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ハヅキ辺境伯家の五行姫  作者: あの夏と勇者
第2部第3章 幕間
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幕間 ルルの観光案内「石段の先で手を合わせて」

 天巡神社へ続く石段の下で、ルルは首を大きく後ろへ倒した。


 石段の先には、正面の鳥居が見えている。その向こうには木々の緑が広がり、上っていく参拝者の姿が途中で小さくなっていた。


「改めて見ると、結構あるにゃ」


 隣に立つシエナが、革鞄から紙と鉛筆を取り出した。


「何度も来たことがあるのでしょう?」

「あるにゃ。でも、普段はいちいち石段の数なんて気にしないにゃ」

「今日は旅人へ紹介するための取材です」

「分かってるにゃ」


 ルルは肩から下げた布袋を持ち直した。


 フクキタルに続いて領都の朝市を紹介し、次に選んだ場所が天巡神社だった。


 最初の草稿を考えた時から、候補には入っていた場所である。


 領都で暮らしていれば、天巡神社という名前を聞かない日はほとんどない。祭事の知らせもあれば、祈祷へ向かう者の話もある。領内にはいくつもの神社や祠があるが、その中心となるのがここだった。


「まず、何を書きますか?」


 シエナに尋ねられ、ルルは石段を見上げた。


「石段が長いにゃ」

「もう少し行きたくなる書き方をしてください」

「上まで行けば景色がいいにゃ」

「まだ上っていませんよ」

「知ってるにゃ」

「今日は、見たことと聞いたことを書きましょう」

「シエナは相変わらず細かいにゃ……」


 ルルは尻尾を揺らしながら、石段へ足をかけた。


 上っていく途中にも、様々な者とすれ違う。


 小さな子供の手を引く夫婦。荷物を背負った旅人。年配の女性と、その歩調に合わせてゆっくり石段を下りる若者。


 領都の者らしい服装もあれば、見慣れない旅装の者もいる。


「領外から来た人もいるみたいだにゃ」

「天巡神社は、旅人でも参拝できるのですよね?」

「できるにゃ。旅に出る前に来る人もいるにゃ」


 ルルも紙を取り出し、石段の途中で立ち止まって書き込んだ。


 ――石段は急がず上る。


「それは案内というより注意書きですね」

「大事にゃ。途中で疲れて動けなくなったら困るにゃ」

「ルルは元気そうですが」

「猫獣人を基準にしたら駄目にゃ」


 話しているうちに、鳥居が近づいてきた。


 最後の石段を上りきると、領都のざわめきが少し遠くなる。


 白砂の境内の先に本殿があり、参拝者たちが静かに祈っている。その脇には社務所があり、神職が訪れた者の応対をしていた。


 さらに奥には神楽殿の屋根も見える。


 朝市とはまるで違う場所だった。


 威勢のよい呼び声も、焼けた肉や魚の匂いもない。


 聞こえるのは、足音と低い話し声。それから、風に揺れる木々の音だった。


「静かだにゃ」


 ルルが呟く。


「それも草稿に書けそうですね」

「静かで、白い砂が綺麗で……」

「ほかには?」

「今考えてるところにゃ」


 シエナが口元をわずかに緩めた。


 その時、社務所の方から白と緋の装束を纏った少女が歩いてきた。


 月明かりを溶かしたような白銀の髪に、淡い翡翠色の瞳。


 少女は2人の前で足を止め、丁寧に頭を下げた。


「お待ちしておりました。彩宮書店のシエナ様ですね」

「はい。本日はありがとうございます」


 シエナも頭を下げる。


「こちらが、旅案内書の記事を書いているルルです」

「ルルにゃ。よろしくお願いしますにゃ」

「スズネと申します。天巡神社で神楽巫女を務めています」


 事前にシエナが取材の許可を取っていたらしい。


 スズネは穏やかに微笑むと、本殿の方へ身体を向けた。


「どのようなことをご覧になりたいですか?」

「旅人に、天巡神社の何を紹介したらいいのか知りたいにゃ」


 答えると、スズネは少し考えた。


「でしたら、まずは普段の境内をご覧になるのがよいと思います」

「普段?」

「はい。特別な祭事がない日の神社です」


 ルルは本殿へ目を向けた。


 先ほどの親子が並んで頭を下げている。


 少し離れた場所では、旅装の男性が神職と言葉を交わしていた。


「ここには、お願いごとをしに来るのかにゃ?」

「それもあります」


 スズネは頷いた。


「旅へ出る前に無事を祈る方もいます。子供が生まれたことを報告に来るご家族や、婚姻の節目に訪れる方もいらっしゃいます」

「そんなに色々あるのかにゃ」

「亡くなった方を送るための祭祀もあります。天巡神社は、何か1つだけを願うための場所ではありませんから」


 ルルは紙へ書こうとして、鉛筆を止めた。


「難しいにゃ」

「何がですか?」

「全部書いたら、案内書が天巡神社だけでいっぱいになるにゃ」


 シエナが静かに頷く。


「それは困りますね」

「そこは否定してほしかったにゃ」


 スズネが小さく笑った。


 3人は境内をゆっくり歩いた。


 社務所の前では、神職が旅人の話を聞いている。本殿では年配の夫婦が並んで祈り、その後ろでは小さな子供が両親の真似をして頭を下げていた。


 同じ場所に来ていても、祈る理由はそれぞれ違うらしい。


「スズネ。観光で来るだけでもいいのかにゃ?」

「もちろんです。ただ、祈っている方や祭祀の妨げにならないようにしていただければ」


 スズネは境内を見渡した。


「初めてこの土地へ来た方が、どのような場所なのか知ろうとしてくださることも、大切なことだと思います」

「じゃあ、何もお願いごとがなくてもいいにゃ?」

「はい」


 あっさり返され、ルルの猫耳が動いた。


「お願いごとを考えてから来ないと駄目なのかと思ってたにゃ」

「お願いをするだけが祈りではありませんよ」


 スズネの視線が、本殿へ向く。


「無事に帰ってこられたことを報告する方もいます。誰かのことを思って手を合わせる方もいます。言葉にすることがなくても、静かに頭を下げる方もいます」


 ルルはしばらく境内を見回した。


 旅人も、子供も、年寄りもいる。


 同じように頭を下げていても、胸の中にあるものは違うのだろう。


「それなら、旅人にも紹介しやすいにゃ」

「なぜですか?」

「知らない土地の神社で、何をお願いしたらいいか分からなくても困らないにゃ」


 スズネが目元を和らげた。


「そうですね」


 境内の奥へ進むと、神楽殿が見えてきた。


 磨かれた板張りの舞台。その周囲には、祭祀に使われる火皿が置かれている。


「ここが神楽殿にゃ?」

「はい」


 スズネの声が少しだけ改まった。


「季節の祭事などで、舞を奉納する場所です」

「送り火の時も?」

「はい。送り火の夜には、ここで鎮魂の舞を奉納します」


 シエナが鉛筆を走らせる。


「亡くなった方を迎えるための舞でしょうか?」

「いいえ」


 スズネは静かに首を横へ振った。


「死者を呼び戻すためではありません。生きる者が別れを告げ、亡き方を送るための舞です」


 ルルは神楽殿を見上げた。


 普段の境内は穏やかで、今も本殿の前では参拝者が静かに祈っている。


 それでもここでは、誰かが生まれた時も、旅立つ時も、婚姻を結ぶ時も、亡くなった者を送る時も、人が手を合わせる。


「天巡神社って、領都の人だけの神社じゃないんだにゃ」

「はい。領内にある分社や祠を束ねる総社でもあります」


 スズネが答える。


「領都から離れた場所でも、同じように祭祀を守っている神職がいます。天巡神社だけですべてを担っているわけではありません」

「みんなの神社が、ここにつながってるのかにゃ?」

「役目としては、そう考えていただいてよいと思います」


 ルルは紙へ書き込んだ。


 何度も来たことのある場所だった。


 けれど、旅人へ説明しようとすると、知らなかったことがいくつも出てくる。


 朝市の時と同じだった。


「シエナ」

「はい?」

「書きたいこと、決まったにゃ」


 ルルは新しい紙を取り出し、その場にしゃがんで膝の上に置くと、すぐに書き始めようとした。


「ここで清書するつもりですか?」

「忘れないうちに書くにゃ」

「戻ってからにしましょう。紙が汚れます」

「朝市の時も汚れたけど、ちゃんと読めたにゃ」

「汁とたれの染みが付いていましたね」

「あれは取材の証にゃ」

「今回は白砂の証を付ける必要はありません」


 紙をしまうよう促され、ルルは渋々布袋へ戻した。


 取材を終え、2人はスズネへ礼を言った。


「またお越しください」


 スズネが頭を下げる。


「次は普通にお参りに来るにゃ」

「はい。お待ちしております」


 帰りの石段へ向かう途中、ルルはもう一度境内を振り返った。


 白砂の向こうに本殿があり、その奥には神楽殿が見える。


 参拝者たちは、それぞれの理由でそこへ足を運んでいた。


 ◇  ◇  ◇


 フクキタルへ戻ると、ルルはすぐに新しい紙を広げた。


 シエナが向かいの席へ座り、革鞄から取材中の記録を取り出す。


「では、書いてみましょう」

「任せるにゃ」


 ルルは鉛筆を握った。


 石段をゆっくり上ること。

 境内では、祈っている者や祭祀の邪魔をしないこと。

 旅へ出る前にも、帰ってきた後にも訪れる者がいること。

 お願いごとがなくても構わないこと。


 少し考えてから、紙の一番上へ文字を書いた。


 ――天巡神社へ行くなら、石段はゆっくり上るにゃ。


 もう一行。


 ――お願いごとがなくても大丈夫にゃ。旅に出る人も、帰ってきた人も、大切な誰かを思う人も、ここで手を合わせているにゃ。


 シエナが横から草稿を読む。


「よいと思います」

「まだあるにゃ」


 ルルはさらに書き足した。


 ――天巡神社は、ハヅキ領で暮らす人たちの節目に寄り添ってきた場所にゃ。旅人でも、静かにお参りすれば歓迎してもらえるにゃ。


 そこで鉛筆を止めた。


「どうにゃ?」

「天巡神社へ行ったことのない方にも、雰囲気が伝わると思います」


 ルルの尻尾が嬉しそうに持ち上がった。


「それと、もう1つ大事なことがあるにゃ」

「何でしょう」


 ルルは紙の最後へ勢いよく書き込む。


 ――帰りには、フクキタルで甘いものを食べるともっといいにゃ。


「削ります」

「なんでにゃ!」

「天巡神社の紹介です」

「石段を上った後は甘いものが必要にゃ!」

「必要ではありません」

「必要にゃ!」


 言い合っていると、厨房からコリンズが顔を出した。


「私は残していただいても構いませんよ」

「店主まで何を言っているのですか」

「ほら、コリンズさんも賛成にゃ!」


 シエナは額へ手を当て、小さく息を吐いた。


 その横で、ルルは消されないうちに最後の一文を丸で囲んだ。

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