幕間 ふたりのメイド
ある日の午後、キリカには珍しく予定がなかった。
テンカはエリシアやミナと一緒に、寮区の談話室で課題に取り組んでいる。最初はいつものように控えているつもりだったが、テンカ本人から「わらわは勉強をするだけじゃ。たまにはそなたも好きに過ごしてこい」と追い出されてしまった。
もちろん、何かあればすぐに戻れるようにはしてある。
それでも、姫さまの側を離れて自由に過ごせと言われても、何をすればよいのか分からなかった。
東棟を出たところで、キリカは見覚えのある姿を見つけた。
「キリカさん」
声をかけてきたのは、エリシアに仕える専属メイドだった。
名はセシル。艶のある深い赤茶色の髪を低い位置でまとめ、琥珀色の瞳をした少女である。キリカより1つ年上で、学園ではエリシアの登録随行者として付き添っていた。
「セシルさん。こちらにいらしたのですね」
「はい。エリシア様から、しばらく休んでくるようにと言われまして」
「……わたしも、ほとんど同じことを言われました」
2人は顔を見合わせた。
「でしたら、学園都市の中を少し散策しませんか?」
「散策、ですか?」
「ええ。せっかく時間ができたのですから」
キリカは返事に詰まった。
特に用事もなく、街を歩く。
姫さまの買い物でも、護衛でも、屋敷から頼まれた用事でもない。そんな時間を最後に過ごしたのがいつだったか、すぐには思い出せなかった。
「……そうですね。ご一緒します」
2人は並んで寮区を出た。
学園の周辺には、学生向けの店が多い。書店や文具店だけでなく、衣服や日用品を扱う店、軽食を売る屋台も並んでいる。
通りには制服姿の学生が行き交い、その間を荷車や乗合馬車がゆっくりと進んでいた。
「思っていたより人が多いですね」
キリカは通りを眺めた。
視線は自然と人の流れを追い、路地の位置や交差点までの距離を確認してしまう。向かい側には警備の詰所があり、その先には馬車の通れる大通りが続いていた。
「キリカさん」
「はい?」
「先ほどから、路地や警備の詰所ばかり見ていませんか?」
「念のため、周囲を確認していました」
セシルが口元を緩めた。
「せっかくの散策なのですから、お店や景色も見ませんか?」
「……そうですね」
言われて正面へ視線を戻したキリカは、すぐに気づいた。
「セシルさんも、先ほど詰所にいた人の数を数えていましたよね」
「癖です」
「わたしもです」
「では、お互い様ですね」
今度はキリカも笑った。
歩いているうちに、セシルが日用品を扱う店の前で立ち止まった。
「少しだけよろしいですか?」
「もちろんです」
店へ入ると、セシルは迷うことなく棚の間を進んだ。手に取ったのは髪を整えるための油と、白い布を束ねた包みだった。
「エリシア様がお使いになるものですか?」
「ええ。こちらへ来てから、髪油の減りが早くて」
「気候が違うからでしょうか」
「それもありますけれど、最近は外へ出ることが増えて、風に当たる時間も長くなりましたので」
セシルは商品を確かめながら、穏やかに続けた。
「以前は、ご自分から街へ出たいなどとはあまり仰らなかったのです」
「そうなのですか?」
「ええ。必要があれば出かけますし、興味を持った場所へは迷わず向かわれます。ただ、誰かと遊びに行くというのは珍しくて」
キリカの頭に、テンカと並んで寮を出ていくエリシアの姿が浮かんだ。
「姫さまも、楽しそうです」
「エリシア様もです」
セシルが即答した。
その声が少し嬉しそうに聞こえて、キリカは目元を和らげた。
買い物を終えて店を出ると、今度はキリカが足を止めた。店先に並んでいたのは、様々な色の髪紐だった。
「姫さまの髪に使えそうですね」
黒髪には何色が似合うだろう。
深紅もよい。淡い金色なら、普段とは違った印象になるかもしれない。
「キリカさん」
「はい」
「ご自分の物は見ないのですか?」
「わたしの、ですか?」
思ってもいなかったことを聞かれた。
「ええ。せっかくですから」
「ですが、特に必要なものはありません」
「必要かどうかで選ばなくてもよいのでは?」
キリカは髪紐の並ぶ棚へ目を戻した。
「セシルさんは、ご自分の物を買われたのですか?」
「……まだです」
「では、お互い様ですね」
「一本取られました」
セシルが笑った。
結局、2人とも髪紐を1本ずつ買うことになった。
キリカが選んだのは淡い紅色。セシルは深い青色だった。
店を出た頃には、散策を始めてからそれなりに時間が経っていた。
「少し休みませんか?」
セシルが指した先には、小さな喫茶店があった。
窓際の席へ向かい合って座り、温かい紅茶と焼き菓子を頼む。
キリカは運ばれてきた菓子を見た瞬間、無意識に考えていた。
姫さまも好きそうだ。
「今、テンカ様のお顔を思い浮かべませんでしたか?」
「……分かりますか?」
「わたしも、エリシア様にお持ち帰りできるか考えていました」
また同じだった。
キリカは焼き菓子を1つ口へ運んだ。ほどよい甘さと、香ばしい木の実の味が広がる。
「セシルさんは、エリシア様に長く仕えているのですか?」
「幼い頃からです。正式に専属となったのは後ですが、ずっとお側にはいました」
セシルは紅茶の器を置いた。
「キリカさんも、テンカ様とは長いのでしょう?」
「はい。姫さまが幼い頃からお仕えしています」
「護衛もされるとか」
「まだまだ未熟です。姫さまの方が、ずっとお強くなられましたから」
それは嬉しくもあり、時々困ることでもあった。
「強い方ほど、止めるのが大変ではありませんか?」
「……分かりますか?」
「とても」
セシルの返事には迷いがなかった。
「エリシア様は、興味を持たれるとすぐに確かめたがります。危険だからお止めすると、『確認するだけですわ』と」
「姫さまは『案ずるな』と仰います」
「その後は?」
「大抵、案じることになります」
「同じですね」
2人はしばらく顔を見合わせ、どちらからともなく笑った。
こんなふうに姫さまのことを話したのは、初めてだった。
ハヅキ家には同じ仕事をする者もいる。それでも、テンカだけに仕えるキリカの立場を、そのまま分かち合える相手はいなかった。
学園へ来てからは、その感覚がさらに強くなっている。
「少し、不思議なんです」
気づけば、キリカは口にしていた。
「何がですか?」
「学園へ来てから、姫さまのお側にいない時間が増えました」
授業には入れない。試験にも手を出せない。学生同士のことへ、自分の判断だけで割って入ることもできない。
「最初は落ち着きませんでした。今でも、心配ではあります」
「それでも、ここへ来てよかったと思っているのですね」
キリカはセシルを見た。
「顔に出ていましたか?」
「少しだけ」
セシルは穏やかに笑っていた。
キリカは紅茶へ視線を落とした。
「姫さまには、姫さまの世界がありますから」
エリシアがいる。ミナがいる。フィアナがいる。
自分の知らない授業を受け、自分のいない場所で友人たちと話し、自分で考えて選んでいる。
「わたしがずっと手を引いていては、いけないのでしょうね」
「分かります」
セシルは静かに頷いた。
「わたしも、エリシア様が誰かと出かけるたびに、少し寂しく思うことがあります」
「セシルさんも?」
「もちろんです。専属メイドですから」
さらりと言ってから、セシルは焼き菓子を一口食べた。
「ですが、戻ってきたエリシア様が楽しそうにお話しになるので、それなら悪くないと思えるんです」
「……そうですね」
キリカにも覚えがあった。
テンカは出かけた先で見たものを話してくれる。
珍しい店があった。ミナが変わったものに夢中になっていた。エリーとこんな話をした。
その時の姫さまは、いつも楽しそうだった。
「キリカさん」
「はい」
「今日は、誘ってよかったです」
「わたしもです」
「では、またご一緒していただけますか?」
「もちろんです」
「次は、今日とは違う通りも見てみましょう」
「はい。わたしも行ってみたい場所を探しておきます」
店を出る前に、2人は焼き菓子を包んでもらった。
キリカの分はテンカへ。セシルの分はエリシアへ。
「結局、最後まで主人のことを考えてしまいましたね」
「仕方ありません。喜ぶ顔が見たいですから」
セシルの言葉に、キリカは頷いた。
学園都市の通りへ戻り、2人は寮区へ向かって並んで歩き出した。
行きと同じ道なのに、帰り道は少しだけ短く感じられた。
学園編入ってから、影が薄くなったキリカを…たまにでいいから思い出してください……
評価やブックマークで応援いただけると、執筆の励みになりますのでよろしくお願いいたします!




