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ハヅキ辺境伯家の五行姫  作者: あの夏と勇者
第2部 第1章 学び舎に咲く天の華
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エピローグ 白い手袋の少女

 放課後の第2実技棟には、昼間のざわめきが残っていなかった。


 西日が高い窓から差し込み、石造りの測定室を斜めに照らしている。壁際には属性ごとの測定器が並び、埋め込まれた魔石が、使われる時を待つように沈黙していた。


 その中央に、1人の少女が立っている。


 灰色を薄く混ぜた淡い亜麻色の髪は、真っ直ぐ肩甲骨まで伸びていた。両脇の髪だけを細く編み、後頭部でまとめていた。煙水晶を思わせる灰紫色の瞳は、机の上に置かれた測定記録だけを見つめていた。


 制服は襟元から袖口まで隙なく整えられ、両手は白い手袋で覆われていた。


 フィアナ=オルフィス。


 オルフィス子爵家の養女であり、皇国学園の新入生である。


 フィアナは測定記録へ視線を落とした。


 火属性、安定値82。

 水属性、安定値79。


 どちらも合格基準は超えている。授業で求められた測定回数も、すでに終えていた。


 だが、十分ではない。


 フィアナは赤い魔石へ右手をかざした。


 呼吸を整え、身体の奥にある魔力を細く引き上げる。生まれ持った魔力は、ほとんど属性を持たない。そこへ後から定着させられた火の性質を重ね、手袋越しに測定器へ流し込んだ。


 魔石の内側へ、赤い光が灯る。


 強すぎず、弱すぎず。揺れを抑え、一定の出力を保つ。


 記録針が動き始めた。


 82。

 83。


 細い針が、わずかに震える。


 その瞬間、右手首の奥を熱した糸で締め上げられるような痛みが走った。

 フィアナの指先が揺れ、魔石の光が一度だけ乱れる。すぐに魔力を絞り、記録針が戻る前に流れを整えた。


 84。


 前回より2上がった。


 フィアナは魔力を止めた。赤い光が消え、測定室に静けさが戻る。


 右手を下ろしても、手首の奥では熱が脈打っていた。火と水が体内で触れた時に起きる痛みだ。失敗ではない。定着が不十分なだけである。


 ならば、定着させればよい。


 フィアナは左手で記録を書き加えようとした。だが、筆記具を握った指に力が入らない。


 白い手袋の下で、両手首から前腕へ伸びる術式痕が疼いている。見なくても分かった。皮膚の下に刻まれた線のいくつかが、赤く熱を持っているはずだ。


 フィアナは指を開き、もう一度握った。


 震えは収まった。


「問題ありません」


 誰に聞かれたわけでもない。


 声に出して確認してから、測定値を書き込んだ。


 火属性、安定値84。

 もう一度行えば、85へ届くかもしれない。


 手を伸ばしかけた時、測定室の外で終業を告げる鐘が鳴った。


 フィアナは動きを止めた。


 規則で認められた使用時間はここまでだ。成果を求めるために規則を破れば、それ自体が減点になる。


 測定器を初期状態へ戻し、測定記録を所定の場所へ収める。机の上には、授業で配られた共同実習の案内と、封を切ったばかりの手紙が残っていた。


 差出人は、オルフィス子爵。


『フィアナへ。


 学園での生活に問題がないことは、先日の報告で確認した。必要な器材、書籍、薬品があれば申請しなさい。内容を確認した後、手配する。


 授業および実習では、オルフィス家の名を損なわぬ結果を残すこと。優秀であるだけでは足りない。お前に与えたものが、正しく機能していると示しなさい。


 共同実習についても報告を欠かさないように。


 特に、テンカ=ハヅキを観察しなさい。


 ハヅキ家の五行は、皇国の属性魔術とは異なる。異なる理を同一の身体に巡らせながら、互いを損なわず、変化させ、支え合わせるという。


 実に興味深い。


 火と水がなぜ争わない。

 木と金がなぜ同じ器に収まる。

 土は何を鎮め、何を隔てている。


 巡路か。器の構造か。血統か。あるいは我々がまだ認識していない、別の法則が存在するのか。


 確かめなければならない。


 必ず記録しなさい。発動前後の魔力変化、呼吸、脈拍、髪色の変化、各行を切り替える際の間隔。可能であれば、異なる行を連続して使用した直後の状態も確認すること。


 《万象接脈(オムニア・グラフト)》は失敗していない。


 未完成なだけだ。


 あと少しだ。あと一つ、異なる力を一つの器へ収めるための理さえ分かれば、完成する。お前の身体はそこまで耐えた。火を受け入れ、水を受け入れ、それでも壊れなかった。ならば、さらに先へ進める。


 進めるはずだ。

 お前は、そのためにいる。


 成果を期待している。


 オルフィス』


 叱責はない。失望の言葉もない。


 それでも、フィアナはその手紙を読むたび、胸の内側を冷たい指で掴まれたように感じる。


 結果を出す限り、必要なものは与えられる。

 役に立つ限り、オルフィス家の娘でいられる。


 そう書かれていないだけで、そう告げられているのと同じだった。


 ならば、失敗する理由はなかった。


 フィアナは手紙を丁寧に折り、鞄へ戻した。


 測定室を出ると、回廊の窓から中庭が見えた。夕方の光の中を、4人の学生が歩いている。

 先頭に近い位置を歩く黒髪の少女を、フィアナは知っていた。


 テンカ=ハヅキ。


 南方のハヅキ辺境伯家に伝わる五行を扱い、基礎実技では水を輪の形に巡らせたという少女。刀を使う家の令嬢でありながら、魔導工学の書架にも足を運んでいるらしい。


 その隣には、銀白の髪を持つフロストレイン侯爵家の令嬢。少し後ろには、紙束を抱えた奨学生と、灰色の髪の男子学生がいる。


 何を話しているのかは聞こえない。


 ただ、4人の歩調は完全には揃っていなかった。それでも、誰かが遅れれば、残る者がわずかに足を緩めている。


 フィアナには、それが不思議に見えた。


 異なる者が同じ場所に並ぶには、どちらか一方が合わせ続けなければならない。役割を果たせない者は外れ、足りない部分は別の誰かへ置き換えられる。


 少なくとも、これまでのフィアナはそう教えられてきた。


 中庭で、テンカが何かを言った。


 銀白の髪の少女が返し、紙束を抱えた少女が笑う。男子学生は歩きながら足の置き方を変え、テンカに何かを言われて姿勢を戻した。


 夕日に照らされたテンカの黒髪から、フィアナは目を離せなかった。あの少女は、五行を纏うたびに髪の色を変え、異なる五つの理をその身に巡らせるという。


 五行は、属性魔術とは異なる術理だと資料には記されていた。それでも、五つの異なる理を一つの身体に巡らせるなど、フィアナの痛みが知る法則ではありえなかった。


 その身体の中では、力同士が争わないのだろうか。

 火と水が触れ合っても、皮膚の下を焼くことはないのだろうか。


 聞いてみたいと思った。


 そう考えた自分に気づき、フィアナは目を伏せる。


 知識を得るためなら、話しかける理由にはなる。だが、相手は辺境伯家の令嬢であり、生徒会長の妹でもある。興味だけで近づくには、理由が足りない。

 共同実習で同じ課題へ取り組む機会があれば、もう少し近くで観察できる。


 そこまで考えた時、手袋の下で鋭い痛みが弾けた。


 右手首を押さえ、詰まりかけた息を整える。回廊に人影はない。

 助けを呼ぶ必要もない。


「……問題ありません」


 その言葉を聞く者は、どこにもいなかった。

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