もうひとつの力
授業を終えた学生たちが実習室を出ていく中、フィアナは自分の席に残っていた。
石台の上には、普段の実習で使う器具が片づけられ、新たに1台の測定器が置かれている。魔力の出力を示す針と、属性に応じた魔石を取りつけるための窪みが設けられたものだった。
以前にも使ったことがある。
あの時は、火属性の確認を終えた直後に水属性へ切り替え、両手に強張りが出た。
「オルフィスさん。始める前に、もう一度確認します」
担当教員が記録板を開いた。
「今日は水属性と火属性を別々に確認します。最初は水属性です。終了後は十分な休息を取り、身体の状態に異常がないことを確認してから火属性へ移ります」
「はい」
「途中で痛み、強張り、痺れ、そのほか普段と違う感覚があれば、すぐに申告してください。測定結果が正常でも続行はしません」
「分かりました」
教員の隣には、医務室から来た職員が立っている。
今日の目的は、2つの属性を続けて扱えるか確かめることではない。
1つずつ使い、それぞれの状態を見ることだった。
フィアナは、先日の実習で聞いた言葉を思い出しかけ、すぐに意識を目の前の測定器へ戻した。
「では、水属性から始めます」
青い魔石が測定器へ取りつけられた。
フィアナは左手をかざし、水の魔脈へ魔力を通す。
掌の下に青い光が灯り、測定器の針がゆっくりと動き始めた。
「指定出力まで上げてください」
フィアナは魔力を少しずつ強める。
以前のような引っかかりはない。力を押し込む必要もなく、意識した分だけ魔力が水の魔脈へ流れていく。
針が指定された目盛りへ重なった。
「そのまま維持」
フィアナは出力を保った。
針はわずかに揺れるだけで、大きく目盛りから外れることはない。
右手にも異常はなかった。
「停止してください」
魔力を止める。
青い光が消え、測定器の針が中央へ戻っていった。
担当教員が記録板へ数値を書き込む。
「水属性、規定出力まで正常に到達。維持、停止ともに問題ありません。身体の状態は?」
「異常ありません」
「右手も確認してください」
フィアナは右手の指を開き、ゆっくりと握った。
動きに引っかかりはない。
「痛みも強張りもありません」
「分かりました。では、休息に入ります」
担当教員は測定器から青い魔石を取り外した。
「火属性の確認は、こちらから指示するまで始めないでください」
「はい」
フィアナは壁際に置かれた長椅子へ向かった。
◇ ◇ ◇
水を一杯飲み、フィアナは長椅子へ腰を下ろしていた。
すぐに火属性へ移ることはない。
担当教員は水属性の測定結果を記録し、医務室の職員もフィアナの状態を確認している。一定の時間を置いてから、もう一度両手の状態と魔力の乱れを確かめることになっていた。
以前なら、待つ時間を長いと感じていたかもしれない。
以前なら、早く次を試して問題なく使えるところを見せたいと考えていたはずだった。今は急ぐ必要を感じない。水属性の確認は終わっている。十分に休んでから、火属性の確認へ移るだけだ。
「オルフィスさん」
しばらくして、医務室の職員に呼ばれた。
「両手を見せてください」
フィアナは手袋に覆われた両手を差し出した。
「指を開いて、握ってください」
指示されたとおりに動かす。
右手も左手も、途中で止まることはなかった。
「痛みは?」
「ありません」
「水術を使った直後と比べて、変わった感覚はありますか?」
「ありません」
職員が担当教員へ頷いた。
「現時点では異常なしです」
「分かりました」
担当教員が記録板から顔を上げる。
「オルフィスさん。火属性の確認へ移ります」
「はい」
フィアナは立ち上がった。
測定器には、すでに赤い魔石が取りつけられていた。
◇ ◇ ◇
フィアナは測定器の前へ立った。
今度は右手をかざす。
火属性を使うのは久しぶりだった。
「水属性と同じく、低出力から始めます」
担当教員が測定器を確認する。
「一度に上げようとせず、指示に合わせてください」
「分かりました」
フィアナは呼吸を整えた。
右腕へ接がれた魔脈へ、少しずつ魔力を通していく。
以前は、火の魔脈へ力を流す時にわずかな抵抗があった。奥へ進もうとする魔力が、狭い場所へ押し込まれるように滞る感覚。
今は、それがなかった。
掌の下に赤い光が灯り、測定器の針が動いた。
「そのまま。少しだけ出力を上げてください」
フィアナは魔力を強める。
針は滑らかに目盛りを上がり、指定された位置へ近づいていった。
「そこで維持」
フィアナは出力を保った。
針が指定された目盛りで静止した。右腕の内側に痛みはなく、指も意識したとおりに動いている。
赤い光は、掌の下で一定の強さを保っていた。
「停止してください」
フィアナは魔力を止めた。
赤い光が消える。
測定器の針が中央へ戻りきるまで、担当教員は何も言わなかった。
やがて記録板へ視線を落とす。
「停止を確認しました」
筆記具が紙の上を走る。
「火属性も、規定出力まで正常に到達しています。維持中の大きな変動もありません」
「はい」
「状態は?」
「問題ありません」
フィアナは右手を胸元まで持ち上げ、指をゆっくりと開いた。
そのまま握る。
以前のように指の動きが引っかかることも、途中で強張ることもなかった。
「痛み、痺れもありません」
「左手は?」
「異常ありません」
医務室の職員も両手の動きを確認した。
担当教員が測定器から赤い魔石を外す。
「今日の確認はここまでです」
「もう一度、火属性を使う必要はありませんか?」
「ありません」
答えはすぐに返ってきた。
「正常だった結果を確認するために、余計な負荷を加える必要はありません」
「……はい」
フィアナはそれ以上求めなかった。
以前なら、もう一度使えばもっと確かな結果になると考えていたかもしれない。
けれど今日確かめるべきだったものは、もう確かめられている。
水属性も、火属性も、定められた条件の中で正常に扱えた。
「今回の結果は医務室へ送ります」
担当教員が記録板を閉じた。
「ただし、火属性の使用制限を解除するわけではありません。今後の使用については、引き続き医務室の指示に従ってください」
「分かりました」
「今日の測定後に症状が出た場合も、すぐに報告してください」
「はい」
フィアナは頭を下げ、測定器から離れた。
◇ ◇ ◇
実習室を出ると、廊下の窓際にテンカたちがいた。
テンカは窓枠へ背を預け、エリシアとミナがその近くで待っている。
フィアナの姿を見つけると、テンカが身体を起こした。
「終わったか」
「はい」
「どうでしたの?」
エリシアがすぐに尋ねる。
「水属性、火属性ともに、低出力では異常ありませんでした」
「火もですか?」
ミナの表情が明るくなった。
「はい。右手にも強張りは出ていません」
「それはよかったです」
ミナがほっとしたように笑った。
エリシアはフィアナの右手へ視線を落とす。
「無理に続けたりはしていませんわね?」
「水属性の後に休息を取り、状態を確認してから火属性を使いました。火属性も1度だけです」
「でしたら結構ですわ」
エリシアが満足そうに頷く。
「エリーは医務室の者より厳しいのう」
「誰かが念を押しておかなければ、テンカまで一緒になって先へ進みそうですもの」
「なぜわらわまで含まれるのじゃ」
「日頃の行いですわね」
「それはわらわの台詞であろう」
テンカとエリシアの言い合いに、ミナが小さく笑った。
フィアナも口元を緩める。
「フィアナ」
テンカがこちらを見る。
「2つとも使えたからといって、急ぐ必要はないぞ」
「はい。分かっています」
「うむ」
それだけで、テンカは満足したようだった。
先日の授業で聞いた言葉が、今日の確認と重なる。
1つずつ確かめればよい。水を使って休み、それから火を使う。それだけで、2つとも問題なく扱えた。
調整された定期薬を服用してから、痛みも強張りも出ていない。水術の制御は安定し、今日の火属性も正常だった。
フィアナは、自分の右手を一度だけ見下ろした。
「寮へ戻りましょう」
そう言って歩き出すと、3人も隣へ並んだ。
水と火、それぞれの測定結果を思い返しながら、フィアナは皆とともに寮へ続く廊下を歩いていった。
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