万象接脈《オムニア・グラフト》
「《万象接脈》……?」
聞き慣れない言葉を、テンカはそのまま口にした。
フィアナが頷いた。
「父たちは、人が扱える属性は生まれた時からほとんど決まっていると考えています。それによって、その人にできることまで決められてしまう、と」
「属性適性のことか」
「はい。火の適性を持つ者は火を、水の適性を持つ者は水を使う。それが当たり前です」
テンカも学園へ来てから、何度もその前提を耳にしている。
属性魔術は、魔力を自らの適性に応じた属性へ変換し、現象として放つ技術だ。複数の適性を持つ者もいるが、誰もが好きな属性を選べるわけではない。
「父は、それを人に定められた限界だと言っていました」
以前、基礎魔術学の授業でフィアナが見せた表情を、テンカは思い出した。
「その限界を越えるための研究が、《万象接脈》なのか?」
「はい」
フィアナは白い手袋に覆われた両手を膝の上で重ねた。
「父たちは、他者の属性を持つ魔脈を身体へ接ぎ、後から別の属性を使えるようにする研究をしています」
テンカの目が、フィアナの手へ向いた。
「そなたの火と水も?」
「接がれたものです」
フィアナは淡々と答えた。
「私はもともと、属性適性がほとんどありませんでした。ただ、魔力量が多く、他の属性を受け入れやすい身体だったそうです。それで、被験者として選ばれました」
「火と水の魔脈を接いだ結果、そなたは2つの属性を使えるようになったということか」
「はい。ただ、それだけが目的ではありません」
「……まだ先があるのか?」
「そうして異なる属性の魔脈を身体へ接ぎ、生まれ持った適性に縛られず、最終的には誰もがあらゆる属性へ至れるようにする。それが《万象接脈》だと聞いています」
テンカは眉を寄せた。
「誰もが、あらゆる属性を?」
「父は、それが実現すれば、才能に恵まれなかった者も属性によって可能性を閉ざされることはなくなると言っていました」
言葉だけを聞けば、救いのある話にも思える。
生まれ持ったものだけで人生が決まらない世界。それを望むこと自体を、テンカは否定する気にはなれなかった。
ただ、そのために目の前の少女が何をされてきたのかを、今は知っている。
「では、そなたに火と水の魔脈を接いだのも、《万象接脈》のためか?」
「はい。私は、その途中にいるのだと教えられています」
フィアナの声音に誇らしさはなかった。恐れているようにも見えない。
ただ、教えられてきたことを、そのまま説明している。
「では、あの薬は何なのじゃ?」
フィアナの視線がわずかに動いた。
「接いだ魔脈を身体へ馴染ませ、定着させるための薬だと聞いています。処置を受けた直後から、量や濃さを調整しながら飲んできました」
「中に何が入っておるかは?」
「詳しい成分までは知りません」
テンカは黙った。
黒紫色へ変わった薬液が火と水の魔力を取り込み、別々だった塊が互いへ筋を伸ばして融合したこと。
そして、学園長がかつて目にしたという《澱み》に汚染された魔物と、2年前にテンカ自身が大魔境で目にした魔物たちの姿。
「フィアナ」
「はい」
「学園長は、そなたの薬が《澱み》と関係している可能性を調べておる」
フィアナの顔から、わずかに血の気が引いた。
「《澱み》……ですか?」
「まだ断定はされておらぬ。薬が黒紫色へ変質したことと、学園長が昔見た《澱み》に汚染された魔物の特徴が似ておるというだけじゃ」
「私は……聞いていません」
フィアナは自分の右手を見た。
「薬は、接脈を安定させるためのものだと。それ以外の説明は……」
白い手袋の指が、わずかに曲がる。
テンカはその手を見つめながら、もう1つ引っかかっていた言葉を思い出した。
「フィアナ。先ほどから『父たち』と言っておるな」
「……はい」
「《万象接脈》は、オルフィス子爵だけの研究ではないのか?」
「違います。父以外にも研究に関わっている方々がいます」
「誰じゃ?」
「すべての方の名前は知りません。屋敷で何度か顔を合わせた研究者もいますし、処置の時にしか見たことのない方もいました」
「顔すら知らぬ者も?」
「はい」
フィアナの答えに、テンカは腕を組んだ。
オルフィス子爵だけではない。
薬を作った者がいる。フィアナへ処置を施した者がいる。そして学園へ侵入し、薬の分析物を奪った者までいる。
どこまでが同じところにつながっているのか、まだ分からない。
「この話を、学園長へ伝えてもよいか?」
フィアナが顔を上げた。
「《万象接脈》のことも、魔脈を接いだこともじゃ。そなたが話したくないことまで勝手に伝えるつもりはない」
フィアナは少し考えた後、首を横へ振った。
「いえ。私からお話しします」
「よいのか?」
「はい」
返事には、先ほどまでとは違う迷いのなさがあった。
「薬に《澱み》が関わっている可能性があるのなら、私も知っていることを伝えるべきだと思います。父から報告するよう言われたからではなく、私がそうしたいです」
テンカの口元がわずかに緩んだ。
「そうか」
「はい」
白い手袋に覆われたフィアナの両手が、かすかに震えていた。
火と水。本来そこになかった力を接がれ、《万象接脈》という研究の途中に置かれた身体。
「案ずるでない。わらわも一緒に行こう」
「……はい」
フィアナが小さく頷いた。
◇ ◇ ◇
オルフィス子爵家の本邸。
執務室の机には、何枚もの術式図が広げられていた。
人の身体を模した図の上を、色の異なる線が走っている。中央を通る本来の魔脈へ外から別の線が入り込み、途中から絡み合うように重ねられていた。
「異なる魔脈は、ただ接いだだけでは身体が拒む」
ヴァルター=オルフィスが、机上の術式図へ目を落とした。
「そのための薬ですね」
黒いローブを纏った男が、机の端に置かれた薬瓶を指先で転がした。
「そうだ。大魔境から得られた《澱み》を利用し、本来の魔脈と接いだ魔脈の境界を曖昧にする。拒絶し合う境目そのものを薄くすれば、異なる魔脈を1つの身体へ定着させられる」
「随分と乱暴な方法ですが」
「結果は出ている」
ヴァルターは言い切った。
「フィアナは火と水を扱える。あれほど属性適性に恵まれなかった娘が、今では2つの属性を使っている。それが結果でなくて何だ」
「まだ2つです」
「だから研究を続けている」
ヴァルターの声に苛立ちが混じった。
「火と水で終わらせるつもりはない。複数の魔脈を安定して定着させ、その先へ進む。《万象魔術師》は空想ではない」
男はしばらく黙ってヴァルターを見ていた。
やがて、その口元の笑みが少しだけ深くなった。
「……何がおかしい」
「いえね」
黒いローブの男が肩をすくめた。
「今頃、学園でも同じ話をしているのだろうなと思いまして」
ヴァルターの表情が止まった。
「何?」
「分析物まで調べられたうえ、あの娘からの報告も途絶えています。薬も学園側に押さえられたと見てよいでしょう」
「フィアナが《万象接脈》を話したと?」
「さて。そこまでは知りませんよ」
男は楽しげに答えた。
「ですが、薬について尋ねられれば、いずれ話はそこへ辿り着くでしょう」
ヴァルターの指が、机の上の術式図を強く押さえた。
「お前がしっかり回収しておけば……」
「私は、あなたの尻ぬぐいをするためにいるわけではありません。本来なら、傍観者の立場なのですから。これでも、かなり融通を利かせているんですよ」
「他人事のように言うな。スペラートル」
男の言葉に、ヴァルターが鋭い視線を向けた。
「完成する前に外へ漏れれば、研究そのものを潰されかねん。《澱み》を使っていると知られればなおさらだ」
スペラートルは机の端へ薬瓶を戻した。
「私は少し惜しいと思っているだけですよ」
「何がだ」
「これほど興味深いものを、隠しておかなければならないことですよ」
ヴァルターは呆れたように鼻を鳴らした。
「理解できんな」
「そうでしょうか」
スペラートルは微笑をたたえたまま、1人の身体へいくつもの魔脈が接がれていく術式図へ目を落とした。
「生まれた時に与えられたものでは満足せず、自ら限界を壊そうとする。実にあなた方らしい」
「何が言いたい」
「褒めているのですよ」
スペラートルは静かに顔を上げた。
「私は見てみたいのです。《万象接脈》が、定命の者をどこまで連れていくのかを」
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