図書館と魔導工学
翌日の授業後。
テンカたちは、中央棟から渡り廊下を抜け、皇国学園の図書館へ向かった。
キリカは少し後ろを歩き、図書館の入口で静かに周囲を確認していた。
図書館は、講義棟の北側に建つ大きな石造りの建物だった。高い窓から午後の光が差し込み、壁一面の書架には、革装丁の本や巻物、薄い金属板に記録された魔導資料が並んでいる。
ハヅキ家の書庫とは空気が違う。
こちらは、武門の家にある実用の知識だけではない。皇国各地の歴史、魔術理論、薬草学、地理、魔物生態、魔導工学、貴族法、交易記録。人が積み上げてきた知識が、石の壁の内側に静かに詰め込まれている。
「……これは、広いのう」
テンカが呟くと、隣でエリシアが頷いた。
「北方の本邸にも書庫はありますけれど、学園の図書館は分類が細かいですわね」
「テンカ様、フロストレイン様」
少し先で、ミナが手を振った。
胸元にはいつもの紙束を抱えている。今日はさらに、細長い栞のようなものを何本か挟んでいた。図書館に来ると分かって、準備していたのだろう。
「待たせたか」
「いえ。私も今来たところです」
「それは本当か?」
テンカが尋ねると、ミナは目を泳がせた。
「……少しだけ早く来ました」
「少しとは」
「えっと、書架の場所を確認できるくらいです」
「十分早いのう」
ミナは小さく笑った。
その顔は、大食堂で初めて同じ卓についた時より、ずいぶん自然だった。
「魔導工学の基礎書架はこちらです。初学者用なら、仕組みが図で載っている本が多いので分かりやすいと思います」
「頼む」
ミナが先導する。
図書館の床は磨かれた石で、足音がよく響く。だが、館内には静音の術式が施されているらしく、声や音はすぐに柔らかく沈んでいった。
魔導工学の書架は、図書館の一角にあった。
壁際に並ぶ本の背には、回路、魔導具、魔力伝達、術式刻印、補助機構といった文字が並んでいる。近くの閲覧机には、小さな実習用の板と、魔導灯の部品らしきものが置かれていた。
「ここでは簡単な教材なら触っても大丈夫です。攻撃用でも危険物でもないので」
ミナはそう言って、机の上にあった手のひらほどの板を示した。
板の表面には、細い溝が幾何学的に走っている。中央には小さな透明石が埋め込まれており、その周りに銀色の線が巡っていた。
「これは?」
「初学者用の魔導灯回路です。魔力を流すと、中央の小さな魔石が光ります」
「魔導灯なら、部屋にもあるな」
「はい。でも、これは仕組みを見るための教材なので、回路が隠されていません」
ミナは指先で板の溝をなぞる。
「魔導具は、強い魔力を流せばよいわけではありません。むしろ、強すぎる魔力をそのまま入れると、回路が乱れたり、壊れたりします」
「ふむ」
「大事なのは、魔力を回路が受け取れる形に整えることです。弱い魔力でも、道を整えれば動きます」
ミナは板の端に指を添えた。
ほんのわずかな魔力が流れたのだろう。テンカには大きな力としては感じられなかった。だが、細い溝に沿って淡い光が走り、中央の透明石がぽうっと灯る。
光は強くないまま、静かに安定していた。
「おお」
テンカは思わず声を漏らした。
ミナは少し照れたように笑う。
「私は魔力量が多いわけではありません。でも、こういう回路なら、必要なのは量ではなく流れ方なので」
「流れ方」
テンカは板の光を見つめた。
強さではなく、流し方。
大きさではなく、道の作り方。
それは、演習場でミナが言ったことと同じだった。剣の力を止めるのではなく、道を変える。水を押し込むのではなく、刻印に沿わせる。言葉は違っても、どこかで繋がっている。
「フロストレイン様も試されますか?」
「わたくしが?」
「はい。ほんの少しだけ魔力を流してみてください」
エリシアは少し考え、板の端に指を置いた。
「壊したら、ごめんなさいね」
「その時は、私が直せる範囲なら直します」
「頼もしいですわね」
エリシアが魔力を流す。
次の瞬間、中央の魔石が明るく光った。
明るすぎた。
淡い青白い光が一気に強まり、板の表面に白い霜が薄く浮いた。ミナが慌てて手を伸ばし、補助刻印の一つを指で押さえる。
光が落ち着いた。
「……今のは」
エリシアが目を細める。
「申し訳ありません。少し強すぎましたかしら」
「い、いえ。出力はとても綺麗でした。ただ、回路の想定より少し強かったです」
「少し?」
テンカが横から言うと、ミナは困ったように笑った。
「えっと、かなりです」
「正直でよい」
エリシアは小さく息を吐いた。
「氷術では、繊細に扱っているつもりでしたのに」
「フロストレイン様の魔力は、とても整っています。でも、魔導具の回路は、術者本人ほど柔軟ではないんです。だから、回路の幅に合わせてあげる必要があります」
「相手に合わせる、ということですのね」
「はい」
ミナは頷く。
「魔導具は、人ほど我慢してくれませんから」
その言い方に、テンカは小さく笑った。
笑いながらも、胸の奥で何かが動いていた。
人ほど我慢してくれない。
逆に言えば、人は我慢してしまう。
強すぎる力を向けられても、立場や家名の前では、声に出せない者もいるのかもしれない。レオンのように正面から受け取れる者ばかりではない。ミナのように、見えていることを言葉にするまでに少し勇気がいる者もいる。
力は、相手に合わせなければならない。
それは剣でも、五行でも、言葉でも同じなのかもしれなかった。
「テンカ様?」
ミナが首を傾げる。
「いや」
テンカは魔導灯回路の淡い光を見た。
「少し、分かった気がした」
「何がですか?」
「まだ、うまくは言えぬ」
テンカは紙束を抱えるミナを見た。
「だが、そなたの目を借りに来てよかった」
ミナの頬が、ぱっと赤くなった。
「そ、そんな。私は、ただ魔導工学の説明をしただけで」
「その説明が、わらわには必要だった」
テンカは真っ直ぐに言った。
ミナは言葉に詰まり、紙束を抱える腕に少し力を込める。
エリシアが隣で静かに微笑んだ。
「ミナ、明日もこの棚を案内していただけるかしら」
「フロストレイン様まで」
「わたくしも、回路に合わせる練習が必要だと分かりましたもの」
「わ、分かりました。私でよければ」
ミナの声は少し上擦っていたが、紙束を抱える腕には嬉しさを隠しきれない力がこもっていた。
テンカはもう一度、魔導灯回路を見る。淡い光は小さく、静かに灯っている。強くも派手でもない。正しい道を流れれば、弱い魔力でも光になる。
そのことを、ミナは当たり前のように知っていた。
まだ測れぬものを、測る目。
相手に合わせて、力の道を整えること。
紙の下半分に何を書くべきか、テンカは少しだけ掴めた気がした。答えそのものには届かない。それでも、そこへ向かうための物差しにはなりそうだった。
「ミナ」
「はい」
「明日も頼む」
「はい、テンカ様」
ミナが嬉しそうに頷いた、その時だった。
少し離れた閲覧机で、同じ1年1組の女子学生が二人、こちらを見ていた。
声までは届かない距離だったが、ミナが紙束を抱える手にほんの少し力を込めたのは見えた。
テンカは、その変化に気づいた。
だが、その意味を、まだ測り切ることはできなかった。
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