ひとつを磨く
《基礎魔術学》の実習室では、属性ごとに異なる課題が用意されていた。
火属性の学生が使う石台には薄い金属板が置かれ、水属性の区画には、目盛りの入った浅い石器が並んでいる。底には細い排水穴があり、注いだ水が一定の速さで抜ける仕組みになっていた。風属性の課題では細い布片が棒から吊られ、土属性の学生たちの前には手のひらほどの石片が積まれていた。
使う属性が違えば、生じる現象も異なる。
それでも、今日確かめることは同じだった。
「今日の実習では、各自に指定された1属性のみを使用してください」
担当教員が学生たちを見渡した。
「複数の属性適性を持つ者も同様です。指定された出力へ正確に到達し、維持した後、合図に従って術を停止すること。威力を競う実習ではありません」
フィアナは自分の石台へ視線を落とした。
用意されているのは、水の量を測るための器だった。
今日も使用を許可されているのは水属性だけである。
「属性適性の数には個人差があります」
教員は説明を続ける。
「1属性の者が大半ですが、まれに複数の適性を持つ者もいます。ただし、扱える属性が多いほど優れた魔術師である、という意味ではありません」
フィアナは顔を上げた。
「まず知るべきなのは、自分が持つ適性です。その性質を理解し、必要な出力で正確に扱えるようにする。それが基礎です」
担当教員が手元の記録板を閉じた。
「自分にない属性を気にするより、今あるものを磨いてください」
学生たちがそれぞれの石台へ散っていく。
今あるものを磨く。
父から聞いてきた言葉とは、少し違っていた。
属性適性によって使える魔術が決まる以上、持つ属性が多ければできることも増える。それは間違いではないはずだった。
火と水。
自分には、本来持っていなかった2つの力がある。
それによって、できることが増えたのも事実だ。
「フィアナ?」
声をかけられ、そちらを見る。
テンカが少し離れた石台からこちらを見ていた。
「どうしたのじゃ?」
「いえ。何でもありません」
フィアナは自分の石台へ向かった。
今は授業に集中するべきだった。
◇ ◇ ◇
実習が始まると、室内のあちこちで魔術が発動した。
火属性の区画では、金属板の中央が赤みを帯びている。ただ熱すればよいわけではなく、刻まれた円の内側だけを指定された温度に保つ課題らしい。
隣の学生は熱を上げすぎたのか、担当の教員からすぐに出力を落とすよう指示されていた。
風属性の区画では、布片がふわりと持ち上がっている。
強く吹き上げれば棒の上まで飛んでしまい、弱ければ落ちる。一定の高さで布を留め続けるには、細かな調整が必要になる。
土属性の学生は石片を床から持ち上げ、腰ほどの高さに引かれた線へ合わせて静止させていた。
エリシアは、水を薄く張った浅い器の前に立っている。
「フロストレインさん。外周の線から内側だけを凍結してください」
「承知しましたわ」
エリシアが手をかざす。
器の中央から白い霜が広がり、澄んだ氷へ変わっていった。
ほとんど迷いのない速さだった。
「停止」
教員の声に合わせ、氷の広がりが止まる。
外周の線を越えてはいない。
エリシアが満足そうに手を下ろしたところで、教員が器を確認した。
「速いですね」
「ありがとうございます」
「ですが、右側の境界がわずかに厚い。速さは評価項目ではありません」
「……承知しましたわ」
エリシアの眉がほんの少しだけ動いた。
「もう一度よろしいですか?」
「どうぞ」
今度のエリシアは、先ほどより時間をかけた。
氷はゆっくりと広がり、刻まれた線の内側で揃って止まる。
「今度は問題ありません」
「ありがとうございます」
答える声は涼やかだったが、表情には先ほどより満足そうな色がある。
フィアナは次にミナを探した。
属性を現象として安定させることがまだ難しい学生たちは、魔力灯を使った基礎制御を行っている。
ミナもその中にいた。
掌の下に置かれた魔力灯が、淡い光を放っている。
隣の学生の灯りより弱い。
それでも、明るさはほとんど揺れていなかった。
「アーレンさん、そのまま維持してください」
教員が記録板を見る。
「はい」
ミナは魔力灯から目を離さない。
強い光ではない。
けれど、乱れもない。
やがて停止の指示が出ると、灯りはすぐに消えた。
「出力そのものは低いですが、変動は小さいですね」
「では、次はもう少し出力を上げた方がよいでしょうか」
「今は必要ありません。安定させられる範囲を正確に知ることを優先してください」
「分かりました」
ミナは嬉しそうに記録板を覗き込んでいた。
強さや、使える属性の多さだけで決まるものではない。
目の前の実習では、それぞれが自分にできる範囲を確かめ、その中で精度を高めている。
「次、オルフィスさん」
名前を呼ばれ、フィアナは自分の課題へ意識を戻した。
◇ ◇ ◇
フィアナの課題は、掌から生じさせた水を一定量まで満たし、その状態を保つことだった。
「水属性のみ。規定出力を越えないようにしてください」
「はい」
左手を器の上へかざす。
水の魔脈へ魔力を通すと、掌の下から細い水流が生まれた。
以前のような抵抗はない。
水量を見ながら出力を絞った。
目盛りへ近づくにつれて流れを細くし、指定された位置で水面を保つ。
「維持」
水面がわずかに揺れた。
出力を整えると、水面の揺れはすぐに収まった。少し前まで、水術を使うたびに右手の状態を気にしていた。
今は、目の前の水面だけを見ていられる。
「停止」
魔力を止める。
水流が消え、水面が静かになった。
「問題ありません。状態は?」
「異常ありません」
「分かりました。今日はここまでです」
フィアナは石台から離れた。
右手にも痛みや強張りはなく、それを何度も確かめる必要も感じなかった。
少し離れた場所では、テンカが掌の上で小さな水の流れを円を描くように巡らせている。水属性魔術ではなく、自分が水へ変換して放出する魔力とは、巡り方そのものが違う。以前の測定でも観察した違いだった。
けれど、今日の実習でフィアナが考えていたのは、テンカの五行についてではない。自分にあるものを、正確に扱うことだった。
もう一度、自分が使った水の器へ目を向けた。
◇ ◇ ◇
全員の実習が終わると、担当教員が教卓の前へ戻った。
「今日の結果を見て、もっと強く出せたと思った者もいるでしょう。逆に、自分の出力が周囲より低いと感じた者もいると思います」
ミナがわずかに背筋を伸ばした。
「ですが、今日評価したのは最大出力ではありません」
担当教員は記録板を持ち上げる。
「指定された条件を守れたか。出力を維持できたか。必要な時に止められたか。この3点です」
教員の視線が学生たちを順に巡る。
「魔術師に必要なのは、大きな現象を起こすことだけではありません。小さな火を必要な場所だけへ灯すこと、水をこぼさず必要な量だけ扱うこと、風を周囲へ広げず一点へ留めることも技術です」
フィアナは静かに聞いていた。
「適性が1つなら、その1つを磨く。複数あるなら、まず1つずつ正確に扱えるようにする。それを重ねてください」
父なら、どう言うだろう。
持つ属性が1つであることを、人に定められた限界と呼ぶかもしれない。
学園の教師は、それを不足とは呼ばなかった。
どちらが正しいのか。
フィアナには、まだ分からない。
ただ、ミナが弱い光を揺らさず保っていたことも、エリシアが速さより境界の正確さを選び直したことも、今日ここで見た事実だった。
そして自分も、水属性だけを使って課題を終えた。
「オルフィスさん」
実習が終わり、学生たちが片づけを始めたところで担当教員に呼び止められた。
「はい」
フィアナが教卓へ向かう。
教員は手元の書類を確認した。
「医務室から連絡があります。これまで使用を止めていた火属性について、状態確認の許可が出ました」
「火属性を、使ってよいのですか?」
「通常の実習とは別に、教員立ち会いのもとで低出力の確認を行います」
フィアナは書類へ目を落とした。
「水属性と続けて使用するのでしょうか」
「いいえ。別々に確認します。属性を切り替えて連続使用することもしません。途中に十分な休息を挟み、異常が出た時点で中止します」
「分かりました」
教員が頷く。
「確認は次回です。それまでは、これまでどおり火属性を使用しないでください」
「はい」
次は、火属性も確かめられる。水属性は以前より問題なく扱えるようになっているのだから、火も同じように扱えるかもしれない。
そう考えかけて、フィアナは今日の授業で聞いた言葉を思い出す。まずは、1つずつ確かめればよい。
フィアナは小さく息を吐き、皆の待つ実習室の出口へ向かった。
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