名の重さ①
翌朝、1年1組の教室へ入ったテンカは、ミナの席の前に立つ2人の女子学生を見つけた。
1人は、淡い桃色の髪をきれいに結った少女だった。大食堂でテンカたちへ席を勧めた学生だ。
机の上には、細かな線の引かれた術式図が広げられていた。
「アーレンさん、昨日の補助刻印のことで聞きたいのだけれど」
桃色の髪の少女が、図の端を指で示す。
「この線を内側へつなぐと、魔力が中央に集まりすぎるでしょう? でも、外へ逃がすと魔石が反応しなくて」
「それなら、ここの線を直接つなぐのではなくて、間に一つ――」
ミナが説明しかけたところで、栗色の髪の少女が顔を上げた。
その視線が、教室へ入ってきたテンカとエリシアに止まる。
桃色の髪の少女も振り返った。
「おはようございます、ハヅキ様。フロストレイン様」
「うむ。おはよう」
「おはようございます」
エリシアが答えると、2人は揃って姿勢を正した。
桃色の髪の少女は、術式図へ視線を戻しかけた。
だが、テンカとエリシアを見て、静かに紙を畳んだ。
「アーレンさん、お話し中に失礼しました。また後で聞かせていただくわ」
「あの、今でも大丈夫です」
ミナは慌てて声をかけたが、2人はすでに机から離れていた。
「いいの。急ぎではないから」
桃色の髪の少女はそう言って微笑むと、栗色の髪の少女とともに教室の反対側へ戻っていった。
悪意のある顔ではなかった。
声にも、棘はなかった。
それでも、ミナが膝の上で紙束を抱え直したのを、テンカは見逃さなかった。
「昨日、図書館にいた2人ですわね」
エリシアが小声で言った。
「うむ」
テンカはミナへ目を向けた。
「ミナ」
「はい」
「あの2人と、何かあったのか」
ミナは一瞬だけ目を伏せた。
「何かされたわけではありません」
「では、なぜそのような顔をしておる」
「そのような顔、ですか?」
「紙束が痛がっておるぞ」
ミナは胸元を見下ろした。
抱えた腕に、ずいぶん力が入っている。
「あ……」
慌てて力を緩めると、紙の端が小さく戻った。
「入学してすぐ、術式の授業や魔導具のことで、何度か話したことがあるんです」
ミナは、教室の反対側へ視線を向けた。
「あちらの桃色の髪の方が、リリア=ヴァンデルさんです。隣にいたのがノエル=クラウゼさん。2人とも同じ組で、魔導工学にも少し興味があるみたいで」
「仲が悪いわけではないのじゃな」
「はい。たぶん」
最後の一言だけ、少し弱かった。
「でも、私がテンカ様やフロストレイン様と一緒にいる姿を見られてからは、さっきみたいに話を切り上げてしまって」
テンカはリリアたちを見る。
2人は自分たちの席に戻り、畳んだ術式図を広げていた。こちらを見てはいない。
少なくとも、見ていないように振る舞っている。
「わらわたちを嫌っておるのか?」
「そういう感じではないと思います」
ミナは困ったように眉を下げた。
「私も、よく分からなくて。避けられているのか、それとも、私が何か失礼なことをしたのか……」
「ミナが失礼なことをする姿は、あまり想像できませんわね」
エリシアが言う。
「魔導工学の話を始めると、相手の都合を忘れることはありますけれど」
「そ、それは気をつけています」
「思い当たるところはあるのじゃな」
「少しだけです」
ミナの声が小さくなる。
テンカは腕を組んだ。
教室では、学ぶ者は皆等しく学生。
アリアはそう言った。
だが、家名や身分が消えるわけではないとも言っていた。
「わらわが話をしてくる」
そう言いかけたところで、エリシアの視線を感じた。
淡い青の瞳が、静かにテンカを見ている。
「何じゃ」
「テンカがヴァンデルさんたちを呼び出せば、余計に緊張させるだけではありませんこと?」
「呼び出すのではない。ただ尋ねるだけじゃ」
「ハヅキ辺境伯家の次女に尋ねられる側が、同じように考えるとは限りませんわ」
テンカは口を閉じた。
リリアたちが近くにいた時、エリシアと自分が現れただけで、2人は姿勢を正した。
自分たちにそのつもりはなくとも、結果として2人をミナの席から遠ざけていた。
「わたくしたちにとっては、ただ友人の席へ来ただけです」
エリシアは声を抑えて続ける。
「ですが、向こうから見れば、辺境伯家と侯爵家の令嬢が並んで来たことになりますわ」
「同じ学生であろう」
「ええ。けれど、同じ学生であることと、同じように振る舞えることは別ですもの」
テンカは、リリアたちの机をもう一度見た。
自分が歩けば、家名もついてくる。
演習場で感じたことが、今度はもっと近い場所に現れていた。
自分はただ、ミナの隣へ来ただけだ。
それだけで、別の誰かがその場所から離れてしまった。
「ミナ」
テンカは尋ねた。
「そなたは、どうしたい」
「私、ですか?」
「うむ。わらわがどうするかではない。そなたが、あの2人とどうしたいかじゃ」
ミナはすぐには答えなかった。
抱えていた紙束へ視線を落とし、少し考えてから顔を上げる。
「また、魔導工学の話ができたらと思います」
「ならば、そうするがよい」
「でも、私から声をかけて、迷惑ではないでしょうか」
「それを決めるのは、そなたでも、わらわでもない。あの2人じゃ」
ミナは目を瞬かせた。
「話したいなら話しかけよ。嫌だと言われたなら、その時に考えればよい」
「簡単に言いますね」
「簡単ではないから、そなたに決めさせておる」
テンカがそう言うと、エリシアが小さく笑った。
「少しは分かってきたようですわね」
「何がじゃ」
「相手に合わせるということです」
「エリーの物差しは、時々わらわへ厳しすぎぬか?」
「友人ですから」
「便利な言葉にしておらぬか、それ」
「まさか」
涼しい顔だった。
始業の鐘が鳴り、教室内の学生たちが席へ戻り始めた。
ミナも紙束を机へ置く。
その表情から迷いは消えていなかったが、先ほどよりも肩の力は抜けているように見えた。
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