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ハヅキ辺境伯家の五行姫  作者: あの夏と勇者
第2部第3章 万象接脈《オムニア・グラフト》
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良すぎる結果

 《基礎魔術学》の実習室では、石台に測定板が取りつけられていた。


 術を発動してから停止するまでの魔力の揺れを読み取り、出力の変動や残留魔力を数値として記録する器具である。


 石台の上には、内側に細い線が刻まれた浅い石器が置かれていた。底には排水用の細い穴があり、注がれた水は一定の速さで石台の内部へ抜けていく。


「今日の目的は、限界を試すことではありません」


 担当教員が、実習室にいる学生たちを見渡す。


「指定された出力へ正確に到達し、定められた時間だけ維持すること。その後、術を確実に停止してください。許可された範囲を越えた場合は、測定を中止します」


 学生たちは、それぞれの適性と習熟度に応じた石台へ向かった。


 扱う属性も、指定される出力も一律ではない。フィアナに使用が許されているのは、水属性のみだった。


 少し離れた石台では、テンカが掌上で水行を巡らせ、一定の流れを保つ課題へ取り組んでいる。


 斬るための五行ではなく、掌の上で巡らせ、保つための基礎制御だった。


「オルフィスさん」


 担当教員が記録板を開く。


「前回と同じく、水術は左手から発動してください。規定出力へ到達した後、30を数える間、水面を指定線に保ちます。痛み、強張り、感覚の変化があれば、すぐに申告すること」

「はい」


 フィアナは石台の前へ進んだ。


 右手の指を一度だけ曲げる。痛みも強張りもない。


 左手を石器の上へかざし、水の魔脈へ魔力を通した。


 掌の下に水が生まれる。


 前回と同じく、魔力を押し込むような抵抗はなかった。すでに開かれている道へ流しているように、水が淀みなく石器へ注がれていく。


 測定板の表面に、淡い光が灯った。


「出力を上げてください」


 指示に従い、フィアナは魔力を強める。


 水の流れが太くなった。


 以前なら、出力を変えた瞬間に流れが揺らいでいた。水量を増やそうとすれば、狭い魔脈の内側へ魔力がぶつかり、細かな乱れが生じていた。


 今回は違う。


 測定板の光は乱れず、水面は石器の内側に刻まれた線へ近づいていく。


 フィアナは排水されていく量に合わせて水を注ぎ、指定線から水面を動かさないよう出力を絞った。


「規定出力へ到達しました。そのまま維持してください」


 担当教員が数を読み上げ始める。


 水は一定の量で流れ続けている。


 力を込める必要はなかった。わずかに意識を向けるだけで、魔力は水へ変換され、掌の下から石器へ流れていく。


 術を維持しても、右手や腕の内側に異常は現れない。


「……28、29、30。停止してください」


 フィアナは魔力を止めた。


 水の流れが途切れる。


 石器へ落ちかけていた最後の一滴が水面へ落ち、測定板の光が端から静かに消えていった。


「そのまま動かないでください」


 担当教員が測定板を確認する。


 フィアナは左手を下ろし、右手の指を一度曲げ、もう一度確かめた。引っかかりはない。


「状態を報告してください」

「痛みはありません。右手の指にも強張りはなく、感覚にも変化はありません」

「左腕は?」

「異常ありません」


 担当教員はフィアナの両手を確認し、記録板へ今回の測定値を書き込んだ。


 続いて前回の実習記録を開き、発動までの時間、維持中の出力変動、停止後の残留魔力量を見比べていく。


 フィアナは答えを待った。


 以前より扱いやすかったことは、自分でも分かっている。それが記録の上で、どのように表れているのか。


「発動時の乱れが減少しています」


 担当教員が記録板の一箇所を指した。


「規定出力への到達も前回より早い。維持中の出力低下はなく、停止後の残留魔力も減っています」


 教員が顔を上げる。


「記録上は、明確に改善しています」

「……はい」


 右手はこれまでも動いていた。それでも、魔術を使えば再び強張るのではないかという不安は残っていた。


 その不安を、目の前の記録が否定している。


 担当教員は今回と前回の数値へ、もう一度視線を落とした。


「ただし、前回の実習からの期間を考えると、変化が大きいですね」

「問題があるのでしょうか」

「現時点では判断できません。改善した記録も、変化が急であることも、どちらも医務室へ報告します」

「分かりました」


 悪化したのではない。


 痛みも強張りも消え、術の制御も安定している。ただ、その変化が予想より大きかったというだけだった。


「もう一度、測定する必要はありますか?」

「ありません。結果を確かめるために負荷を重ねては、測定の意味がなくなります」

「はい」

「症状が消えたことと、身体の状態が回復したことは同じではありません。医務室の許可があるまでは、火属性の使用も引き続き禁止します」

「承知しました」


 フィアナは石台から離れた。


 もう一度水術を使えば、同じように安定するかもしれない。火属性も、今なら以前より問題なく扱えるかもしれない。


 確かめるのは、許可が下りてからでよい。


 測定を終えた学生の待機場所へ戻ると、ミナが記録板へ視線を向けた。


「フィアナ様、前回の記録と比べてもよいでしょうか?」

「はい。構いません」


 担当教員から許可を得て、ミナが記録板に並んだ前回と今回の数値を見比べる。


 エリシアとテンカも、その横から記録を覗き込んだ。


「発動までの時間が短くなっています」


 ミナが数値を指で追う。


「維持中の変動値も、前回よりかなり下がっています。停止した後に残った魔力も少なくなっていますね」

「数字だけで見ても、違いが分かりますのね」


 エリシアが記録板へ顔を寄せる。


「はい。少し調子がよかったという範囲ではないと思います」

「定期薬を調整していただいた効果です」


 フィアナが答えると、エリシアは表情を和らげた。


「よかったですわね、フィアナ」

「はい」


 短く答えた声が、自分でも思っていたより柔らかくなった。


「これなら、次の迷宮探索についても医務室へ相談できそうですわ」

「すぐに許可が下りるとは限りません」

「分かっていますわ。相談できることと、許可されることは別ですもの」


 エリシアの口元には、わずかな笑みがある。


 ミナも記録板を見ながら頷いた。


「次に迷宮へ入る時は、水術で確認できる場所が増えるかもしれませんね」

「はい。ですが、許可された範囲だけにします」

「もちろんです」


 テンカは腕を組んだまま、今回の数値を見つめていた。


「痛みが消えただけではなく、術そのものも整ったのじゃな」

「以前より、ずっと扱いやすくなりました」

「教員が驚くほどの変化か」

「定期薬を、右手の症状に合わせて調整していただきました。その効果だと思います」


 テンカは小さく頷いた。


「良くなったのであれば、喜ばしいことじゃ。されど、変化が大きいのであれば、なおさら勝手に無理を増やしてはならぬぞ」

「はい、テンカ様」

「なぜ、わたくしが同じことを言った時より素直なのです?」


 エリシアが目を細める。


「同じように答えたつもりですが」

「返事は同じでも、テンカを見る時の方が真剣ですわ」

「そうでしょうか」

「そうですわ」


 フィアナが返答に困っていると、テンカが得意そうに胸を張った。


「日頃の行いの差じゃな」

「テンカが言いますの?」

「わらわ以外に誰がおる」

「その自信がどこから湧いてくるのか、測定してみたいものですわね」


 ミナが口元を押さえる。


 フィアナも笑いをこらえきれず、わずかに頬を緩めた。


 ◇  ◇  ◇


 寮の自室へ戻ったフィアナは、机の上へ便箋を広げた。


 オルフィス子爵家へ送る定期報告である。


 前回の報告には、水術を使用した後に右手が強張ったこと、自分から休息を申告したこと、探索再開後に役割を変更したことを記した。


 父から届いた返事に、それらへの言葉はなかった。


 今回は違う。


 フィアナは筆記具を取り、調整された定期薬を服用してからの状態を順に書いていく。


『調整された定期薬を服用後、水術使用時の痛みおよび右手の強張りは確認されていません』


『基礎魔術学の測定では、発動までの時間、維持中の出力変動、停止後の残留魔力について、以前の記録から改善が確認されました』


 次の行へ筆記具を移す。


『担当教員から、前回の実習からの期間を考えると変化が大きいとの所見があり、測定結果は医務室へ報告されます』


 書いた文字を読み返す。


 痛みは消え、魔術の制御も安定した。変化が大きいと言われたものの、それは悪化を示す言葉ではない。学園の記録にも、明確な改善として残っている。


 今度の報告には、父が求めていた結果がある。


『医務室の指示に従い、火属性は使用していません。今後も許可された範囲で状態を確認します』


 続いて、テンカの五行について記す。


 授業で見た水行の基礎制御と、自分が扱う水属性魔術。その発動までの過程や魔力の巡りには、同じ水を生じさせるだけでは説明できない違いがあった。


 フィアナは観察した事実と、そこから導いた推察を分けて書き加えた。断定できない部分についても、その旨を明記した。


 今日も、テンカは無理を増やしてはいけないと念を押し、記録が改善したことをエリシアやミナとともに喜んでくれた。そのことと、父から命じられた観察は別だった。


 定期薬の効果は、改善した測定結果として示すことができた。テンカの五行についても、属性魔術との違いを観察し、自分なりの推察を記している。


 今回は、成果がないとは言われないだろう。


 フィアナは便箋を折り畳み、静かに封を閉じた。

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