5人で進む道
フィアナの右手から痺れが消え、医務室から実技参加の許可が下りると、テンカたちは迷宮の再探索を申請した。
皇国学園迷宮管理区の受付台には、5人分の申請内容を記した書類と、医務室から渡された確認書が並べられている。
受付の職員はそれぞれに目を通し、フィアナへ顔を向けた。
「オルフィスさんは、今回の探索では水属性のみを使用してください。痛み、痺れ、指の強張りを感じた場合は、すぐに術を止め、同行者へ報告すること」
「承知しています」
「無理に探索を続けた場合、次回以降の利用許可を見直すこともあります」
「……承知しました」
わずかな間はあったものの、フィアナは反論しなかった。
白い手袋に覆われた両手を身体の前で重ね、受付の職員から自分の認証札を受け取る。
その隣では、レオンが腰の剣と携行品の確認を受けていた。
「刃に欠けはありません。鞘と留め具にも異常なし。携行品も申請内容と一致しています」
「ありがとうございます」
レオンは認証札を受け取り、テンカたちのもとへ戻ってきた。
「これで、俺も皆さんと探索へ入れます」
「申請したのであるから、入れねば困る」
テンカは自分の札を確かめ、待機区画の石卓へ地図を広げた。
前回歩いた経路には、ミナの筆跡で分岐や管理標識の位置が記されている。洞窟狼と岩甲虫に遭遇した場所、休憩を取った地点、そして探索を中止した円形の空間。
その先だけが、まだ空白のままだった。
「入る前に、役割をもう一度確認します」
ミナが筆記帳を開いた。
「テンカ様とグランツ様が前衛。フロストレイン様が中衛からの魔術支援。私は経路、標識、時間の確認。オルフィス様は後方警戒と、水術による支援です」
「俺はテンカ様の左右と、後ろから近づく敵を確認します」
「後ろは私が警戒します」
フィアナが答えた。
「グランツさんには、ハヅキ様の隣から前方と左右を見ていただく方がよいと思います」
「分かりました」
レオンは素直に頷いた。
テンカは地図から顔を上げ、4人を見渡す。
「もう一つ、決まりがある」
「撤退についてですね」
ミナが答えた。
「うむ。進む時は5人で決める。戻る時は、1人の声でよい」
レオンがわずかに眉を上げる。
「俺が戻るべきだと思った場合も、ですか?」
「当然じゃ。家格も役割も関係ない。そなたが危険だと判断し、戻ると言えば全員で戻る」
「俺以外の方が、まだ進めると考えていても?」
「全員が危険だと気づいてからでは遅い。何かを見つけた者の声を、残る4人が信じるための決まりじゃ」
レオンは地図に記された撤退地点を見た。
「承知しました」
「ほかの者も、変わりはないな?」
「ありませんわ」
「はい」
「承知しています」
全員の返事を聞き、テンカは地図を畳んだ。
「では、行くぞ」
5人は管理棟の奥へ進み、大階段を下りた。
認証札を順に確認させると、迷宮へ通じる鉄扉が重い音を立てて開く。冷えた空気と湿った土の匂いが、扉の隙間から流れ出した。
前に入った時と変わらない匂いだった。
それでも、並んで立つ人数は1人増えている。
テンカとレオンが前に立ち、中央をミナが歩く。その後ろにはエリシアが続き、最後尾をフィアナが警戒する。
通路に入ると、レオンは壁や天井へ忙しく視線を動かした。
「もっと暗い場所だと思っていました」
「管理区画には魔導灯が置かれておりますからな。ただし、灯りのある場所が安全とは限らぬぞ」
「承知しています」
少し先で、壁に埋め込まれた魔導灯が淡い光を放っている。
ミナは通り過ぎながら、その外枠へ目を向けた。
「前に来た時より、光が少し弱くなっています」
「分かるのですか?」
レオンが尋ねる。
「はい。隣の魔導灯へ魔力を送る導線の光も細くなっています。まだ消えるほどではありませんけど、管理側へ報告した方がよいと思います」
ミナは魔導灯の位置を地図へ印し、光量と導線の光が弱まっていることを筆記帳へ書き加えた。
「魔導灯を見ながら、経路まで確認していたのですね」
「はい」
ミナは前方の標識を指した。
「次の分岐は左です。右側には閉鎖標識があります」
テンカは2人のやり取りを聞きながら、通路の奥へ意識を向けた。
今のところ魔物の気配はない。
前回は地図と現地の標識が異なり、分岐の前で足を止めた。今回はミナが先に標識を確認し、迷うことなく左の道を選んでいる。
同じ道を歩いていても、前とは違っていた。
「後方に魔力反応はありません」
最後尾からフィアナの声が届く。
「手の状態は?」
「痛みも痺れもありません。指の動きにも異常はありません」
「うむ。そのまま、変化があればすぐに言え」
「承知しています」
フィアナの返答は、前のような「問題ありません」ではなかった。
テンカはそれ以上尋ねず、前へ向き直った。
しばらく進むと、通路の先から低い唸り声が聞こえた。
テンカが右手を上げると、全員が足を止めた。
「前方に魔力反応が4つあります」
フィアナが声を落とした。
「2つが正面。残る2つは、右側へ移動しています」
「右に通路があります」
ミナが地図を開く。
「細い横穴ですが、少し先で今の通路へ戻っています。このまま進むと、正面と右側から挟まれるかもしれません」
「洞窟狼でしょうか」
レオンが剣の柄へ手をかける。
暗がりの奥で、青白い目が2つ灯った。
低い姿勢の獣が姿を現す。黒灰色の毛並み、長い牙、石床を擦る爪。
洞窟狼だった。
「残り2体も、右の横穴から近づいています」
フィアナの報告と同時に、横穴の奥から爪の音が響いた。
「レオンは右を頼む。わらわは正面を見る」
「はい!」
「エリーは、左右の敵が中央へ合流せぬようにせよ」
「承知しましたわ」
「ミナは後ろへ。地図から顔を上げておれ」
「上げています!」
ミナが筆記帳と地図を鞄へ収め、エリシアの後ろへ下がった。
正面の洞窟狼が地を蹴る。
テンカは《継火》を抜き、先頭の1体へ踏み込んだ。
洞窟狼が口を開き、牙を剥く。
身体を半身へずらし、伸ばされた前脚の内側へ潜る。すれ違いざまに刃を走らせると、狼の喉から黒い血が噴き出した。
倒れた獣の脇を、2体目が飛び越える。
その進路へ、細い氷の壁がせり上がった。
洞窟狼は身を捻り、氷を避けようと左へ跳ぶ。
そこにはテンカがいた。
振り向きざまに《継火》を返し、無防備になった腹部を斬り上げる。洞窟狼は石床へ叩きつけられ、そのまま動かなくなった。
右側では、レオンが横穴から飛び出した1体の前脚を、剣で受け流していた。
返す一撃で肩口を斬ると、洞窟狼が低く唸って後退した。
レオンの視線が、その1体へ集中する。
「グランツさん、右後方です!」
フィアナの声が飛んだ。
残る1体が横穴から低く飛び出し、レオンの背後へ回ろうとしていた。
レオンが振り返る。
間に合わない。
「ウォーターカレント!」
フィアナが左手を上げた。
青い光が指先に集まり、細い水流となって石床を走る。水流は回り込もうとした洞窟狼の前脚を横から打ち、その踏み込みを逸らした。
洞窟狼の爪が濡れた石床を滑る。
身体が傾いた。
「今です!」
レオンが一歩踏み込み、狼の首筋へ剣を振り下ろした。
刃が毛皮と肉を断ち、洞窟狼が石床へ倒れる。
肩口を斬られた1体が、レオンの横を抜けようとした。
その先で、エリシアが右手を向ける。
「逃がしませんわ」
狼の進路へ氷が走り、石床から鋭い氷柱が突き出した。
洞窟狼は急停止し、身体を反転させる。
正面には、すでにレオンが剣を構えていた。
「はっ!」
踏み込みとともに剣が横へ走る。
洞窟狼の身体が崩れ落ちた。
通路に静けさが戻る。
テンカは《継火》についた血を払い、周囲へ視線を巡らせた。
「ほかに反応はあるか?」
「前方、後方ともにありません」
フィアナは水術を収め、左手を開閉した。
「手は?」
「痛みも痺れもありません。強張りも出ていません」
「分かった。レオンは?」
「怪我はありません」
レオンは剣を下ろしたものの、倒れた洞窟狼ではなく、右側の横穴を見ていた。
「オルフィスさんの声がなければ、背後を取られていました」
「魔力反応を報告しただけです」
「その報告がなければ、気づけませんでした」
レオンは剣を鞘へ戻し、フィアナへ頭を下げた。
「ありがとうございます」
「……役割を果たしただけです」
「ならば、次は声を聞く前に見つけよ」
テンカが言うと、レオンは姿勢を正した。
「はい」
「目の前の敵だけを見る癖は、まだ残っておるようじゃな」
「申し訳ありません」
「謝る必要はない。気づいたのであれば、次に直せばよい」
テンカは右の横穴へ視線を向けた。
「ミナの地図と、オルフィスの感知がなければ、挟まれておった。わらわも正面を斬ることだけ考えておれば、そなたの背後までは見られぬ」
「前衛が2人いる理由が、少し分かった気がします」
「わらわにすべて任せるためではないぞ」
「承知しています」
倒れた洞窟狼の身体が、端から迷宮の石床へ吸収され始めた。
ミナが残された4つの魔石を拾い、布袋へ収める。
「4体分、回収しました」
「戦闘にかかった時間も記録しておいてくれ」
「はい。横穴の位置も地図へ書き加えます」
ミナが筆記帳を開く間、テンカたちは短い休憩を取った。
レオンは剣の刃を確かめ、エリシアは水流で濡れた石床を避けて立っていた。フィアナは白い手袋に覆われた両手を一度ずつ開き、指の動きを確認していた。
「オルフィス」
テンカが呼ぶ。
「何でしょうか」
「確認した結果は、声に出せ」
「右手、左手ともに異常はありません。水術を使用した後も、痛み、痺れ、強張りは出ていません」
「うむ。それでよい」
フィアナはわずかに目を伏せたものの、言い直そうとはしなかった。
記録を終えたミナが筆記帳を閉じる。
「進めます」
「わたくしも問題ありませんわ」
「俺も進めます」
「私も続行できます」
テンカは4人の顔を順に見た。
「ならば進もう」
5人は隊列を組み直した。
岩甲虫と戦った通路では、前回と同じように天井を確認した。魔物の姿はなく、濡れた石床を流れる浅い水だけが、魔導灯の光を揺らしている。
分岐ではミナが標識を確かめ、フィアナが魔力反応を探る。レオンは前方だけでなく、何度も左右と後ろへ視線を動かしていた。
やがて通路が円形に広がった。
中央には腰ほどの石台があり、壁には現在地と帰還方向を示す青い標識が並んでいる。
前回、引き返すと決めた場所だった。
「ここまでは、前の記録と一致しています」
ミナが地図と石台を見比べる。
「この奥にある分岐を越えれば、指定訓練区画の終点です。ここから先は、まだ記録できていません」
フィアナは石台の前で足を止めた。
灰紫色の瞳が、一度だけ石床へ向けられる。前に筆記具が落ちた場所を見ているのかもしれない。
やがてフィアナは白い手袋に覆われた右手を開き、指をゆっくりと曲げた。
「オルフィス。状態は?」
「痛みも痺れもありません。指も動きます。水術の使用にも支障はありません」
「エリーは?」
「進めますわ」
「ミナ」
「帰還までの時間には余裕があります。標識も確認できています」
「レオン」
「進めます。今度は左右も見落としません」
4人の返事を聞き、テンカは円形の空間の奥へ顔を向けた。
青い管理標識が、まだ歩いたことのない通路へ伸びている。
「ならば進もう」
テンカは《継火》の柄へ手を添え、空白の先へ足を踏み出した。
「ここから先は、5人で確かめるぞ」
重なった足音が、地図の空白へ続いていった。
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