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25:女神の加護


先ほどまでは、確かに何も……誰も、居なかったはずだ。

目の前にいる半透明の女性は、一体いつからこの部屋の中に居たのだろうか。

机の向こう側……丁度ギルバート様とアレックス団長が座っている間に立っている彼女は、緩慢な動きで私達を見やり小さな声で呟いた。


「二人いるなら、ちょうど良いじゃない」


風が吹きさすび、どこからか花の甘い香りが漂ってきた。

透き通ったガラス細工のような女性は、数度瞬きをすると私達に向かって手を伸ばす。その白魚のようなほっそりとした指先が額に触れた瞬間、急な立ち眩みを起こしたように目の前がホワイトアウトしていく。

意識が途絶える間際、ギルバート様の悲痛な声が聞こえた気がした。






──ざぁざぁ、ざぁざぁ、風のなく声が聞こえている。




「……ぅ、?」


目を開けると、どこかの草原に倒れていた。柔らかな風が頬を撫でて、もう少し微睡みを楽しんでいたい気もする……いや違う、眠ってたんじゃない、気絶させられたんだった。

ばっ、と起き上がり辺りを見回す。見通しのいい草原が続くその空間で、同じように絵里奈がこちらを見つめていた。


「絵里奈……!!」

「椿ちゃん!」


どうやらこの不思議な場所には絵里奈と一緒に連れてこられたようだ。

かちゃり、という音につられて視線を上に向ければ、先ほどの女性が私達のすぐ近くで優雅にお茶を嗜んでいた。見事な装飾が施された白いテーブルセットの上には人数分のティーカップが用意されていて、女性の対面に当たる位置に2つ置かれている。


「…ここはどこですか」

「ようこそ私の庭へ」


警戒を多分に含んだ私の言葉は、女性の呑気な声に流されていった。

温かな日差しが差し込むこの草原は彼女の庭だという。花の一本も咲いていない殺風景な草原の中で、白いテーブルセットだけが清廉な空気を纏っているようだった。

空いている椅子に座るよう促されて、しぶしぶ席に着く。ここが庭であれ何であれ、早く元の場所に返してほしいのだけれど。

私と絵里奈は顔を見合わせて同時に溜息をついた。


「拉致、誘拐の類はこの国でも犯罪になりますが」

「人聞きの悪いこと言わないで頂戴!! 私、これでも女神なんだけど!!?」


あぁ、彼女が、この国を守護する女神なのか。こんな超常現象(誘拐)を起こした時点で想像は付いていたが。

……それにしてもやけに人間味のある女神だな。自分から「これでも」とか言っちゃうし。

拗ねたように頬を膨らませる姿は、近所に住んでいた幼稚園児と相違ないように見える。しかしその姿は清廉にして神聖で、たしかに女神に相応しいオーラのようなものを感じられた。それがちぐはぐであり、妙な親しみやすさを醸し出していて……つまるところ、調子が狂う。


「女神だろうが何だろうが、勝手に連れてこられる方の事も考えてください」

「急だったのは謝るわ。ごめんなさいね。でも連れてきたわけじゃないのよ? ただ眠っている貴女たちの意識と私の庭をつなげただけ」


そう嘯いた女神様は、空になったティーカップをソーサーに戻して語り始めた。

何故この世界に私たち二人が喚ばれてしまったのか。言い訳を多分に含んだ説明だったが、要約すると……。


「…つまり、本来なら椿ちゃんだけがこの世界に来るはずで、加護も1人分しか用意していなかった、と」

「でも、予定外に絵里奈が一緒に来ちゃったから、外見的特徴(黒髪)でうっかり絵里奈の方に”聖女の力”もとい”女神の加護”を授けてしまった。 授けてしまったものはもう仕方ないから、私に新しく加護を授けてチャラにしてしまおう……と言う事でよろしいでしょうか?」

「言い方に棘がある気がするけど、まぁそんな感じよ」


棘があるのも仕方ないだろう。だって女神様の人的?神的?ミスってことでしょ。そのせいで絵里奈は毒殺未遂だし、私は王族に「お前は喚んでない」って言われてるし……。


「まず聞きたいんですけど、私にも加護を授ける必要性はあります?」

「だ、だって本当ならあなたが聖女のはずだったのよ? 元の道筋に戻すというかこっちに連れてきたお詫びと言うか…」

「はぁ…」

「それに魔力があった方がこっちでは何かと便利でしょ? 貴女を見つけるのに時間がかかったことは謝るから、ね?」

「ね?…と言われましても」


確かに、魔力があればできることも増えるだろう。一度は諦めたポーション作りを体験できるかもしれないし、魔法騎士団や絵里奈の役に立てるかもしれない。

でもなぁ、女神の加護なんて貰っちゃったら絶対面倒なことが起こるんだよなぁ………。

うんうん唸りながらどうやったら穏便に断れるか考えている間に女神様が説明してくれたことによると。


そもそも聖女とは、女神直々に加護を与えた女子のことを指しているらしい。そして肝心の”聖女の力”というのは、人の身で使える神の力のことをそう呼んでいるのだとか。それは魔力よりも純度の高い、奇跡を起こす力だった。


──魔物を遠ざけ、魔物を斃す、純粋な聖なる力。


聖女の力とは神様の持つ力と同じものだ。

そして魔力とは、神様の持つ力と根源は同じだが、聖なる力とは似て非なるもの……別物だという。

魔法が使えるのは(というか魔力を持っているのは)人が神に作られた証、というのはあながち間違ってはいないが、聖女の力とただの魔力では格が違うのだとか。

また、女神曰く私と絵里奈の魂はこの世界で聖女になるのに適した性質を持っているそうだ。さしずめ第一候補者と第二候補者といったところか。


「そもそも、うっかり加護を授けたって言いますけど、絵里奈は聖女なんですよね?」

「そうだけど?」

「じゃあ、絵里奈だけがそのまま聖女として活動するのじゃダメなんですか?」

「………えぇ。申し訳ないけれど、エリナちゃんではだめなのよ」


女神様は豊かな金色の睫毛を伏せてそう言い切った。憂いを帯びた表情は先ほどまでの飄々とした態度とは裏腹に、わずかな痛みを堪えるように歪んでいる。


「なぜなのか聞いてもいいですか? 私も魔法の訓練とかはしているんですけど……それじゃ足りない、って話ではないんですよね」

「そうね………、この国の結界は崩壊寸前だって話は聞いたことあるかしら」


この国を守護する結界。何百年も前に張られた結界は、徐々にその役目を果たせなくなっている。そのせいで魔物の氾濫みたいなのが起こりかけてて、今も魔の森の近くは魔法騎士が入れ代わり立ち代わり対処していることも。ただ、崩壊寸前まで酷くなっているとは、聞いていない。


「3代目聖女から先代までは結界の修繕だけで事足りたの。けど今回はそれじゃ()たない。また一から張り直す必要があるのよ。直すだけなら今までと同じように聖女……聖女の器を選べば良かった。ただ今回は私と波長の合う魂を持つ子じゃなきゃ、結界を張る儀式に身体が耐えられないのよ……」

「っ……!」


聖女の召喚と結界の補強の日時は神託によって決められることになっている。

こんなに結界が酷い状態なのに絵里奈が結界を張り直さなかったのは、神託が下りなかったから。しなかったのではなく、出来なかったのだ。


なるほど、女神様が神託を下ろさなかったのか。絵里奈の身体が耐えられないことを知っていたから。だからこそ、結界を張りなおす儀式に耐えられるだろう私にその役割を任せたい、と。


「ちょっと待ってください!それって本当に椿ちゃんは耐えられるんですか?椿ちゃんが結界を張り直したとして、大丈夫だと思ったけどやっぱりだめでした、では納得できません!!」

「絵里奈……」

「エリナちゃんの疑念はもっともだわ。でもね、何も根拠がないわけではないのよ。ツバキちゃんの魔力の器は、エリナちゃんよりも遥かに大きいの。つまりそれだけ、加護を通して授ける力も多くなるってこと」


魔力の器というのは、実際にそういう名称の器官があるわけではなく、そのひとの魔力許容量を指している。魔力の器と呼んでいるのは、体内の魔力がある一点に集まるからそう見えているだけに過ぎない。

この世界の人は、魔力を生まれつき持っているから、最初から魔力の器があるように見える。

私や絵里奈は生まれつき魔力を持っているわけではない。けれど、どのくらい魔力が許容できるかは潜在的に決まっているため、その大きさを女神様は見ているのだという。


「エリナちゃんもそうだったように、ツバキちゃんも今は魔力を持っていない(・・・・・・・・・)けど、私が加護を授ければ、エリナちゃんよりも膨大な聖なる力を持つことになるのよ」

「あの、ちょっと待ってください。私って魔力持ってないんですか?」

「今は加護も何も与えていないから魔力なんて持ってないはずだけど………、え? うそ、なんであるの? 怖ぁ………」


目を細めて私の身体を眺めた女神様はそう言ったきり、首を傾げて黙ってしまった。

そもそも、私が最初に魔力うんぬんについて説明を受けたのはギルバート様からだ。私の身体に流れる魔力を不思議がっていたのも、そんな状態で無事なのかと心配してくれたことも覚えている。

女神でも分からないなら、もうこれは考えても仕方ない問題なのかもしれないな、と自己完結することにした。


「とりあえず、分かりました」

「じゃあ……!」

「いえ、まだ了承したわけではありません。少なくとも、私たちで判断できる域を超えています。なので、少し時間をくれませんか?」


女神様側の事情は分かったが、一度持ち帰って検討する必要がある。

女神の加護を与えられたら聖なる力を保有すること。それに伴って魔法が使えるようになること。

絵里奈が結界を張りなおすと身体が耐えられないこと。

私の魔力の器は大きいらしいので、女神様的には私に結界を張り直してほしいこと。

これをギルバート様たちと話し合う時間が欲しい。


「たしかに、今日は急だったものね。えぇ、分かったわ」

「ありがとうございます。あの、結界はどれくらい持ちそうですか?」

「うーん……多少前後はすると思うけど持って1、2年くらいかしら? 早ければ半年くらいでパーンってなるわよ」


今すぐどうこうなる訳ではないのは少し安心した。けれど猶予は無限じゃない。目が覚めたらすぐにギルバート様たちと情報共有をして、今後の対策を練らなければ。

そんなことを絵里奈と話していると、女神様が立ち上がり私達の目の前に歩み寄ってきた。


「ツバキちゃん、エリナちゃん。……この国を、世界を、どうか救ってください」


祈りの形に組まれた指は白くて細い。ぎゅっと握られて痛々しいその手のひらに、私と絵里奈は自身の手を添えた。


「もちろん、そのための聖女ですから!」

「ベストは尽くします」


女神様は私達の言葉にふんわり微笑んで、涙に滲んだ瞳で見返してくる。ほどかれた指先がそれぞれの額に当てられて、この庭に連れてこられたときみたいな急激な眠気が襲ってきた。




──ざぁざぁ、ざぁざぁ、誰かの泣く声が聞こえた気がした。




























































自らの「庭」と称した精神世界から二人の少女が去ったのを見送り、女神は思案した。


これが正解なのか、と。


私達が何度も何度も間違えてしまったために、歪んでしまったこの世界。


藻掻いて、縋って、過ちを繰り返す中で見つけた茨の道。


愛するこの世界を守るためには、どうしても必要だった最後のピース。


女神にとって、彼女は、否……彼女たちは希望そのものだった。


この世界の事情に巻き込んでごめんなさい、と女神は誰に言うでもなく呟いた。


見渡す限り草原が続く広い庭に、女神はひとり立っている。


昔はここも、一面に花が咲き誇る素敵な庭だったのに。


かろうじて、荒れてはいない。それでも、以前の姿とは似ても似つかぬ有様だ。


この計画は穴だらけで、けれど女神の権能を使えば、一度くらいチャンスは作れる。


たとえ自分がどうなろうとも。


私は願う、──永久の平穏を。

私は祈る、──魂の安寧を。

私は捧げる、──愛情の源を。


全ては、終わらせるために。


「……これでいいのよね? ナデシコちゃん……」


そう呟いた女神の手の中には、装飾が欠けた一本の簪が握られていた。




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