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ハヅキ辺境伯家の五行姫  作者: あの夏と勇者
第2部第3章 万象接脈《オムニア・グラフト》
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姫さまと学園長

 授業を終えて寮へ戻ったテンカは、自室の応接卓を挟んでエリシアと向かい合っていた。


 卓上には茶と焼き菓子が置かれているものの、どちらの手もほとんど伸びていない。


「結局、フィアナは今日1日お休みでしたわね」

「うむ」


 テンカは湯気の立つ茶へ視線を落とした。


 昨日、食堂で話した時には右手に痛みも強張りもなく、指も問題なく動いていた。それだけに、今日1日姿を見せなかったことが気にかかった。


「医務室から何か聞いておりますの?」

「いや。今朝から寮で休んでおるということだけじゃ」


 詳しい事情を聞きに行こうかとも考えたが、学園側が経過を見ている最中に押しかけるのも違う。フィアナが落ち着いてから話せばいいと思っていた。


 扉が叩かれた。


「姫さま。レイナ様がお見えです」


 控えの間からキリカの声が届く。


「姉上が?」


 テンカが返事をすると、ほどなく扉が開いた。


 入ってきたレイナは、普段テンカの部屋を訪ねる時とは明らかに様子が違っていた。柔らかな金髪はいつもどおり整えられているが、その表情には生徒会長として人前に立つ時の緊張がある。


「テンカ。学園長がお呼びです」

「わらわを?」

「ええ。ハヅキ家に関わる話だそうです」


 テンカは眉を寄せた。学園長が自分だけでなく、ハヅキ家に関わる話として呼び出す理由に心当たりはない。


「分かった。すぐに行こう」


 テンカが立ち上がる。


「テンカ」


 エリシアが呼び止める。


「また後ほどですわね」

「うむ」


 テンカは頷き、レイナとともに部屋を出た。


 ◇  ◇  ◇


 学園長室の扉をレイナが叩く。


「レイナ=ハヅキです。テンカを連れてまいりました」

「どうぞ」


 中からアルディオンの声が返ってきた。


 扉を開けて室内へ入ったテンカは、すぐに足を止めた。


 アルディオンの前に、見覚えのある男が立っている。


 灰色の混じった黒髪。柔和な顔立ちに、黒を基調とした鎧と外套。その外套にはハヅキ家の家紋と、翼を広げた八咫烏の徽章があしらわれていた。


「……ローディス?」


 男が振り返る。


「これはレイナ様。それに姫さま。ご健勝で何よりでござる」


 滅魔旅団第二討伐隊長、ローディス。


 《漆黒》の異名を持つ剣士であり、テンカも領内で何度か顔を合わせている。


 初めて言葉を交わした時には、柔和な顔立ちから飛び出した「ござる」口調に前世の記憶が妙に刺激され、笑いを堪えるのに苦労したものだった。


「なぜローディスが学園におる?」

「それについては、順を追って説明するでござる」


 レイナも驚いた様子でローディスを見ていた。


「第二討伐隊が学園都市へ来るという話は、わたくしも聞いていません」

「急な命でござったからな」

「母上からか?」

「左様」


 ローディスが頷く。


「天巡神社のスズネ殿が啓示を受けたとの報があり、コトネ様より第二討伐隊へ、黄昏街道を学園都市方面へ進むよう命が下ったのでござる」

「スズネが、啓示を……?」


 テンカの眉が寄る。


 スズネは祈りだけに頼る少女ではない。天巡神社で祭祀石の異常を調べた時も、自分が感じたものと、分からないものを分けて言葉にしていた。


「どのような啓示じゃ?」

「詳しい内容までは、拙者も聞いておらぬでござる。命を受け、第二討伐隊を率いて学園都市方面へ向かっていたところで、使者が襲われている場面に行き当たったのでござる」


 そこでアルディオンが口を開いた。


「その使者は、私がハヅキ辺境伯家へ送った者です」


 テンカの視線が学園長へ移る。


 アルディオンは、フィアナの右手に黒紫色の線が現れたこと、その後に定期薬を調べたこと、さらに分析中の変質物が何者かに奪われたことまでを簡潔に説明した。


 そして今朝、その件についてハヅキ辺境伯家へ協力を求める書状を送ったものの、使者まで襲撃を受けたという。


「その使者を助けたのが、ローディスたちということか」

「はい」

「薬について、何か分かったのか?」

「通常の検査では、既知の毒物に該当する反応は確認されませんでした。ですが、火属性と水属性の魔力を与えたところ、薬液はそれぞれの魔力を取り込み、黒紫色へ変質しました」

「魔力を取り込んだ?」


 レイナが聞き返す。


「はい。さらに、火と水の魔力を取り込んだ2つの変質物を近づけると、互いに細い筋を伸ばして接触し、1つに融合しました」


 黒紫色という言葉に、テンカの眉がわずかに寄った。


「その融合した物質が奪われたわけじゃな」

「ええ、そうです」


 アルディオンの答えに、テンカが顔を上げた。


「何者かが学園へ侵入し、分析中だった変質物を持ち去りました。取り戻そうとした私の補佐も負傷しています」

「学園の中へ……」


 レイナの声が低くなる。


「そのため、私は今回の件についてハヅキ辺境伯家へ調査協力を求めることにしました。ところが、今朝送り出した使者まで黄昏街道で襲撃を受けています」


 ローディスが引き継ぐ。


「相手は、使者がハヅキ家宛ての書状を持っていることまで知っていたそうでござる」

「書状の中身もか?」

「そこまでは分からぬ。ただ、渡せと要求されたとのことでござる」


 レイナが考え込むように視線を落とした。


「学園がハヅキ家へ連絡を取ろうとしたことまで、相手には知られていた……」

「その可能性は高いと考えています」


 アルディオンの声は静かだった。


 テンカは無意識に右手を握った。学園へ侵入して分析物を奪い、その後の連絡まで狙っている以上、行き当たりばったりに動いている相手とは思えなかった。


「学園長。先ほど、ハヅキ家へ調査を頼んだと申したな」

「ええ」


 アルディオンは一度言葉を切った。


「理由があります。薬液が示した黒紫色の変化を見て、私は昔の出来事を思い出しました」


 若い頃、他国の大魔境で《澱み》に汚染された魔物と遭遇したこと。

 その魔物の身体にも、黒紫色の筋が浮かんでいたこと。


 アルディオンは、確認した事実だけを簡潔に話した。


「今回の薬が《澱み》に関係していると断定するつもりはありません。ただ、似た特徴がある以上、無視することもできません」

「《澱み》……」


 テンカの胸に、先ほど聞いたスズネの啓示という言葉が引っかかった。


 スズネが受ける啓示は、天啓とも呼ばれている。内容は曖昧なことが多く、何を示しているのかすぐには分からない。今回の天啓が学園で起きていることと関係しているのかは不明だが、偶然として片づけるには気味が悪かった。


「姫さま?」


 ローディスの声に、テンカは顔を上げた。


「いや。続けてくれ」


 アルディオンが頷く。


「もう1つ、お二人にお伝えしておくべきことがあります」


 アルディオンの声音が、わずかに重くなった。


「オルフィスさんについてです」

「フィアナがどうした?」

「彼女は父親から、あなたの五行を観察し、その内容を報告するよう求められていたそうです」


 テンカは一瞬、言葉を失った。


 隣でレイナの表情が硬くなる。


「……テンカの五行を?」

「はい」


 アルディオンはそれ以上を付け足さなかった。


「フィアナ自身が望んだことなのか?」


 テンカが尋ねる。


「そこまでは分かりません。彼女が話したのは、父親から観察を続けるよう言われていたということだけです」

「そうか」


 テンカは短く答えた。


 胸に引っかかるものがないわけではない。

 それでも、今まで一緒に過ごした時間まで、たった1つの事実だけで塗り潰す気にはなれなかった。


 アルディオンはテンカの様子を見てから、さらに続けた。


「そして昨夜、薬を学園側で預かると伝えた時、オルフィスさんは強く動揺しました」

「薬を取り上げられるからか?」

「それだけではありません」


 アルディオンの目がわずかに細くなる。


「本来なら、本人が話した内容を軽々しく伝えるべきではありません。ですが、今は事情が事情です」


 アルディオンは一度言葉を切った。


「オルフィスさんは、成果を出せなくなれば自分は『処分対象になる』と話しました」

「……処分、対象?」


 思わず聞き返した声が、自分でも分かるほど低くなった。


 レイナも何も言わない。


「誰が、そのようなことをフィアナに言ったのじゃ」

「成果を出せないものは『処分対象になる』と教えられてきた、と。父親か、あるいは家の者か……そこまでは分かっていません」


 テンカの指が強く握り込まれた。


「人を、物のように……」


 腹の奥に熱が灯る。


 それは五行の火ではない。


 フィアナが自分をそう呼ぶことを当然だと思っている。その事実の方が、五行を観察されていたことよりも遥かに腹立たしかった。


「現在、オルフィスさんは寮で休ませています。薬も学園側で保管していますが、服用を完全に中止すると決めたわけではありません。次の服用については、医務室で状態を確認したうえで判断します」


 テンカはしばらく黙った後、アルディオンを見る。


「フィアナに会えるか?」

「今日は休ませてあげてください」


 即座に拒まれ、テンカは口を閉じた。


「明日、状態に問題がなければ、本人の意思を確認したうえで会えるようにしましょう」

「……分かった」


 会いたいからと押しかけても、フィアナを困らせるだけだ。


 テンカはそう自分に言い聞かせた。


 レイナがアルディオンへ向き直る。


「協力要請の件、承知しました。母上へ向かった書状とは別に、わたくしからも状況をまとめて送ります」

「お願いします」

「ローディス。第二討伐隊は?」

「街道で分けた2人は、そのまま領都へ向かわせたでござる。残りは学園都市に入っておる。コトネ様から別の命が届くまでは、動けるようにしておくでござるよ」

「助かる」


 テンカが言うと、ローディスはいつもの柔和な表情へ戻った。


「レイナ様と姫さまのお役に立てるのであれば、何よりでござる」


 テンカは小さく頷いた。


 スズネが受けたという啓示。《澱み》を思わせる黒紫色の薬。学園へ侵入したローブ姿の人物。そして、自分を「処分対象」と呼んだフィアナ。まだ、どれとどれがつながっているのかは分からない。


 それでも、テンカの中で1つだけ決まったことがあった。


 ―明日、フィアナと話そう。


 父親への報告でも、薬のことでもない。フィアナ自身が何を思っているのかを、今度は彼女の口から聞きたかった。

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