帰るための約束
学園管理迷宮の利用許可が下りると、テンカたち4人は皇国学園の西端へ向かった。
第2実技棟と共同演習場を越えた先には、都市外壁に沿って灰色の岩盤が露出している。その一角を囲むように、頑丈な石造りの建物が立っていた。
皇国学園迷宮管理区。
建物の正面には武器を携えた学生たちが出入りし、脇の広場では、探索を終えた者が荷物を広げている。泥に汚れた防具を点検する者や、採取した魔石を買い取り窓口へ運ぶ者の姿もあった。
「本当に学園の中に迷宮があるのですね」
ミナが建物の奥を覗き込む。
「正確には、学園が迷宮へ通じる入口を管理しているのですわ」
エリシアが答えた。
「この岩盤の下から、西側の地下へ広がっていると聞きましたわ」
「すでに調べておったのか?」
「申請した場所について調べるのは当然ですわ」
涼やかに返され、テンカはフィアナへ顔を向けた。
「そなたも調べておるのであろうな」
「はい。指定訓練区画の地図と、確認されている魔物の種類を調べました」
フィアナは筆記帳を開き、挟んでいた紙を取り出す。
区画内の経路だけでなく、通過に必要な時間や、採取できる魔石の予想数まで記されていた。
「申請が通る前から作っておったのか?」
「許可を得てから調べ始めては、準備が遅れます」
「まだ入れるかも分からぬうちから、成果まで数えておるではないか」
「事前に予測しておくことに問題はありません」
フィアナの答えには迷いがない。
「指定区画の最奥までは、通常の歩行で片道30分ほどです。途中での戦闘や経路確認を含めても、1時間半あれば往復できます」
「初めて入る場所で、予定どおりに進めるとは限らぬぞ」
「そのために余裕を含めています」
「そういう話ではないのじゃがな」
管理棟へ入ると、正面に長い受付台があり、壁には迷宮内の規則や警告が並んでいた。
受付の奥には簡易医務室と、武装した救援要員の待機所が見える。その先を鉄格子で区切られた通路が延び、さらに奥には、地下へ下りる大階段が口を開けていた。
4人は受付で申請書を提出し、武器と携行品の確認を受けた。
テンカの腰には《継火》。エリシアは細身の剣を佩き、ミナは地図と筆記帳、魔導灯の予備を鞄に収めている。フィアナは白い手袋の上から、両手首へ細い革帯を巻いていた。
「指定訓練区画から外れないこと。入口と分岐に設置された標識を確認し、帰還時には必ず4人そろって受付を通ってください」
受付の職員が、4枚の小さな札を差し出した。
「こちらは入退場確認用の認証札です。救援が必要な場合は、通路に設置された信号器へ差し込んでください」
「承知しました」
エリシアが代表して受け取る。
「入場前に、役割と撤退条件を確認するようにしてください。迷宮内で相談を始めるのでは遅いことがあります」
受付を離れた4人は、大階段の手前にある待機区画へ移った。
石造りの卓へ地図を広げ、フィアナが用意してきた予定を示す。
「前衛はハヅキ様。フロストレイン様には中衛からの魔術支援をお願いします。アーレンさんは地図と経過時間の確認。私は後方警戒と、状況に応じて火術と水術を使い分けます」
「今回は、そなたの役割も一つじゃな」
「後方警戒と魔術支援は、同時に行えます」
「早速増やしておるではないか」
テンカが呆れると、エリシアの口元がわずかに緩んだ。
「大きな問題はありませんわ。ただし、属性を切り替える時は、先に伝えてくださいませ」
「術の発動前に、ですか?」
「ええ。どちらを使うか分かっていれば、わたくしも術を重ねずに済みますわ」
フィアナがエリシアを見る。
テンカも頷いた。
「そなたの身体を心配して言うておるだけではない。隣で動く者が、次に何をするか知るためじゃ」
「私の魔術は、周囲へ影響を出さないよう制御できます」
「制御できることと、何も言わずに使ってよいことは別であろう」
フィアナは少し間を置いた。
「……承知しました。属性を変換する前に報告します」
「うむ。それでよい」
ミナが地図の端へ役割を書き込む。
「探索の目的は、どこまで進むことにしますか?」
「指定区画の最奥まで進み、確認できる魔物を討伐します。残された魔石は、その場で回収します」
フィアナが即答した。
「却下じゃ」
「理由を伺っても?」
「初めて入る迷宮で、最初から成果を数える必要はなかろう」
テンカは地図の入口を指で押さえた。
「今日の目的は、指定された経路を歩き、4人の役割が実際に機能するか確かめることじゃ。最奥まで進めずとも構わぬ」
「それでは、探索の成果が残りません」
「4人で入り、4人で戻れば残るであろう。次に進むための経験がな」
「予定された区画を踏破できなければ、十分とは言えません」
「初めから十分である必要はない」
フィアナの灰紫色の瞳が、わずかに細くなった。
「では、撤退の判断は誰が行うのですか?」
「それを今から決める」
テンカは3人を見渡した。
「進む時は、4人で決める。戻る時は、1人の声でよい」
「1人だけの判断で、全員が戻るのですか?」
「うむ」
「必要のない撤退が増えます」
「進む機会は、また作れる。負傷した者や、帰り道を失った者は、簡単には元へ戻らぬ」
フィアナは黙っている。
「それに、1人が戻るべきだと感じた時、残る3人が何かを見落としておる可能性もありますわ」
エリシアが地図へ目を落としながら続けた。
「不安を訴えた者を説得して進んでも、隊列は乱れますもの」
「あの……」
ミナがおずおずと手を挙げる。
「魔物が怖いという理由でも、戻ると言ってよいのでしょうか」
「当然じゃ」
「でも、私だけが怖がっていたら、皆さんの探索を邪魔してしまいます」
「怖い理由が分からぬなら、4人で確かめればよい。それでも進めぬと思えば戻る」
テンカはミナへ顔を向けた。
「そなたが道を見失った時も同じじゃ。道を確かめる役の者が分からぬと言うなら、それ以上進む理由はない」
「……はい」
ミナが地図の余白へ書き加える。
誰か1人が撤退を求めた場合、全員で帰還する。
その文字を見届け、テンカはフィアナへ視線を移した。
「オルフィス。そなたもじゃぞ」
「私は、予定した探索を完了できると判断しています」
「今の判断を聞いておるのではない。途中で判断が変わった時、口へ出せるかと聞いておる」
「状況に変化があれば、報告します」
「身体のことも含めてじゃ」
「……承知しました」
フィアナの返事を聞き、テンカは地図を畳んだ。
「では、行くとするか」
受付の職員へ認証札を示すと、鉄格子が開かれた。
その先には、岩盤を削って作られた大階段が続いている。壁に設置された魔導灯が一定の間隔で灯り、地下から冷たい風が吹き上がってきた。
階段を下りるにつれ、管理棟のざわめきが遠ざかる。
やがて大きな鉄扉の前へ着いた。
扉の表面には学園の紋章と、指定訓練区画であることを示す番号が刻まれている。その横には、現在入場している班の数を示す魔導具が青い光を放っていた。
職員が鉄扉の脇にある認証盤へ手をかざした。
盤面に刻まれた術式が青く灯り、重い鉄扉が低い音を立てて左右へ開いていく。
「帰還時は、認証札を外側の認証盤へ触れさせてください。4人分の札が確認されると、こちらへ帰還信号が届きます」
職員が扉脇の魔導具を示す。
「認証札を失った場合や、4人分の札を確認できない場合は、その下にある救援用の魔石へ魔力を流してください。管理室へ警報が送られます」
「うむ。説明、感謝する」
「お気をつけて」
テンカたちは職員へ一礼し、開いた鉄扉をくぐった。
鉄扉の向こうには、天然の岩肌に囲まれた通路が延びていた。
壁の魔導灯は奥まで続いているものの、光の届かない窪みには濃い闇が溜まっている。遠くから水の滴る音が聞こえ、湿った土と石の匂いが鼻をくすぐった。
「ここが、迷宮……」
ミナが息を呑む。
その視線は、すぐに壁へ並ぶ魔導灯へ移った。
「この魔導灯、灯りだけではなく、隣の灯りへ魔力を送る導線も刻まれています。1つが消えても、前後から供給できるように」
「ミナ」
テンカが呼ぶ。
「前も見ています」
「今は完全に壁を見ておったぞ」
「壁も進行方向にあります」
「そういう理屈ではない」
エリシアが小さく笑い、フィアナは地図へ視線を落とした。
最初の分岐へ着くと、右側の通路は緩やかに下り、左側はほぼ平坦に続いていた。
「右です」
フィアナが地図を示す。
「こちらの方が、指定された確認地点までの距離が短くなります」
「待ってください」
ミナが右の壁へ近づいた。
魔導灯の下に、小さな黄色の印が浮かんでいる。
「この印は、通路を一時閉鎖する時に使われる管理標識です。今は右へ入れません」
「地図には記載されていません」
「地図が作られた後に、閉鎖されたのだと思います」
フィアナは標識と地図を見比べた。
すぐに反論するかと思ったが、紙を畳んで左を向く。
「……左へ進みます」
「うむ。経路の確認はミナの役目じゃからな」
「承知しています」
4人は隊列を整え直した。
テンカが先頭に立ち、ミナが中央で標識を確認する。エリシアがその後ろから前方を見渡し、フィアナは最後尾で背後を警戒した。
しばらく進むと、通路の先から硬いものが石を擦る音が聞こえた。
テンカが足を止め、左手を上げる。
後ろの足音も止まり、フィアナは通路の奥へ意識を集中させた。
「魔力反応があります」
「数は?」
「3つ。こちらへ近づいています」
「属性は使うか?」
「必要であれば、水属性で動きを止めます」
「承知した。エリーはどうじゃ」
「わたくしが先に動きを見ますわ」
暗がりの中から、低い唸り声が響く。
現れたのは、灰色の毛皮を持つ3体の洞窟狼だった。地上の狼より一回り大きく、前脚には岩肌へ食い込む太い爪が生えている。
先頭の1体が身を沈めた。
左右の2体が壁際へ散り、挟み込むように距離を詰めてくる。
テンカは《継火》の柄へ手を添えた。
「エリー。左を頼む」
「左だけで、よろしいのですか?」
エリシアが一歩前へ出る。
銀白の髪が、迷宮を流れる冷たい風に揺れた。
右手が静かに上がる。
青白い光が指先に集まり、細い氷の筋となって床を走った。
洞窟狼が地を蹴る。
その足元で、氷が花のように開いた。
先頭の狼の前脚が床へ縫い止められ、左右から跳びかかった2体の軌道も、瞬く間に伸びた氷壁によって中央へ寄せられる。
エリシアの指が、わずかに動いた。
空中に生まれた3本の氷槍が、それぞれ異なる角度へ向きを変える。
澄んだ音が重なった。
氷槍は洞窟狼の急所だけを正確に貫き、3体の身体が、ほとんど同時に石床へ倒れた。
壁の魔導灯にも、通路の標識にも傷はない。
床を覆った氷も獣の周囲だけに留まり、テンカたちの足元までは届いていなかった。
静寂が戻る。
テンカは《継火》を抜くことなく、柄へ添えていた手を離した。
2年前に見たエリシアの氷槍も強力だったが、今の術は、それ以上の威力を持ちながら、細く鋭い。凍らせる場所も、敵が動く先も、正確に選び取っていた。
「エリーはさすがよのう。わらわの出る幕もなかった……」
「なぜ少し残念そうなのです?」
エリシアが振り返る。
「感心しておるのじゃ。ただ、せっかく《継火》を持ってきたのでな」
「次は残しておきますわ」
「獲物を菓子のように分けるでない」
ミナが倒れた洞窟狼と、床に残った氷の範囲を見比べている。
「3体を同時に狙ったのに、氷槍がすべて違う角度から入っています」
「同じ方向から撃てば、後ろの2体には前の個体が邪魔になりますもの」
「氷壁も、止めるためではなく、跳ぶ方向を中央へ寄せるためだったのですね」
「ええ。動きを奪うより、選べる道を減らす方が簡単ですわ」
その時、3体の洞窟狼の輪郭が淡い光へほどけ始めた。光は石床へ吸い込まれ、やがて死体が消えると、その場には3つの小さな魔石だけが残った。
「魔石を回収します」
ミナは残された3つの魔石を拾い、鞄へ収めた。
フィアナは通路の後方へ意識を向け直した。
「後方に、別の魔力反応はありません」
「そなたは術を使わずに済んだな」
「はい。フロストレイン様の術だけで十分でした」
「うむ。必要のない術まで重ねることはない」
テンカは3人を見渡した。
誰も負傷していない。隊列も崩れず、それぞれが決めた役割を果たしている。
「ミナ。帰り道は分かるか?」
「はい。閉鎖標識のあった分岐から、こちらへ1本です」
「エリー」
「魔力の消耗は、ほとんどありませんわ」
「オルフィス」
「問題ありません」
即答したフィアナを、テンカはじっと見る。
「……手の強張りもありません」
「最初からそこまで言えばよい」
「確認されると思いましたので」
「少しは学んでおるようじゃな」
フィアナは答えなかったが、否定もしなかった。
通路の先には、魔導灯の列がさらに奥まで続いている。
洞窟狼を呑み込んだ石床の向こうで、迷宮の闇は静かに4人を待っていた。
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