火と水の継ぎ目
基礎魔術学の前半講義を終えると、1年1組の学生たちは第2実技棟へ移動した。
石造りの測定室には、同じ形の測定台が等間隔に並んでいる。台の中央には無色の魔石が埋め込まれ、その脇には魔力の出力を示す細い針と目盛りが設けられていた。
壁際の棚には、赤や青をはじめとした属性ごとの魔石が収められている。
「今日の実技では、属性変換と術の停止を行います」
教壇に立つ教師が、無色の魔石へ手をかざした。
「属性魔術では、術者が持つ魔力を、生来の適性に沿った属性へ変換します。その変換を担う体内の巡路が、魔脈です」
教師の魔力が流れ込むと、魔石の内側へ赤い光が灯る。
光の強さに合わせ、脇の測定針がゆっくりと動いた。
「適性の強さや魔脈の太さには個人差があります。大切なのは、出力の大小ではありません。必要な量へ調整し、自分の意思で止められることです」
教師が魔力を止める。
赤い光が消え、測定針が中央へ戻った。
「痛み、痺れ、予期しない熱や冷気を感じた場合は、直ちに術を停止してください。我慢して続けても、評価は上がりません」
最後の言葉を聞き、テンカは隣へ視線を向けた。
フィアナは教師を見たまま、白い手袋に覆われた両手を身体の前で重ねている。
「オルフィス」
小声で呼ぶと、灰紫色の瞳がこちらを向いた。
「何でしょうか」
「今の話を忘れるでないぞ」
「聞いていました」
「ならばよい」
フィアナの返答に淀みはなかった。
身体鍛錬で教師から止められたばかりである。続けて同じことはしないと思いたいが、テンカには確信が持てなかった。
「4人ずつ測定台を使用してください。複数の属性適性を持つ者は、1つ目の術を完全に停止した後、次の属性へ切り替えます」
学生たちが近くの測定台へ分かれていく。
テンカはエリシア、ミナ、フィアナと同じ台を囲んだ。
「どなたから始めますの?」
エリシアの問いに、ミナが測定器を覗き込んだまま答える。
「私は最後でも構いません」
「そう言いながら、ずっと器の方を見ておるではないか」
「中央の魔石から測定針へ、どうやって情報を伝えているのか気になって……」
「ならば、ミナから始めればよかろう」
テンカに促され、ミナが測定台の前へ立った。
「アーレンさんは、無属性の魔力を指定された出力まで上げてください」
巡回してきた教師が指示する。
ミナは小さく頷き、無色の魔石へ右手をかざした。
細い魔力が流れ込み、魔石の中心へ白い光が灯る。出力は高くないものの、光の揺れは少なく、測定針も指定された目盛りの上で止まった。
「そのまま維持してください」
教師が維持時間を測る。
「停止」
ミナが息を吐くと、白い光が消えた。
測定針も、大きく振れることなく中央へ戻っていく。
「供給も停止も正確です。出力を急に切らず、少しずつ絞りましたね」
「魔導具への供給を急に止めると、術式回路へ負担がかかることがあるので」
「よく学んでいます」
教師が次の測定台へ向かう。
ミナは場所を空けながらも、測定器から目を離さなかった。
「この針は、魔石に流れ込んだ魔力だけを測っているのでしょうか」
「ミナ」
エリシアが静かに呼ぶ。
「はい」
「今は、あなたが測定される時間ですわ。測定器を調べる時間ではありませんの」
「終わりましたので、少しくらいは……」
「教師へ許可を取ってからにせよ」
テンカにも言われ、ミナは名残惜しそうに測定台から離れた。
「では、次はわたくしが行いますわ」
エリシアが前へ出る。
教師の指示を受け、無色の魔石へ魔力を流した。
魔石の内側が、澄んだ青へ変わる。
表面へ薄い霜が広がったものの、その範囲は魔石の縁でぴたりと止まっていた。測定台や金属の枠には、冷気を漏らしていない。
「出力を一段階上げてください」
青い光が強まり、測定針が次の目盛りへ動く。
霜の範囲は変わらなかった。
「停止」
エリシアが魔力を絞る。
青い光が消え、魔石を覆っていた霜も縁から静かに薄れていった。
「出力を上げても、術の範囲が広がっていません。よく制御できています」
「ありがとうございます」
エリシアが涼やかに一礼する。
「次はテンカですわね」
「うむ」
テンカが測定台の前へ立つと、教師は無色の魔石をそのまま使うよう指示した。
「ハヅキさんの五行は、属性魔術とは術理が異なります。まずは水行を一定の状態で維持し、合図に合わせて完全に収めてください」
「承知した」
テンカは右手を魔石の上へかざした。
呼吸を整え、身体の内側に巡る五行へ意識を向ける。
水行。
流れ、沈み、形を変える理。
掌の下へ蒼い光が生まれた。
魔石を包むように細い流れが巡り、その明るさを一定に保つ。
今使っているのは、斬るための五行ではない。身体へ纏うこともなく、掌の周囲へ巡らせているだけだ。
テンカの黒髪は、元の色を保っていた。
「停止してください」
テンカは水行の流れを細め、身体の内側へ戻していく。
蒼い光が弱まり、やがて完全に消えた。
「問題ありません。続けて、もう一度水行を巡らせてください」
再び蒼い光を生み出す。
「今度は、木行へ移してください」
「うむ」
テンカは水行を一度消すのではなく、その行き先を変えた。
蒼い流れの中へ、淡い翠の光が差し込む。
水の巡りを受け取るように翠が広がり、やがて蒼を覆っていく。流れそのものは途切れず、測定針も中央へ戻らないまま、光の性質だけが変わった。
掌の下へ残った翠の光を収め、テンカは手を下ろした。
「属性魔術では、変換した術を一度停止し、別の属性へ切り替えます」
教師が測定器を確認する。
「五行は、今ある巡りを次の行へ移すのですね」
「五行は、属性を取り替える術ではないからのう。水から木へ巡りを渡しただけじゃ」
「同じ魔力が、異なる理へ移ったということですか?」
フィアナが尋ねた。
白い手袋に覆われた指が、開いた筆記帳の上で止まっている。
「同じとも、別とも言い切れぬな。流れは続いておるが、水行であった時と木行へ移った後では、働きも巡り方も異なる」
「流れそのものは、身体の中でも途切れないのですか?」
「途切れさせてはおらぬ。途切れれば、次の行へ渡すこともできぬからな」
フィアナはテンカの掌を見つめた後、筆記帳へ視線を落とした。
「ありがとうございます」
「随分と熱心ですわね」
エリシアが言う。
「今後も共同実習で同じ班として動くなら、ハヅキ様の術理を把握しておく必要があります」
「もっともらしい答えじゃな」
「事実です」
フィアナは筆記帳を閉じ、測定台の前へ立った。
「オルフィスさんは火と水の2属性ですね」
戻ってきた教師が、棚から赤と青の魔石を取り出す。
「まずは火属性を測定します。完全な停止を確認してから、水属性へ切り替えてください」
「承知しました」
赤い魔石が測定器へ取りつけられた。
フィアナは右手をかざす。
呼吸を整え、魔力を流した。
赤い光が灯る直前、フィアナの右腕を走る魔力が、一度だけ妙な揺れ方をしたように感じられた。
すぐに赤い光が灯り、測定針が指定された目盛りで止まる。
「火属性、安定しています」
教師が測定結果へ目を落とした。
フィアナの姿勢にも乱れはない。
ただ、白い手袋に覆われた右手の指が、わずかに反っていた。
「停止してください」
赤い光が消える。
測定針が中央へ戻るまで、フィアナは右手を下ろさなかった。
「停止を確認しました。続けて水属性です」
測定器の魔石が青へ交換される。
フィアナは右手を下ろし、今度は左手をかざした。火術はすでに停止しており、測定器にも赤い光は残っていない。
水の魔術が生まれる直前、両手が同時に強張った。右手の指が握り込まれ、左手首がわずかに揺れる。魔力が左手へ届く途中で、一瞬つかえたように見えた。
次の瞬間、青い光が灯った。測定針は指定された目盛りまで動き、すぐに安定した。
「水属性も、規定の出力に達しています」
教師は測定器を確認した後、フィアナの左手へ視線を移した。
「オルフィスさん。停止してください」
「出力は安定しています」
「測定値ではなく、あなたの手を見ています。次の試行は中止です」
フィアナは何かを言いかけ、口を閉じた。
「……承知しました」
青い光が消える。
測定針も中央へ戻ったが、フィアナは左手を下ろしたまま、指を開こうとしなかった。
「両手に痛みや痺れはありますか?」
「問題ありません」
「指が強張っています。しばらく休んでください」
「……承知しました」
教師に示された長椅子へ向かい、フィアナは静かに腰を下ろした。
背筋は伸びている。
膝の上へ置かれた両手は、白い手袋の下で固く握られていた。
教師が別の測定台へ移ると、テンカはフィアナの隣へ座った。
「オルフィス」
「何でしょうか」
「火も水も、術が生まれる前に流れが一度つかえたように見えた」
「属性を変換するまでの時間には、個人差があります」
「時間の話ではない。身体の内から手へ流れる途中で、一度引っかかったように見えたのじゃ」
「そのような状態であれば、測定値が乱れるはずです」
「器が測っておるのは、外へ出た後の術であろう」
フィアナの灰紫色の瞳が、わずかに細くなった。
「わたくしにも、違和感はありましたわ」
エリシアが反対側へ立つ。
「火術も水術も、発動してからは安定していました。乱れたのは、属性へ変わる直前ですわ」
「でも、測定器には出ていません」
ミナは筆記帳へ測定台の簡単な図を描いていた。
「この器が測っているのは、手から魔石へ流れ込んだ魔術の属性と出力です。身体の中で、どのような経路を通ったのかまでは記録できないと思います」
「まだ調べておったのか」
「授業中は我慢しました。今は待機時間です」
「そこだけは律儀じゃな」
ミナは筆記具を置き、フィアナへ顔を向けた。
「手が痛むのなら、教師へ伝えた方がよいと思います」
「痛みはありません」
「では、なぜ握ったままなのじゃ」
フィアナは膝の上へ視線を落とした。
ゆっくりと右手を開く。
続いて左手も開いたが、指先には小さな震えが残っていた。
「疲労によるものです」
「身体鍛錬では右手を気にしておった。今は両手じゃ」
「……」
「話したくないことを、無理に聞くつもりはない」
テンカは正面へ視線を戻した。
「教師に休めと言われた間くらい、大人しく座っておれ」
「ハヅキ様の測定は終わっています」
「わらわも休んでおるだけじゃ」
「わたくしは、次の試行を見るために残っていますの」
「私は測定器の構造を確認しています」
エリシアとミナが続ける。
フィアナは3人を順に見た。
「付き添いは必要ありません」
「誰も付き添いとは言うておらぬ」
「では、なぜ3人ともここにいるのですか」
「同じ班の者が休んでおるからじゃ。それ以外に、何が要る」
フィアナの目が、わずかに見開かれた。
身体鍛錬の時と同じ答えだった。
テンカは首を傾げる。
「何かおかしなことを言ったか?」
「……いいえ」
フィアナは膝の上へ視線を戻した。
しばらくすると、固く握られていた両手から、少しずつ力が抜けていった。
休憩の後、フィアナは教師の監督下で安全確認のための再試行を行った。
出力は先ほどより低く設定され、火術を完全に停止してから水術へ切り替える。
白い指にはわずかな強張りが残ったものの、フィアナは測定針が指定の位置へ届くと、自ら出力を絞り始めた。
青い光が消え、測定針が中央へ戻る。
「基礎安全実技は修了とします」
教師がフィアナの両手を確かめる。
「同じ症状が出た場合は、必ず申告してください」
「……承知しました」
授業の終わりに、教師が学生たちを測定室の中央へ集めた。
「基礎安全実技を修了した学生は、学園管理迷宮の利用を申請できます」
測定室の空気が一度にざわめく。
「利用は2人以上。1年次の学生が入れるのは、学園が指定した訓練区画のみです。事前に申請書を提出し、入退場時には必ず受付で確認を受けてください」
教師が申請用紙の束を取り出した。
「迷宮内で採取した魔石や素材は、学園の買い取り所へ持ち込めます。ただし、素材の採取や魔物の討伐は実習の目的ではありません。自身と同行者の状態を確認し、戻ると決めることも判断の一つです」
ミナの目が輝く。
「迷宮の魔導設備も見られるのでしょうか」
「まず魔物と足元を見よ」
「もちろんです。ただ、管理用の術式がどのように組まれているのかも気になります」
「そなたは迷宮へ入っても、壁ばかり見て歩きそうじゃな」
「きちんと前も見ます」
テンカが笑うと、エリシアが申請用紙を1枚取った。
「テンカは参加しますの?」
「無論じゃ。管理された迷宮とはいえ、実際に歩かねば学べぬこともあろう」
「でしたら、わたくしも参加しますわ」
「私もお願いします」
ミナも迷わず手を挙げる。
3人の視線がフィアナへ向いた。
フィアナは白い手袋に覆われた両手を見下ろした。
「オルフィス」
テンカが呼ぶ。
「参加するならば、条件がある」
「何でしょうか」
「手に異常が出れば、すぐに言え。『問題ありません』だけで済ませることは認めぬ」
「異常があれば報告します」
「起きた後だけではない。起きそうな時にもじゃ」
「……承知しました」
フィアナは顔を上げた。
「私も、参加を希望します」
「うむ。では4人じゃな」
エリシアが申請用紙の最初の欄へ名を書き、テンカへ渡した。
テンカが名を書いた後、用紙はミナを経て、フィアナの手へ渡った。
筆記具を握った白い指が、一度だけ止まる。
それでもフィアナは、自分の名前を書き終えると、用紙を机の中央へ戻した。
申請用紙には、4人の名が並んでいた。
白い手袋の指はまだわずかに強張っていたが、その紙だけは、1人で抱え込まなかった。
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