砂地に残る問い②
学びたいこと。
足りないもの。
教室で聞いた時には、面白い課題だと思った。だが、今は少し違う重さで響く。
テンカは砂地を見た。
そこには、自分とレオンの足跡が残っている。踏み込んだ場所、消した場所、止まった場所。その一つ一つが、先ほどの手合わせを物語っていた。
自分に足りないもの。
すぐに答えられると思っていた。
五行への理解。
皇国の知識。
魔術や魔導工学への理解。
学園の規則。
知らぬ土地での振る舞い。
挙げようと思えば、いくつもある。
だが、アリアの言葉を聞いた後では、それだけでは足りないように思えた。
強さを、学びへ戻す。
自分の名が、誰かの立場を変える。
そのことを、テンカはまだ測り切れていない。
「テンカ様?」
ミナの声で、テンカは顔を上げた。
「難しい顔をされています」
「そうか」
「課題のことですか?」
「うむ。少しな」
ミナは胸元の紙束を抱え直した。
「私は、学びたいことはたくさんあります。魔導工学のことも、標的柱みたいな測定術式のことも、魔力が弱い人でも使える補助回路のことも」
「そなたらしいのう」
「でも、足りないものは……少し怖いです」
「怖い?」
「はい。自分で分かっているつもりでも、書いたら本当に足りないものみたいになるので」
その言葉に、テンカは目を細めた。
ミナは時々、何気ない顔で大事なことを言う。
「紙に書くとは、そういうことかもしれぬな」
「そういうこと、ですか?」
「うむ。頭の中で思っているうちは形がない。書けば、形になる」
「魔導回路と少し似ていますね」
「またそこへつなげるのか」
「あっ、すみません」
「謝るな。面白い」
ミナは少しだけ笑った。
エリシアが隣で静かに言う。
「わたくしも、足りないものを書くのは簡単ではありませんわ」
「そなたにも足りないものがあるのか?」
「当然ですわ」
「ふむ」
「何ですの、その顔は」
「いや。そなたは何でも涼しい顔でこなすと思っておった」
「それはテンカが勝手にそう見ているだけですわ」
エリシアは淡々と答えた。
「氷は、ただ冷たいだけでは形を保てませんのよ」
「なるほど」
「強く凍らせればよいというものではありません。割れない厚さ、溶けない密度、周囲を巻き込まない範囲。それらを測り違えれば、氷術は簡単に乱れますわ」
「そなたの課題も、制御か」
「制御だけではありませんわ」
エリシアは少しだけ視線を逸らした。
「わたくしは、北方の外をもっと知らねばならないと思っています。フロストレインの氷だけでは見えないものが、この学園には多そうですから」
「エリー」
テンカが呼ぶと、エリシアは涼しい顔でこちらを見る。
「何ですの」
「そなたも、なかなか面白いことを言う」
「テンカに言われると、少し不本意ですわ」
「なぜじゃ」
「あなたに面白いと言われると、妙な方向へ巻き込まれそうですもの」
「心外じゃな」
ミナが小さく笑う。
その笑みは、初めて大食堂で同じ卓についた時より、少しだけ自然だった。
演習場の端では、キリカがこちらへ歩いてきていた。実技授業の見学を終えた随行者として、学生たちの流れを邪魔しないよう、少し遅れて近づいてくる。
「姫さま」
「キリカ」
キリカは一礼する。
「お疲れさまでした」
「うむ。見ておったか」
「はい」
短い返事だった。
だが、その目にはいくつもの言葉があるように見えた。
心配。
安堵。
そして、少しの誇らしさ。
「何か言いたそうじゃな」
「いえ。姫さまが、皇国学園の演習場で剣を取られる姿を拝見できて、よかったと思っておりました」
「ハヅキ家の訓練場とは違うか」
「はい。違います」
キリカは静かに頷いた。
「ハヅキ家では、姫さまを知る者たちが見ています。ですが、ここでは姫さまを知らない者たちが見ています」
「それは、やりにくいのう」
「ですが、必要なことかと」
「そなたまで先生のようなことを言う」
「姫さまの側仕えですので」
答えになっているようで、やはり答えにはなっていなかった。
テンカは小さく笑った。
その時、レオンがこちらへ歩いてきた。先ほど彼を囲んでいた男子学生たちは、少し離れたところで様子を見ている。
レオンはテンカの前で足を止め、丁寧に礼をした。
「テンカ様」
「うむ」
「先ほどはありがとうございました」
「礼を言われるほどのことではない。手合わせをしただけじゃ」
「それでも、得るものがありました」
レオンの声は真面目だった。
「自分の剣は、まだ前へ進むことに寄りすぎていると分かりました。相手がどこを消すか、どこへ誘うかを見られていませんでした」
「それが分かったなら、次は変わるであろう」
「はい。変えます」
即答だった。
テンカはその返事を悪くないと思った。
「ならば、また一手じゃな」
「はい」
レオンの目が少し明るくなる。
「その時は、もう少し長く続けられるようにします」
「楽しみにしておる」
「はい」
レオンはもう一度礼をして、仲間たちの方へ戻っていった。
ミナがぽつりと言う。
「グランツ様、悔しそうですけど、嫌な感じではありませんね」
「うむ。よい悔しさじゃ」
「よい悔しさ、ですか?」
「相手を恨むためではなく、自分を研ぐための悔しさじゃ」
言ってから、テンカは少しだけ黙った。
自分で口にした言葉が、胸の奥に残る。
自分を研ぐための悔しさ。
それは、学園での学びにも通じるのかもしれない。
やがて、学生たちは演習場から中央棟へ戻り始めた。
白い石造りの回廊へ入ると、砂地とは違う硬い足音が響く。窓の外には、先ほどまでいた演習場が見えた。遠くでは、実技担当の教師たちが標的柱の状態を確認している。
テンカは歩きながら、もう一度アリアの言葉を思い返した。
ただ勝つだけでは、この場所では足りない。
その実感は、思ったよりも重かった。
「テンカ」
エリシアが隣で言う。
「課題、今日から考え始めた方がよさそうですわね」
「うむ」
「テンカ様なら、すぐに書けそうですけど」
ミナが言った。
「そうでもない」
「そうなんですか?」
「学びたいことは多い。だが、足りないものとなると、少し厄介じゃ」
テンカは窓の外を見た。
演習場の砂地は、遠目にはもう細かな模様にしか見えない。
けれど、そこに自分が何をしたのかは覚えている。
踏み込み、下がり、相手の進む場所を消して、剣を止めた。
その一手は終わったはずなのに、多くの目に見られた感覚だけが、まだテンカの中に残っていた。
それは、ただの一手では終わらない。
「自分に足りないものを知るには、まず、自分が何をしているのかを知らねばならぬのかもしれぬな」
「……思ったより、厄介な問いですわね」
「わらわも、今そう思っておる」
テンカが答えると、エリシアが小さく笑った。
ミナも少し遅れて笑う。
キリカは半歩後ろを歩きながら、静かにそのやり取りを見守っていた。
皇国学園での最初の実技演習は終わった。
けれど、演習場に残った足跡は、まだテンカの中に残っている。
何を学びたいのか。
何が足りないのか。
教室で聞いた時には、ただの課題だと思っていた。
だが今は違う。
その問いは、訓練剣よりも軽く、けれど刀よりも重く、テンカの手の中へ渡されたようだった。
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