幕間 ルルの観光案内「石段の先で手を合わせて」
天巡神社へ続く石段の下で、ルルは首を大きく後ろへ倒した。
石段の先には、正面の鳥居が見えている。その向こうには木々の緑が広がり、上っていく参拝者の姿が途中で小さくなっていた。
「改めて見ると、結構あるにゃ」
隣に立つシエナが、革鞄から紙と鉛筆を取り出した。
「何度も来たことがあるのでしょう?」
「あるにゃ。でも、普段はいちいち石段の数なんて気にしないにゃ」
「今日は旅人へ紹介するための取材です」
「分かってるにゃ」
ルルは肩から下げた布袋を持ち直した。
フクキタルに続いて領都の朝市を紹介し、次に選んだ場所が天巡神社だった。
最初の草稿を考えた時から、候補には入っていた場所である。
領都で暮らしていれば、天巡神社という名前を聞かない日はほとんどない。祭事の知らせもあれば、祈祷へ向かう者の話もある。領内にはいくつもの神社や祠があるが、その中心となるのがここだった。
「まず、何を書きますか?」
シエナに尋ねられ、ルルは石段を見上げた。
「石段が長いにゃ」
「もう少し行きたくなる書き方をしてください」
「上まで行けば景色がいいにゃ」
「まだ上っていませんよ」
「知ってるにゃ」
「今日は、見たことと聞いたことを書きましょう」
「シエナは相変わらず細かいにゃ……」
ルルは尻尾を揺らしながら、石段へ足をかけた。
上っていく途中にも、様々な者とすれ違う。
小さな子供の手を引く夫婦。荷物を背負った旅人。年配の女性と、その歩調に合わせてゆっくり石段を下りる若者。
領都の者らしい服装もあれば、見慣れない旅装の者もいる。
「領外から来た人もいるみたいだにゃ」
「天巡神社は、旅人でも参拝できるのですよね?」
「できるにゃ。旅に出る前に来る人もいるにゃ」
ルルも紙を取り出し、石段の途中で立ち止まって書き込んだ。
――石段は急がず上る。
「それは案内というより注意書きですね」
「大事にゃ。途中で疲れて動けなくなったら困るにゃ」
「ルルは元気そうですが」
「猫獣人を基準にしたら駄目にゃ」
話しているうちに、鳥居が近づいてきた。
最後の石段を上りきると、領都のざわめきが少し遠くなる。
白砂の境内の先に本殿があり、参拝者たちが静かに祈っている。その脇には社務所があり、神職が訪れた者の応対をしていた。
さらに奥には神楽殿の屋根も見える。
朝市とはまるで違う場所だった。
威勢のよい呼び声も、焼けた肉や魚の匂いもない。
聞こえるのは、足音と低い話し声。それから、風に揺れる木々の音だった。
「静かだにゃ」
ルルが呟く。
「それも草稿に書けそうですね」
「静かで、白い砂が綺麗で……」
「ほかには?」
「今考えてるところにゃ」
シエナが口元をわずかに緩めた。
その時、社務所の方から白と緋の装束を纏った少女が歩いてきた。
月明かりを溶かしたような白銀の髪に、淡い翡翠色の瞳。
少女は2人の前で足を止め、丁寧に頭を下げた。
「お待ちしておりました。彩宮書店のシエナ様ですね」
「はい。本日はありがとうございます」
シエナも頭を下げる。
「こちらが、旅案内書の記事を書いているルルです」
「ルルにゃ。よろしくお願いしますにゃ」
「スズネと申します。天巡神社で神楽巫女を務めています」
事前にシエナが取材の許可を取っていたらしい。
スズネは穏やかに微笑むと、本殿の方へ身体を向けた。
「どのようなことをご覧になりたいですか?」
「旅人に、天巡神社の何を紹介したらいいのか知りたいにゃ」
答えると、スズネは少し考えた。
「でしたら、まずは普段の境内をご覧になるのがよいと思います」
「普段?」
「はい。特別な祭事がない日の神社です」
ルルは本殿へ目を向けた。
先ほどの親子が並んで頭を下げている。
少し離れた場所では、旅装の男性が神職と言葉を交わしていた。
「ここには、お願いごとをしに来るのかにゃ?」
「それもあります」
スズネは頷いた。
「旅へ出る前に無事を祈る方もいます。子供が生まれたことを報告に来るご家族や、婚姻の節目に訪れる方もいらっしゃいます」
「そんなに色々あるのかにゃ」
「亡くなった方を送るための祭祀もあります。天巡神社は、何か1つだけを願うための場所ではありませんから」
ルルは紙へ書こうとして、鉛筆を止めた。
「難しいにゃ」
「何がですか?」
「全部書いたら、案内書が天巡神社だけでいっぱいになるにゃ」
シエナが静かに頷く。
「それは困りますね」
「そこは否定してほしかったにゃ」
スズネが小さく笑った。
3人は境内をゆっくり歩いた。
社務所の前では、神職が旅人の話を聞いている。本殿では年配の夫婦が並んで祈り、その後ろでは小さな子供が両親の真似をして頭を下げていた。
同じ場所に来ていても、祈る理由はそれぞれ違うらしい。
「スズネ。観光で来るだけでもいいのかにゃ?」
「もちろんです。ただ、祈っている方や祭祀の妨げにならないようにしていただければ」
スズネは境内を見渡した。
「初めてこの土地へ来た方が、どのような場所なのか知ろうとしてくださることも、大切なことだと思います」
「じゃあ、何もお願いごとがなくてもいいにゃ?」
「はい」
あっさり返され、ルルの猫耳が動いた。
「お願いごとを考えてから来ないと駄目なのかと思ってたにゃ」
「お願いをするだけが祈りではありませんよ」
スズネの視線が、本殿へ向く。
「無事に帰ってこられたことを報告する方もいます。誰かのことを思って手を合わせる方もいます。言葉にすることがなくても、静かに頭を下げる方もいます」
ルルはしばらく境内を見回した。
旅人も、子供も、年寄りもいる。
同じように頭を下げていても、胸の中にあるものは違うのだろう。
「それなら、旅人にも紹介しやすいにゃ」
「なぜですか?」
「知らない土地の神社で、何をお願いしたらいいか分からなくても困らないにゃ」
スズネが目元を和らげた。
「そうですね」
境内の奥へ進むと、神楽殿が見えてきた。
磨かれた板張りの舞台。その周囲には、祭祀に使われる火皿が置かれている。
「ここが神楽殿にゃ?」
「はい」
スズネの声が少しだけ改まった。
「季節の祭事などで、舞を奉納する場所です」
「送り火の時も?」
「はい。送り火の夜には、ここで鎮魂の舞を奉納します」
シエナが鉛筆を走らせる。
「亡くなった方を迎えるための舞でしょうか?」
「いいえ」
スズネは静かに首を横へ振った。
「死者を呼び戻すためではありません。生きる者が別れを告げ、亡き方を送るための舞です」
ルルは神楽殿を見上げた。
普段の境内は穏やかで、今も本殿の前では参拝者が静かに祈っている。
それでもここでは、誰かが生まれた時も、旅立つ時も、婚姻を結ぶ時も、亡くなった者を送る時も、人が手を合わせる。
「天巡神社って、領都の人だけの神社じゃないんだにゃ」
「はい。領内にある分社や祠を束ねる総社でもあります」
スズネが答える。
「領都から離れた場所でも、同じように祭祀を守っている神職がいます。天巡神社だけですべてを担っているわけではありません」
「みんなの神社が、ここにつながってるのかにゃ?」
「役目としては、そう考えていただいてよいと思います」
ルルは紙へ書き込んだ。
何度も来たことのある場所だった。
けれど、旅人へ説明しようとすると、知らなかったことがいくつも出てくる。
朝市の時と同じだった。
「シエナ」
「はい?」
「書きたいこと、決まったにゃ」
ルルは新しい紙を取り出し、その場にしゃがんで膝の上に置くと、すぐに書き始めようとした。
「ここで清書するつもりですか?」
「忘れないうちに書くにゃ」
「戻ってからにしましょう。紙が汚れます」
「朝市の時も汚れたけど、ちゃんと読めたにゃ」
「汁とたれの染みが付いていましたね」
「あれは取材の証にゃ」
「今回は白砂の証を付ける必要はありません」
紙をしまうよう促され、ルルは渋々布袋へ戻した。
取材を終え、2人はスズネへ礼を言った。
「またお越しください」
スズネが頭を下げる。
「次は普通にお参りに来るにゃ」
「はい。お待ちしております」
帰りの石段へ向かう途中、ルルはもう一度境内を振り返った。
白砂の向こうに本殿があり、その奥には神楽殿が見える。
参拝者たちは、それぞれの理由でそこへ足を運んでいた。
◇ ◇ ◇
フクキタルへ戻ると、ルルはすぐに新しい紙を広げた。
シエナが向かいの席へ座り、革鞄から取材中の記録を取り出す。
「では、書いてみましょう」
「任せるにゃ」
ルルは鉛筆を握った。
石段をゆっくり上ること。
境内では、祈っている者や祭祀の邪魔をしないこと。
旅へ出る前にも、帰ってきた後にも訪れる者がいること。
お願いごとがなくても構わないこと。
少し考えてから、紙の一番上へ文字を書いた。
――天巡神社へ行くなら、石段はゆっくり上るにゃ。
もう一行。
――お願いごとがなくても大丈夫にゃ。旅に出る人も、帰ってきた人も、大切な誰かを思う人も、ここで手を合わせているにゃ。
シエナが横から草稿を読む。
「よいと思います」
「まだあるにゃ」
ルルはさらに書き足した。
――天巡神社は、ハヅキ領で暮らす人たちの節目に寄り添ってきた場所にゃ。旅人でも、静かにお参りすれば歓迎してもらえるにゃ。
そこで鉛筆を止めた。
「どうにゃ?」
「天巡神社へ行ったことのない方にも、雰囲気が伝わると思います」
ルルの尻尾が嬉しそうに持ち上がった。
「それと、もう1つ大事なことがあるにゃ」
「何でしょう」
ルルは紙の最後へ勢いよく書き込む。
――帰りには、フクキタルで甘いものを食べるともっといいにゃ。
「削ります」
「なんでにゃ!」
「天巡神社の紹介です」
「石段を上った後は甘いものが必要にゃ!」
「必要ではありません」
「必要にゃ!」
言い合っていると、厨房からコリンズが顔を出した。
「私は残していただいても構いませんよ」
「店主まで何を言っているのですか」
「ほら、コリンズさんも賛成にゃ!」
シエナは額へ手を当て、小さく息を吐いた。
その横で、ルルは消されないうちに最後の一文を丸で囲んだ。
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