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ハヅキ辺境伯家の五行姫  作者: あの夏と勇者
第2部第3章 万象接脈《オムニア・グラフト》
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ひとつを磨く

 《基礎魔術学》の実習室では、属性ごとに異なる課題が用意されていた。


 火属性の学生が使う石台には薄い金属板が置かれ、水属性の区画には、目盛りの入った浅い石器が並んでいる。底には細い排水穴があり、注いだ水が一定の速さで抜ける仕組みになっていた。風属性の課題では細い布片が棒から吊られ、土属性の学生たちの前には手のひらほどの石片が積まれていた。


 使う属性が違えば、生じる現象も異なる。


 それでも、今日確かめることは同じだった。


「今日の実習では、各自に指定された1属性のみを使用してください」


 担当教員が学生たちを見渡した。


「複数の属性適性を持つ者も同様です。指定された出力へ正確に到達し、維持した後、合図に従って術を停止すること。威力を競う実習ではありません」


 フィアナは自分の石台へ視線を落とした。


 用意されているのは、水の量を測るための器だった。


 今日も使用を許可されているのは水属性だけである。


「属性適性の数には個人差があります」


 教員は説明を続ける。


「1属性の者が大半ですが、まれに複数の適性を持つ者もいます。ただし、扱える属性が多いほど優れた魔術師である、という意味ではありません」


 フィアナは顔を上げた。


「まず知るべきなのは、自分が持つ適性です。その性質を理解し、必要な出力で正確に扱えるようにする。それが基礎です」


 担当教員が手元の記録板を閉じた。


「自分にない属性を気にするより、今あるものを磨いてください」


 学生たちがそれぞれの石台へ散っていく。


 今あるものを磨く。


 父から聞いてきた言葉とは、少し違っていた。


 属性適性によって使える魔術が決まる以上、持つ属性が多ければできることも増える。それは間違いではないはずだった。


 火と水。


 自分には、本来持っていなかった2つの力がある。

 それによって、できることが増えたのも事実だ。


「フィアナ?」


 声をかけられ、そちらを見る。


 テンカが少し離れた石台からこちらを見ていた。


「どうしたのじゃ?」

「いえ。何でもありません」


 フィアナは自分の石台へ向かった。


 今は授業に集中するべきだった。


 ◇  ◇  ◇


 実習が始まると、室内のあちこちで魔術が発動した。


 火属性の区画では、金属板の中央が赤みを帯びている。ただ熱すればよいわけではなく、刻まれた円の内側だけを指定された温度に保つ課題らしい。


 隣の学生は熱を上げすぎたのか、担当の教員からすぐに出力を落とすよう指示されていた。


 風属性の区画では、布片がふわりと持ち上がっている。


 強く吹き上げれば棒の上まで飛んでしまい、弱ければ落ちる。一定の高さで布を留め続けるには、細かな調整が必要になる。


 土属性の学生は石片を床から持ち上げ、腰ほどの高さに引かれた線へ合わせて静止させていた。


 エリシアは、水を薄く張った浅い器の前に立っている。


「フロストレインさん。外周の線から内側だけを凍結してください」

「承知しましたわ」


 エリシアが手をかざす。


 器の中央から白い霜が広がり、澄んだ氷へ変わっていった。


 ほとんど迷いのない速さだった。


「停止」


 教員の声に合わせ、氷の広がりが止まる。


 外周の線を越えてはいない。


 エリシアが満足そうに手を下ろしたところで、教員が器を確認した。


「速いですね」

「ありがとうございます」

「ですが、右側の境界がわずかに厚い。速さは評価項目ではありません」

「……承知しましたわ」


 エリシアの眉がほんの少しだけ動いた。


「もう一度よろしいですか?」

「どうぞ」


 今度のエリシアは、先ほどより時間をかけた。


 氷はゆっくりと広がり、刻まれた線の内側で揃って止まる。


「今度は問題ありません」

「ありがとうございます」


 答える声は涼やかだったが、表情には先ほどより満足そうな色がある。


 フィアナは次にミナを探した。


 属性を現象として安定させることがまだ難しい学生たちは、魔力灯を使った基礎制御を行っている。


 ミナもその中にいた。


 掌の下に置かれた魔力灯が、淡い光を放っている。


 隣の学生の灯りより弱い。


 それでも、明るさはほとんど揺れていなかった。


「アーレンさん、そのまま維持してください」


 教員が記録板を見る。


「はい」


 ミナは魔力灯から目を離さない。


 強い光ではない。


 けれど、乱れもない。


 やがて停止の指示が出ると、灯りはすぐに消えた。


「出力そのものは低いですが、変動は小さいですね」

「では、次はもう少し出力を上げた方がよいでしょうか」

「今は必要ありません。安定させられる範囲を正確に知ることを優先してください」

「分かりました」


 ミナは嬉しそうに記録板を覗き込んでいた。


 強さや、使える属性の多さだけで決まるものではない。

 目の前の実習では、それぞれが自分にできる範囲を確かめ、その中で精度を高めている。


「次、オルフィスさん」


 名前を呼ばれ、フィアナは自分の課題へ意識を戻した。


 ◇  ◇  ◇


 フィアナの課題は、掌から生じさせた水を一定量まで満たし、その状態を保つことだった。


「水属性のみ。規定出力を越えないようにしてください」

「はい」


 左手を器の上へかざす。


 水の魔脈へ魔力を通すと、掌の下から細い水流が生まれた。


 以前のような抵抗はない。

 水量を見ながら出力を絞った。


 目盛りへ近づくにつれて流れを細くし、指定された位置で水面を保つ。


「維持」


 水面がわずかに揺れた。


 出力を整えると、水面の揺れはすぐに収まった。少し前まで、水術を使うたびに右手の状態を気にしていた。

 今は、目の前の水面だけを見ていられる。


「停止」


 魔力を止める。


 水流が消え、水面が静かになった。


「問題ありません。状態は?」

「異常ありません」

「分かりました。今日はここまでです」


 フィアナは石台から離れた。


 右手にも痛みや強張りはなく、それを何度も確かめる必要も感じなかった。


 少し離れた場所では、テンカが掌の上で小さな水の流れを円を描くように巡らせている。水属性魔術ではなく、自分が水へ変換して放出する魔力とは、巡り方そのものが違う。以前の測定でも観察した違いだった。


 けれど、今日の実習でフィアナが考えていたのは、テンカの五行についてではない。自分にあるものを、正確に扱うことだった。


 もう一度、自分が使った水の器へ目を向けた。


 ◇  ◇  ◇


 全員の実習が終わると、担当教員が教卓の前へ戻った。


「今日の結果を見て、もっと強く出せたと思った者もいるでしょう。逆に、自分の出力が周囲より低いと感じた者もいると思います」


 ミナがわずかに背筋を伸ばした。


「ですが、今日評価したのは最大出力ではありません」


 担当教員は記録板を持ち上げる。


「指定された条件を守れたか。出力を維持できたか。必要な時に止められたか。この3点です」


 教員の視線が学生たちを順に巡る。


「魔術師に必要なのは、大きな現象を起こすことだけではありません。小さな火を必要な場所だけへ灯すこと、水をこぼさず必要な量だけ扱うこと、風を周囲へ広げず一点へ留めることも技術です」


 フィアナは静かに聞いていた。


「適性が1つなら、その1つを磨く。複数あるなら、まず1つずつ正確に扱えるようにする。それを重ねてください」


 父なら、どう言うだろう。


 持つ属性が1つであることを、人に定められた限界と呼ぶかもしれない。


 学園の教師は、それを不足とは呼ばなかった。


 どちらが正しいのか。


 フィアナには、まだ分からない。

 ただ、ミナが弱い光を揺らさず保っていたことも、エリシアが速さより境界の正確さを選び直したことも、今日ここで見た事実だった。


 そして自分も、水属性だけを使って課題を終えた。


「オルフィスさん」


 実習が終わり、学生たちが片づけを始めたところで担当教員に呼び止められた。


「はい」


 フィアナが教卓へ向かう。


 教員は手元の書類を確認した。


「医務室から連絡があります。これまで使用を止めていた火属性について、状態確認の許可が出ました」

「火属性を、使ってよいのですか?」

「通常の実習とは別に、教員立ち会いのもとで低出力の確認を行います」


 フィアナは書類へ目を落とした。


「水属性と続けて使用するのでしょうか」

「いいえ。別々に確認します。属性を切り替えて連続使用することもしません。途中に十分な休息を挟み、異常が出た時点で中止します」

「分かりました」


 教員が頷く。


「確認は次回です。それまでは、これまでどおり火属性を使用しないでください」

「はい」


 次は、火属性も確かめられる。水属性は以前より問題なく扱えるようになっているのだから、火も同じように扱えるかもしれない。


 そう考えかけて、フィアナは今日の授業で聞いた言葉を思い出す。まずは、1つずつ確かめればよい。


 フィアナは小さく息を吐き、皆の待つ実習室の出口へ向かった。

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