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ハヅキ辺境伯家の五行姫  作者: あの夏と勇者
第2部 第1章 学び舎に咲く天の華
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図書館と魔導工学

 翌日の授業後。


 テンカたちは、中央棟から渡り廊下を抜け、皇国学園の図書館へ向かった。

 キリカは少し後ろを歩き、図書館の入口で静かに周囲を確認していた。


 図書館は、講義棟の北側に建つ大きな石造りの建物だった。高い窓から午後の光が差し込み、壁一面の書架には、革装丁の本や巻物、薄い金属板に記録された魔導資料が並んでいる。


 ハヅキ家の書庫とは空気が違う。


 こちらは、武門の家にある実用の知識だけではない。皇国各地の歴史、魔術理論、薬草学、地理、魔物生態、魔導工学、貴族法、交易記録。人が積み上げてきた知識が、石の壁の内側に静かに詰め込まれている。


「……これは、広いのう」


 テンカが呟くと、隣でエリシアが頷いた。


「北方の本邸にも書庫はありますけれど、学園の図書館は分類が細かいですわね」

「テンカ様、フロストレイン様」


 少し先で、ミナが手を振った。


 胸元にはいつもの紙束を抱えている。今日はさらに、細長い栞のようなものを何本か挟んでいた。図書館に来ると分かって、準備していたのだろう。


「待たせたか」

「いえ。私も今来たところです」

「それは本当か?」


 テンカが尋ねると、ミナは目を泳がせた。


「……少しだけ早く来ました」

「少しとは」

「えっと、書架の場所を確認できるくらいです」

「十分早いのう」


 ミナは小さく笑った。


 その顔は、大食堂で初めて同じ卓についた時より、ずいぶん自然だった。


「魔導工学の基礎書架はこちらです。初学者用なら、仕組みが図で載っている本が多いので分かりやすいと思います」

「頼む」


 ミナが先導する。


 図書館の床は磨かれた石で、足音がよく響く。だが、館内には静音の術式が施されているらしく、声や音はすぐに柔らかく沈んでいった。


 魔導工学の書架は、図書館の一角にあった。


 壁際に並ぶ本の背には、回路、魔導具、魔力伝達、術式刻印、補助機構といった文字が並んでいる。近くの閲覧机には、小さな実習用の板と、魔導灯の部品らしきものが置かれていた。


「ここでは簡単な教材なら触っても大丈夫です。攻撃用でも危険物でもないので」


 ミナはそう言って、机の上にあった手のひらほどの板を示した。


 板の表面には、細い溝が幾何学的に走っている。中央には小さな透明石が埋め込まれており、その周りに銀色の線が巡っていた。


「これは?」

「初学者用の魔導灯回路です。魔力を流すと、中央の小さな魔石が光ります」

「魔導灯なら、部屋にもあるな」

「はい。でも、これは仕組みを見るための教材なので、回路が隠されていません」


 ミナは指先で板の溝をなぞる。


「魔導具は、強い魔力を流せばよいわけではありません。むしろ、強すぎる魔力をそのまま入れると、回路が乱れたり、壊れたりします」

「ふむ」

「大事なのは、魔力を回路が受け取れる形に整えることです。弱い魔力でも、道を整えれば動きます」


 ミナは板の端に指を添えた。


 ほんのわずかな魔力が流れたのだろう。テンカには大きな力としては感じられなかった。だが、細い溝に沿って淡い光が走り、中央の透明石がぽうっと灯る。


 光は強くないまま、静かに安定していた。


「おお」


 テンカは思わず声を漏らした。


 ミナは少し照れたように笑う。


「私は魔力量が多いわけではありません。でも、こういう回路なら、必要なのは量ではなく流れ方なので」

「流れ方」


 テンカは板の光を見つめた。


 強さではなく、流し方。

 大きさではなく、道の作り方。


  それは、演習場でミナが言ったことと同じだった。剣の力を止めるのではなく、道を変える。水を押し込むのではなく、刻印に沿わせる。言葉は違っても、どこかで繋がっている。


「フロストレイン様も試されますか?」

「わたくしが?」

「はい。ほんの少しだけ魔力を流してみてください」


 エリシアは少し考え、板の端に指を置いた。


「壊したら、ごめんなさいね」

「その時は、私が直せる範囲なら直します」

「頼もしいですわね」


 エリシアが魔力を流す。


 次の瞬間、中央の魔石が明るく光った。


 明るすぎた。


 淡い青白い光が一気に強まり、板の表面に白い霜が薄く浮いた。ミナが慌てて手を伸ばし、補助刻印の一つを指で押さえる。


 光が落ち着いた。


「……今のは」


 エリシアが目を細める。


「申し訳ありません。少し強すぎましたかしら」

「い、いえ。出力はとても綺麗でした。ただ、回路の想定より少し強かったです」

「少し?」


 テンカが横から言うと、ミナは困ったように笑った。


「えっと、かなりです」

「正直でよい」


 エリシアは小さく息を吐いた。


「氷術では、繊細に扱っているつもりでしたのに」

「フロストレイン様の魔力は、とても整っています。でも、魔導具の回路は、術者本人ほど柔軟ではないんです。だから、回路の幅に合わせてあげる必要があります」

「相手に合わせる、ということですのね」

「はい」


 ミナは頷く。


「魔導具は、人ほど我慢してくれませんから」


 その言い方に、テンカは小さく笑った。


 笑いながらも、胸の奥で何かが動いていた。


 人ほど我慢してくれない。

 逆に言えば、人は我慢してしまう。


 強すぎる力を向けられても、立場や家名の前では、声に出せない者もいるのかもしれない。レオンのように正面から受け取れる者ばかりではない。ミナのように、見えていることを言葉にするまでに少し勇気がいる者もいる。


 力は、相手に合わせなければならない。


 それは剣でも、五行でも、言葉でも同じなのかもしれなかった。


「テンカ様?」


 ミナが首を傾げる。


「いや」


 テンカは魔導灯回路の淡い光を見た。


「少し、分かった気がした」

「何がですか?」

「まだ、うまくは言えぬ」


 テンカは紙束を抱えるミナを見た。


「だが、そなたの目を借りに来てよかった」


 ミナの頬が、ぱっと赤くなった。


「そ、そんな。私は、ただ魔導工学の説明をしただけで」

「その説明が、わらわには必要だった」


 テンカは真っ直ぐに言った。


 ミナは言葉に詰まり、紙束を抱える腕に少し力を込める。


 エリシアが隣で静かに微笑んだ。


「ミナ、明日もこの棚を案内していただけるかしら」

「フロストレイン様まで」

「わたくしも、回路に合わせる練習が必要だと分かりましたもの」

「わ、分かりました。私でよければ」


 ミナの声は少し上擦っていたが、紙束を抱える腕には嬉しさを隠しきれない力がこもっていた。


 テンカはもう一度、魔導灯回路を見る。淡い光は小さく、静かに灯っている。強くも派手でもない。正しい道を流れれば、弱い魔力でも光になる。


 そのことを、ミナは当たり前のように知っていた。


 まだ測れぬものを、測る目。

 相手に合わせて、力の道を整えること。


 紙の下半分に何を書くべきか、テンカは少しだけ掴めた気がした。答えそのものには届かない。それでも、そこへ向かうための物差しにはなりそうだった。


「ミナ」

「はい」

「明日も頼む」

「はい、テンカ様」


 ミナが嬉しそうに頷いた、その時だった。


 少し離れた閲覧机で、同じ1年1組の女子学生が二人、こちらを見ていた。

 声までは届かない距離だったが、ミナが紙束を抱える手にほんの少し力を込めたのは見えた。


 テンカは、その変化に気づいた。


 だが、その意味を、まだ測り切ることはできなかった。

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