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ハヅキ辺境伯家の五行姫  作者: あの夏と勇者
第2部第3章 万象接脈《オムニア・グラフト》
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処分対象

 分析官から報告を聞き終えたアルディオンは、机に立てかけていた杖へ手を伸ばした。


「火属性と水属性。それぞれの魔力を取り込んだ後、2つの塊が融合したのですね」

「はい。内部には双方の属性を示す光が残っていました」


 分析官は手元の記録へ視線を落とす。


「融合した後は、表面が膨張と収縮を繰り返しました。規則的ではありませんが、脈動しているようにも見えました」

「色は?」

「黒紫色です」


 アルディオンの手が、杖の柄で止まった。


 黒紫色。


 ずっと昔に見た光景が脳裏をよぎる。


 まだ《賢者》と呼ばれる前、他国の大魔境へ赴いたことがある。そこで討伐隊を壊滅寸前まで追い込んだのは、通常では考えられないほど凶暴化した魔物だった。


 後に、その魔物は《澱み》に汚染されていたと判明した。身体の一部には、黒紫色の筋が浮かんでいた。


「学園長?」


 分析官の声に、アルディオンは意識を戻した。


「実物を見ましょう」

「今からですか?」

「ええ。確認しておきたいことがあります」


 アルディオンは斜め後ろに控えていた学園長補佐へ顔を向けた。


「あなたは先に分析室へ。現状を保全し、誰も近づけないようにしてください」

「承知しました」


 女性は一礼し、学園長室を出ていった。


 アルディオンも杖を手に立ち上がる。


「案内してください」

「はい」


 分析官とともに、研究棟へ向かった。


 ◇  ◇  ◇


 研究棟へ入ると、夜間用の魔導灯が廊下を照らしていた。


 分析官の案内で奥へ進み、件の分析室が見えてくる。


 アルディオンの足が止まった。


 扉が開いている。


「……おかしい」


 分析官が歩みを速めた。


「学園長室へ向かう前に、変質した物体は隔離用の容器へ移しました。扉にも施錠したはずです」


 分析室へ入った瞬間、床を踏んだ靴の下で小さな破片が鳴った。


 机の1つが横倒しになり、分析器具が床へ散らばっている。壁には何かが激しくぶつかった跡があり、棚の扉も外れていた。


 分析官が、黒紫色の物体を残していた机へ駆け寄る。


 隔離用の容器は砕けていた。


 中身は、どこにもない。


「ない……」


 分析官が机の下まで確認する。


「ここにあったんです。私が学園長室へ向かうまでは、確かに」


 アルディオンは床へ視線を落とした。


 砕けた器具に混じって、床には細長い傷が走っていた。家具が倒れただけでついたものではなく、何者かがここで争った痕跡に見えた。


 廊下の奥から足音が聞こえた。


 アルディオンが振り返ると、学園長補佐の女性が壁へ片手をつきながら歩いてきた。髪は乱れ、上着の袖が大きく裂けている。頬には細い傷が走り、左肩から流れた血が衣服を濡らしていた。


「何がありましたか」


 アルディオンが歩み寄る。


「申し訳……ありません」


 女性は一度息を整えた。


「奪われました」

「誰にです?」

「黒いローブを纏った人物です」


 分析官が息を呑む。


「最初から説明してください」

「分析室へ入った時、その人物が隔離容器から黒紫色の物体を取り出していました。止めようとしましたが……」


 女性は裂けた袖へ目を落とした。


「力が及びませんでした」

「相手の顔は?」

「確認できていません。深くフードを被っていました」

「今は?」

「研究棟の外へ逃れました。追跡しましたが、途中で見失いました」


 アルディオンは一度だけ目を閉じた。


 学園内部へ侵入し、分析していた物体を奪った以上、偶然入り込んだ者とは考えにくい。


「追跡は警備担当に任せます。あなたは医務室へ」

「ですが」

「その状態で追わせるつもりはありません」


 静かな声だったが、女性はそれ以上言葉を重ねなかった。


 アルディオンは分析室を見回す。


 侵入者が狙ったのは、属性魔力を取り込んで変質した物体だった。それだけのために学園へ忍び込み、補佐を退けてまで奪っている。


「学園長?」


 分析官が声をかける。


「元の薬です」


 アルディオンは杖を握り直した。


「変質したものを奪う理由があるのなら、オルフィスさんが持っている薬そのものを狙わないとは限りません」


 研究棟と寮区の警戒を引き上げるよう指示し、アルディオンは東棟へ向かった。


 ◇  ◇  ◇


 皇国学園寮区の東棟へ着くと、アルディオンは入口で寮監を呼んでもらった。


 夜間に学園長が女子寮へ現れたことに、寮監はわずかに眉を上げたものの、事情の一部を聞くとすぐに表情を引き締めた。


「オルフィス様のお部屋ですね」

「案内をお願いします」


 フィアナの部屋があるのは、東棟の貴族用個室が並ぶ階だった。テンカやエリシアが暮らす上級貴族用区画とは階が異なり、この時間になると廊下を歩く学生の姿もほとんどない。


 寮監が扉を叩く。


「オルフィス様。起きていらっしゃいますか?」


 少し間を置いて、中から物音がした。


「はい」


 扉が開く。


 寝間着の上に薄い羽織を着たフィアナが顔を出し、寮監の隣に立つ人物を見て目を見開いた。


「学園長……?」

「夜分に申し訳ありません、オルフィスさん」


 アルディオンはフィアナの顔を確認してから尋ねた。


「ご実家から届いた薬は、今も部屋にありますか?」

「薬、ですか?」

「はい。まず、それを確認してください」


 フィアナは戸惑いながらも頷き、部屋へ戻った。


 ほどなくして細長い木箱を抱えて戻ってくる。


「あります。薬瓶も残っています」

「そうですか」


 アルディオンの肩から、わずかに力が抜けた。


「少し、お話をさせてもらえますか?」

「はい」


 フィアナが扉を大きく開く。


 アルディオンは寮監とともに室内へ入った。


 ◇  ◇  ◇


 卓の上に、細長い木箱が置かれていた。


 フィアナはその前へ座り、向かいにアルディオンが腰を下ろす。寮監は部屋の入口近くに立っていた。


「最初に、私から謝らなければならないことがあります」


 アルディオンは木箱へ目を向けた。


「昨夜、あなたの許可を得ず、この薬を少量だけ採取させました」

「……私の薬を?」

「私の命令です。責任はすべて私にあります」


 フィアナは目を見開いたものの、すぐに木箱へ視線を落とした。


「調べたのですか」

「ええ。あなたの右手に現れた黒紫色の線と関係している可能性を考えました」


 アルディオンは、確認された事実だけを順に説明した。


 通常の検査では、既知の毒物に該当する反応は確認できず、検出された薬効成分にも特別珍しいものはなかったこと。

 無属性の魔力測定でも、目立った反応はなかったこと。

 火属性と水属性の魔力を与えると薬液が変質し、それぞれの魔力を取り込んだこと。

 さらに2つを接触させると融合し、黒紫色の塊になったこと。


「それが……私の薬から?」


「確認できたのは、採取した薬液に属性魔力を与えた結果だけです。あなたの身体の中で同じことが起きていると判断したわけではありません」


 アルディオンは言葉を切った。


「その後、変質した物体は何者かに奪われました」

「奪われた……?」

「学園へ侵入した人物です。取り戻そうとした者も負傷しています」


 フィアナの指先が、膝の上でわずかに動いた。


 アルディオンは卓上の木箱へ視線を移す。


「安全が確認できるまで、この薬は学園側で預からせてください」

「預かる……」


 フィアナが顔を上げた。


「では、私は薬を飲めないのですか?」

「中止すると決めたわけではありません。次の服用については、医務室であなたの状態を確認したうえで判断します」


 アルディオンは木箱へ目を向ける。


「ただ、安全が確認できるまでは、この薬をあなたの手元に置くことはできません」

「ですが、それでは困ります」


 返事が思いのほか早かった。


「何が困るのですか?」

「調整された薬を服用するようになってから、水属性も火属性も安定していました。これまでどおり服用できなくなれば、また以前の状態へ戻るかもしれません」

「今は、火も水も使用を控えるよう言われているのでしょう」

「それでもです」


 フィアナの両手が膝の上で強く重なった。


「このまま何もできなければ、成果を出せません」

「どのような成果を求められているのですか?」


 フィアナは答えかけて口を閉じ、しばらく視線を落とした後、小さく息を吸った。


「火と水を問題なく扱えること。それから……テンカ様の五行について、観察した内容を報告することです」


 アルディオンの目がわずかに細くなった。


「ハヅキさんの五行を?」

「はい。父から、観察を続けるよう言われています」

「その報告ができなければ、どうなるのですか?」


 フィアナの指に力が入った。


「成果を示せません」

「成果を示せないと?」

「……」


 フィアナの顔から、次第に血の気が引いていく。


「薬まで使えなくなれば、私は何も示せなくなります。このまま成果が出なければ……」


 言葉が途切れた。


「私は、処分対象になります」


 寮監が息を呑んだ。


 アルディオンの目から、先ほどまでの穏やかさが消えた。


「……処分対象?」


 フィアナは自分が何を口にしたのか、そこで初めて気づいたように顔を上げた。


「それは、誰から聞いた言葉ですか」

「……」

「オルフィスさん」


 責める声音ではなかった。


 フィアナは視線を落とす。


「成果を出せないものは、処分対象になると……そう教えられてきました」

「その言葉を、自分にも当てはめているのですか?」

「……はい」


 アルディオンはしばらく何も言わなかった。


 学生が授業や試験の成績を気にすることは珍しくない。家の期待を背負い、結果を求められる貴族の子女も少なくない。


 それでも、自分が役に立たなければ処分されると考える学生を、アルディオンはこれまで見たことがなかった。


「薬は預かります」


 フィアナの肩が揺れる。


「ですが、それはあなたから何かを奪うためではありません」


 アルディオンは木箱へ手を伸ばす前に、フィアナを見る。


「あなたの安全を確認するためです。次の服用についても、医務室で状態を確認しながら判断します。薬のことも、今お聞きした話も、学園で調べます」

「ですが、父への報告が……」

「今夜は、それを考える必要はありません」


 フィアナは何か言おうとしたが、言葉にはならなかった。


 アルディオンは寮監へ顔を向ける。


「今夜は、オルフィスさんの近くにいてください」

「承知しました」

「それから、学園の警備を担当している教員をこちらへ。東棟の入口と、この階の警戒を増やします」


 寮監は扉を開き、廊下に控えていた夜勤の職員を呼び止めた。


「警備担当の教員へ伝えてください。東棟入口と、この階の警戒を増やすように」

「承知しました」


 職員が足早に廊下を離れていく。


 寮監は扉を閉めて再びフィアナのそばへ戻った。フィアナが白い手袋に覆われた右手を見つめる中、アルディオンは木箱を手元へ引き寄せた。


 ほどなくして、廊下の向こうから呼び出された警備担当の教員たちの足音が近づいてきた。


 黒紫色の異常。学園内部へ侵入したローブ姿の人物。そして、フィアナが口にした「処分対象」という言葉。


 もはや、薬だけを調べれば済む話ではなかった。

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