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ハヅキ辺境伯家の五行姫  作者: あの夏と勇者
第2部第3章 万象接脈《オムニア・グラフト》
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必要ではないもの

 授業を終えた学生たちが帰り支度を始める中、ミナは机の上へ広げていた筆記帳を閉じた。


「今日は商業区へ寄ってから寮へ戻ります」


 鞄へ筆記具を収めるミナに、エリシアが顔を向ける。


「何か買う物がありますの?」

「魔導工学の授業で使う紙が少なくなってきたので、補充しておこうと思いまして。細い線を書ける筆記具も見ておきたいです」

「わらわも行くぞ」


 テンカが迷いなく答えた。


「テンカ様も、何か必要なのですか?」

「特にはない」

「では、どうしてです?」

「行ってから探せばよかろう」


 ミナが目を瞬かせる。その横で、エリシアは慣れた様子で小さく息を吐いた。


「テンカの場合、必要な物を探すのではなく、食べたい物を見つけることになりそうですわね」

「商業区にうまい物があるならば、確かめる必要がある」

「それを必要とは申しませんわ」


 フィアナは机の中を確かめた。


 授業で使う紙には余裕がある。筆記具も予備まで揃っており、寮の部屋で不足している物も思い当たらない。


「私は先に寮へ戻ります」


 鞄を持ち上げると、テンカがこちらを見た。


「フィアナは来ぬのか?」

「買う物がありませんので」

「買わねば街を歩けぬわけではあるまい」

「ですが、私が同行する理由がありません」

「友人と出かけるのに、理由が必要ですの?」


 エリシアから尋ねられ、フィアナはすぐに答えられなかった。


 授業や共同実習なら、それぞれに役割がある。迷宮へ入る時も、誰が何を担当するかを決めてから動く。


 買い物に同行するだけならば、自分が担うべき仕事はない。


「荷物を持つことはできます」

「自分で持てないほど買う予定はありません」


 ミナが困ったように笑った。


「店で紙を選ぶ時に、意見をいただけると助かります。でも、それを役割だと思わなくても大丈夫です」

「わらわたちと歩くだけでよい。用事なら、途中で見つかるかもしれぬぞ」

「見つからなければ、それまでですわ」


 3人の言葉に、断るべき理由は残っていなかった。


「……分かりました。御一緒します」


 そう答えると、テンカが満足そうに頷いた。


「うむ。最初からそう言えばよい」

「テンカが強引に連れていく形になっただけですわ」

「フィアナは了承したぞ」

「断りにくくしたのは、どなたでしょうね」

「エリーも加わっておったではないか」


 言い合いながら教室を出る2人を、ミナが追いかける。


 フィアナも鞄を持ち、3人の後に続いた。


 ◇  ◇  ◇


 学園都市の商業区には、学生向けの店が数多く並んでいた。


 制服の仕立て直しを受け付ける衣料品店や、演習用の武具を扱う店。魔導具工房の店先では、小型の魔力灯や温度を保つ水筒が並び、実演も行われている。


 大通りの奥へ進むと、紙と筆記具を扱う店が見えてきた。


「ここです」


 ミナが足を速める。


 店へ入った途端、棚に並ぶ紙束へまっすぐ向かった。厚さや色の異なる紙を一枚ずつ取り、指先で表面を確かめていく。


「ずいぶん種類があるのじゃな」


 テンカが棚を見上げる。


「術式を書く紙は、線が滲まないことが大切なんです。魔力を流して確認する場合は、紙そのものの繊維も揃っていた方がよくて……こちらは丈夫ですが、少し表面が粗いですね」


 ミナは紙を光へ透かし、次の束を手に取った。


「こちらは線を書きやすそうです。でも、何度も折ると端が傷むかもしれません」

「授業で使うのであれば、持ち運ぶことも考えた方がよいのではありませんか」


 フィアナが紙束の端を見比べる。


「こちらの方がわずかに厚く、繊維の向きも揃っています。枚数は少なくなりますが、折った際の傷みは抑えられると思います」

「本当です」


 ミナが紙を軽く曲げ、目を輝かせた。


「見た目はほとんど同じなのに、よく分かりましたね」

「オルフィス家へ送る報告には、長く保管できる紙を使っていました。その時に教わっただけです」

「では、こちらにします。ありがとうございます、フィアナ様」

「お役に立てたのであれば、よかったです」


 ミナが紙束を選ぶ間、エリシアは便箋が並ぶ棚を見ていた。


 淡い青の縁取りが施された品を手に取り、紙質を確かめている。


「エリシア様も、便箋が必要なのですか?」

「ええ。北方へ送る手紙に使いますの。寮にも残っていますけれど、こちらの方が夏らしくてよいでしょう?」

「用途ではなく、季節で選ぶのですか?」

「手紙を受け取った者が、少しでも季節を感じられるように選ぶこともありますわ」

「内容が正確に伝われば、紙の意匠は関係ないように思います」

「フィアナらしい答えですわね」


 エリシアは便箋を棚へ戻さず、そのまま購入する品に加えた。


 少し離れた場所では、テンカが布製品の棚を眺めている。


「これなら鍛錬の後にも使えそうじゃな」


 手にしているのは、吸水性の高い厚手の手拭いだった。


「結局、必要な物を見つけましたのね」

「使い道がある物を見つけたのじゃ」

「その違いは何です?」

「見つける前から必要だったか、見つけてから必要になったかの違いじゃな」

「ずいぶん都合のよい理屈ですわね」


 フィアナは3人が選んだ品を見渡した。


 ミナの紙には明確な用途がある。テンカの手拭いも、鍛錬後に使える。エリシアの便箋も、手紙を送るための物だった。


 自分には、やはり必要な物がなかった。


 店内を回りながら、筆記具や封筒の残量を思い出す。どれも不足していない。


 出口へ向かおうとした時、棚の隅に並んだ小さな筆記帳が目に留まった。


 普段授業で使っている物よりも小さく、片手で持てる程度の大きさだった。表紙には布が張られ、角を守るための小さな金具が取りつけられている。


 色は深緑、紺、赤茶、薄灰色。


 フィアナは紺色の一冊を手に取った。


 頁を開くと、紙は薄いものの目が細かく、筆記具の先が引っかかることもなさそうだった。ただ、授業の内容をまとめるには小さく、報告書や正式な記録を残す用途にも向いていない。


 使い道が思いつかず、棚へ戻そうとする。


「気になりますの?」


 背後から声をかけられ、振り返った。


 エリシアがフィアナの手元を見ている。テンカとミナも、選んだ品を持って近づいてきた。


「小さな筆記帳です。ですが、授業で使うには頁が足りません」

「授業以外に使えばよいのではありませんか?」

「報告書には向いていません。記録を保管するなら、もっと大きく丈夫な物を選ぶべきです」

「では、授業にも報告にも使わなければよいのですわ」

「何を書くのでしょうか」

「それをわたくしに尋ねますの?」


 エリシアの問いに、フィアナは筆記帳へ視線を落とした。


 書くべき内容が決まっていない物を買う理由はない。必要になった時に、用途に合った物を選べばよい。


「ミナなら、何に使いますか?」

「思いついた術式回路や、工房で見つけた部品を書き留めます。大きな筆記帳を出せない場所でも使えそうです」

「エリーならば、行きたい店でも書くのではないか?」


 テンカが言うと、エリシアは眉を上げた。


「なぜ、わたくしが遊ぶことしか考えていないような言い方をしますの?」

「先日も、わらわを何軒連れ回したと思うておる」

「テンカも楽しんでいたでしょう?」

「否定はせぬ」


 2人のやり取りを聞きながら、フィアナは筆記帳の頁をもう一度めくった。


 何を書くかは決まっていない。


 それでも、棚へ戻そうとすると、指がすぐには離れなかった。


「フィアナ」


 テンカが筆記帳を指す。


「そなたは、それが欲しいのか?」

「必要かどうかを考えています」

「わらわが聞いたのは、欲しいかどうかじゃ」

「同じことではないのですか?」

「違いますわ」


 エリシアが静かに答えた。


「必要な物は、なくては困る物です。欲しい物は、持っていたいと思った物でしょう?」

「使い道がなくても、ですか?」

「買ってから使い道を考えてもよいではありませんか」

「エリーにしては、よいことを言う」

「余計な一言を加えないでくださいませ」


 フィアナは紺色の表紙を指でなぞった。


 必要な理由は、まだ見つからない。


 それでも、この紺色を棚へ戻したくないと思っていた。


「……これにします」


 口にしてから、もう一度筆記帳を見る。


 エリシアが目元を和らげ、ミナも嬉しそうに頷いた。


「紺色がよく似合うと思います」

「筆記帳に、似合うという判断があるのですか?」

「持つ人に合う色はあると思います」

「では、それも選ぶ理由になるのでしょうか」

「十分ですわ」


 フィアナは筆記帳を持って会計へ向かった。


 自分の財布から硬貨を出し、代金を支払う。包まれた筆記帳を受け取っても、鞄の中へすぐには入れなかった。


 必要な物を買った時とは、少し違う。

 何に使うか決まっていないのに、手元に置いておきたいと思った。


 ◇  ◇  ◇


 店を出ると、通りには焼いた生地の甘い香りが漂っていた。


 露店では、薄く焼いた菓子に果実の蜜を塗り、細く巻いた物を売っている。


「ほれ。やはり、確かめる必要がある物が見つかったではないか」


 テンカが露店を指した。


「最初から、こちらが目的だったのではありませんか?」

「店へ入る前には知らなんだ。見つけたから必要になったのじゃ」

「先ほどの手拭いと同じ理屈ですわね」


 テンカは気にした様子もなく、4人分の菓子を注文した。


「テンカ様、私の分までよろしいのですか?」

「今日はわらわが誘ったのじゃ。構わぬ」

「ですが」

「次にそなたが誘う時、行き先を選べばよい」


 フィアナは返事に詰まった。


「私が、ですか?」

「うむ。今日のように、行きたい場所を決めればよい」

「行きたい場所……」


 露店の主人から紙に包まれた菓子を受け取る。


 一口かじると、表面はわずかに香ばしく、中には甘酸っぱい果実の蜜が広がった。


「おいしいです」

「そうであろう」


 なぜかテンカが得意そうに胸を張る。


「テンカが作ったわけではありませんわ」

「見つけたのはわらわじゃ」

「店は最初からここにあります」

「細かいことを気にするでない」


 ミナが笑いながら、フィアナの持つ包みへ目を向けた。


「新しい筆記帳には、最初に何を書くのですか?」

「まだ決めていません」

「今日買った物の記録でしょうか」

「それでは、いつもの記録と変わりませんわ」


 エリシアが菓子を一口食べてから続ける。


「次に行きたい場所を書くのはいかがです?」

「次に行きたい場所……」


 フィアナは通りの先を見た。


 書店、衣料品店、魔導具工房。細い路地の奥には、焼き菓子を並べた小さな店の看板も見える。


 これまでは、必要な店だけを選んで歩いていた。目的の物を買えば、そのまま寮へ戻っている。


「次も、御一緒してよいでしょうか」


 尋ねると、3人がこちらを見た。


 声に出してから、許可を求めるような聞き方になっていたことに気づく。


「当然じゃ」

「わざわざ確認することではありませんわ」

「私も、また御一緒したいです」


 ミナが答える。


 エリシアは少し考えるように指を頬へ添えた。


「次は、フィアナから誘ってくださってもよいのですわよ」

「私から……」

「行きたい場所を見つけて、わたくしたちへ声をかけるだけです」

「役割や理由は必要ありませんか?」

「必要ありませんわ」

「焼き菓子の店ならば歓迎するぞ」

「テンカは食べ物から離れてくださいませ」

「フィアナが選ぶのであれば、どこでも構わぬと言うておる。その店にうまい物があれば、なおよいだけじゃ」


 フィアナは手にしていた包みを見下ろした。


 果実の蜜が入った菓子は、すでに半分ほどになっている。


 新しい筆記帳に書く内容が、ひとつだけ浮かんだ。


 ◇  ◇  ◇


 寮の自室へ戻り、机の上へ紺色の筆記帳を置いた。


 包みを外して表紙を開くと、何も書かれていない白い頁が現れる。


 フィアナは筆記具を手に取り、最初に今日の日付を記した。


 続けて、訪れた店と購入した品を書こうとして、手を止める。

 これは授業の記録ではない。父へ送る報告でもなかった。

 エリシアから言われたとおり、書くべき内容を誰かに決められているわけでもない。


 少し考え、日付の下へ筆記具を走らせた。


『次は、焼き菓子の店へ行く。私から皆さんを誘う』


 書き終えた文字を読み返す。


 日程も、店も、まだ決まっていない。約束として交わしたわけでもなく、授業や報告に必要な予定でもなかった。


 それでも、フィアナは文字を消さず、紺色の筆記帳を静かに閉じた。

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