エピローグ 動き出す者たち
ハヅキ辺境伯家の執務室。
コトネの前には、学園都市から届いた2通の書状が並べられていた。
1通は学園長アルディオン=グランディスから。もう1通は、レイナが学園で知り得た状況をまとめたものだった。
机を囲むのは、コトネとアルバート。そして滅魔旅団団長のクレハと、副長のトウマである。
「学園長からの書状と、レイナの報告に大きな食い違いはありません」
トウマが手元の書状を確認する。
「フィアナ=オルフィス嬢に届けられていた薬が、火と水の魔力へ反応して黒紫色に変質した。その際に生じた分析物は何者かに奪われ、こちらへ向かった使者も襲撃されています」
「薬そのものの成分は?」
「学園で行われた通常の分析では、異常は見つからなかったそうです。ただし、魔力を与えた後の変化について、学園長は過去に見た《澱み》に汚染された魔物との類似を疑っています」
コトネは書状へ視線を落とした。
《澱み》。
その言葉を、ハヅキ家が軽く扱うことはできない。
「フィアナという子の父親は、オルフィス子爵だったね」
アルバートが口を開いた。
「ええ」
コトネは頷いた。
「学園長も、現時点では薬と《澱み》の関係を断定していません。ですが、分析物を奪うために学園へ侵入した者がいる以上、偶然で片づけるわけにはいかないでしょう」
「使者まで襲っていますからね」
クレハの穏やかな表情から、いつもの柔らかさが消えていた。
「学園側だけに任せるには、少々きな臭すぎます」
「同感です」
トウマが銀縁の眼鏡を押し上げる。
「《澱み》が関わる可能性を考えるなら、こちらから調査に適した人員を送るべきでしょう」
クレハがすぐに名前を挙げた。
「マリエラさんですね」
「はい。元は魔導協会の研究者です。魔物の変異や瘴気の調査にも慣れています。学園側の研究者とは違った視点から薬を調べられるかと」
コトネも同じ人物を考えていた。
マリエラ=ヴェルナー。
未知の現象を前にすると少々前のめりになるところはあるが、今回必要なのは、まさに未知を調べる者だった。
「問題は護衛だね」
アルバートが書状の一節を指で示した。
「学園の分析室へ侵入できる相手だ。マリエラを1人で向かわせるわけにはいかない」
「道中には護衛を付けましょう」
コトネは続けた。
「学園都市へ到着した後は、第二討伐隊にそのまま現地へ残ってもらいます。ローディスには、マリエラの護衛と周辺の警戒を任せましょう」
「承知しました、コトネ様」
クレハが頷く。
「トウマ。マリエラへ事情を伝え、出立の準備を。学園長にも、こちらから調査員を派遣すると返書を送ってください」
「直ちに」
トウマが書状をまとめて立ち上がった。
クレハも席を立つ。
コトネは机上に残されたレイナの書状へ、もう一度目を落とした。
学園へ送り出した2人の娘。そのすぐ近くで、何かが起きている。
ならば、こちらも動くまでだった。
◇ ◇ ◇
学園長室の机には、新たな記録が置かれていた。
フィアナから聞き取った《万象接脈》についてまとめたものだった。
他者の属性を持つ魔脈を身体へ接ぎ、後天的に扱える属性を増やしていく研究。その先に、あらゆる属性へ至ることを目指しているという。
そして、その研究にオルフィス子爵家が関わっている。
アルディオンは記録の最後まで目を通すと、机の脇に置いていた便箋を引き寄せた。
もはや、学園の中だけで調べてよい問題ではなかった。
貴族家が関与する人体への処置。《澱み》との関連が疑われる薬。学園への侵入と分析物の強奪。
アルディオンは2通の書状を書き終えると、それぞれを封筒へ収めて封をした。
ちょうどその時、扉が叩かれた。
「どうぞ」
入ってきたのは、先日の襲撃で負傷し、職務へ復帰した補佐だった。
「お呼びでしょうか」
「ええ。こちらをお願いします」
アルディオンは2通の書状を差し出した。
「1通は宰相へ。もう1通は皇帝陛下へ届けてください」
「承知しました」
補佐が書状を受け取る。
「オルフィス子爵家の名が出た以上、こちらだけで動くわけにはいきません。宰相とも陛下とも古い付き合いですし、早いうちにお二人へお伝えしておいた方がよいでしょう」
「手配いたします」
補佐は一礼したものの、すぐには部屋を出なかった。
「学園長?」
「……はい?」
「先ほどから、何か気にされているようですが」
アルディオンは机の上へ視線を戻した。
指先が、フィアナから聞き取った記録の一節をなぞった。
「魔脈を接ぐ研究……」
その言葉には、引っかかるものがあった。
「以前、どこかで聞いた覚えがあるのですが、どうにも思い出せません」
「いつ頃でしょうか」
「それすら出てこないのですよ」
アルディオンは困ったように眉を下げた。
「私も、もう歳ですね」
「ご冗談を」
アルディオンは苦笑し、もう一度机の上の記録へ目を落とした。
「魔脈を接ぐ研究」という言葉だけは、妙に頭から離れなかった。
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