学び舎に咲く天の華
課題を提出してから最初の学級指導で、アリアは教壇の上に紙の束を置いた。
学生たちの視線が、自然とそこへ集まる。
「先日提出してもらった課題を返却します」
アリアは一番上の紙を手に取った。
「評価点はつけていません。誰かと比べるための課題ではありませんから」
教室のどこかで、安堵したような息が漏れた。
「ですが、すべて読みました。同じ答えは一つもありませんでした」
その言葉に、テンカはわずかに目を見開いた。
同じ教室で学び、同じ問いを与えられた。それでも、紙に記された答えは誰一人として同じではない。
「当然です。皆がこれまで見てきたものも、この学園へ来た理由も違います」
アリアは学生たちを静かに見渡した。
「今回書いたものを、完成した答えだと思わないように。学んだ結果、言葉が変わることもあるでしょう。それは、以前の自分が間違っていたということではありません」
一度言葉を切り、手元の紙へ視線を落とす。
「変わったこと自体が、学んだ証になる場合もあります」
教室が静まった。
テンカは、自分が紙へ書いた言葉を思い出した。己の名や力が相手へどう届くのかを測る目と、見たものを伝え、隣に立つための言葉だ。
あれもまた、これから変わっていくのだろうか。
「では、名前を呼ばれた者から取りに来なさい」
学生たちが順番に教壇へ向かう。
ミナは返された紙を両手で受け取り、すぐに書かれた文字へ目を落とした。レオンは一礼して受け取ると、席へ戻る途中でも紙から目を離さない。エリシアは落ち着いた足取りだったが、席へ着くなり紙を開いていた。
「テンカ=ハヅキさん」
「はい」
テンカは席を立ち、教壇へ向かった。
差し出された紙を受け取る。
自分の書いた文章の下に、アリアの整った文字が一行だけ加えられていた。
――見つけた言葉を、行動で確かめなさい。
テンカは紙を見つめた。
褒め言葉でも、否定でもない。書いた答えをこの先どう使うのか、それを問われているのだろう。
―相変わらず、簡単には終わらせてくれぬ先生じゃな。
テンカが顔を上げると、アリアと目が合った。
「何か?」
「いいえ」
危うく「うむ」と答えかけたが、飲み込む。
アリアの目元が、ほんのわずかに和らいだように見えた。
全員への返却が終わると、アリアは教壇へ戻った。
「これから少し時間を取ります。課題に書いた内容のうち、話してもよいと思うものを近くの者と共有してください」
教室内に小さなどよめきが生まれる。
「紙を見せる必要はありません。話したくない部分まで話す必要もありません。ただし、相手の言葉を聞いた後、自分との違いを一つ見つけなさい」
学生たちが近くの席へ身体を向け始めた。
テンカの隣では、エリシアがすでに紙を畳んでいる。ミナは紙とテンカたちの顔を交互に見ていた。
「何をそんなに迷っておる」
「どこまで話してよいのかと思って」
「話したくないところは、話さずともよいと先生も言っておったぞ」
「そうなのですが……」
ミナは紙を胸元へ引き寄せた後、意を決したように顔を上げた。
「私は、魔力量にかかわらず使える魔導具を作りたいと書きました」
「魔力量に、かかわらず?」
テンカが尋ねる。
「はい。魔力が多くなければ使えない道具では、必要としている人全員には届きません。だから、少ない魔力でも動く仕組みや、使う人に合わせて調整できる回路を学びたいです」
魔導灯回路へ細い魔力を流した時のミナの指先が、テンカの脳裏に蘇った。
強い力を持たずとも、道を整えれば光を灯せる。
「そなたらしい答えじゃな」
「そうでしょうか」
「うむ。ミナが見ておるのは、道具そのものよりも、それを使う者なのであろう」
「……はい」
ミナは少し照れたように頷いた。
「エリーは何と書いたのじゃ」
「わたくしは、自分の物差しだけで他者を測らないこと、と書きましたわ」
「わらわと似ておるではないか」
「似てはいますけれど、同じではありませんわ」
「どこが違う」
「わたくしの方が、いくらか優雅な文章になっていますもの」
「そこか?」
エリシアは涼しい顔で紙を畳んだ。
「冗談ですわ。半分ほどは」
「半分は本気なのじゃな」
「当然です」
ミナが小さく笑う。
以前よりも、その笑い方に遠慮がなくなっていた。
「話に加わってもよろしいでしょうか」
声をかけてきたのはレオンだった。
彼は紙を手にしたまま、テンカたちの席の近くに立っている。
「構わぬ。そなたは何と書いた」
「俺は、目の前の剣だけでなく、その先を見る目が足りないと書きました」
レオンは一度、自分の紙へ視線を落とした。
「先日の手合わせでは、次に打つ剣ばかり考えていました。ですが、ハヅキ様は俺が次に立つ場所を見ていた」
「うむ」
「技を増やすだけでは、また同じように止まると思います。相手が何を見ているのかを考えることも学びたいです」
悔しさを忘れたわけではないだろう。
だが、レオンの声には、敗北を恥じる響きはなかった。
自分が見落としたものを拾い上げ、次へ持っていこうとしている。
「ハヅキ様」
レオンがテンカを見る。
「一つ、伺ってもよろしいでしょうか」
「何じゃ」
「あの時、俺のどこを見ていたのですか」
テンカはすぐに答えかけて、口を閉じた。
二歩目を踏み込む場所。
そう言えば、間違いではない。
だが、レオンが知りたいのは、足を置いた位置だけなのだろうか。
「そなたが直したいのは、足の運びか。それとも、あの時の判断か」
「判断です」
レオンは少し考えてから答えた。
「同じように進む場所を失った時、足を止めないために、何を見ればよいのかを知りたいです」
テンカは頷いた。
机の上に置かれた紙の余白へ、簡単な足跡を描く。
一つはレオン。
もう一つは自分だ。
「そなたは、一歩目を打った後、わらわが同じように剣を流すと考えた」
「はい」
「だから二歩目では、少し内へ入ろうとした。そこまでは悪くない」
テンカはレオンの足跡から、斜め前へ線を引いた。
「じゃが、次に立つ場所を先に決めたことで、そなたの目はこの線の先だけを見ておった」
「他の場所が、見えていなかった」
「うむ。わらわが下がった時、そなたは追えると思ったのであろう。だが、わらわが下がったのは逃げるためではない」
自分の足跡を、レオンが進もうとした線の先へずらす。
「そなたが立ちたい場所を、先に使うためじゃ」
「では、足を止めないためには」
「進む先を一つに決めぬことじゃな」
テンカは紙の上に、別の線を二つ加えた。
「相手が下がったから追うのではない。なぜ下がったのかを見る。逃げたのか、誘ったのか、別の場所を取ろうとしておるのか。それを見てから、足を選ぶ」
「足より先に、相手の意図を見る」
「少なくとも、わらわはそうしておる」
レオンは紙の足跡を見つめた。
すぐに理解できたかどうかは、表情だけでは分からない。だが、彼の視線は先ほどよりも広く、足跡だけでなく、その周囲の余白まで追っていた。
「氷術にも似た考え方がありますわ」
エリシアが紙を覗き込む。
「相手の足元を直接凍らせるだけが、動きを止める方法ではありません。進める場所を残し、そこへ誘導することもありますもの」
「氷で道を作るのか」
「道を作るというより、選ばせるのですわ。こちらが望む道を」
レオンがエリシアを見る。
「魔導回路なら、少し逆かもしれません」
ミナも身を乗り出した。
「進ませたい場所に道を作るだけではなく、余分な魔力を別の場所へ逃がす線も必要です。行き止まりにすると、流れそのものが乱れてしまうので」
「止めるのではなく、別の道へ流す」
「はい」
剣、氷術、魔導工学。同じものを見ているはずなのに、それぞれが違う言葉で捉えている。
テンカ一人の説明だけでは見えなかったものが、エリシアとミナの言葉によって形を増していく。
「面白いな」
レオンが呟いた。
「同じ一手の話をしているはずなのに、剣だけの話ではなくなっている」
「学園とは、そういう場所なのかもしれぬな」
テンカは紙の上に重なった線を見た。
自分の目だけで測らず、相手へ届く言葉を探す。
課題へ書いた答えを、ほんの少しだけ行動へ移せた気がした。
「そこまでにしなさい」
アリアの声が教室に通った。
話し込んでいた学生たちが、それぞれ前を向く。
アリアは筆記帳を手にしたまま、教室内を見渡した。テンカたちの机に残る足跡の図にも、視線を向けたようだった。
「自分とは違う答えを、一つは見つけられましたか」
学生たちが頷く。
「言葉を交わすだけで理解できることもあります。しかし、同じ課題へ取り組まなければ見えない違いもあります」
アリアは筆記帳を閉じた。
「次回から、少人数での共同実習を始めます」
「共同実習?」
誰かが声を漏らした。
「異なる術、異なる得意分野を持つ者同士で組み、同じ課題へ取り組んでもらいます。詳しい内容と組分けは、次回説明します」
教室にざわめきが広がる。
誰と組むのか。
何をさせられるのか。
期待と不安の混じった声が、あちこちで交わされる。
「静かに」
アリアの一言で、ざわめきが少しだけ収まった。
「自分にできることだけを示す実習ではありません。他者に何ができるのかを見て、どう力を合わせるかを考えなさい」
テンカは机の上の紙へ目を落とした。
レオンとテンカの足跡、その間に引かれた複数の線。それぞれ別の目で見たものが、1枚の紙の上に重なっている。
共同実習では、ただ強さを示すだけでは、きっと足りないのだろう。
授業が終わると、学生たちは教室を出ながらも組分けの話を続けていた。テンカたちも、中央棟へ続く回廊を歩く。
「共同実習では、魔導工学も使うのでしょうか」
ミナが紙束を抱えながら言った。
「内容によるのではありませんこと?」
「回路を組む課題なら、少しは役に立てると思うのですが」
「剣の実習なら、俺が役に立てる」
レオンは歩きながら、先ほど紙に描かれた線を思い返しているのか、足の置き方をわずかに変えていた。
「廊下で稽古を始めるでないぞ」
「していません。ただ、二歩目を決めすぎないように歩いているだけです」
「それを稽古と言うのではないか?」
「歩いているだけです」
「レオンまで屁理屈を覚えましたのね」
エリシアが涼やかに言う。
「テンカの影響かしら」
「なぜ、わらわを見る」
「日頃の行いですわ」
「理不尽じゃ」
ミナが声を立てずに笑った。
回廊の窓から差し込む光が、4人の足元へ伸びている。
ハヅキ領では出会わなかった剣。
北方で磨かれた氷術。
小さな魔力を光へ変える魔導工学。
そして、五つの理を巡らせるハヅキの五行。
進もうとする先も、得意なことも違うが、今は同じ回廊を歩いていた。
学び舎に咲く華は、一つではない。
異なる色も、形も、伸びる先も、ここではまだ誰にも決められていなかった。
テンカもまた、ハヅキ領の姫さまであるだけでなく、皇国学園の一人の学生として、この学び舎に根を下ろし始めていた。
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