと。そしてアルディオン殿が、過去に見た《澱み》に汚染された魔物との類似を指摘していることです」
「つまり、まだ疑いの段階か」
「はい」
レレリアは短く答えた。
「《澱み》が使われていると証明できれば、話は大きく変わります」
「分かった」
ゼノウスは指先で机を軽く叩いた。
すぐに兵を送り込むことはできる。皇帝の命令で門を破り、屋敷を制圧し、ヴァルターを連行するだけなら難しいことではない。
問題は、その後だった。
証拠がなければ、古い貴族家を皇帝が力任せに潰したという事実だけが残る。オルフィス家と縁を持つ者もいるだろう。皇帝の権力を警戒する貴族も出る。
ならば、誰にも言い逃れのできない形で押さえる。
「レレリア」
「はい」
「証拠を集めよ。《万象接脈》の研究内容だけではない。誰が関わり、どこで行われ、何を使っているのか。余が監察軍へ命を下す時には、すべて並べられるようにしておけ」
「承知しました」
レレリアが頭を下げる。
「必要であれば、学園長とハヅキ辺境伯家からも情報を受け取れ。すでに向こうも動いている」
「手配します」
「よい。下がれ」
一礼したレレリアが部屋を出ていった。
扉が閉じると、ゼノウスは椅子へ深く座り直した。
「……まったく、面倒だな」
向かいに残ったマクシスが眉を上げる。
「陛下」
「もう2人きりだろう」
ゼノウスは頬杖をついた。
「俺が俺と言ったくらいで国は滅びん」
「滅びはしませんが、先ほどまで随分と真面目な顔をなさっていたので」
「皇帝だからな。人前では真面目な顔くらいする」
マクシスが小さく息を吐いた。
昔から変わらない反応だった。
「今すぐ押さえたい、という顔をしておられましたよ」
「分かるか」
「何年のお付き合いだと思っているのです」
ゼノウスは机の上から、アルディオンの書状を拾い上げた。
「学生1人を研究材料にしておいて、証拠が足りないから待てと言われればな」
「お気持ちは分かります」
「俺は待つのが嫌いだ」
「それも知っています」
マクシスは淡々と返した。
「だから私が宰相をしているのでしょう」
「苦労をかけるな」
「自覚がおありなら、少しは減らしてください」
ゼノウスは笑った。
マクシスは笑わなかった。
「冗談だ」
「存じております」
書状を机へ戻す。
ゼノウスの表情から笑みが消えた。
「逃がすなよ、マクシス」
「もちろんです」
今度の返事には、苦労人らしい溜息もなかった。
「動く時は、一度で終わらせます」
ゼノウスは静かに頷いた。
皇国軍情報部は、すでに動き始めている。
あとは、オルフィス子爵家が逃げられないだけの証拠を揃えるだけだった。
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