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ハヅキ辺境伯家の五行姫  作者: あの夏と勇者
第2部第2章 白い手袋と迷宮の灯
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誰の代わりでもなく

投稿予約日がズレてました。

 共同実習の時間、テンカたち4人は教室の後方にある卓を囲み、迷宮探索の報告書をまとめていた。


 探索した経路、遭遇した魔物、回収した魔石、撤退を決めた地点。ミナが筆記帳と地図を見比べながら、項目ごとに内容を書き込んでいく。


 その隣では、フィアナが記録に抜けがないか確認していた。


 右手の痺れは薄れているものの、まだ筆記具を長く握らないよう、医務室から指示を受けている。そのため、報告書の記入はミナが引き受けていた。


「岩甲虫との戦闘後、短い休憩を取ったことも書いておきます」


 ミナが筆記具を動かした。


「休憩を終えた時刻も必要です」

「はい。ここですね」


 フィアナが左手で筆記帳の一行を示した。


 当初、フィアナは自分で報告書を書くと言っていた。ミナが記入を申し出ても、右手を使わなければ問題ないと断ろうとしたほどだ。


 それでも最後には筆記具を渡し、今はミナの書いた内容を確認する役へ回っている。


「次は、撤退を決めた理由です」


 ミナの手が止まった。


「私が戻った方がよいと言ったことを、書いてもよいでしょうか」

「事実であれば、記載してください」

「うむ。誰が何を見て、どう判断したかが分からねば、報告にならぬからな」


 テンカが答えると、ミナは小さく頷いた。


 やがて報告書が完成し、4人は教壇の前へ移動した。


 アリアは提出された紙へ目を通し、時折、手元の評価用の筆記帳へ何かを書き込んでいく。


「指定訓練区画の終点には、到達できなかったのですね」

「はい」


 フィアナが答えた。


「次の確認地点までは到達しました。そこから終点へ進むことも、時間上は可能でした」

「撤退を提案したのは誰ですか?」

「私です」


 ミナの声には、わずかな緊張が混じっていた。


 アリアが顔を上げた。


「理由を説明してください」

「オルフィス様の右手に痺れが出て、筆記具を落としました。歩くことはできても、帰り道で術が必要になった時、手が動かなくなるかもしれないと思いました」


 ミナは一度息を整え、続けた。


「まだ先へ進めるかではなく、全員で戻れるかを考えるべきだと判断しました」

「残る3人は?」

「戻る時は、1人の声でよいと決めておりました」


 テンカが答える。


「ゆえに、ミナが戻るべきだと言った時点で撤退を決めた」

「反対意見はありませんでしたか?」

「私は続行できると申し上げました」


 フィアナが口を開いた。


「ですが、事前に決めた条件へ従い、帰還しました」

「なるほど」


 アリアは報告書へ視線を戻した。


「班員に異常が現れた時点で撤退し、全員が自力で帰還した。適切な判断です」

「終点へは到達していません」


 フィアナの声が、わずかに硬くなる。


「今回の目的は、終点へ到達することだけではありません。迷宮内で役割を果たし、安全に帰還することも評価の対象です」


 アリアは報告書の一部を指で押さえた。


「管理標識を発見し、魔物との戦闘を行い、魔石を回収した。撤退時には、負傷者を出さずに来た経路を戻っています。何をもって成果がなかったと考えたのですか?」

「予定していた区画を踏破できなかったためです」

「予定を達成することと、状況に応じて予定を変更することは、どちらも必要な能力です」


 アリアの声は淡々としている。


「計画どおりに進めなかったことは、失敗ではありません。異常を無視して進む方が、探索では失敗になります」


 フィアナは何も答えなかった。


 白い手袋に覆われた右手の指が、身体の前でわずかに曲がった。


「オルフィスさん。現在の状態は?」

「痺れはほとんど残っていません。医務室からは、状態を確認するまで属性変換を控えるよう指示されています」

「では、再探索は医務室から実技参加の許可を得た後です」


 アリアは4人を見渡した。


「共同実習の班そのものを変更する必要はありません。ただし、学園管理迷宮の利用は、その4人だけに限られてはいません」


 フィアナの指先が、わずかに動いた。


「そのうえで、オルフィスさんへ負担が集中しない役割分担を考えてください。必要であれば、迷宮探索へ同行する学生を増やしても構いません」

「同行者を増やすのですか?」


 ミナが尋ねた。


「学園管理迷宮は、申請した学生が2人以上であれば利用できます。人数を増やす場合は、全員の名前と役割を改めて申請してください」


 アリアは報告書を閉じた。


「次は、今回の反省を役割へ反映させること。それができてから、再探索を申請してください」

「承知した」

「承知しました」

「はい」

「……承知しました」


 4人はそれぞれ答え、教壇を離れた。


 自分たちの席へ戻る途中、フィアナが足を止める。


「同行者を増やすのであれば、私を外せば4人のままです」


 テンカも立ち止まり、振り返った。


「誰がそなたを外すと言った」

「負担を減らすための追加です。私の担当を別の者へ移せば、人数を増やす必要はありません」

「何度言わせるつもりじゃ。そなたを外す話はしておらぬ」


 フィアナの表情は変わらない。


 それでも、右手の指先には力が入っていた。


「教師も、同行者を増やしてよいと言っただけですわ」


 エリシアが自分の席へ着きながら、涼やかに続ける。


「誰かと交代させなさいとは、一言も仰っていません」

「ですが、5人に増やす必要があるのでしょうか」

「それを今から考えるのじゃ」


 テンカは席へ座り、卓の中央へ地図を広げた。


 迷宮で歩いた経路には、ミナの筆跡で分岐や戦闘地点が書き加えられている。終点へ続く通路だけが、まだ何も記されないまま残されていた。


「前衛を、もう1人増やすのはどうですの?」


 エリシアが地図へ指を置く。


「前回はテンカが先頭に立ち、敵の対処と全体の判断を行っていましたわ。前衛が増えれば、どちらかが周囲を見る余裕を持てます」

「わらわも、それがよいと思う」


 テンカは頷いた。


「前を2人で支えられれば、オルフィスが火術まで担う必要もなくなる」

「水術だけでは、火が必要な障害へ対応できません」

「その時は、別の方法を考えればよい」

「探索中に考えるより、事前に対応できる者を置く方が確実です」

「1人ですべてへ対応しようとするから、そなたへ仕事が集まるのであろう」


 フィアナの唇が閉じた。


 ミナが地図を見ながら、控えめに手を上げた。


「前衛ができて、迷宮探索にも参加してくださりそうな方となると……」

「レオンはどうじゃ?」


 テンカが名前を挙げると、エリシアも異論はないようだった。


「武術修習班ですし、剣の腕も確かですわ。少なくとも、テンカへ一手を願うだけの度胸はあります」

「それは迷宮探索に必要な度胸なのですか?」

「少なくとも、わらわへ声をかける度胸はあるな」

「誰が、誰へ話しかけるのですか?」


 不意に男子学生の声が加わった。


 テンカたちが振り向いた。


 少し離れた席で筆記帳を閉じたレオンが、こちらを見ていた。


「俺の名前が聞こえたもので」

「聞いておったのか」

「盗み聞きするつもりはありませんでしたが、席が近いもので」


 レオンは席を立ち、申し訳なさそうに一礼してから、テンカたちの卓へ近づいてきた。


「迷宮探索に同行する前衛を探しているのですか?」

「うむ。オルフィスの負担を減らすため、前に立てる者をもう1人加えようと話しておった」

「でしたら、俺を加えてもらえませんか」


 レオンの返答に迷いはなかった。


 ミナが驚いたように目を瞬かせる。


「よいのですか、グランツ様」

「迷宮探索には以前から興味がありました。それに、先日の手合わせで、自分は目の前の相手しか見ていないと分かりました」


 レオンはテンカへ視線を向けた。


「剣を振るうことだけでなく、仲間の位置や周囲の状況を見て動く経験が必要だと思っています。皆さんの迷惑でなければ、同行させてください」

「そなたも、迷宮利用に必要な基礎安全実技は終えておるのか?」

「はい。利用申請もできます」

「ならば、わらわは歓迎するぞ」


 テンカはエリシアとミナを見る。


「わたくしも異論はありませんわ。前衛としての腕も、性格も分かっていますもの」

「私もお願いします。帰り道を確認する時、前を見てくださる方が2人いると助かります」


 最後に、テンカはフィアナへ目を向けた。


「オルフィスはどうじゃ」

「私の代わりとして、参加されるのですか?」


 フィアナはレオンへ尋ねた。


「いいえ」


 レオンはすぐに否定した。


「俺は前衛として加わりたいと思っています。水術と後方の魔力反応は、オルフィスさんに頼りたいです」

「私の水術について、知っているのですか?」

「先ほど、教壇での報告がこちらの席まで聞こえました。水術で管理標識を見つけ、岩甲虫を壁から落としたと」


 レオンは地図に記された戦闘地点を見た。


「その術を俺が代わりに使うことはできません。俺にできるのは、剣を持って前に立つことです」

「……そうですか」


 フィアナは地図へ視線を落とした。


「参加に反対する理由はありません」

「では、決まりじゃな」


 テンカは地図の脇に新しい役割を書き加えるよう、ミナに頼んだ。


 ミナが筆記具を取り、5人の名を順に記していく。


「前衛は、テンカ様とグランツ様。フロストレイン様は中衛からの魔術支援。私は経路と時間、設備の確認です」

「私は後方警戒と、火術と水術による支援を担当します」


 フィアナが続けた。


「水術だけじゃ」


 テンカが訂正した。


「火術も使用できます」

「使えるかどうかの話ではない。次の探索では、水だけを頼む」

「火が必要になった場合は?」

「その時は、5人で別の手を考える」


 フィアナは、地図に並んだ名前を見つめた。


「私が火術を使う方が早い場合でも、ですか?」

「早いことだけで決めぬ。そなたの手が動かなくなれば、帰りは遅くなるであろう」

「……承知しました」


 今度の返答には、先ほどまでより長い間があった。


「俺は前衛補助と、左右の警戒を担当します」


 レオンが確認した。


「うむ。敵と遭遇した時は、どちらが前へ出るか、その場で声を掛け合おう」

「承知しました」

「ミナは5人分の経路と時間を頼む」

「はい。人数が増える分、歩く順番も考えておきます」

「エリーは、いつもどおり頼む」

「もう少し具体的に言えませんの?」

「わらわの考えを読んで、うまく氷を置く役じゃ」

「随分と勝手な役割ですわね」

「できるであろう?」

「できるかどうかではありませんわ」


 口ではそう返しながら、エリシアの目元はわずかに和らいでいた。


 5人分の役割が書き終わる。


 ミナは筆記帳をフィアナの前へ向けた。


「抜けていることはありませんか?」

「確認します」


 フィアナは書かれた内容を上から順に読み、最後に自分の名前の横で視線を止めた。


 後方警戒。魔力反応の確認。水術による補助。


「問題ありません」


 フィアナが筆記帳をミナへ返す。


「本当に、私は次も同行するのですね」

「そなたの名も申請書へ書くに決まっておろう」

「勝手に自分の席を空けないでくださいませ」


 エリシアが淡々と言い、ミナも頷いた。


「次は5人分で申請書を作ります」

「俺の装備も、申請前に確認してもらえますか?」

「はい。迷宮へ持ち込める物を一緒に確認しましょう」


 4人だった卓に、レオンの椅子が加わっている。


 誰かが立ち去ったために空いた場所ではない。


 次の探索へ進むため、新しく増えた席だった。


 ◇  ◇  ◇


 寮の自室へ戻ったフィアナは、机の上へ1通の手紙を置いた。


 オルフィス子爵家の封蝋が押されている。


 迷宮探索を終えた夜、フィアナは結果だけを記した簡易報告を送っていた。指定区画の最奥へ到達できなかったこと。属性を切り替えた後、右手に痺れが出たこと。そして、途中で帰還したこと。


 これは、その返書だった。


 封を切り、折り畳まれた便箋を開く。


『迷宮探索の報告は確認した。


 指定区画の最奥へ到達できなかったことは、結果として不十分である。身体の不調は、術を扱う者としての管理不足に過ぎない。


 次の機会には、与えられた火と水が正しく機能することを示しなさい。


 テンカ=ハヅキの五行についても、引き続き観察すること。異なる行へ移る際の魔力の変化と、連続して使用した後の状態を可能な限り詳しく記録せよ』


 労いの言葉はなかった。


 全員で帰還したことも、水術によって役割を果たしたことも、手紙の中では触れられていない。


 フィアナは便箋を机へ置き、白い手袋に覆われた右手を開いた。


 痺れは、ほとんど消えている。


 指も動く。


 次は、より慎重に切り替えればよい。火と水を使い、最奥へ到達し、求められた結果を示す。


 そう考えたところで、教室で交わした言葉が浮かんだ。


 ――次の探索では、水だけを頼む。


 机の端には、小さな布袋が置かれている。


 洞窟狼と岩甲虫の魔石を買い取ってもらい、4人で分けた硬貨。その重みは軽いはずなのに、フィアナにはまだ、扱い方の分からないものだった。


 フィアナは新しい便箋を広げた。


 左手で筆記具を取り、再探索の計画と、学園で受けた指示について書き始める。


『次回は前衛を1人増やし、5人で再探索を行います。


 私の担当は、後方警戒と水属性による支援です。


 テンカ=ハヅキの五行については、引き続き観察します』


 そこまで記し、筆記具が止まる。


 フィアナは行を変えた。


『私も引き続き同行します』


 書き加えた一文を、しばらく見つめる。


 やがてフィアナは筆記具を置き、その一文を消さずに便箋を折り畳んだ。


 机の端では、4人で分けた硬貨を収めた小袋が、魔導灯の光を静かに返していた。

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