フィアナ
迷宮探索を終えた5人は、共同実習の時間にアリアの前へ並んでいた。
教卓には、ミナがまとめた探索報告書が広げられている。経路、遭遇した魔物、使用した術、休憩を取った場所、到達確認灯を作動させた時刻まで、順を追って記されていた。
アリアは最後の頁まで目を通し、顔を上げた。
「管理側でも、5人分の到達記録を確認しています。まずは、指定訓練区画の終点到達を認めます」
ミナが小さく息を吐いた。
隣に立つレオンも、わずかに肩の力を抜いている。
「ただし、確認するべきことは到達結果だけではありません」
アリアの視線が、フィアナへ向けられた。
「探索中、右手に強張りが出ていますね」
「はい。水術を使用した後、人差し指と中指にわずかな強張りが生じました」
「最初に気づいたのは誰ですか?」
「私です」
「休憩を求めたのは?」
「……私です」
フィアナの声は小さくならなかった。
「症状を確認した時点で水術の使用を停止しました。砂に覆われた坂を下り、安全を確認できる場所へ移動した後、私から休息を申告しました」
「その後は?」
「強張りが消えるまで待機しました。探索を再開してからは水術を使用せず、魔力感知と後方警戒のみを担当しています」
「再開の判断も、あなたが決めたのですか?」
「私だけではありません。症状が消えたことを報告し、残る4人にも確認していただきました」
アリアは報告書へ視線を戻した。
「適切な判断です」
フィアナの灰紫色の瞳が、わずかに揺れる。
「異常を報告する。必要な休憩を求める。役割を変更し、続行できるかを全員で確認する。終点へ到達したことだけでなく、その過程も評価の対象になります」
アリアは報告書の一箇所を指で示した。
「ただし、ここは書き足してください。休憩後に誰がどの役割を引き継いだのか、記録が不足しています」
「はい。私が修正します」
ミナが答える。
「休憩中も、左右の通路を2人で警戒できました」
レオンが続けた。
「俺が加わったことで、誰か1人が休んでも警戒を維持できました」
「オルフィスさんの感知も必要でしたわ」
エリシアが腕を組む。
「最後の戦闘でも、天井の岩甲虫を見つけたのは彼女ですもの。水術を使わずとも、十分に役割を果たしていますわ」
「私は、経路と到達確認灯の状態を見ていただけです」
ミナがそう言うと、テンカは頷いた。
「それでよいのじゃ」
今度はフィアナへ顔を向けた。
「すべてを自分の手で片づける必要はない。そなたが見つけたものを伝え、動ける者が動く。それで5人の仕事になる」
「……はい」
アリアは5人を順に見渡した。
「今回の探索では、増員の目的も果たせています。共同実習の第6班はこれまでどおり4人ですが、今後も迷宮へ入る際は、必要に応じて同行者を申請してください」
レオンが姿勢を正した。
「次も同行してよいのでしょうか」
「次の探索申請は、今回の報告書と、オルフィスさんに対する医務室の判断を確認してからです」
アリアはレオンへ目を向けた。
「少なくとも、あなたが前衛として同行したことに問題はありません」
「分かりました」
アリアが次の班を呼び、5人は教室後方の卓へ戻った。
ミナはすぐに筆記帳を開き、休憩中の役割分担を書き加えていく。レオンは隣から記録を確認し、フィアナは書かれた内容を黙って目で追っていた。
「ところで、ひとつ決めておきたいことがある」
テンカが言うと、ミナの筆記具が止まった。
「報告書の修正でしょうか」
「違う。呼び方じゃ」
エリシアが楽しそうに目を細める。
「ようやくですのね」
「共に迷宮へ入り、5人で戻ったのじゃ。いつまでも長い家名で呼び合うこともあるまい」
テンカはミナへ向き直った。
「まず、エリーをフロストレイン様と呼ぶのは長すぎる」
「ですが、侯爵家のご令嬢ですし……」
「わたくしは、ずっと距離を置かれているようで寂しかったですわ」
エリシアが目元へ手を添え、大げさに顔を伏せる。
「そ、そうだったのですか?」
「ええ。これからはエリーと呼んでくださいませ」
「エリシア様では駄目でしょうか」
「エリーですわ」
「エ、エリー……様」
「及第点ですわね」
エリシアは満足げに頷いた。
テンカは次にフィアナへ目を向ける。
「わらわも、これからはそなたをフィアナと呼ぶ。そなたも、わらわをテンカと呼べばよい」
「ハヅキ様を、ですか?」
「うむ」
「……テンカ様」
「それでよい」
エリシアも椅子から身を乗り出した。
「わたくしも家名は不要ですわ」
「では、エリシア様と」
「エリーでも構いませんのよ?」
「それは……もう少し時間をいただけますか」
「仕方ありませんわね」
フィアナは白い手袋に覆われた両手を膝の上で重ねた。
「私のことも、フィアナと呼んでください」
「では、フィアナ様とお呼びします」
ミナがすぐに答える。
「わたくしはフィアナですわね」
最後に、テンカが頷いた。
「うむ。フィアナじゃ」
自分の名を呼ばれたフィアナは、一拍遅れて顔を上げた。
「はい」
テンカは腕を組んだまま、満足げに何度も頷いた。
「なぜテンカが一番偉そうなのです?」
エリシアが呆れたように尋ねる。
「わらわが言い出したからじゃ」
「理屈になっておりませんわ」
「細かいことを気にするでない」
テンカはレオンへ顔を向けた。
「そなたも同じ5人なのじゃからな」
「俺もですか?」
「当然じゃ。わらわはすでにレオンと呼んでおる」
「では、俺もエリシア様、ミナさん、フィアナさんと呼ばせていただきます。テンカ様は、これまでどおりで」
「はい。私はレオン様とお呼びします」
「私は、レオンさんと」
「わたくしもレオンですわね」
教室の隅で交わされる呼び声が、先ほどまでより少しだけ短くなった。
◇ ◇ ◇
寮の自室へ戻ったフィアナは、机の上へ新しい便箋を広げた。
オルフィス子爵家へ送る、迷宮再探索についての定期報告だった。
フィアナは筆記具を取り、最初の行から順に事実を書いていく。
『再探索には、迷宮利用の申請を行った5名で参加しました』
『医務室の指示により、火属性は使用していません。水属性は2度使用し、いずれも意図した現象を発生させました』
『2度目の使用後、右手の人差し指と中指に軽度の強張りを確認しました。属性の切り替えは行っていません』
フィアナの筆記具が止まった。
以前なら、その下へ管理不足を詫びる言葉を書いていた。
今回は書かなかった。
休息を求めたことで、探索を断念したわけではない。症状を隠さず、必要な時間だけ立ち止まったからこそ、その先へ進めた。
フィアナは次の行へ筆記具を移した。
『私から休息を申告し、症状が消失するまで待機しました。探索再開後は水術を使用せず、魔力感知と後方警戒を担当しました』
『テンカ=ハヅキは今回の探索で五行を発動していません。異なる行への移行および連続使用後の状態について、新たな観察結果はありません』
『前衛2名、魔術支援、経路確認、後方警戒の役割を分担し、指定訓練区画の終点へ到達しました』
最後に、到達確認灯の作動と、管理側へ記録が送られたことを書き加える。
父が目を留めるのは、終点へ到達したという一文かもしれない。
フィアナは、
『私から休息を申告しました』
と記した行を消さずに、便箋を折り畳んだ。
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