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ハヅキ辺境伯家の五行姫  作者: あの夏と勇者
第2部第2章 白い手袋と迷宮の灯
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帰るための約束

 学園管理迷宮の利用許可が下りると、テンカたち4人は皇国学園の西端へ向かった。


 第2実技棟と共同演習場を越えた先には、都市外壁に沿って灰色の岩盤が露出している。その一角を囲むように、頑丈な石造りの建物が立っていた。


 皇国学園迷宮管理区。


 建物の正面には武器を携えた学生たちが出入りし、脇の広場では、探索を終えた者が荷物を広げている。泥に汚れた防具を点検する者や、採取した魔石を買い取り窓口へ運ぶ者の姿もあった。


「本当に学園の中に迷宮があるのですね」


 ミナが建物の奥を覗き込む。


「正確には、学園が迷宮へ通じる入口を管理しているのですわ」


 エリシアが答えた。


「この岩盤の下から、西側の地下へ広がっていると聞きましたわ」

「すでに調べておったのか?」

「申請した場所について調べるのは当然ですわ」


 涼やかに返され、テンカはフィアナへ顔を向けた。


「そなたも調べておるのであろうな」

「はい。指定訓練区画の地図と、確認されている魔物の種類を調べました」


 フィアナは筆記帳を開き、挟んでいた紙を取り出す。


 区画内の経路だけでなく、通過に必要な時間や、採取できる魔石の予想数まで記されていた。


「申請が通る前から作っておったのか?」

「許可を得てから調べ始めては、準備が遅れます」

「まだ入れるかも分からぬうちから、成果まで数えておるではないか」

「事前に予測しておくことに問題はありません」


 フィアナの答えには迷いがない。


「指定区画の最奥までは、通常の歩行で片道30分ほどです。途中での戦闘や経路確認を含めても、1時間半あれば往復できます」

「初めて入る場所で、予定どおりに進めるとは限らぬぞ」

「そのために余裕を含めています」

「そういう話ではないのじゃがな」


 管理棟へ入ると、正面に長い受付台があり、壁には迷宮内の規則や警告が並んでいた。


 受付の奥には簡易医務室と、武装した救援要員の待機所が見える。その先を鉄格子で区切られた通路が延び、さらに奥には、地下へ下りる大階段が口を開けていた。


 4人は受付で申請書を提出し、武器と携行品の確認を受けた。


 テンカの腰には《継火》。エリシアは細身の剣を佩き、ミナは地図と筆記帳、魔導灯の予備を鞄に収めている。フィアナは白い手袋の上から、両手首へ細い革帯を巻いていた。


「指定訓練区画から外れないこと。入口と分岐に設置された標識を確認し、帰還時には必ず4人そろって受付を通ってください」


 受付の職員が、4枚の小さな札を差し出した。


「こちらは入退場確認用の認証札です。救援が必要な場合は、通路に設置された信号器へ差し込んでください」

「承知しました」


 エリシアが代表して受け取る。


「入場前に、役割と撤退条件を確認するようにしてください。迷宮内で相談を始めるのでは遅いことがあります」


 受付を離れた4人は、大階段の手前にある待機区画へ移った。


 石造りの卓へ地図を広げ、フィアナが用意してきた予定を示す。


「前衛はハヅキ様。フロストレイン様には中衛からの魔術支援をお願いします。アーレンさんは地図と経過時間の確認。私は後方警戒と、状況に応じて火術と水術を使い分けます」

「今回は、そなたの役割も一つじゃな」

「後方警戒と魔術支援は、同時に行えます」

「早速増やしておるではないか」


 テンカが呆れると、エリシアの口元がわずかに緩んだ。


「大きな問題はありませんわ。ただし、属性を切り替える時は、先に伝えてくださいませ」

「術の発動前に、ですか?」

「ええ。どちらを使うか分かっていれば、わたくしも術を重ねずに済みますわ」


 フィアナがエリシアを見る。


 テンカも頷いた。


「そなたの身体を心配して言うておるだけではない。隣で動く者が、次に何をするか知るためじゃ」

「私の魔術は、周囲へ影響を出さないよう制御できます」

「制御できることと、何も言わずに使ってよいことは別であろう」


 フィアナは少し間を置いた。


「……承知しました。属性を変換する前に報告します」

「うむ。それでよい」


 ミナが地図の端へ役割を書き込む。


「探索の目的は、どこまで進むことにしますか?」

「指定区画の最奥まで進み、確認できる魔物を討伐します。残された魔石は、その場で回収します」


 フィアナが即答した。


「却下じゃ」

「理由を伺っても?」

「初めて入る迷宮で、最初から成果を数える必要はなかろう」


 テンカは地図の入口を指で押さえた。


「今日の目的は、指定された経路を歩き、4人の役割が実際に機能するか確かめることじゃ。最奥まで進めずとも構わぬ」

「それでは、探索の成果が残りません」

「4人で入り、4人で戻れば残るであろう。次に進むための経験がな」

「予定された区画を踏破できなければ、十分とは言えません」

「初めから十分である必要はない」


 フィアナの灰紫色の瞳が、わずかに細くなった。


「では、撤退の判断は誰が行うのですか?」

「それを今から決める」


 テンカは3人を見渡した。


「進む時は、4人で決める。戻る時は、1人の声でよい」

「1人だけの判断で、全員が戻るのですか?」

「うむ」

「必要のない撤退が増えます」

「進む機会は、また作れる。負傷した者や、帰り道を失った者は、簡単には元へ戻らぬ」


 フィアナは黙っている。


「それに、1人が戻るべきだと感じた時、残る3人が何かを見落としておる可能性もありますわ」


 エリシアが地図へ目を落としながら続けた。


「不安を訴えた者を説得して進んでも、隊列は乱れますもの」

「あの……」


 ミナがおずおずと手を挙げる。


「魔物が怖いという理由でも、戻ると言ってよいのでしょうか」

「当然じゃ」

「でも、私だけが怖がっていたら、皆さんの探索を邪魔してしまいます」

「怖い理由が分からぬなら、4人で確かめればよい。それでも進めぬと思えば戻る」


 テンカはミナへ顔を向けた。


「そなたが道を見失った時も同じじゃ。道を確かめる役の者が分からぬと言うなら、それ以上進む理由はない」

「……はい」


 ミナが地図の余白へ書き加える。


 誰か1人が撤退を求めた場合、全員で帰還する。


 その文字を見届け、テンカはフィアナへ視線を移した。


「オルフィス。そなたもじゃぞ」

「私は、予定した探索を完了できると判断しています」

「今の判断を聞いておるのではない。途中で判断が変わった時、口へ出せるかと聞いておる」

「状況に変化があれば、報告します」

「身体のことも含めてじゃ」

「……承知しました」


 フィアナの返事を聞き、テンカは地図を畳んだ。


「では、行くとするか」


 受付の職員へ認証札を示すと、鉄格子が開かれた。


 その先には、岩盤を削って作られた大階段が続いている。壁に設置された魔導灯が一定の間隔で灯り、地下から冷たい風が吹き上がってきた。


 階段を下りるにつれ、管理棟のざわめきが遠ざかる。


 やがて大きな鉄扉の前へ着いた。


 扉の表面には学園の紋章と、指定訓練区画であることを示す番号が刻まれている。その横には、現在入場している班の数を示す魔導具が青い光を放っていた。


 職員が鉄扉の脇にある認証盤へ手をかざした。


 盤面に刻まれた術式が青く灯り、重い鉄扉が低い音を立てて左右へ開いていく。


「帰還時は、認証札を外側の認証盤へ触れさせてください。4人分の札が確認されると、こちらへ帰還信号が届きます」


 職員が扉脇の魔導具を示す。


「認証札を失った場合や、4人分の札を確認できない場合は、その下にある救援用の魔石へ魔力を流してください。管理室へ警報が送られます」

「うむ。説明、感謝する」

「お気をつけて」


 テンカたちは職員へ一礼し、開いた鉄扉をくぐった。


 鉄扉の向こうには、天然の岩肌に囲まれた通路が延びていた。


 壁の魔導灯は奥まで続いているものの、光の届かない窪みには濃い闇が溜まっている。遠くから水の滴る音が聞こえ、湿った土と石の匂いが鼻をくすぐった。


「ここが、迷宮……」


 ミナが息を呑む。


 その視線は、すぐに壁へ並ぶ魔導灯へ移った。


「この魔導灯、灯りだけではなく、隣の灯りへ魔力を送る導線も刻まれています。1つが消えても、前後から供給できるように」

「ミナ」


 テンカが呼ぶ。


「前も見ています」

「今は完全に壁を見ておったぞ」

「壁も進行方向にあります」

「そういう理屈ではない」


 エリシアが小さく笑い、フィアナは地図へ視線を落とした。


 最初の分岐へ着くと、右側の通路は緩やかに下り、左側はほぼ平坦に続いていた。


「右です」


 フィアナが地図を示す。


「こちらの方が、指定された確認地点までの距離が短くなります」

「待ってください」


 ミナが右の壁へ近づいた。


 魔導灯の下に、小さな黄色の印が浮かんでいる。


「この印は、通路を一時閉鎖する時に使われる管理標識です。今は右へ入れません」

「地図には記載されていません」

「地図が作られた後に、閉鎖されたのだと思います」


 フィアナは標識と地図を見比べた。


 すぐに反論するかと思ったが、紙を畳んで左を向く。


「……左へ進みます」

「うむ。経路の確認はミナの役目じゃからな」

「承知しています」


 4人は隊列を整え直した。


 テンカが先頭に立ち、ミナが中央で標識を確認する。エリシアがその後ろから前方を見渡し、フィアナは最後尾で背後を警戒した。


 しばらく進むと、通路の先から硬いものが石を擦る音が聞こえた。


 テンカが足を止め、左手を上げる。


 後ろの足音も止まり、フィアナは通路の奥へ意識を集中させた。


「魔力反応があります」

「数は?」

「3つ。こちらへ近づいています」

「属性は使うか?」

「必要であれば、水属性で動きを止めます」

「承知した。エリーはどうじゃ」

「わたくしが先に動きを見ますわ」


 暗がりの中から、低い唸り声が響く。


 現れたのは、灰色の毛皮を持つ3体の洞窟狼だった。地上の狼より一回り大きく、前脚には岩肌へ食い込む太い爪が生えている。


 先頭の1体が身を沈めた。


 左右の2体が壁際へ散り、挟み込むように距離を詰めてくる。


 テンカは《継火》の柄へ手を添えた。


「エリー。左を頼む」

「左だけで、よろしいのですか?」


 エリシアが一歩前へ出る。


 銀白の髪が、迷宮を流れる冷たい風に揺れた。


 右手が静かに上がる。


 青白い光が指先に集まり、細い氷の筋となって床を走った。


 洞窟狼が地を蹴る。


 その足元で、氷が花のように開いた。


 先頭の狼の前脚が床へ縫い止められ、左右から跳びかかった2体の軌道も、瞬く間に伸びた氷壁によって中央へ寄せられる。


 エリシアの指が、わずかに動いた。


 空中に生まれた3本の氷槍が、それぞれ異なる角度へ向きを変える。


 澄んだ音が重なった。


 氷槍は洞窟狼の急所だけを正確に貫き、3体の身体が、ほとんど同時に石床へ倒れた。


 壁の魔導灯にも、通路の標識にも傷はない。


 床を覆った氷も獣の周囲だけに留まり、テンカたちの足元までは届いていなかった。


 静寂が戻る。


 テンカは《継火》を抜くことなく、柄へ添えていた手を離した。


 2年前に見たエリシアの氷槍も強力だったが、今の術は、それ以上の威力を持ちながら、細く鋭い。凍らせる場所も、敵が動く先も、正確に選び取っていた。


「エリーはさすがよのう。わらわの出る幕もなかった……」

「なぜ少し残念そうなのです?」


 エリシアが振り返る。


「感心しておるのじゃ。ただ、せっかく《継火》を持ってきたのでな」

「次は残しておきますわ」

「獲物を菓子のように分けるでない」


 ミナが倒れた洞窟狼と、床に残った氷の範囲を見比べている。


「3体を同時に狙ったのに、氷槍がすべて違う角度から入っています」

「同じ方向から撃てば、後ろの2体には前の個体が邪魔になりますもの」

「氷壁も、止めるためではなく、跳ぶ方向を中央へ寄せるためだったのですね」

「ええ。動きを奪うより、選べる道を減らす方が簡単ですわ」


 その時、3体の洞窟狼の輪郭が淡い光へほどけ始めた。光は石床へ吸い込まれ、やがて死体が消えると、その場には3つの小さな魔石だけが残った。


「魔石を回収します」


 ミナは残された3つの魔石を拾い、鞄へ収めた。


 フィアナは通路の後方へ意識を向け直した。


「後方に、別の魔力反応はありません」

「そなたは術を使わずに済んだな」

「はい。フロストレイン様の術だけで十分でした」

「うむ。必要のない術まで重ねることはない」


 テンカは3人を見渡した。


 誰も負傷していない。隊列も崩れず、それぞれが決めた役割を果たしている。


「ミナ。帰り道は分かるか?」

「はい。閉鎖標識のあった分岐から、こちらへ1本です」

「エリー」

「魔力の消耗は、ほとんどありませんわ」

「オルフィス」

「問題ありません」


 即答したフィアナを、テンカはじっと見る。


「……手の強張りもありません」

「最初からそこまで言えばよい」

「確認されると思いましたので」

「少しは学んでおるようじゃな」


 フィアナは答えなかったが、否定もしなかった。


 通路の先には、魔導灯の列がさらに奥まで続いている。


 洞窟狼を呑み込んだ石床の向こうで、迷宮の闇は静かに4人を待っていた。

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