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ハヅキ辺境伯家の五行姫  作者: あの夏と勇者
第2部第1章 学び舎に咲く天の華
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砂地に残る問い①

 演習場の砂地には、いくつもの足跡が残っていた。


 踏み込み、下がり、向きを変えた跡。訓練剣を構えた学生たちが、ぎこちなくも真剣に動いた痕跡が、午後の光の中で薄く影を作っている。


 その中に、テンカとレオンが向かい合った跡もあった。


 ただ二人が一手を交えただけだ。


 だが、周囲の空気は、始まる前とは少し違っていた。


「全員、訓練武器の返却を確認してください。返却後は担当教師の指示に従い、水分を取ること。気分が悪い者はすぐに申し出なさい」


 アリアの声が演習場に通る。


 学生たちはそれぞれ動き始めた。訓練剣を武器掛けへ戻す者。魔術測定の標的柱をもう一度振り返る者。先ほどの自由手合わせについて、小声で話す者。


 テンカは砂地に残った足跡を見下ろしていた。


 レオンの踏み込みは悪くなかった。むしろ、同じ年頃の学生としてはよく鍛えられている。初手で崩れず、二手目で変えてきたことも、ただの負けず嫌いではできない。


 剣を学んできた者の動きだった。


「テンカ」


 隣でエリシアが声をかけた。


「何じゃ」

「まだ砂地を見ていますの?」

「足跡は嘘をつかぬ」

「また剣の話ですのね」

「そなたも氷の跡を見るであろう」

「それは見ますわ」


 エリシアは当然のように答えた。


 その横で、ミナが紙束を抱えたまま、少し前のめりになっている。目は砂地と標的柱と、テンカの手元を順番に行き来していた。


「ミナ」

「はいっ」

「そなたは何を見ておる」

「えっと、足跡と、剣の流れと、さっきの水の流れです」


 どうやら、すべて見ていたらしい。


 テンカは思わず瞬きをする。


「忙しい目じゃな」

「す、すみません。でも、気になってしまって」


 ミナは慌てたように紙束を抱え直した。


「テンカ様がグランツ様の剣を流した時、力を止めたようには見えませんでした。道を変えたというか、先に流れる場所を作ったというか」

「ふむ」

「標的柱の刻印に魔力を沿わせる時も、無理に押し込むと反応が乱れるんです。だから、なんとなく似ている気がして」


 言ってから、ミナは自分の声が少し早くなっていることに気づいたらしい。


 口を閉じ、ちらりとエリシアを見る。


「すみません。説明がまとまっていなくて」

「構いませんわ。むしろ、わたくしにも興味深いです」


 エリシアは淡い青の瞳を細めた。


「氷術でも、冷気を強く出せばよいわけではありませんもの。先に形を決め、内側を満たし、外へ逃がさないようにする。今の話は、それにも通じますわ」

「やっぱり、氷術でもそういう考え方があるんですね」

「ええ。ただし、テンカの剣は、また少し違いますわ」

「違いますか?」

「ええ。テンカは、相手の力だけではなく、相手が次に立つ場所を見ていましたもの」


 ミナは目を丸くした。


 テンカも、わずかに口元を緩める。


「よく見ておったな、エリー」

「テンカと何度手合わせをしたと思っていますの」

「なるほど。そなたに見られていると思うと、少しやりにくいのう」

「今さらですわ」


 エリシアの声は涼しい。


 けれど、目元はほんの少し楽しげだった。


 少し離れたところでは、レオンが数人の男子学生に囲まれていた。騎士家の子息らしい者たちだろう。姿勢や立ち方に、どこか似た空気がある。


「グランツ、今のどうだったんだ?」

「見えたのか?」

「肩口を取られた時、何が起きた?」


 声は大きくないが、演習場のざわめきの中でもテンカの耳には届いた。


 レオンは訓練剣を戻した後、少し考えるように自分の足元を見ていた。


「負けた」


 短い言葉に、周囲の男子学生が一瞬黙る。


 だが、レオンの声には妙な暗さはなかった。


「だが、剣を叩き落とされたわけではない。踏み込む場所を先に消された」

「場所を?」

「二手目で、俺は次に足を置く場所を決めていた。そこへ入れば、同じように流されても追えると思った。だが、テンカ様は先に半歩下がって、その場所を使えなくした」

「それで止まったのか」

「ああ。足が迷った。その瞬間に、剣の道も外へずらされた」


 レオンは自分の右肩口へ視線を落とす。


「受けられたというより、進む先をなくされた。あれは、悔しいが見事だった」


 からかう声はなかった。


 周囲の学生たちは、レオンの言葉を聞きながら、砂地に残った足跡を見ている。そこには、ただの敗北を笑う空気はない。どうすればそうなるのか、何を見ればよいのかを考える空気があった。


 テンカはそれを見て、目を細めた。


 悪くない。


 レオンだけではない。彼の周りにいる学生たちも、ただ勝ち負けだけを見ているわけではなさそうだった。


「気にしていますわね」


 エリシアが言う。


「うむ」

「気になりますの?」

「少しな」

「では、話しかけてみればよいのではなくて?」

「そう簡単に言うのう」


 テンカがそう返すと、ミナが小さく首を傾げた。


「テンカ様でも、そういうのは簡単ではないんですか?」

「わらわを何だと思っておる」

「えっと……」


 ミナは真剣に悩んだ。


 そこまで悩まれると、少し気になる。


「思ったまま言うがよい」

「怒りませんか?」

「怒らぬ」

「その、すごく強くて、堂々としていて、誰にでも自然に声をかけられる方かと」

「む」


 テンカは少しだけ返答に詰まった。


 エリシアが横で静かに目を伏せる。


「ミナ、それは半分ほど当たっていますわ」

「半分なのですか?」

「ええ。テンカは堂々とはしていますけれど、時々、自分がどう見られているかを忘れますもの」

「そなた、言うようになったのう」

「事実ですわ」


 また事実だった。


 この学園へ来てから、テンカは何度か同じことを感じている。


 自分はただ歩いているだけのつもりでも、周囲はそう見ない。生徒会長レイナ=ハヅキの妹であり、ハヅキ辺境伯家の次女であり、五行を扱う少女。そして今は、自由手合わせで騎士家の学生を退けた者でもある。


 名は、本人より先に歩く。


 それはハヅキ領でも知っていたはずだった。


 だが、皇国学園では、その歩き方が少し違う。


「ハヅキさん」


 アリアの声がした。


 テンカは顔を上げる。


「はい」


 今度はすぐに返事をした。


 周囲から、ほんのわずかに笑いを堪える気配がしたが、テンカは聞こえないふりをした。


 アリアは筆記帳を持ったまま、テンカの前へ歩いてきた。隣には実技担当の教師もいる。アリアの表情はいつも通り静かで、何かを褒める前にも、叱る前にも見える顔だった。


「少し確認します」

「はい」

「先ほどの自由手合わせについてです。あなたは、グランツ君の二歩目を見て下がりましたね」

「そうです」

「剣ではなく、足場を先に取りました」

「そのつもりでした」


 アリアは筆記帳へ一度視線を落とす。


「よい判断です。ただし、今後の演習では、相手との力量差にも注意しなさい」

「力量差、ですか」

「ええ。あなたは十分に制御していました。寸止めも問題ありません。ですが、周囲の学生が同じことを真似て、同じように止められるとは限りません」


 テンカは黙って聞いた。


 確かに、そうだ。


 自分ができることと、他の者ができることは違う。さらに言えば、自分が何かを見せた時、周囲がそれをどう受け取るかまでは、自分の思う通りにはならない。


「ハヅキさん」

「はい」

「強さは、学園では目立ちます。あなたの場合、家名もあります。だからこそ、強さを見せた後に、それをどう学びへ戻すかが大切です」

「学びへ戻す……」


 テンカは小さく繰り返した。


 アリアは頷く。


「ただ勝った、ただ負けたで終われば、そこには噂しか残りません。ですが、何を見たか、何を判断したか、どこを直すべきかが残れば、それは授業になります」

「先ほど、先生が皆へ説明してくださったように、ですか」

「ええ」


 アリアの目が、わずかに柔らかくなったように見えた。


「あなた自身も、それを忘れないように」

「……はい」


 テンカは素直に頷いた。


 強いだけでは足りない。


 その言葉を、アリアは直接そうは言わなかった。だが、伝えようとしていることは分かった気がした。


 アリアは次に、少し離れた場所にいるレオンへ視線を向けた。


「グランツ君」

「はい」


 呼ばれたレオンがすぐに姿勢を正す。


「あなたもです。今の説明は良好でした。敗因を言葉にできることは、次の修正につながります」

「ありがとうございます」

「悔しさを持つことは構いません。ただし、それを相手へ向けるのではなく、自分の剣へ向けなさい」

「はい」


 レオンは深く頭を下げた。


 その横で、男子学生たちも少し背筋を伸ばしている。どうやら自分たちも聞かれていたのだと気づいたらしい。


 アリアはそれ以上は追及せず、再び学生たち全体へ向き直った。


「本日の基礎実技演習は、ここまでとします」


 ざわめきが静まる。


「今日の記録は、担当教師で確認します。後日、必要に応じて個別に助言を行います。各自、今日できたことと、できなかったことを覚えておくように」

「はい」


 学生たちの声が重なった。


「それと、初回授業で出した課題を忘れないこと。1週間以内に、自分がこの学園で学びたいこと、そして今の自分に足りないと思うことを、紙1枚にまとめて提出です」


 その言葉に、テンカの胸の奥で何かが小さく引っかかった。

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