第6話:世界樹に釣られたお腹ペコペコの魔王(予定)、結界の前で立ち往生する
元勇者レオンが泥沼に沈み、魔導師ミーナが王都へ向かって脱兎のごとく逃げ出してから、数日が経った。
最果ての街『エンドル』にあるアルトの実家は、今日も平和そのものだった。
庭に植えた『世界樹』は、アルトが施した成長ロック解除のおかげで、毎日瑞々しくて甘い、黄金の果実を鈴なりに実らせている。
「マスター、本日の収穫です。世界樹の果実が30個、それと魔力の活性化により庭の片隅に群生し始めた『万能薬草(エリクサー草)』が20株となります」
「ありがとう、アイリス。……うん、やっぱりこの果物、すごく美味しいね」
アルトは縁側に腰掛け、アイリスが剥いてくれた世界樹の果実をパクリと口に運んだ。
高級な桃とリンゴを足して、さらに極上の蜜を詰め込んだような極上の味わいだ。
骨董品店で手に入れた『豊穣の神銀包丁』で切ったせいか、素材の旨味が何倍にも引き出されている。
「マスターがご満足いただけて何よりです。……ですが、一つ懸念が。この世界樹から放たれる高密度の魔力と、あまりにも芳醇な果実の匂いが、広範囲に拡散している模様です」
「え? 匂いが?」
「はい。具体的には、この大陸の魔界全域を刺激するレベルのキャッチーな芳香となっております」
「それはちょっと、ご近所迷惑ならぬ魔界迷惑だね……」
アルトが苦笑いした、その時だった。
ピピピ、とアイリスの瞳が再び警告の赤に染まる。
「マスター、外周結界に接触あり。……前回の有象無象(元勇者)とは比較にならない、極めて強大な魔力源を感知。警戒レベルを『最大』に移行します。デコピンの構え――」
「待って待って! ひとまず様子を見よう!」
アルトは慌ててアイリスの手を止め、玄関の門扉へと向かった。
◇◇◇
実家の門の外。
そこには、頭に小さな2本の角を生やした、黒髪の幼い少女が立っていた。
ゴスロリ風の豪奢なドレスを身に纏っているが、その体からは、普通の冒険者なら気絶するほどのドス黒い魔力が立ち上っている。
――彼女の名はイヴ。魔界を統べる「次期魔王」として恐れられる、最強の竜魔族の少女だった。
しかし、現在のイヴは、アルトの家の門の前で涙目で立ち尽くしていた。
「く、屈辱じゃ……! この我、魔界の至宝たるイヴ=ゼロスが、たかが人間の住処の門を突破できぬなど……!」
イヴは魔界で、もの凄く良い匂い(世界樹の果実)を感知し、お腹を空かせてここまで飛んできたのだ。
「人間ごとき、力ずくで奪ってくれるわ!」と意気揚々と突撃したのだが――。
ガツン!
と、アルトが施した【万能施錠】の神話級結界に激突。
自慢の魔王級魔法をどれだけ叩きつけても、蚊に刺されたほどの傷すらつけられず、逆に結界の強固さに心が折れかけていた。
「な、なんなのじゃこの門は!? 空間そのものがガチガチにロックされておる! 魔界の最深部に眠る『禁忌の城』よりセキュリティが厳しいではないか! おのれ、我はただ、あの美味しそうな果実が食べたいだけなのに……!」
ぐぅぅぅ、とイヴの小さなお腹が悲しげな音を立てる。
あまりの空腹と結界の理不尽な硬さに、イヴがその場にへたり込んで泣きそうになった瞬間。
ガチャリ、と小気味いい音がして、絶対に開かなかった門が内側からすんなりと開いた。
「あの……大丈夫? 結界に頭をぶつけて痛かったかい?」
中から顔を出したのは、優しそうな目をした人間の青年――アルトだった。
「に、人間!? お主がこの館の主か! 控えよ、我は高貴なる竜魔族の――」
「はい、これ。お腹空いてるんでしょ?」
アルトはイヴの言葉を遮り、手元にあった世界樹の果実を差し出した。
丁寧に一口サイズにカットされ、瑞々しい果汁がキラキラと輝いている。
「なっ……! 我を子供扱いするな! 我はそんな物には騙され――」
すんすん、と鼻を動かした瞬間、イヴの理性が消し飛んだ。
「あ、むっ……!?」
我慢できずに一切れパクリと口に放り込む。
その瞬間、イヴの脳内に衝撃が走った。
「な、なんじゃこれはぁぁぁ!? 濃厚な甘みと、全身の魔力が一瞬で全回復するほどの神聖なエネルギー……! 骨董品の神銀包丁で切ったおかげで、繊維が一切潰れておらぬ!美味い、美味すぎるぞ!」
「あはは、気に入ってくれたみたいでよかった。まだ中にあるから、入って食べなよ。アイリス、お茶の準備をお願い」
「了解しました、マスター。害意が消滅したため、おもてなしモードに移行します」
「……え? 良いのか? 呪われたりせぬな?」
イヴはおどおどしながらも、アルトの「結界の鍵を一時的に開ける」手招きに誘われ、ふらふらと敷地内に入ってしまった。
◇◇◇
数十分後。
縁側で、世界樹の果実を山盛り平らげ、アイリスの淹れた高級茶をズズズと啜るイヴの姿があった。
「ぷはー! 満足じゃ! 生きててよかったのじゃ!」
完全に胃袋を掴まれ、野生を失った子猫のようになっている。
「アルトと言ったな。お主、ただの人間ではないな? 我の全力の攻撃を無効化したあの結界、そしてこの神話級の庭園……。さては、伝説の隠者か何者じゃ?」
「いや、ただの鍵師だよ。王都のパーティをクビになって、ここで隠居生活を始めたんだ」
「鍵師が世界樹を育てるかぁぁ!」
ひっくり返ってツッコミを入れるイヴ。
しかし、彼女はふと真剣な表情になると、アルトの服の裾をぎゅっと掴んだ。
「……なぁ、アルト。我、決めたぞ」
「ん? 何を?」
「我、今日からこの家に住む! お主の『第二の従者』になってやるのじゃ!」
「ええっ!? うち、もう部屋はいっぱいだよ?」
「嫌じゃ嫌じゃ! 門番でも何でもやる! あの結界の中にいれば安全だし、毎日これが食べられるなら、魔王の座などどうでもよいわ!」
「……マスター。不法占拠を企てる角付きトカゲです。やはりデコピンで――」
「アイリス、だからデコピンはダメだって!」
こうして、アルトの辺境スローライフの家には、世界最強の自動人形に続き、魔界の次期魔王(お腹ペコペコ竜族)まで居着いてしまうのだった。
(ちなみに関係ないが、王都へ逃げ帰る途中の元勇者レオンたちは、野生のゴブリンの群れに襲われ、武器もないため身ぐるみを剥がされて裸で逃げ回っているが、アルトの知ったことではなかった)




