夜色の薬
授業を終えて皇国学園寮区へ戻ると、フィアナの部屋に郵便室からの受取札が届いていた。差出人はオルフィス子爵家だった。
フィアナは筆記帳を机へ置き、そのまま中央棟の郵便室へ向かった。
窓口で受け取ったのは、両手に収まるほどの細長い木箱だった。蓋にはオルフィス家の紋章が焼き印で刻まれ、荷札には見慣れた文字で「定期薬」と記されている。
これまでにも、同じ形の箱が何度か届いていた。受取簿へ署名し、木箱を抱えて東棟の自室へ戻った。
扉を閉め、机の上へ箱を置く。留め具を外すと、黒い布の上に小さな薬瓶が並んでいた。瓶の数も、大きさも以前と変わらない。中の薬液だけが、少し濃く見えた。
これまでの薬は、光へ透かせば赤紫色に近かった。新しく届いたものは、瓶の底へ夜色が沈んでいるような暗い紫色をしている。
箱の内側には、2つ折りの便箋が収められていた。
封を開き、書かれた文字を目で追う。
『前回の報告は確認した』
『右手の症状を踏まえ、定期薬の調整を行った。服用方法は従来と同じとする』
『効果と術使用後の状態を、次回の報告に記載せよ』
『テンカ=ハヅキの五行についても、引き続き観察すること』
迷宮の終点へ到達したことにも、自分から休息を申告したことにも触れられていない。短い文面には、父が必要としている事柄だけが並んでいた。
火と水を扱った結果と、テンカの五行に関する記録。それ以外は報告に必要な事実であっても、成果とは見なされないのだろう。それでも、右手の症状に合わせて薬が調整された。前回の報告は、少なくとも読まれている。
フィアナは右手を持ち上げた。白い手袋の下で、人差し指と中指をゆっくり曲げる。
迷宮から戻った後、強張りは消えていた。医務室からは、当面は火属性を使わず、水属性も必要な場面に限るよう指示されている。次の確認で同じ症状が出れば、迷宮探索への参加も見送られるかもしれない。
それは学園の判断として当然のことだと、フィアナにも分かっていた。
けれど、テンカたちは次の探索でも自分を数に入れてくれていた。魔術を使えなくても役割はあると、そう言ってくれた。
すべてを自分の手で片づける必要はない。
テンカの言葉を疑ってはいない。同時に、できることが多い方がよいとも思う。
水の流れを探り、火で暗がりを照らし、後方から仲間を支える。自分の持つ力を問題なく使えるなら、その方が5人で進める道は増える。
薬瓶を1つ取り出したものの、夕刻の服用時刻まではまだ少し早い。机に筆記帳を広げて授業の復習を進め、定められた時刻になると瓶の栓を外した。
薬液から、かすかな金属の匂いが立つ。以前の薬にも似た匂いはあったため、濃く調整された分だけ強く感じるのかもしれない。
フィアナは瓶を口元へ運び、薬を飲み下した。
苦みが舌に残り、胸の奥へ冷たいものが落ちていく。
「……っ」
右腕の内側が熱を持った。
手首から肘へ、肘から肩へ。細い筋をなぞるような熱が走り、右腕へ接がれた魔脈を内側から押し広げていく。
左手で右腕を押さえ、椅子へ腰を下ろした。これまでの薬でも服用直後に接脈部が熱を持つことはあったが、今回はそれより強い。
呼吸を整えながら、右手の指を開く。
一度。
もう一度。
指は引っかからずに動いた。
熱はほどなく薄れ、代わりに右腕が軽くなる。皮膚の下へ張りついていた硬い糸が、緩んでいくような感覚だった。
机の端に置いた筆記具へ手を伸ばし、指先でつまみ上げる。握る力を緩めても落ちることはなく、力を戻す動きにも引っかかりはない。
試しに便箋の余白へ今日の日付を書く。筆記具の先は滑らかに動き、最後まで指が止まることはなかった。
薬の色が濃く、服用直後の熱も強かったのは、接がれた魔脈へ薬を行き渡らせるために調整されたからだろう。実際、今は以前より滑らかに指が動き、痛みも強張りもない。
これなら、次の授業で水術を使えるかもしれない。教師と医務室の許可が下りれば、火属性についても状態を確認できる。
必要な時には休息を申し出る。その考えを変えるつもりはなかった。それでも、最初から役割を減らさずに済むなら、その方がよい。
残る薬瓶を箱へ戻し、便箋とともに机の引き出しへ収める。右手を胸元まで持ち上げてゆっくりと握ると、指は思いどおりに動いた。
その夜、痛みも強張りも戻らなかった。
フィアナはそれを、新しい定期薬が自分に合っている証だと受け取った。
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