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ハヅキ辺境伯家の五行姫  作者: あの夏と勇者
第2部第1章 学び舎に咲く天の華
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学び舎に咲く天の華

 課題を提出してから最初の学級指導で、アリアは教壇の上に紙の束を置いた。


 学生たちの視線が、自然とそこへ集まる。


「先日提出してもらった課題を返却します」


 アリアは一番上の紙を手に取った。


「評価点はつけていません。誰かと比べるための課題ではありませんから」


 教室のどこかで、安堵したような息が漏れた。


「ですが、すべて読みました。同じ答えは一つもありませんでした」


 その言葉に、テンカはわずかに目を見開いた。


 同じ教室で学び、同じ問いを与えられた。それでも、紙に記された答えは誰一人として同じではない。


「当然です。皆がこれまで見てきたものも、この学園へ来た理由も違います」


 アリアは学生たちを静かに見渡した。


「今回書いたものを、完成した答えだと思わないように。学んだ結果、言葉が変わることもあるでしょう。それは、以前の自分が間違っていたということではありません」


 一度言葉を切り、手元の紙へ視線を落とす。


「変わったこと自体が、学んだ証になる場合もあります」


 教室が静まった。


 テンカは、自分が紙へ書いた言葉を思い出した。己の名や力が相手へどう届くのかを測る目と、見たものを伝え、隣に立つための言葉だ。


 あれもまた、これから変わっていくのだろうか。


「では、名前を呼ばれた者から取りに来なさい」


 学生たちが順番に教壇へ向かう。


 ミナは返された紙を両手で受け取り、すぐに書かれた文字へ目を落とした。レオンは一礼して受け取ると、席へ戻る途中でも紙から目を離さない。エリシアは落ち着いた足取りだったが、席へ着くなり紙を開いていた。


「テンカ=ハヅキさん」

「はい」


 テンカは席を立ち、教壇へ向かった。


 差し出された紙を受け取る。


 自分の書いた文章の下に、アリアの整った文字が一行だけ加えられていた。


 ――見つけた言葉を、行動で確かめなさい。


 テンカは紙を見つめた。

 褒め言葉でも、否定でもない。書いた答えをこの先どう使うのか、それを問われているのだろう。


 ―相変わらず、簡単には終わらせてくれぬ先生じゃな。


 テンカが顔を上げると、アリアと目が合った。


「何か?」

「いいえ」


 危うく「うむ」と答えかけたが、飲み込む。


 アリアの目元が、ほんのわずかに和らいだように見えた。


 全員への返却が終わると、アリアは教壇へ戻った。


「これから少し時間を取ります。課題に書いた内容のうち、話してもよいと思うものを近くの者と共有してください」


 教室内に小さなどよめきが生まれる。


「紙を見せる必要はありません。話したくない部分まで話す必要もありません。ただし、相手の言葉を聞いた後、自分との違いを一つ見つけなさい」


 学生たちが近くの席へ身体を向け始めた。


 テンカの隣では、エリシアがすでに紙を畳んでいる。ミナは紙とテンカたちの顔を交互に見ていた。


「何をそんなに迷っておる」

「どこまで話してよいのかと思って」

「話したくないところは、話さずともよいと先生も言っておったぞ」

「そうなのですが……」


 ミナは紙を胸元へ引き寄せた後、意を決したように顔を上げた。


「私は、魔力量にかかわらず使える魔導具を作りたいと書きました」

「魔力量に、かかわらず?」


 テンカが尋ねる。


「はい。魔力が多くなければ使えない道具では、必要としている人全員には届きません。だから、少ない魔力でも動く仕組みや、使う人に合わせて調整できる回路を学びたいです」


 魔導灯回路へ細い魔力を流した時のミナの指先が、テンカの脳裏に蘇った。


 強い力を持たずとも、道を整えれば光を灯せる。


「そなたらしい答えじゃな」

「そうでしょうか」

「うむ。ミナが見ておるのは、道具そのものよりも、それを使う者なのであろう」

「……はい」


 ミナは少し照れたように頷いた。


「エリーは何と書いたのじゃ」

「わたくしは、自分の物差しだけで他者を測らないこと、と書きましたわ」

「わらわと似ておるではないか」

「似てはいますけれど、同じではありませんわ」

「どこが違う」

「わたくしの方が、いくらか優雅な文章になっていますもの」

「そこか?」


 エリシアは涼しい顔で紙を畳んだ。


「冗談ですわ。半分ほどは」

「半分は本気なのじゃな」

「当然です」


 ミナが小さく笑う。


 以前よりも、その笑い方に遠慮がなくなっていた。


「話に加わってもよろしいでしょうか」


 声をかけてきたのはレオンだった。


 彼は紙を手にしたまま、テンカたちの席の近くに立っている。


「構わぬ。そなたは何と書いた」

「俺は、目の前の剣だけでなく、その先を見る目が足りないと書きました」


 レオンは一度、自分の紙へ視線を落とした。


「先日の手合わせでは、次に打つ剣ばかり考えていました。ですが、ハヅキ様は俺が次に立つ場所を見ていた」

「うむ」

「技を増やすだけでは、また同じように止まると思います。相手が何を見ているのかを考えることも学びたいです」


 悔しさを忘れたわけではないだろう。


 だが、レオンの声には、敗北を恥じる響きはなかった。


 自分が見落としたものを拾い上げ、次へ持っていこうとしている。


「ハヅキ様」


 レオンがテンカを見る。


「一つ、伺ってもよろしいでしょうか」

「何じゃ」

「あの時、俺のどこを見ていたのですか」


 テンカはすぐに答えかけて、口を閉じた。


 二歩目を踏み込む場所。


 そう言えば、間違いではない。


 だが、レオンが知りたいのは、足を置いた位置だけなのだろうか。


「そなたが直したいのは、足の運びか。それとも、あの時の判断か」

「判断です」


 レオンは少し考えてから答えた。


「同じように進む場所を失った時、足を止めないために、何を見ればよいのかを知りたいです」


 テンカは頷いた。


 机の上に置かれた紙の余白へ、簡単な足跡を描く。


 一つはレオン。


 もう一つは自分だ。


「そなたは、一歩目を打った後、わらわが同じように剣を流すと考えた」

「はい」

「だから二歩目では、少し内へ入ろうとした。そこまでは悪くない」


 テンカはレオンの足跡から、斜め前へ線を引いた。


「じゃが、次に立つ場所を先に決めたことで、そなたの目はこの線の先だけを見ておった」

「他の場所が、見えていなかった」

「うむ。わらわが下がった時、そなたは追えると思ったのであろう。だが、わらわが下がったのは逃げるためではない」


 自分の足跡を、レオンが進もうとした線の先へずらす。


「そなたが立ちたい場所を、先に使うためじゃ」

「では、足を止めないためには」

「進む先を一つに決めぬことじゃな」


 テンカは紙の上に、別の線を二つ加えた。


「相手が下がったから追うのではない。なぜ下がったのかを見る。逃げたのか、誘ったのか、別の場所を取ろうとしておるのか。それを見てから、足を選ぶ」

「足より先に、相手の意図を見る」

「少なくとも、わらわはそうしておる」


 レオンは紙の足跡を見つめた。


 すぐに理解できたかどうかは、表情だけでは分からない。だが、彼の視線は先ほどよりも広く、足跡だけでなく、その周囲の余白まで追っていた。


「氷術にも似た考え方がありますわ」


 エリシアが紙を覗き込む。


「相手の足元を直接凍らせるだけが、動きを止める方法ではありません。進める場所を残し、そこへ誘導することもありますもの」

「氷で道を作るのか」

「道を作るというより、選ばせるのですわ。こちらが望む道を」


 レオンがエリシアを見る。


「魔導回路なら、少し逆かもしれません」


 ミナも身を乗り出した。


「進ませたい場所に道を作るだけではなく、余分な魔力を別の場所へ逃がす線も必要です。行き止まりにすると、流れそのものが乱れてしまうので」

「止めるのではなく、別の道へ流す」

「はい」


 剣、氷術、魔導工学。同じものを見ているはずなのに、それぞれが違う言葉で捉えている。


 テンカ一人の説明だけでは見えなかったものが、エリシアとミナの言葉によって形を増していく。


「面白いな」


 レオンが呟いた。


「同じ一手の話をしているはずなのに、剣だけの話ではなくなっている」

「学園とは、そういう場所なのかもしれぬな」


 テンカは紙の上に重なった線を見た。


 自分の目だけで測らず、相手へ届く言葉を探す。


 課題へ書いた答えを、ほんの少しだけ行動へ移せた気がした。


「そこまでにしなさい」


 アリアの声が教室に通った。


 話し込んでいた学生たちが、それぞれ前を向く。


 アリアは筆記帳を手にしたまま、教室内を見渡した。テンカたちの机に残る足跡の図にも、視線を向けたようだった。


「自分とは違う答えを、一つは見つけられましたか」


 学生たちが頷く。


「言葉を交わすだけで理解できることもあります。しかし、同じ課題へ取り組まなければ見えない違いもあります」


 アリアは筆記帳を閉じた。


「次回から、少人数での共同実習を始めます」

「共同実習?」


 誰かが声を漏らした。


「異なる術、異なる得意分野を持つ者同士で組み、同じ課題へ取り組んでもらいます。詳しい内容と組分けは、次回説明します」


 教室にざわめきが広がる。


 誰と組むのか。

 何をさせられるのか。


 期待と不安の混じった声が、あちこちで交わされる。


「静かに」


 アリアの一言で、ざわめきが少しだけ収まった。


「自分にできることだけを示す実習ではありません。他者に何ができるのかを見て、どう力を合わせるかを考えなさい」


 テンカは机の上の紙へ目を落とした。


 レオンとテンカの足跡、その間に引かれた複数の線。それぞれ別の目で見たものが、1枚の紙の上に重なっている。

 共同実習では、ただ強さを示すだけでは、きっと足りないのだろう。


 授業が終わると、学生たちは教室を出ながらも組分けの話を続けていた。テンカたちも、中央棟へ続く回廊を歩く。


「共同実習では、魔導工学も使うのでしょうか」


 ミナが紙束を抱えながら言った。


「内容によるのではありませんこと?」

「回路を組む課題なら、少しは役に立てると思うのですが」

「剣の実習なら、俺が役に立てる」


 レオンは歩きながら、先ほど紙に描かれた線を思い返しているのか、足の置き方をわずかに変えていた。


「廊下で稽古を始めるでないぞ」

「していません。ただ、二歩目を決めすぎないように歩いているだけです」

「それを稽古と言うのではないか?」

「歩いているだけです」

「レオンまで屁理屈を覚えましたのね」


 エリシアが涼やかに言う。


「テンカの影響かしら」

「なぜ、わらわを見る」

「日頃の行いですわ」

「理不尽じゃ」


 ミナが声を立てずに笑った。


 回廊の窓から差し込む光が、4人の足元へ伸びている。


 ハヅキ領では出会わなかった剣。

 北方で磨かれた氷術。

 小さな魔力を光へ変える魔導工学。


 そして、五つの理を巡らせるハヅキの五行。


 進もうとする先も、得意なことも違うが、今は同じ回廊を歩いていた。


 学び舎に咲く華は、一つではない。

 異なる色も、形も、伸びる先も、ここではまだ誰にも決められていなかった。


 テンカもまた、ハヅキ領の姫さまであるだけでなく、皇国学園の一人の学生として、この学び舎に根を下ろし始めていた。

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